引きこもり王女の隠しごと

1 天才少女のお願い

「シリル! アナベル!! たすけて!!」


 派手な音を当てて裏厨房の扉を開けたのは、我らが誇る天才天使、ミーシャ・ガードナーだった。


 プラチナブロンドの髪を揺らめかせ、はあはあと肩で息をする様はとても急いできたらしいということを想起させる。慌てている彼女は私とシリルの名前を呼んだが、中にいた他の人々を認めるとバツが悪そうに縮こまった。


「あ……シャノンさんに、レイさん……ごめんなさい。シリルたちだけだと思って……」

「あらあミーシャちゃん。いらっしゃい。どうしたの?」


 レイさんのおっとりした口調に、ミーシャは少し肩の力を抜いた。「おいで」と私が手招きすると、とてとてとオーブンのそばまで寄ってくる。


「なにを作っているの?」

「シリルくんに教えてもらいながら、みんなで新しいケーキの試作をしてるのよ」


 レイさんがそこ熱いから気をつけてね、と釘を刺すと、急にそろーり、とした動きになるからかわいい。素直っていいね。心が癒される。


 婚約大騒動が一夜明けた昨日、スーザンの演舞&婚約お祝いに何を持っていこうかと考えていた私とシリルは、悩んだ末にとあるケーキを持参した。

 それが彼女に大絶賛で、今度の誕生日ミニケーキか軽食にぜひ出してほしいとリクエストされたのだ。魔術師寮の全員分を一気に作るのと、一人分を作るのでは勝手が違う。というわけで、ベーカリー部門で私の同期のシャノンと、そのペアであるレイさんを呼びだして色々実験中なのだ。そのケーキというのが……


「キャロットケーキ、懐かしいわね。でもこんなにしっとり作れるものだってこと初めて知ったわ」

「私も。実家で作るのはもっとパサパサしてるもの」



 そう。キャロットケーキ。


 レイさんやシャノンや言う通り、ベリルでは「母の味」の代名詞としても知られるくらい、一般家庭ではよく作られるケーキだ。その名の通り、すりおろしたにんじんを入れて焼く。野菜の優しい甘みがどこか懐かしさをかき立てる、あのキャロットケーキである。


「モルガナイト地方の小麦を使うのが重要なんです。あそこの小麦は、他の地方のものに比べて保有水分量が飛び抜けて高い」

「さすがシリルくんだわ。生クリームじゃなくてサワークリームを合わせるのにも何か理由があるのかしら?」


 レイさんはシリルのレシピに興味津々で、ずっとメモをとりながらシリルを質問攻めにしている。

 

 スーザンのお祝いなのにどうしてそんな素朴なものを持っていったかというと、「ここで太ったらイヤ!」というスーザンの乙女心にお応えするためだ。彼女のダイエット意識はまだまだ根強く、今度は「正式な婚約発表までに絶対痩せる」と意気込んでしょうがない。いや、そもそもスーザンはケーキを常食するタイプじゃないし一切れくらいじゃ変わらないとは思うんだけどね。彼女はスリムな方だと何度言っても聞かないし。


 まあ、野菜ケーキと言われれば罪悪感が薄いでしょう? 多少は。それに、にんじんは美肌効果がとても高いと言われている野菜だ。その辺を説明したら喜んで食べてくれた。スーザンのはにかんだ、あの幸せそうな顔は忘れられない。


「ミーシャも一個食べる?」

「食べ……じゃなくて! ちがうの! アナベルとシリルにお話があるの!!」


 食べる、と頷きかけたミーシャは、はっと我に返って自分の用事を思い出したようだった。

 レイさんとシャノンにはどうやら聞かれたくない話らしく、ちらりと二人の顔を伺って私を見る。


「あー、じゃあちょっと席外してもいいかな」

「もちろん。シリルくんも行ってきて」

「……すまない。では後を頼む」


 優しい二人は気を悪くすることもなく快く送り出してくれた。

 ぐいぐいと私の袖を掴んで裏厨房の外に出たミーシャは、きょろきょろとあたりを見回してひとけがないかを確かめる。

 そして周囲の安全を確認すると、右手の人差し指をいち、に、と軽く振って口元にそっと当てた。

 あ、これ防音魔法だ。よほど秘密にしたい話らしい。


「それで、話って?」

「うん……あのね……」


 ミーシャはアメジストの瞳を揺らめかせ、不安そうな表情で私とシリルを見上げた。


「ロータス王国のソフィア王女様と、お友達になりたいの」


 …………えーっと。

 今、なんて?


「ロータス王国っていうと……あの、海向こうの大国?」


 海峡を挟んで国境としているロータス王国は、ベリルと友好関係にある国だ。小さな島国のベリルとは違い、海向こうの大陸のおよそ四分の一を占めるほど広大な領土を持つ超大国である。

 その王女様と、お友達になりたい? あまりに突飛な話だ。私が目を白黒させている横で、シリルがああ、と納得した表情を浮かべて頷いた。


「ロータス王国の王子と王女が、ベリルの建国式典に参加するために来国しているんだったな」

「そうなの。私の方がソフィア王女様より少しだけ年上なのだけど、とってもお上品で素敵な方なのよ」


 ミーシャによると、ソフィア王女はミーシャよりひとつ年下で十歳になったばかり。美しいストレートの金髪を肩の下で切りそろえた、可憐な王女様だそうだ。光の当たり具合によっては金色にも見えるという不思議な青の瞳を持っていて、とても物静かでしとやかなお姫様らしい。

 彼女とその兄であるロータス王国の王子が来国したのはちょうど一週間前のこと。私が第三王子のアーサー殿下にサンドイッチを差し上げた前後、ということになる。……え、アーサー殿下、本当にやること全部終えて抜け出してきてたのかな。軍属とはいえ王家の人だ、普通に考えてもお迎えの支度がとても忙しそうな時期だけど。

 まあ、過ぎたことだからいいや。深く考えるのはやめよう。あと私が殿下側近の皆さんの胃痛についてわざわざ心配しなければならない筋合いはない。


「それでねイアンから、『ミーシャは歳も近いから、仲良くしておいで』て言われたんだけどね。王女様、私が何を話しかけても、『はい』か『いいえ』いがいのことは答えていただけないから、お話が続かないの。それに、あまりお部屋から出たがらない方だから、私が好きなお話はだいたいしてしまって、もう思いつかなくて。どうしたらいいのか分からない……」


 しゅん、としたミーシャは自身の首から下げた魔導書ネックレスをそっと握りしめた。


「なるほどねえ……」


 私とシリルはうーん、と思わず考え込む。

 王女とはいえ十歳の少女だ。何かきっかけさえあれば仲良くなれそうな気もするけど、人間関係ばっかりはね。誰かがでしゃばっていってうまくいくようなものでもないし。何か力になれることはないかなあ。

 ミーシャがわざわざ私たちを頼ってきたということは、他の人は頼れなかった、ということだ。それもそのはず、ミーシャの周りには今、五日後に迫った建国式典の用意でバタバタしている大人たちしかいない。ミーシャが純粋にソフィア王女と仲良くしたいと思っているのは本当だと思う。けれどイアンさんの「仲良くしておいで」には王女の話し相手を頼んだよ、の意味が含まれているであろうことはミーシャも把握しているのだろう。


「本当はティータイムとか、お誘いしてみたいんだけどな……」


 ぼそり、とミーシャが呟いた一言に、私ははっとひらめいた。


「そうだ! ティータイム、スイーツだよスイーツ! ミーシャ! キャロットケーキ持っていってみよう!」


 私はがしり、とミーシャの両肩を掴んだ。


「へ?」

「仲良くなる第一歩は、『同じものを共有すること』だって本で読んだことがあるよ。一緒に同じものを食べるのって、手っ取り早くて簡単じゃない? ミーシャ、美味しいもの好きでしょう? 王女様にも共有してみない?」


 しゃがんで目線を合わせ、私はミーシャに問いかける。


「……うん! してみる!!」


 虚をつかれたミーシャがぱああ、と顔を輝かせるのに時間は掛からなかった。


「よし! そうと決まれば今すぐ行こう!」

「え、今? そんなすぐには……」

「善は急げ! 幸運の女神の前髪をつかめ! 裏厨房にある試作品、美味しかったからもらっていこう! シャノン〜そこのケーキもらっていいかな〜」

「あ、アナベル!! 待って!」


 また突然暴走を始めた私の背中を、シリルは笑いを堪えながら見つめていた。

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