16 Happyiy ever after

 殿下、と呼びかけてすんでのところで言い直す。

 今日の殿下はこの場によく馴染む記者スタイルだった。目深に被ったハンチング帽から、ありふれた焦茶色の瞳が覗く。私と目が合った殿下はバチン、と華麗なウィンクを放った。


「やあアナベル。先日はどうも」

「ど、どうも先日ぶりです……びっくりした……今日はなんの御用で」


 殿下はひとつ頷いてぽん、と自分の右手に巻いた腕章を叩いてみせた。


「取材だよ取材。俺の婚……知人が演舞に選ばれる晴れ姿を見に」


 それは取材ではなくて私用です。おおかたその腕章も偽物でしょうけど。

 というか、気配の偽装が完璧すぎる。いつから我々の話を聞いていたんだろう。一応、一度覚えた魔力気配にはだいたい気づくはずなんだけど、本当に分からなかった。殿下の変身術、というか気配操作術? 恐るべし、である。

 私の驚いた様に満足したのか、少々胸を張った殿下が得意そうな表情でシリルを見やる。うんうん、顔に「流石のお前も分からなかっただろうドヤァ」ってしっかり書いてある。

 シリルはわざとらしく「はあ……」と深いため息をついた。


「話しかけられなければ無視しようと思っていたのに」

「はあ? 気づいていたと!? 俺のこの、完璧な魔術に?」

「逆に見破れないと思われていたことが心外ですね」


 ギリギリと奥歯を噛み締める殿下。シリル、なんで君は殿下の神経をわざわざ逆撫でするようなことを言うのかな? 恨みでもあるの?

 ちょっとお小言を言ってやろうかと思ってシリルを見上げれば、彼の片頬がほんの少しだけ、よく見なければ分からないくらい少しだけ、緩く上がっていることに気がついた。あ、これは……そうか。さっきからかわれた意趣返しか。


「シリルって本当にアッシュさんが大好きだよね」

「え」

「は?」


 何を言い出すんだ、とぎょっとするシリル。殿下はといえば顔を引き攣らせている。

 だってそうでしょう。護衛の人をもまくレベルの変装に気づくなんて、気配探知が得意とかそういう次元じゃない。わざと喧嘩腰に接するのは、照れ隠しの類だったり、あるいは殿下の反応を面白がっていたり。そういう「愛」ある方向なんだろうな、というのは想像がつく。

 シリルは真面目だから、殿下、ひいては王族に対してどこまで踏み込んでいいのか長年考えているうちにこういう距離感になってしまったのだろう、と思う。

 私がわざわざフォローすることもなさそうだね。これからおいおい、解いていけばいいか。


「そういえばシリル、貴様……」


 殿下が何かを思い出して言いかけたところで、急に講堂のほうがざわざわと騒がしくなった。


「あ、出てくる!」


 私がロープから身を乗り出すと同時に、講堂の扉が開け放たれる。


 晴々とした表情のイアンさんに続いて、待ち望んだ人が我々の前に姿を現した。

 神聖な漆黒のローブをたなびかせ、ルビーの鉱石が煌めく小さな魔導書を首から下げて。


「アナベル!」


 一番に私を見つけて駆け寄ってくれたスーザンが、ロープを握りしめていた私の手を取る。

 鮮やかな胸元のルビーと同じ美しい瞳を輝かせ、彼女はにっこりと微笑んだ。


「やったわ! やったわよ! 私、ちゃんと選ばれた!」


 ちゃんと、選ばれた。


 その言葉を、どれほど待ち望んだことか。


「やっ、たね。やったね、スーザン! えらい! すごい! がんばった! やった!」


 考えていた言葉は全部吹き飛んだ。稚拙な褒め言葉しか浮かんでこない。嬉しいという気持ちだけが洪水のように溢れかえる。スーザンの手をぶんぶん上下に振りながら、あれ、と思った時にはほっぺたがびしょびしょに濡れていて、透明な水滴が落ちていった。


「ちょっと、なんで私じゃなくてあなたが泣くのよ」

「だっ、て、うれ、嬉しいんだもん」


 スーザンの頑張りが認められたことが。彼女が自信を持って胸を張り、『選ばれた』と言えるそのことが。そして、こんな私でも少しは彼女の役に立てたことが。

 すごく、すごく嬉しい。


「スーザン……」


 隣で小さく、殿下がその名を呼んだ。そこで初めてスーザンは殿下の存在に気づき、さっと頬を強張らせる。

 スーザンにとっては、例の朝食ぶりだろう殿下との邂逅だ。一瞬怯んだ彼女は、それでもぐっとその場に踏みとどまった。

 私の手をそっと離し、自分の魔導書ペンダントをぐっと握り込む。


「殿下。私はアローラの名に恥じない魔術師となるべく、研鑽を積んでまいりました。これからもその矜持を持って、忠誠を尽くすつもりです」


 自分に言い聞かせるように、一言づつを区切って、スーザンが静かに宣言する。

 そして、胸に手を当て腰を折る魔術師式の最敬礼をもって、彼女は殿下に頭を下げた。


「婚約の件、謹んでお受け致します。この身が朽ちて果てるまで、殿下を側でお支えすることを誓います」


 あれ。

 なんか始まったぞ。


 人目も憚らずに大泣きしていた私だが、突然の展開に思わず涙が引っ込んだ。

 一瞬の静寂ののち、ざわり、と周囲の空気が揺れたのがわかる。そりゃそうだよ。どう見ても一般人にしか見えない人間に向かって突然殿下とか呼んだら、混乱に陥るに決まっている。しかも婚約がどうのとか。アローラ家の長女の婚姻なんて、新聞記者たちにとっては喉から手が出るほど欲しい情報だよね? 魔術師たちにとっても気になる情報のはず。次第にその輪は大きくなり、囁き声が喧騒になる。

 ロープを挟んで向かい合った二人の間にだけ、静かな時間が待っていた。スーザンはずっと頭を下げたままだ。


「やり直しだ」


 その静寂と喧騒を破ったのは、小さな、だが不思議とその場に凛と響く殿下の声だった。

 スーザンがえ、と驚いた表情で顔を上げた。


 彼が張られていたロープの下をくぐってスーザンの立つ『あちら側』へ行く。同時にざあ、と突風が吹いた。風に煽られた殿下の髪が金色に変わった。服装も、絵でしか見たことのないような豪奢な騎士服へと形を変える。胸元には魔力を伝えるための大きな鉱石。その石と同じ色に輝く、金色の、美しい瞳。

 アーサー・ベリル。この国の第三王子がそこにいた。強い決意を秘めた目が、スーザンを真っ直ぐ射抜く。


「君の忠誠も、それに恥じない努力も働きも、この国を統べる王族として、大変嬉しく思う。君の決意に、敬意を表したい。ただ」


 そこで一度言葉を切って、殿下は一瞬だけ目を伏せる。そして流れるような美しい所作で片膝をつき跪いた。


「それとは別に、俺は『アローラ家の娘』ではなく、『君に』求婚したい。スーザン・アローラというこの世界にたった一人しかいない君に、生涯の愛を捧げたい」


 すっかり静まり返ったこの空間に、殿下の真摯な言葉が落ちる。


「俺も君も、国や体裁を切り離すことはできないが。もし仮に立場を全て取り払って何も無くなったとしても、君の隣に居るのは俺がいい。スーザンと共に歩いて行きたい。その上で、この国を一緒に支えてくれるなら、こんなに幸せなことはない。──俺との婚約を、受けてくれるか」


 スーザンが視線をあちこちに彷徨わせて動揺している。人々が、固唾を呑んで見守っていた。誰の助けもないことを悟ったスーザンは、おずおずと、アーサー殿下を見つめ返した。この手を取ってくれないか、と殿下の右手が差し出される。


「ど、して、わたし」

「不器用で真っ直ぐな君が好きだからだ」


 スーザンの赤い瞳が、大きく見開かれて。

 その瞳から宝石のような涙が、ぱたぱたとこぼれ落ちた。

 殿下が縋るように差し出した手を、震える指先で、躊躇いがちに彼女が握る。

 満面の笑みを浮かべた殿下が立ち上がり、ふわりとスーザンを抱きしめた。



「……」

「…………」

『うおおおおあああおおおおお!!!』



 唸りとも叫びともつかない悲鳴が、廊下中にこだまして。


 二人はどっと押し寄せた周囲の人々にしばらくもみくちゃにされたのだった。




「なに、これ」

「さあ。よく出来た茶番じゃないか?」


 人ごみに流される直前、咄嗟に私の腕を引っ張って騒ぎの中央から脱却してくれたシリルと、遠巻きにその様子を眺める。彼に引っ張ってもらえなかったら、今頃私は押し寄せる記者や魔術師たちの下敷きになっていたことだろう。

 

 そっけない返事の割には頬が緩んでいるシリルを見上げ、私もふふ、とつい小さな笑いを漏らした。


「なんだ」

「いや。シリルって本当、二人のことが大好きだよね」

「……その『大好き』っていうの止めないか」


 あらま。照れちゃって。でも否定はしないんだよね。


「そういえばさ。どうしてシリル、あの時殿下にミスリードを誘うようなことを言ったわけ?」

「ミスリード」

「ほら、『スーザンに想い人がいる』みたいなやつ」

「ああ、あれか」


 シリルはなんてことのないように頷いた。


「スーザンには『殿下を追い払う為』くらいのことを言ったが、俺としては、あの場で殿下が俺に詰め寄ってくれれば早々に解決できると思ったんだ。『俺ではなく直接スーザンに聞いたらどうだ』と言い返して、そこでハッキリさせられるだろう? そうならなかったのはちょっとした誤算というか、殿下が少々ヘタ……いや、これはよそう」


 わかるよ。言いたいことはわかる。殿下が思ったよりヘタレだった、ってことだよね。私もちょっとそう思ったもの。


「あの、一応聞いておいてもいいかな」

「なんだ」

「シリルはその……スーザンのこと」

「ない」


 言い切るより前に言い切られた。


「もしかしてそこを気にしていたのか?」

「えっ、いや、まあ、ちょっとは?」


 殿下の気持ちを知った上で、もしシリルがスーザンを好きだったりしたら、シリルは絶対口に出来ないだろう。だとしたら、私くらいは彼の気持ちの吐け口になってあげてもいいかな、と思ったのだ。

 なんかちょっと、こう、気持ちのすわりは悪いけど。それくらいしかできないし。


「絶対にない、それは本当にないから信じてくれ。これまでもこの先も、絶対だ」

「わ、分かった……」


 嘘はつかないシリルだから、信じることにしよう。なぜかシリルがどっと疲れているけれど、そんなに嫌な誤解だったのかな。ごめん。


 喧騒の中心ではスーザンを抱きこんでドヤ顔の殿下がいて、それをニコニコとイアンさんが見つめながら肩を叩いている。イアンさんにとってもあの二人は弟や妹のようなものなのだろう。あと純粋にこの状況を楽しんでいそう。その気になればいくらでも魔術で黙らせられるもんね、周囲の人たちくらい。

 ちょっと離れたところには、アメジストの美しい瞳をさらにキラキラ輝かせながらうっとりと二人を見つめるミーシャがいた。あれくらいのお年頃だと、ああいうプロポーズが憧れなのかな。まあ、私が殿下をちょっと見直したくらいにはカッコ良かったかな。うん。

 騒ぎを聞きつけた殿下の護衛と思しき人たちが、ばたばたと向こうから数人駆けてきた。その顔面蒼白さから、彼らが普段から味わっている胃痛度合いを察する。

 ただ変装して一般人に紛れていただけではない。色々すっ飛ばして公開婚約までしてしまったのだ……あとでめちゃめちゃ怒られそう。お付きの皆さんが。


「事情聴取される前に逃げるか」

「さんせーい」


 巻き込まれるのはごめんだ。敏感にその気配を察知した取り巻きたちは驚きの速さで殿下の周りから引いていく。私たちもその波に乗っかることにした。


「スーザンには後日婚約と演舞のダブルお祝いケーキ持っていこうよ。シリルが作ってくれる、とびきり美味しいやつ」

「そうだな。あと、アナベルは何が食べたい? リクエストがあればなんでも作るぞ」


 踵を返しながらシリルが言ったセリフに、私ははて、と首を傾げる。

 

「なんで私?」

「なんでって、アナベルも頑張ったから、だろう」


 シリルがさも当然、とでも言いたげに首を傾げ返した。


「え、いや、あれはほら、私がやりたかっただけというか、応えてくれたスーザンがやっぱりすごいっていうか」

「俺一人ならここまで彼女に手を貸さなかった。スーザンは更迭され、殿下との婚約も白紙になったかもしれない。アナベルが、暴発の起きたあの日に諦めなかったから、今の結果がある。スーザンと一緒に頑張って引き寄せた『運命』だろう? 誰がなんと言おうとそれが事実だ」


 言い切ってくれたその言葉に呼応して、自分の中からこみあげる熱い何か。

 ああ、これはちょっとマズい。

 さっきスーザンの前で泣いた時よりも、もっともっとずっと嬉しい。


 私は緩みそうになった涙腺をぐっと引き締めて、わざとわはは、と大きく笑ってみせた。


「シリル、あんたって本当に優しいね。ありがとう。さすが私の相棒!」

「それはどうも」


 シリルのそっけない返事が、今はとてもありがたい。でないとまた、涙が溢れてきそうだった。

 部屋へ帰る分かれ道まで、どんなケーキがいいかとたわいもない話をした。じゃあまた明日、と言おうと思ったところで、ふと私は重要なことを思い出す。


「そうだ、シリルにも付き合ってもらったお礼しなくちゃね。何がいい?」

「いや、別に必要はないが、そうだな……」


 シリルは少し空を見つめて考える。あ、待って、私のお給料でなんとかなる範囲で答えて欲しい。もしくは私の労働力でなんとかなる範囲。最新式の魔導式オーブンとか、シリルが使うレベルの魔法鉱石ネックレスとかはちょっと。


「考えておく」

「あ、そう……」


 いささか拍子抜けした私を置き去りに、何故か機嫌の良さそうなシリルは手を振って足取り軽く自室への道を辿っていく。

 後ろ姿を見送って、私は小さくため息をついた。


「よし。また頑張ろう」


 明日は嫌でもやってくる。スーザンがメンバーに選ばれたからと言って、演舞当日まで気は抜けない。これはあくまでスタートラインに立ったばかりなのだから。







 『殿下をぎゃふんと言わせよう作戦』は、こうして思わぬ形であっけなく幕を閉じた。

 二人の婚約が翌日の新聞記事に拍手喝采を持って書き立てられたことは、いうまでもない。

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