9 秘密兵器なんて

 翌日。

 朝の仕込みをダッシュで終えた我々は、自分たちの朝食も一緒に移動できる配膳台へ乗せてスーザンさんの病室へ直行した。


「おはようございます、スーザンさん」

「……ほんとうにきた……」

「え? なにか言いました?」


 彼女が何か小さな声でつぶやいた気がしたけど、「いいえ、なんでも」と首を振って否定される。

 スーザンさんはもう目覚めていて、なんなら寝巻きからも着替えてラフな普段着ドレスになっていた。ベットは既に整えられている。長い髪は乱れなくしっかりとまとめられていて、薄くお化粧もしていた。とても病み上がりとは思えない。


 昨日のうちにシリルがナースたちへ頼んでくれていた、三人で囲めるほどの大きさのテーブルと椅子もきちんと用意されていた。これを置いても狭さを感じないこの個室、今更だけどめちゃくちゃ広いな。スーザンさんはそのうちの一つの席に座って、私たちを手招きした。


「そろそろ体を動かさないと、筋力も魔力も落ちちゃう気がして。怠けているようで落ち着かないし」

「スーザンさんは真面目ですねえ。倒れてまだ三日目なのに、もう復帰したいなんて」


 私ならこの極楽生活をもうちょっと満喫していたいと思っちゃう。まあ、演舞が迫っているのだ。焦る気持ちはわからないでもない。


「とりあえず、お目覚めの果実水はいかがです?」

「あら嬉しい」


 果実水に驚かないあたり、やはり育ちの良いお嬢様感をそこはかとなく感じる。おうちにいた頃は着替えもメイクも傅かれてやっていたかもしれない。

 昨日のうちにレモンとハーブをザクザク切って入れておいた水を、持ってきたボトルから注ぐ。冷たいと喉越しもよくて美味しいだろうけど、体を冷やしすぎても良くないので今日は常温だ。

 

「じゃあ、食べながら話しましょう。はい」


 私は三人分の食事を手早くテーブルに並べる。


「そっちのクローシュは?」

「あっこれは後で説明します」


 大仰に持ってきてしまった銀色の蓋は、中身を冷めないようにするためのものだけど。気になりますよね。


 今日の朝食はコーンポタージュに雑穀パン。だいたい魔術師寮の朝ごはんはスープにパンが定番だ。今日のポタージュのコーンは近くの農家から採れたてが仕入れられたらしいから、よりおいしいよ。


「なんか……スープの量、少ない?」

「それも後で説明します」


 コーンポタージュにちぎったパンを浸して食べちゃおうかな。んーっさいっこう。

 あ、そうそう食べてばかりでもだめですね。


「あれから色々考えたんですけど、スーザンさん」

「やだ、もう呼び捨てで普通に話してよ。私もアナベルって呼んでいいでしょ? お友達だし」

「え、ああ、もちろん」


 やった。お友達だって。ふふふ。昨日よりぐっと距離が近くなった感じで嬉しい。私は思わずゆるゆるになった頬を自分でつついて立て直し、彼女に改めて向き直る。


「あのですね、いや、あのね……昨日はああやってお返事したんだけど、その、正直に言いまして……」

「いいわよハッキリ言ってくれて」


 あら。もしかして私の言いたいこと、バレてる?

 彼女の綺麗なルビーの瞳が、心なしか、かげっているような気がする。


「……いや、違うの。諦めないでスーザン。たしかに、演舞までにガッツリ体重落として痩せる! っていうのは、無理。そもそもスーザン、落とす肉がついてないし。それ以上痩せたらガイコツになっちゃう」

「そんなことないわ。妹たちの方がずっと細いもの」

「私は妹さんに会ったことはないけど、少なくとも前線に立つ魔術師じゃないんでしょう? 前線の魔術師でスーザンより細い人がいたら体力がもたないよ、絶対」


 スーザンは口をつぐんだ。この砦で副官を務めるくらいの人なら、今まで体力勝負の仕事を何度もこなしてきているはずだ。そのことを思い出しているのかもしれない。


「でもね、急激に痩せるのは無理でも、よりキレイになったスーザンを演舞の時に見てもらう、ってことなら協力できると思う。だから……」


 私は胸ポケットから一枚の紙を取り出した。


「……それは?」

「演舞の日までの献立表を少しアレンジしたものなの。スーザンが今努力しなきゃいけないのは……『冷え』をなんとかすること」


 料理番の献立はバランスよく色々なものを食べられるように計算されているから、基本的に出されたものをきちんと食べていれば栄養には問題ない。けれども彼女の場合、数週間食事を抜いた影響で体温と基礎魔力量(体にまとう魔力の量)が相当下がってしまっている。

 そのことを伝えると、スーザンは目を丸くして思わず手に持っていたスプーンを取り落とした。


「基礎魔力量も落ちているの?」

「あれ、もしかして自覚なかった?」


 昨日シリルにざっくり測ってもらった、というとスーザンがシリルを睨む勢いで詰め寄り「本当に?」と問いただす。シリルがこくり、と頷いた。


「魔力補助剤は一時的に体が魔力作りするのを助けてくれるものだが、頼りすぎると自力で魔力を生成しにくくなる。昔習っただろう」

「そ、そんなの覚えてないわよ……」


 バツが悪そうなスーザン。まあ都合の悪いことってすぐ忘れちゃうものだ。

 本来、炎使いの魔術師は自分の扱う炎に耐えられるようになのか、平熱が高めの人が多い。これはまだ完全に実証されているものではないが、体温と魔術の安定性にはなんらかの関係があるのではないかという論文もある。演舞を控えた彼女には文字通り命取りなのだ。


「ということで、当面の間スーザンには料理番の通常献立の他にこれを食べてもらいます!」


 ぱんぱかぱーん。

 私が銀製のドーム型の蓋を取ると、ほかほかと湯気のたつ『それ』が姿をあらわした。


「ええと……それって」

「はい! なんの変哲もないジンジャースープですっ! スーザンには演舞まで毎日、私と一緒にこれを飲んでもらいます!」

「『何の変哲もない』って自分で言うのか」


 シリルが私に突っ込んだ。そしてスーザンはさらに目を丸くしたまま固まった。

 

「だって本当に何の変哲もないんだもん。あ、なんか秘密兵器みたいなの登場すると思った? だとしたらごめん」


 昨日アーサー殿下を(私が一方的に)敵認定したあのあと、シリルを付き合わせていくつものパターンをシミュレーションしてみた。料理番の献立を一から組み直してみたり、体を温めてくれそうな食材を片っ端から探したり。でも今は初夏。食材としては「体を冷やす」特性のものが出回りはじめる頃で、冬にとれた備蓄野菜を使うか、物理的に温かいものを食べるかの二択しかとれない。

 食事療法に近道はないし、実のところ正解もない。100人の人間がいたら100人の体内環境があるのは当たり前で、それに合う合わないが出るのも当然のことなのだ。

 ぶっちゃけ、この方法がスーザンに合わないとしたら次の方法を探さなくてはいけない。演舞まで時間がないし数日で結果が出るものでもないだろうから、この作戦が当たってくれることを願う『賭け』でもある。


「薬湯としての生姜湯とか、はちみつレモン生姜のお湯割りとかも考えたんだけど。スープなら肉類を入れてもいいし、味にバリエーションをもたせられるかなって。朝ごはんに食べるって決めたら続けやすいでしょ?」


 あと入れる食材の栄養も丸ごととれるし、スープなら暑い日に熱いものでも抵抗感少ないし。

 朝ごはんにスープを二種類食べられるってちょっと楽しいじゃん。


「でもそれ……わざわざつくるのって大変よね。私のためだけに……」

「いや? いつもの残りをリメイクしたりするだけだからそんなには。それに私も一緒に食べるから全然迷惑とかじゃないし」


 一人だけで頑張るよりも二人、三人で一緒に取り組んだ方が圧倒的に継続しやすいものだ。製造工程的にも、一人分だけ作るのは味が安定しなくて難しい。それならば私もシリルもしばらくはスーザンに付き合おうという結論に至ったわけで。

 そもそも、スーザンの願いというよりは私が勝手に協力を申し出ているだけなのだ。私がいたって真面目にいうと、スーザンはふと視線を落として呟いた。


「どうして、あなたは、そこまで親身になってくれるの?」

「え?」

「アナベルと私、昨日話したばかりの仲じゃない。あなたはそこまでして私に尽くす理由がない。純粋に疑問なの」


 あー、そうか。

 そんな風に映るのか。

 私を捉えた、スーザンの瞳が赤く燃え上がる。思わず体が強張って、彼女から視線が逸らせなくなる。


「なんで、って言われちゃうと、自分でも困っちゃうんですけど」


 私は言葉を丁寧に選ぼうと心がけた。けれど気持ちとは裏腹に、するすると言葉が口からこぼれ出る。


「私、みんなの笑顔が好きです。誰かが笑ってくれる未来が好きです。だから魔法が好きだし、魔術師が憧れです」


 魔術師は本来、過酷な職業だ。パフォーマンスで一般人に見せる煌びやかな部分は、ほんのわずかな表面部分であって本質ではない。それはわかっている。それでもその姿に、憧れる人がいる、笑顔になる人がいる、心を救われる人がいる。


「私は魔術師にはなれなかったけど、今の自分の仕事もけっこう気に入っているんですよ。だから、出来ることがありそうならやりたいだけです。結局、自分のためなんです」


 私はそういう夢を与える人たちの役に立てることを、とても誇りに思う。だってそれが、私の今の夢の叶え方だから。

 うまく伝わったかな? スーザンの顔色を伺うと、彼女は今日一番の笑顔でにっこりと微笑んだ。


「なるほどね。アナベル、あなたとってもおバカさんなんだわ」

「えっ」

「勘違いしないでね。褒めているのよ?」


 いやいやいや。どこがです?

 真顔になった私の横で、シリルがくつくつと笑い出す。


「だから言っただろう。アナベルは文字通り何も考えていないって」

「アローラ家は借りを作ってはいけないのよ。万が一を防いだだけ」

「あのう……もしかして私、今、自白の魔術みたいなやつかけられてました……?」


 恐る恐る尋ねると、目の前の美女は小首を傾げて微笑んでみせた。うわ、さっきの目の輝きは魔術を発動させていたせいだったんですね! こわい! この人全然私のこと友達だと思ってない!


「でもお陰で、アナベルが純粋培養のとってもいい子だってことがわかったわ。改めてお友達として、よろしくね」

「ええとつまり……信頼に足る人間だと判定されたということでオーケーですか……?」

「試すような真似をしてごめんなさい。利権で近づいてくるような人がごまんといるものだから」


 そうでしょうね。これからアーサー王子の婚約者だと公表されれば尚更だ。


「むしろ納得です。じゃ、疑いも晴れたところで、こちらのスープも召し上がれ」


 スーザンの方へジンジャースープを押しやって、私たちも別に持ってきていたクローシュを開けて食べ始める。うーん。いつ食べても美味しいですねうちのジンジャースープは。今日のは貯蔵室にあった余り野菜から錬成したものだから、一昨日の正規レシピに比べたら味は劣るけど……まあまあ上出来な方でしょう。ふふ、明日からのバリエーションも期待してて欲しいな。


「実はね。昨日アナベルが作ってきてくれたトマト風味のパンリゾット、昔、家の料理人たちに分けてもらったまかないの味によく似ていたの。なんだか懐かしかった」

「喜んでいただけたなら嬉しいです。アローラ家はやっぱり専属料理人がいるおうちなんですね。後学のために一度見てみたいな」

「あら、じゃあ今度お招きするわ。ディナーでもご一緒しない?」

「えっいやそれはちょっと大丈夫です」

「私のお友達だもの。遠慮しないで?」


 行くなら裏口から行きます。厨房だけ見て帰ります。食べるのは味見だけで大丈夫です。庶民にはテーブルマナーとかそういうのけっこう難しいです。

 頬をひくひくさせながら断る私を、スーザンは楽しそうにからかいながら朝食をきれいに平らげた。

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