8 よろしい、ならば戦争だ

「おおおおお前こんなところでななななな何をしている」

「殿下こそ何をしておられるので?」

「おおおおおおおお俺は別に、たまたま演習場を通り掛かったらスーザンの姿が見えなくて? たまたま用事があって医務室の前を通ったらスーザンが個室にいると聞かされて? それで行き方をナースに尋ねていただけだが??」


 私は目の前のバリアをドンドン叩く。なにこの弾力。ぷるんぷるんでびくともしないんですけど。二人の声だけは聞こえてくるけれど、穏やかな話し合いじゃないことだけはわかる。ていうかシリル、仮にその人が第三王子のアーサー殿下ならその喧嘩腰マズイでしょう。最悪不敬罪だよ打首だよ、命の保証がまったくないよ!

 その……王子殿下という割には……威厳のかけらもないし、なんならシリルにビビりまくってる感出ちゃってるけど……

 こうなったら出来るだけ会話を盗み聞くしかない。シリルが防音まで施していかなかったということは、会話の中身を聞いてもいいということだろう。都合よく解釈して私はその膜にぴったりと耳をくっつけた。う、ぴちょぴちょしていてちょっと気持ち悪い。


「面会謝絶だという事実は聞けたでしょう。お帰りください」

「ちょっと会って様子を確認するだけだ! この間顔を合わせた時も途中から様子が変だったし、その後いくら伝令鳥を飛ばしても返事はないし」


 それ、控えめに言ってスーザンから避けられていませんか? もしかして無自覚なのかなこの人。 


「五分でいい。なんなら貴様の同席も許す」

「不可能です」

「なあああああお前は本当に融通が効かないな! 貴様の兄なら絶対通してくれるのに」

「面会謝絶は本人の希望でもありますが兄の命令でもあります。職員並びに私は司令官の命令を全うするのみ」


 お引き取りを、と言うシリルの声は有無を言わさない圧があった。どうやら観念した雰囲気の殿下は、それはそれは深いため息をつく。


「軍人にも魔術師にもならなかったお前が司令官の命を全うする、か」

「司令官はこの砦の最高指揮官。指示に従うのは当然です」

「俺が彼女のフィアンセであっても?」

「……関係ありません」


 ふたたび、殿下の長ーいため息が響き渡った。


「今日のところは帰る。本当に通りすがりなのだ時間がない」


 シリルの返答はなかった。カツカツと革靴の足音が遠くなっていく。その音が聞こえなくなった瞬間、私が耳をくっつけて寄りかかっていた膜がほどけた。


「うっうわっ」


 わー危ない。倒れるところだった。トレーを持ったまま体勢を立て直し、なんとかお皿を割る事態は防ぐ。やっと視界に入ったシリルはぴっしりと45度のお辞儀を保っていて、その姿勢からゆっくりと起き上がるところだった。


「シリル、いまの」

「…………忘れろ」

「いやいやいやいや無理でしょ」


 シリルが明らかにげっそりしている。だが追及の手を緩める私ではない。トレーを持っていないほうの手でシリルをゆさぶる。


「話しなさいよ。あんた王子殿下とオトモダチだったの? いつから? というか姿きちんと見えなかったけどアレ本当に第三王子のアーサー殿下なの?  王族ってみんな金髪だよねえ茶髪に見えたんだけど? そしてあんまりにも情けなかったけどホンモノなの? ていうかフィアンセって何?」

「わかった、わかったから落ち着け。歩きながら説明する」


 降参だと手を挙げた彼をしぶしぶ離した。歩幅を合わせて歩きながら、シリルがぽつぽつと語りだす。


「宮廷の魔術師事情は知らない、よな」

「知るはずがありませんね」


 私はへんぴな村の出身だぞ。実家は商会だけど。宮廷魔術師なんて雲の上より遠い存在だ。


「ベリルに他国のような貴族平民の差はないが、『王家と貴族』のそれに近い関係は存在する。あまり大声では取り沙汰されないが、宮廷魔術師を多く輩出するような家柄は、王族に近い年齢の子供が産まれると剣技や座学などを王子や王女と一緒に学ぶことがある。いわゆる『ご学友』だ」


 へえ。それは初耳だ。だが納得のいく話でもある。


「スタンフォード家は代々氷や水の魔法を得意とする魔術師を輩出している。俺はアーサー殿下の二つ下だが、幼い頃はアーサー殿下と共に、魔法や座学を学んだ仲だ。そう言うわけで、多少顔見知りなんだ」

「顔見知りというか完全な幼馴染じゃん」


 小さかった頃のシリルもさぞ美形でかわいらしかったことだろ……ん?


「シリルの方が年下、なんだよね。なんであんなビビられてたの」

「……」

「もしかして、いろんな勝負事でコテンパンにやっちゃった経験アリ?」

「…………俺もまだ若かったんだ」


 いやまだあなた十八ですよね。いまも十分若いですよ。

 確かに、忖度って言葉を知らない無邪気な子供って時々罪深い。おそらく打ち負かしたのは一度や二度の話じゃないだろう。あの怯え方、尋常じゃなかったよ。


「で、アーサー殿下がスーザンさんのフィアンセっていうのは? 王子の婚約なんてビッグニュース、まだ新聞にも出てなくない?」

「それは俺も今初めて聞いた。おそらく内定、というだけでまだ正式決定じゃない」

「なるほど」

「まあ、こちらからすれば早くくっついてくれという気持ちの方が強かったから今更感はある」

「へー……え?」


 え? え? つ、つまり……?


「ま、前から……恋人どうしだったんデスカ?」

「いや。お互いの片想い」


 なんだその甘酸っぱい関係は。ロマンス小説か。


「スーザンは炎魔法を得意とするアローラ家の長女で、兄や第二王子と同い年だ。俺たちと顔を合わせることもそれなりにあった。世話焼きの彼女はアーサー殿下にも構い倒して……そのうちアーサー殿下が惚れて……スーザンも、まあ……周りはいつからか生暖かい目で見守るようになったというか」

「ほえー」


 恋の始まりって、どこに転がっているか分からないものだね。平民の私には一生縁が無さそうだけど、二人のピュアっピュアなやりとりはちょっと覗き見してみたかったな。いや、これから婚約者になるなら少しくらいは見られるかもしれない。なんてったって私、スーザンさんと友達になっちゃったし。あれ? 私友達ってことでよかったんだよね?


「年齢的には王太子妃の候補でもあったんだが、アローラの家が長子相続を理由に譲らなくてな。王家と婚姻を結ぶなら第三王子をスーザンの婿に、とずっと主張していた」

「ご実家にもバレてる〜」


 なんだなんだ。みんなに祝福されて最高な結婚じゃないですか。よかったねスーザンさん。恥ずかしいことこの上なさそうだけど。

 体調を戻して無事に演舞に出られれば、あとは幸せな未来が待っている。よし、私も気合を入れないと。


 ちなみに私の見かけたアーサー殿下の茶髪は、簡易な変身魔法らしい。気配と髪色を紛らわして人気のないところを通り、勝手にここまで潜り込んだんだろうということだった。どおりであの可哀想なナース以外、誰も気づかないはずだ。


 気合も新たに私の鼻息が荒くなったところで、私はとあることに気がついた。


「……どうした」


 急に歩みを止めて立ち尽くした私を、シリルが怪訝そうな顔で振り返る。


「いや、ちょっと……」

「ん」

「なんていうか、その……」

「話せ」


 こういう時、急かさないのがシリルのいいところだ。言い方はぶっきらぼうだけど、きちんと私の言葉が出てくるまで待ってくれる。私は恐る恐る彼に尋ねた。


「あのね、不敬だったら、ホント聞き逃して欲しいんだけど」

「ああ」

「もしかしてその……アーサー殿下って……女性口説くの、下手…………?」

「は?」


 あ、質問の意図が伝わっていない。


「ええとね、だから、つまり……好きな子に意地悪なこと言っちゃうタイプ? または、照れ隠しに余計な一言つけちゃうタイプとか?」

「あまり素直に人を褒めたり愛を囁いたりするようなお方ではない、な。……ああ、まさか」


 シリルが同じ可能性に思い至ったようだ。


「あり、えるな」

「ありえる、かあ」


 私は二人して嘆息した。

 まじかぁ。推測でしかないけどこれは十中八九黒だなあ。


 イアンさんを巻き込んだ、スーザンさんの面会謝絶令。それなのに私たちには普通に会ってくれた矛盾。

 スーザンさんから出てきた、「妹たちは結婚している」というセリフに少しだけ滲んだ羨望のようなもの。

 久しぶりに会った『誰かから』言われた、彼女に過度なダイエットを決意させる発言。


 もしかして、アーサー殿下が元凶なのでは?



「うわあ、だとしたらこれは戦争だ」

「物騒だな」

「戦争だよ! 恋する乙女に、そして愛する人に、たぶん暫定酷い言葉をぶつけたアーサー殿下との全面戦争だ! 何があっても負けるわけにはいかないじゃない!」


 スーザンさんを健康にする。演舞を成功させる。キレイな彼女をアーサー殿下に見せつける。その全部に成功しなきゃ、彼女の心は救われない。


 ああもう、今すぐ作戦立てなきゃ!


「シリル、午後ももちろん空いてるよね? 献立決めるの手伝って!」

「……はいはい」


 再び勢いよく歩き出した私の横を、シリルが半歩遅れておいかけてくる。彼が密かに笑いを堪えて口元を押さえていたことなんて、私は気づきもしないのだった。

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