10 お互いの疑問

「悪いな。どこかで仕掛けてくるとは思ったんだが、彼女が自分で納得しないと気が済まないだろうと思って」

「何が? ああスーザンが魔術使ってきたこと? いいよ、っていうかなんでシリルが謝るのよ」


 ガラガラと配膳台を押して帰りながら、なぜか謝ってきたシリルに私は思わず笑った。


「あの程度なら弾くくらいは出来たが、しなかったから一応」


 あなた、今さらっと言いましたけど、それ普通じゃないですからね。現役魔術師の魔術を弾くなんて芸当、いくらスーザンが本気じゃなかったとはいえそう簡単にできるものじゃないから。あと別に私はシリルを用心棒として雇っているわけではない。なぜそんな「守るのが当たり前」スタンスなんだ。私は彼にとって三歳児くらいの扱いなんだろうか。


「シリルが大丈夫と思ったなら大丈夫でしょ。現に私、ピンピンしてるし。私はきみの判断に口を挟んだりしない」

「随分と信頼されたものだな」

「してるよ。相棒だから」


 相棒で友人で命の恩人だからね。

 

「そうか。それは光栄だ」


 そう答えて私を見下ろすアイスブルーの瞳は、うっかりドキッとしてしまうほど優しかった。あーーーーー油断して見上げた私が馬鹿でした。イケメンの笑顔って心臓に悪いねまったく。至近距離で振りまかないでくれるかな。

 誤魔化すように咳払いを一つして、私は前に向き直る。


「私もシリルみたいにぽんぽん魔法が使えたらなあ」

「前々から疑問だったんだが。魔術師試験を受けたんだから、一級免許は持っているんだろう? なぜ普段から魔法を使わない?」

「そりゃ持ってるよ。持ってるし魔法道具のネックレスもちゃんとあるけど……最近外している時の方が多いから」


 鉱石を体のどこかに触れさせて、周囲の精霊に呼びかける。石に乗せて自分の魔力を渡す代わりに、魔法としてあらゆる現象を引き起こす。それが基本的な魔法、魔術の使い方だ。魔法道具としての鉱石を肌身離さず持たなければ、魔法を日常的に発動することはできない。魔法道具は指輪やピアスもたまにあるけど、ベリルではネックレスが一般的だ。

 また日常的に魔法を扱うには、きちんと国家試験を受けて免許を取得する必要がある。十歳から受けられる二級免許と、保証人が三人いないと受験できない一級免許とがあって、一級に合格しなければ魔術師試験を受けることはできない。一応、私も魔術師を目指していた身なので、一級免許は持っているんだけど。


「付けたくない理由でもあるのか」

「あーその。ちょっと情けないんだけど……魔術師になったら新しいのを買うんだ! って意気込んでたもんだから、使用期限がギリギリなんだよね、私のネックレス。結局そのあと、メンテナンスにも出していないし」


 石は古ければ古いほどいい、というものでもない。王家に代々伝わるなんとか、等は別として、一般に市場へ出回っている魔法道具の鉱石は、長く持っても5年で寿命が来る。

 魔法を伝達するための鉱石は、それなりに高価なものだ。魔術師になれば自分で吟味して買うこともあるだろうけど、私くらいの年齢だと親や恋人から節目のプレゼントとして贈られることの方が圧倒的に多い。


「あとね、この辺にいる人たちみんな魔力が高いじゃん。魔法を使おうとするとどうも放出魔力量が引っ張られるらしくて、めちゃくちゃ疲れる」


 私の言葉を聞いて、シリルはふうん、とあいまいに頷いた。魔力量おばけな彼にはたぶんわからない感覚だろう。これが地味にしんどいのだ。実際、鉱石を外すようになってからの方が体は軽い。

 あれを外して生活するなんて、実家にいるときは思いつきもしなかった。


「ヘリオドールはうちの田舎と違って首都だしさ。街にガス灯は灯るし電話はあるし、水道もちゃんと通ってる。汽車だって、最近は自動車だって、走るようになってきた。なんていうか……魔法がなくても日常生活には、だいぶ困らない世の中になったんだな、と思うよ」


 ベリルは魔法で栄えてきた国だ。けれど、個人的な能力に左右される魔法だけに頼り切ることはしなかった。海向こうの国々から、食糧と共にいろいろな技術を取り入れて、魔法がなくても人々が生活できる基盤を作ろうと努力し続けている。


「だからって、憧れがなくなるわけじゃないけど」

「……いまも、魔術師のネックレスをつけてみたいと思うか?」

「んー、やっぱりアレには夢が詰まってるから、たまにはね。カッコいいなと思っちゃうよね」


 一般の人がしている首飾りは、魔法鉱石を大粒の宝石として加工したものがほとんどだけど、魔術師のそれは一味違う。

 彼らのペンダントトップは、おもちゃみたいなミニチュア魔導書の表紙に、鉱石が嵌め込まれているデザイン。そう、ベリル皇国神話の「第一の魔術師」の伝説をモチーフにしたものになっているのだ。


 魔術師は鉱石だけでなくその魔導書にも魔力を通すことで、自分の魔法を記録していくという。ちなみに術者が望めばボン、と通常サイズに戻すこともできるらしいんだけど、残念ながら大きくする瞬間は私も見たことがない。せいぜい遠目に見たことがある、演舞の主役が掲げている魔導書くらいだ。あれがネックレスの魔導書なのか、演舞で使うだけの小道具なのかは知らない。


「でもなんというか、昔の気持ちとは少し違うかも」

「うん?」

「やっぱり私、魔術師向きの性格じゃなかったなって気づいたんだよね。ほら、おっちょこちょいだし、冷静な判断とかできないし……あのネックレスに込められた重責も、少しは分かってきたつもり。だから今の自分には、これがないくらいがちょうどいいんじゃないかなって」


 今はここにない、首飾りを思って胸に手を当てる。いつか自分の気持ちがまた傾いたら、その時は身の丈に合う石を買いに行ってもいいかもしれない。ちゃんとお金が貯まっていればだけど。


「よく考えたら、そんな話もちゃんとしたことがないくらい私たちって友達歴浅かったんだね」

「……そうだな」

「ペア組んだのも今年の春だし、その前の研修期間はほとんど接点なかったし」


 私たちが料理番として正式にコンビを組んで働くようになって、実は三ヶ月ほどしか経っていない。

 それより前、つまり私が魔術師試験に落ちて呆然としているところを料理長に拾われてからの一年間は、料理番見習いとして膨大な食料知識を詰め込んで実習課題をバリバリこなすことだけに必死だった。魔術師以外の仕事なんて眼中にもなかった私には、覚えることがあまりに多すぎた。実家では料理は妹の担当だったし、包丁の扱いに慣れなかった私は同期からめちゃくちゃ遅れをとっていた。


 そこまでしてどうして「料理番」に食いついたかって? そりゃ、実家に帰ったら家族に顔向けできないっていうのがもちろん一つ目の理由。二つ目は、魔術師の魔法を間近で見られるから。タダで見られるオペラよりも私にとっては価値がある。こんなサービスポジション、他にないでしょう?


 実習の中には魔術師の小規模演習にくっついて行って炊き出しをやったり、魔術師に混じって体力作りのトレーニングをやらされたりも含まれていた。

 私は楽しくてしょうがなかったけど、みんなにとってはそれなりに過酷だったようだ。料理番の見習いって、ヘリオドールではそれだけで履歴書に書ける、つまり箔がつく一年らしい。50人ほどいた同期の中でも、本当に料理番に就職したのは十分の一程度だったと思う。パン焼きのシャノンや相棒のシリルは貴重な現役同期と言える。ぶっちゃけ研修中に仲良くなった人は少なかったので、同期という印象も薄いんだけど。


「まあ……きみは、あまり周囲に興味がなかったからな。いつも課題に熱心だったし、そうでない時間は魔術師の方ばかり見ていたし」

「え、もしかしてシリルと私って接点あった? 忘れてるだけ?」

「いや、喋ったのはあの事件の時が初めてだ」

「だよね。そうだよね」


 だからシリルのことも、遠目に見たことがあるアイスブルーの瞳の持ち主が『氷の貴公子』というあだ名らしい、程度の知識しかなかった。

 私が実習中にバカをやって大火傷を負ったあの日までは、本当に赤の他人だったのだ。


「あの時は本当に……冗談じゃなく死ぬかと思った」

「あの時は流石に肝を冷やした」


 二人してあの日を思い出し、思わず遠い目になる。




 実習で同じ班になった女の子が、鍋のそばを通った時にうっかり服を引っ掛けた。

 その鍋には運悪く、ぐつぐつと煮立った大量のポタージュ系スープの素が入っていて……彼女にかかる! とパニックになった私はなぜか鍋を自分の右手で引き寄せてしまった。しかも咄嗟に素手で。

 

 『熱い!』と反応したのは数秒後。びっくりして手を離したらなぜか自分の左半身にその液体がどろり。空の鍋が床へ転がる。


 自分でも意味がわからなかった。鍋が手から滑り落ちていく様子がスローモーションに見えた。なのに全く、避けられなかった。


 そして熱いと思ったのに、声が喉に張り付いて全く出なかった。


『馬鹿!』


 その時初めて聞いたシリルの怒鳴り声が、今まで生きてきた人生の中で一番怖かった。

 彼はその声とともに魔法で水を放出して私に浴びせ、近くの同期にナースを呼びに行かせ、氷を生み出して氷嚢を作り、あれよあれよという間に応急処置と後片付けを全部私の代わりにこなしてくれた。

 正直、スープがかかった後のことはショックすぎて自分でもよく覚えていない。

 気がついたら全てが終わっていて、私は医務室に寝かされていた。ナースのお姉さんが包帯を巻いてくれていたのはぼんやりと覚えている。シリルは全部の片付けと掃除と報告を済ませた後、病室の外でずっと待機してくれていたと後から聞いた。

 彼の手際の良さのお陰で、私の火傷痕は綺麗さっぱり消えている。あれがなければ、一生爛れたあとを眺めて過ごすことになっていただろう。




 それがシリルとの最初にできた接点だ。

 ……以降、私はアホの子のレッテルを貼られ、シリルはなんとなく私のお守り役ポジションになり、研修期間が残り少なかったこともあってか、なし崩しにペアが組まれてしまう。そして今に至る。


「あー、思い出すだけで申し訳ない。穴があったら入りたい。あれさえなければ、シリルはもっとデキる先輩と組んで仕事ができたはずなのに」

「別に、そんなことは求めていない」


 シリルは優しいのだ。だから絶対に人を責めない。どんなに不名誉な噂があっても決してだれかのせいにしない。「言いたい奴には言わせておけ」と、どこ吹く風で静かに立っている。


 だから私は、「どうしてそんなに魔法が使えるのに、魔術師じゃなくて料理番になったんだ」と、いまだに彼に聞けずにいる。


 世の中のシナリオ、もとい噂はこうだ。シリルは、魔術師試験に本当は合格していて魔術師見習いだった。ところが魔術師師団内でなんらかの問題が起こったため、一年の料理番見習いを命じられた。その謹慎が解けようかという頃、アナベルの面倒を見るように料理長から懇願されて、結局料理番に就職する羽目になった。


 うん。分かってる。この噂話はちょっと荒唐無稽すぎる。魔法がかなり使えるシリルへの羨望と、料理長に直々に拾われて何かと目をかけられている私へのやっかみで半分以上は出来ている。でもさ、火のないところに煙は立たないって言うじゃない。前半はともかく、後半に少しでも『本当のこと』が混ざっていたら。

 私のせいで、彼が魔術師になる道を歪めてしまったのだとしたら。


 私は正面切って、彼に謝れる勇気がまだない。

 結局は自分が可愛くて、今の状況に甘んじている。それだけ。なんと情けない話だろう。



「昔話はこの辺にして、今日の仕事に戻るか」


 シリルの声で、私は思考の海から引き戻された。


 スーザンはしばらくあの個室を部屋として寝起きするらしい。演舞の交代だけはなんとか確定を免れて、演舞本番の一週間前に演技可能かテストする、との事だった。ということは実質、スーザンの体質改善に残された期間はあと三週間ということになる。

 彼女に朝以外で少しでも会いに行く時間を捻出するには、自分の仕事をテキパキと終わらせなければならない。


「そうだね。今日の仕込みって何からだっけ」

「キャベツの千切り」

「……あー嫌いなやつ……」


 好きとか嫌いとか言ってられないんだけどね。とりあえず、今できることを全力で。それしかない。

 私はちょっとだけため息をついて、気合を入れ直した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る