6 食べてもらわなきゃ

「どういう、ことですか?」

「そのままの意味よ。ちょっと思うところがあって」


 その返答に、シリルが深いため息をついた。私は勢いよく、座っていた椅子から立ち上がる。


「ちょっと、今すぐ食べられるものを作ってくるので待っててください」

「ええ? あまりお腹空かないのよ。だからご心配な……」

『それが問題なんだ』です』


 ついシリルとハモってしまった。いけない。これはいけない。無自覚なところが本格的にやばい。


「いいですか! すぐ帰ってくるので! 基本的に苦手なものとか食べられないものないですよね!」

「あ、うん……それはないけど……」


 その返事を聞くや否や、私はすぐに病室を飛び出した。





「ああもうどおりで、無意識放出の魔力量が少ないわけだよ」


 早歩きで廊下を抜ける。ぼそぼそと呟けば、私を追ってきたシリルが同意の言葉を返してくる。


「妊婦ではないと思ったが……まさか拒食だったとはな」


 実は、シリルがスーザンさんの手を取って挨拶した時。彼の無駄に高い魔法感知力で、彼女が無意識に放出してまとっている魔力についてちょっと調べていたのだ。

 昨日ベットに横たわっていたスーザンさんの手に触れた私は、魔術師なら無意識下である程度身にまとわせているはずの魔力が極端に低いことに気がついた。


 妊娠初期の魔術師なら、お腹の子供に無意識に体内魔力を注ぐため、体にまとう魔力が少なくなることがある。ただその場合、旦那さんや呼び起こされる祖先の魔力がぐちゃぐちゃに混じって錬成されるので、感知力の高い人なら触れただけで「あっ(察し)」と分かるものなのだ。

 さすがに私にそこまでの魔法感知力はない。ということで、シリルに解析を頼んだ。スーザンさんの死角から、「その気配はない」のハンドサインを送ってくれていたのだ。


 ……魔術師同士だと握手程度で妊婦かどうか簡単に察されちゃうっていうのは、けっこう恥ずかしい話ではある。


「まあこれで、一応スーザンさんの『隠し事をしている上での体調不良疑惑』はだいたい晴れたかな」


 申告通りの無茶な食生活をしていたのでは、体調も魔力も不調をきたして当然だ。その食生活をせざるを得なくなった原因が、魔術師団の存亡に関わる何かだったり……はしないだろう。さすがに。


「勢いで病室飛び出してきたはいいけど……何作ろう」

「今朝のパンと昨日のスープが残っていれば『アレ』が簡単なんじゃないか」

「ああ確かに、アレならすぐできるね。残ってて欲しいなぁ」


 私がうんうん唸っていると。


「あ、アナベルだ! アナベルー! やっほー!」


 突き当たりを曲がったところで、突然後ろから高い声で呼び止められた。

 振り返るとそこにいたのは、天才美少女のミーシャ・ガードナーだ。


「あら、おつかれさま、ミーシャ。演舞練習は?」

「さっきおわったところ! でもずっと基礎トレーニングだったよ。イアン……しれーかんがきびしすぎてとってもたいへんだったのよ」


 うーん、やっぱりイアンさんって容赦ないんだな。


「アナベルたちは、今日はお仕事お休みなの?」

「そう、仕事はね。ちょっとスーザンさんに用事があったからお見舞いをして、いま帰りなの」

「そうなんだ。スーザン……大丈夫だった? 様子、見に行っちゃダメってイアンにいわれているから、会いに行けないの……」


 演舞のチームメイトでもあるし、心配なんだろう。ちょっと目を潤ませた彼女は、それでもちゃんと言いつけを守る良い子だ。


「きっと大丈夫。私たちね、スーザンさんが元気になるためのお手伝いをすることになったの。だから任せて」


 私が力こぶを作ってみせると、やっとミーシャが少し微笑む。「アナベルがついてるなら安心だね」とか言ってくれるなんて、なんてミーシャはかわいいんだろう。


「ところでミーシャ。スーザンが食堂に来なくなったのはいつ頃からか覚えているか?」


 シリルが発した問いに、ミーシャは「ええと」と指を使って遡り始める。

 

「きのうのジンジャースープの時はもういなかったでしょ、おとといのポタージュの朝もいなかった。その前のオニオングラタンスープのあさは……それもいなかったかな? え! オニオングラタンスープ食べなかったなんて人生損してるねスーザン!」


 料理番としては、食べた献立で日にちを覚えていてくれるのはめちゃくちゃ嬉しいことである。そしてオニオングラタンスープが好きなんだね、今度献立会議のアンケートに回数増やしてくださいって書いておこう。

 

「うーん、たぶん、三週間はみてない、かな。スーザンはイアン……司令官のとなりにだいたいすわるんだけどね、ずっと空いてたもん。だれかがスーザンにご飯のあまりをもらって持っていっても、かえされちゃったって」

「スーザンさんって、もともとそんな少食派だった?」

「ううん。たくさん食べるよ。イアンが『君はスタイルがいいのに、よく食べるよね。その栄養はどこにいっているの? 胸?』って聞いてはたかれてた」


 イアンさん、それは流石にセクハラでは?

 シリルがいつもに増して真顔になった。


「そうだ、私たちスーザンさんの軽食作りに行くところなんだ。ミーシャもくる?」

「え! いいの?」


 ぱぁ、と顔を輝かせてミーシャがくっついてくる。よしよし、と頭を撫でて、私たちはとある場所へと向かった。




「あ、ラッキー。誰もいない」


 料理番が普段使う大設備の厨房の裏側に、ごくごく一般的な家庭キッチンの備え付けてあるリビングルームサイズの部屋がある。もちろんこちらはガス式じゃない。引き出しに石炭を入れて燃やすタイプの、オーブンとコンロを兼ね備えたふつうのレンジ・クッカーだ。実家の真っ黒オーブンに比べたら、クリーム色でオシャレではあるけれど。


 別名「裏厨房」とも呼ばれるここには、前日のメニューで余ってしまったものや献立会議の試作品などを入れておく大きな貯蔵室がある。

 いわゆる、『ご自由にどうぞまかない飯コーナー』だ。料理番または魔術師であればだれでも自由に使うことができるため、ごはんの時間に間に合わなかった人や小腹が空いた人などがちょくちょく訪れる。名前を書いておけば取り置きもオーケーだ。

 

 ごく稀に「めちゃくちゃクオリティの高いケーキが入ってた!!」とか「つまみ食い厳禁って書いてあるシュークリームがあった!!」とかいう目撃情報まで耳にする。十中八九、甘いもの発作を起こして衝動でスイーツを作るシリルの犯行なんじゃないか、と私は勝手に思っていたり。

 

 幸いにもキッチンに人がいなかったため、さっそく私は乾物コーナーをゴソゴソし始めた。



「アナベル、なに作るの?」


 併設された石造りのシンクに手をついて、うきうき、といった様子でミーシャが尋ねる。これから作るものがあまりに簡単すぎるので、なんだか罪悪感がすごい。


「とりあえず今は急いでるから、そうだねえ……最近あんまり食べられてなかった人でも食べやすいものがいいよね。うーんと、あ、あった」

「それ、ライ麦パン?」

「そう、大正解」


 私が貯蔵室から出してきた茶色い物体。じつを言うと今朝の朝食の残りである。うん、ここにいる全員が知っている事実だよね。食べたからね。

 

「ライ麦のパンは硬いし、わたしちょっとにがて」


 昨日ジンジャースープに顔をしかめたのと同じ表情で、とたんにミーシャの顔が曇る。たしかにもそもそするし、食パンに比べたらライ麦パンは食べにくい。


「でもライ麦パンは栄養価が高いんだよ」

「そうなの?」

「ライ麦には『食べたものをエネルギーに変換する手助けをする』成分が入っていると言われているの」

「ええと……魔力を練る、みたいなことかしら」

「ああ、その感覚に似てるかも。まあ、化けますから見てて! これをね、ぬるま湯にちょっと浸します」


 すっ、と横から、お湯の入ったやかんが差し出された。さっきからずっと無言のシリルである。手回しが良いのがありがたいです。けどこの短時間でクッカーを使ってお湯を沸かすのは不可能なので、さては魔法を使ったな。


「ふやけたら水を切るから、様子を見ててね」

「わかった」

「待ってる間にチーズを……削ってくれてました。これを仕上げに使います」


 またもやすっ、と隣から器に入った粉チーズがスライドしてきた。すごく、初心者向け料理教室の講座を思い出すんだけど。『一時間寝かせまーす! はい! 寝かせたものがこちらです!』なアレ。

 

「そして手元に黒胡椒と塩を用意したら、はい、次に使うのがこちら」

「煮てある野菜……? あ! 昨日のジンジャースープね!」

「ご名答。これに料理番秘伝のトマトソースをちょっと加えて……炒める!」


 そしてまたしてもスライドしてきたのは、昨日の朝食で出たジンジャースープのあまり。そしてだいたい継ぎ足しで貯蔵室に常備してあるトマトソースだ。すでに用意されていた一人前用の小鍋に入れて、ざくっと水分を飛ばす。ヘラで返しながらまぜていくさまを、ミーシャは楽しそうに見ていた。

 ぐつぐつと野菜たちが踊る。トマトソースのコクのある香りが漂ってくる。

 適度に水分が減ったところで、ちょっと味見。

 うん、ちょうどいい塩加減だ。


「ミーシャ、パンの具合はどう?」

「うーんと、柔らかくはなってる。水を切ればいいの?」

「そうしてくれると助かる」


 彼女がふやふやになったパンを引き上げる。一口大にちぎって鍋の中に入れるように頼むと、慎重に鍋の中にパンを落としてくれた。


「服、汚さないようにそうっとね……よし。おっけー! それじゃあミーシャ、混ぜてみる?」

「いいの?」


 ミーシャの背丈ではちょっと足りないので、近くにあった空きの木箱をひっくり返して台にしてあげた。嬉々としてヘラを握るすがた、とっても和みます。

 ふとシリルを探すと、いつのまにか食べるテーブルと椅子の方に座って頬杖をついていた。何か考え込むようなそぶりで視線を遠くに投げている。思い当たることでもあったのだろうか。



「アナベル。これくらいでいい?」


 ミーシャの声で我に返った私は、すっかりトマトソースを吸って赤色に染まったライ麦パンを見てにやにやと口角を上げてしまった。


「ばっちりだよ。さあ、器に盛ろう」

「これでかんせい?」

「粉チーズとパセリを乗せたら完成だ。──はい、『パンリゾット』の出来上がりー!」


 わあ、とミーシャが目を輝かせてくれるくらいには、美味しそうなものができた。ほかほかと湯気を立てるパンリゾットは、私のお腹をも刺激してくる。上にのせたパセリの緑が、トマトソースの赤をよく引き立てていた。

 

 病み上がりでも食べられそうで、なおかつ相手が気を使わないもの。そして、栄養もしっかり取れるもの。我ながらバッチリなんじゃない?


「味見に、はい。どうぞ」


 わざと鍋に残しておいたひとかけらにチーズを振って、ミーシャの口に放り込む。「あふい!!!」とはふはふしながらも、彼女の表情が嬉しそうに溶けた。


「ん、はふ、おいひい!」

「ちゃんとライ麦パンも化けたでしょ?」


 こくこく、と大げさに頷くミーシャに対して、若干のドヤ顔になってしまったことは否めない。


「昨日も言ったけど、ジンジャーには免疫を高める力があるからね。体をあたためるにも、もってこいなんです。ぽかぽかしてると元気が湧いてくるでしょう?」

「うん」


 早く元気になってもらいたいもんね、とミーシャが呟く。そう、彼女にはまず『心の元気』が必要だ。そのためには、これを食べてもらって……さらに、彼女の『偏食』の理由を問いたださなければならない。


「ミーシャ、残念だが伝達が来ているぞ」


 シリルが、どこからともなくふわりと入ってきた白い小鳥を捕まえる。握るとその姿がほどけて一枚の紙になった。魔術師が使う伝令鳥だ。基本的には宛先の人しか紙に戻すことはできないんだけど、簡易なものだったらしい。


「ええっ! わたしもアナベルとシリルにまぎれてスーザンに会いに行く計画だったのに!」


 紙を受け取ったミーシャはがっくりと項垂れた。どうやら呼び出しの類だったようだ。


「アナベル、スーザンによろしくね」

「わかった」


 ミーシャが作った、と伝えれば、食欲のないスーザンさんも食べてくれるに違いない。私は出来上がったパングラタンをトレーに乗せて、再び彼女の待つ病室へと赴いた。

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