3 予想外の出来事
真っ白なコックコートに、真っ白なコック帽。そして黒い、腰から下にまくエプロン。この凛々しい姿こそ、「魔術師寮料理番」の正装である。
──そのはずなんだが?
「この、マラソンウェアの、センスは、解せぬ」
「……諦めろ」
現在、我々はどぎつい上下真っ赤の運動用ウェアを着込んで、魔術師寮の外周を走る真っ最中である。
先に言っておくけれども、罰則ではない。昼食後の日課、体力トレーニングだ。私たちには、仕込みの合間を縫ってのランニングが義務付けられている。
料理番といえども、一応は魔術師に連なる役職。国土が大規模災害に見舞われれば、炊き出しの任務は私たちにも回ってくる。街の復旧に奔走する魔術師と市民を支えるのも仕事だからね、体力は必要という事ですよ。魔術師や料理番は一応軍人と同じ扱いになるので、女性のズボンの着用も認められているという訳。
山が多いベリルは、夏でもそんなに気温が上がらない。それでも、この初夏の爽やかさは別格だ。日中ほとんど外に出られない私たちにとって、ランニングはいい気分転換だった。ハードだけど。
「料理の、イメージが、赤なんて……誰が、安直な、考えを……あと何周?」
「これでラストだ。俺はもう一周してくる」
「すご……いってらっしゃい」
私だってそんなに運動が苦手なタイプではないけれど、シリルの体力持久力は同性と比べても群を抜いているのではないかと思う。仕事がオフでベーカリー部門にも顔を出さない日には、魔術師軍団の超絶厳しいトレーニングにまざって訓練している姿をよく見かける。腹筋とか凄そうだよね、割れているのかな。いつか腹チラなど拝んでみたいものだ。
一生そのチャンスは訪れなさそうだけど。
「ふぃーー……いっててて……」
スピードを上げたシリルの背中を見送って、私はゆったりと軽いストレッチに入った。程よく伸ばした足の筋肉が気持ちいい。
地面に落としていた視線をあげると、フェンスの向こう側にある大きなグラウンドが目に入る。魔術師たちが一列に並び、行進と隊列の変更を繰り返していた。来月に控える建国記念日のパレード演習訓練だ。全員正装用のローブを身に纏っている。うん、カッコイイ。
私は道の邪魔にならないところへ腰を下ろした。シリルが戻ってくるまで、見物することにしようっと。
列を形成する軍団の中にミーシャを見つけて手を振りかけたが、あまりに真剣な表情だったのでやめておいた。こちらに気を取られてしまっては訓練の邪魔になる。それは避けなければいけない。
ベリル皇国の建国物語に、魔術師の存在は欠かせないものだ。式典では選ばれし魔術師達が、王族の御前で魔法演舞と宣誓を行う。そしてその後、王都を練り歩くパレードが開催される。
このパレードは、一般市民たちが『魔術師』の魔法を直接見ることの出来る数少ない行事だ。ここで魔術師を実際に見て、憧れる子どもたちだって少なくない。現在の魔術師の中にもごまんといるだろう。
つまりは、失敗の許されない行事という事で。
「に、しても」
やっぱり魔力の高さって髪色とか瞳の色に出るもんなんだなぁ。
グラウンド集団の頭髪、眩しすぎて目が焼けそうなんですけど。あ、もちろんみんなが禿げてるわけじゃないよ。
どの色が一番魔力が高い、というのが決まっている訳では無いけれど、一般的にミーシャのようなプラチナブロンドや白・金に近い髪色の人は魔力が高いと言われている。一周まわって珍しい黒髪の人も神秘的な力を持つというが、逆に赤毛や茶髪はこの国では普通の部類だ。もちろん赤毛の魔術師だっていない訳では無いけれど、そういう人はもっと燃え盛る炎のような派手な色をしている。ほら、ちょうどこのウェアみたいな。
自分の地毛が栗色な時点で、察しとけばよかったのにね。
自分が魔術師になれないいちばんの理由が魔力量の問題だったなんて、村にいる時は考えもしなかった。
魔術師試験の時にいっそ本気で坊主にするか迷ったくらいには、私の髪色はごくごく「普通」だ。
瞳の色は相性のいい鉱石と同じ色をしていることが多い。こちらも私は「普通」の焦げ茶である。あそこに居並ぶお兄さんお嬢さんがたの、サファイヤやルビーのようなきらめきには程遠い。
ぼうっ、と向こうで炎が上がった。背の高い女性が前に進み出て、手のひらの上に舞い踊る炎の小さな塊を上へ放り投げる。それは乾いた音を立てて、上空で花となり散らばった。演舞の開始合図のようだ。
一番前の、ひときわ顔が良い男性が英雄役かな。彼は白銀の髪を襟足だけのばし、そこを結わえて細く垂らしていた。紺碧の海をたたえるかのような美しい瞳と、同じ色の鉱石がはめ込まれた魔導書が見える。視覚化され始めた魔力が、彼の周りをゆるくたゆたう。まだ若いけれど、おそらく相当に格の高い魔術師なんだろうなということが部外者の私にもよくわかった。
「飽きないのか?」
声に顔を上げる。
いつのまにかシリルが戻ってきていた。はっや。
「そりゃ、何度見たって飽きないよ。魔術師の使う魔法はいつだってキレイだもの」
実は、私こそ昔パレードを見て魔術師に憧れたうちの一人だったりする。王都にモノを売りに行く父へせがんで、毎年連れていってもらったことを思い出す。
シリルの言葉は、私がしょっちゅう訓練場を眺めていることを知っているからこその発言だろう。
「ねえ、英雄役のあのお兄さん、やっぱり上手だね。偉い人?」
シリルなら知っているかもしれない、と思って水を向けると、案の定「この砦の司令官だぞ」という答えが返ってきた。やっぱりめっちゃ偉い人だった。
「知らないで見ていたのか……」
「だって私、配膳係とかあんまりやらないから魔術師の知り合い全然いないもん。イケメンだし優しそうだし、あんなに若くして司令官なんて、引く手あまただろうなあ」
「あまり中身に夢を見ない方がいいと思う」
シリルが苦虫を噛み潰したような顔になった。はて、そんなお偉いさんの性格がわかるくらい深い知り合いなのか。まあ訓練に混ざっていれば、そういうこともあるかもしれない。
「ちなみに、お名前は?」
「イアン・スタンフォード。いくら裏方でも現役司令官の名前くらいは覚えておけ」
「それもそうだね」
イアン・スタンフォード。スタンフォード司令官。この国には二つの魔術師団があるから、この砦の司令官ってことはつまり事実上の魔術師トップ2だ。ふんふん、覚えたぞ…………ん?
「シリル、君の苗字って」
「……」
「……スタンフォード、だったよね」
「…………そうだな」
「あーそういうこと! どうりで彼が恐ろしいくらいイケメンなわけだよ!!!」
謎が氷解した。そうだ、どっかで似た顔を見たなあと思ったんだよ。こんなに近くだと思わなかったけど。
よく見れば、鼻筋や切れ長な瞳がよく似ている。目の色はシリルのほうがちょっと薄いかな。雰囲気から総合するとなんとなくイアンさんの方がお兄さんぽい。
「一言目がそれか?」
シリルは呆れた目で私を睨んだ。いやいや、それ以外に何があると言うんですか。
なお、彼はどうも「イケメン」「顔がいい」は言われ慣れているらしく、いつもその言葉に対して否定も肯定もしない。それがまた好感を呼んでいるなんて、本人は知りもしないだろうけど。
「温厚なシリルが顔をしかめるくらいだし、さぞや性格に難があるんだろうね」
「いや、普通にいい兄だよ。なにも絡まなければ」
その『なにも』ってなんだ。怖いから聞かなかったことにしよう。
私はお尻をはたいて立ち上がった。
「そろそろ戻ろう。ごめんね、見入っちゃって」
「どうせ式典当日は忙しくて見ている暇もない。今のうちに好きなだけみておけばいい」
文句も言わずに付き合ってくれる彼は、本当に優しい。なんで私なんかと組んでるんだろうって時々真剣に思う。いや全部私のせいなんですけども。
立ち上がってお尻の土を払い、グラウンドから背を向けた直後のことだった。
崖が崩れ落ちるような轟音がして、私達は反射的に振り返った。
「なんの、音……?」
煙がもうもうと立ち込めていてよく見えない。シリルがすっと目を細めた。やがてその顔が驚愕に変わる。
「魔力の暴発だ」
「暴発?」
「高い魔力が漂っている術式中に、不安定な魔力が紛れ込むと爆発する事がある……おそらくそれだ」
えっ?
それってもしかして、大事故なのでは!?
「アナベル! 医務室に行って今すぐベッドを三台確保だ! 急げ!!」
「っうぁ、ハイ!」
シリルの声に弾かれて走り出す。爆風に吹き飛ばされ、フェンスにずるずるともたれ掛かる人影がちらっと目に入った。しかし私には、その状態をきちんと確認することが出来なかった。
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