4 私にできること

 白いベッドに横たえられた、一人の女性。

 そのそばに立って小さく息をついたのは、先程美しい舞を披露していたイアン・スタンフォード最高司令官その人だ。


「シリルが近くにいてくれて助かったよ。ええと、君も。ありがとう」


 眉を少し下げて彼が言う。私はただ医務室に駆け込んでベッドを頼んだだけで、応急処置やけが人の搬送は全部シリルやスタンフォード司令官たちが行った。お礼を言われるほどのことはしていない。


「彼女がアナベルだ、兄さん」

「ああ、君がアナベルか。いつも弟がお世話になっているね」


 ふわ、と笑った顔は優しくて、やっぱりシリルに少し似ている。


「いえ! お世話になってるのは私の方です。シリルがスタンフォード司令官の弟君だと知らなかったばかりか、毎日迷惑のかけどおしで……」

「個人的に会う時はイアンでいいよ。堅苦しいのは嫌いだし」


 よろしく、と差し出された手をおそるおそる握る。華奢だけど、めちゃくちゃ華奢で指なんか私よりもずっとお綺麗だけど、ちゃんと男の人の手だった。ひんやりとしているのは、先ほどまで魔法を使っていた名残りかもしれない。


「重傷人が出なくて良かった」


 ベッドの女性を横目で見ながらつぶやいたシリルの言葉に、イアンさんが頷く。


「見た目ほど大きな暴発じゃなかったのは、幸いしたね。吹き飛ばされた子達もある程度自衛はしただろうし。まあ、それくらい出来ないと僕の部下としては失格だけど」


 思わず背筋に寒気が走った。それくらい冷たい言い方だった。顔は微笑みをたたえたままだけど、目が笑ってない。


「……そう冷たい言い方をするな」

「事実だよ。腐っても国防特務なんだから」


 イアンさんの言葉も一理ある。確かに、司令官直属の部下ともなれば下っ端の魔術師とは桁違いの実力が必要だろう。有事の際には、全国の魔術師統率がこの人に委ねられるということだ。もちろん、その部下なら……


「ん?」

「どうした」


 私がうっかり発した疑問符に、シリルが反応して尋ねてくる。私はなんでもない、と首を振った。この質問はあとでシリルだけになった時にした方が良さそうだ。シリルも何となく察して頷いてくれる。ありがたい。


「この後はどうするつもりだ?」

「とりあえず訓練は取りやめて、無事だった人たちにグラウンドの修復でも頼もうかな――きみたちももう仕事の時間だろう?」


 壁にかかっていた時計をはっと見ると、始業時間を30分ほど過ぎていた。


「うわっ! 全然気づかなかった!!」


 これってサボりになっちゃうのかな? ちゃんと例外がきくのかな……!? 関係ないと言われそうだ。バレたら料理長の鉄拳制裁が飛んでくるよ、絶対。


 私の顔が明らかに青ざめたのがおかしかったか、イアンさんは肩を震わせてくくくっと笑った。


「もう戻っていいよ。ハワードには話を通しておくから、心配しなくていい」

「でも……」


 まだ目を覚まさない傍らの女性を放っていくのも、それはそれで気が引ける。イアンさんだって忙しいんだから、ずっとついていてあげる訳にもいかないだろう。


「医務室のナースたちが落ち着くまでは、僕がついておくから大丈夫。免状発行しておくから必要なら使って。はい」


 彼が右手のてのひらを上に向けると、どこからともなく、ふわりと紙が舞い降りた。流麗な文字で「魔術師業務にかかる免状」と書かれている。

 ……ていうか紙! どっから出てきた紙!!


「そんな簡単に出していいのか、それ」

「司令官権限ってやつ?」


 にっ、と口の端をあげてこちらへ差し出してくれたその紙を、とりあえずありがたく頂くことにした。出来ることならもう一回紙を出す瞬間を見たかったけど……さすがに悠長なことは言っていられない。


 結局料理長には紙を見せる必要はなく、特に怒られることも無かった。が、シリルの行きたがっていたベーカリー部門のミニケーキ制作には、さすがに間に合わなかった。





♯ ♯ ♯





「それで、言いかけてたのはなんだったんだ」


 やっとの思いで仕込みを終え、夕食の席で一息ついたころ。


 仕事が押してしまったもので、いま広い食堂には取り置いてもらったアクアパッツァをもぐもぐしている私たちしかいない。トマトの酸味が程よく馴染んだお魚。あー空腹の胃袋に染みる……いくらでもおさめられそうだ。


「ああ、昼の。えっと、なんだったかな」


 シリルが朝予告していた通り、今日の業務は結構ハードな仕事内容だったため、もはや昼のことが遠い過去として処理されつつあった。豆パンをちぎって口につっこむ。んーほんのり塩味が効いてて美味しいな。パンプキンスープにつけても……うん! 濃厚なかぼちゃの甘みが絡まってたいへん美味である。おかわりしたかったぁ……。


 じゃなくて、暴発の話だっけ。


「結構料理番の間でも話題になってたね」

「まあ、ここ何年も聞かなかった話だと料理長も言っていたからな」


 我らが料理長ハワード・オルムステッドは、料理長歴10年に加え、魔術師実務も何年か経験したことがあると聞く。何があって料理番にジョブチェンジしたかは知らないが、かつてはそこそこ鳴らした魔術師だったようだ。


「医務の人間によると、きちんとした原因は特定できないがおそらく疲労の蓄積だろうということだ。ここ数日は特に顔色が悪かったと兄もこぼしていた」

「彼女の名前、知ってるの?」

「スーザン・アローラ。得意魔法は火焔系、宮廷特務の魔術師を輩出するアローラ家の次女だ」


 青白い顔色の彼女のことを思い出す。私がベッドで軽く触れた指先は、驚くほど冷え切っていた。よくよく考えると、演舞の始まりを告げる合図を空へ飛ばした綺麗な女性があの人だったんだということに思い至る。

 火焔系の魔法を得意とする人であの低体温は、かなりの異常事態と見て間違いない。


「あっ、聞きたいこと思い出した」


 昼に疑問を抱いた点、それはまさしく暴発についてだった。


「国王陛下の前で披露する演舞って、何人もの魔力で編んだ術式をゆっくり錬成する魔術、なんだよね」

「そう。普段は一人で処理する単発的な魔法を、一定時間放出魔力量を保持して他人と均一にし、合わせることで強度を上げる。防御に特化した魔術だな」


 知らない人も多いけれど、演舞は国防を担う大切な儀式のひとつだ。練り上げられた魔力はベリル皇国の上空に広がり、不法侵入者を防いだりする防護膜になる。


「演舞に参加出来るのって、魔術師としての能力が高い超選抜メンバーなんでしょ。しかも、アローラさんは魔術師一家の名門の出なわけで」


 いくら総合的には高い技術が必要だとはいえ、『放出魔力量を一定にする』という初歩的なところでつまづくような人が演舞に選ばれるのは、おかしいんじゃないか?

 という謎である。

 私の言いたいことが分かったのか、シリルは軽く頷いた。


「皆考えていることは同じだろう。しかも今回暴発を起こした彼女は、兄の副官も務めるような人物だ。何かよほどの異常事態を隠している、と思われても仕方がない」

「そう、だよね」

「次第によっては、演舞の降板どころか副官職じたいの更迭もありえるな」

「えっうっそ!?」


 思わず叫んでしまったけど、有り得なくはない、か。演舞で失敗は許されない。そして演舞本番まではあと一ヶ月。もし本当にただの体調不良だったとしても、本番に同じ失敗をするリスクがあるならば、演舞降板は至極当然の判断と言える。そして、もしその失敗が上官にも報告できないような隠し事を原因として起こっているのであれば……副官職の更迭は免れない。


 何より、イアンさんが誰よりも失敗を許さないと思う。昼に見た瞳の冷たさとぞっとする声音が脳裏をよぎった。


「更迭ってなったら……二度と前線には戻れないって聞いた」

「ああ。返り咲いた例は聞いたことがないな」


 イアンはコップの水を一口含んでから続けた。


「彼女ほどの魔術師の代わりはそうそう見つからないが、かと言って兄がそのままにしておくとは思えない。あれは……仕事が関わると、鬼になるから」


 昼間シリルが言い淀んでいた「何も絡まなければ」はそういうことだったのか。

 ううむ。事態は思っているより深刻なのかもしれないぞ。


「なんか……私たちに出来ることって、ないのかな」


 スプーンを持って俯いてしまった私に、シリルは少しだけ口ごもった。


「俺達は、医者じゃない」

「分かってるよ」


 確かにそうだ。私たちは医者じゃない。でも、魔術師を全力でサポートするのが私たちの仕事だ。優秀な人を何も出来ないまま見送るなんて悔しすぎる。


 コップの水に自分の顔が映る。眉根を寄せた私が、こちらを見ている。


 ――その時ふと、私の脳裏にひとつの言葉が閃いた。



「人間、自分が食ったもん以上の存在にはなれねえ……って」

「……?」

「そうだ、そうだよ!!」


 料理長の口癖。私はスプーンの持ち手を突きつけて、訝しげな顔をするシリルに問いかける。


「自分が食べたもの以上になれないなら、逆に言えば食べたものぶんの存在にはなれるってことだよね?」

「……それは、まあ、たぶん」

「だったら、アローラさんの食事管理を徹底的にすればいい。もしそれで治れば、アローラさんは演舞にも出られて更迭も免れてハッピー! ってことにならないかしら」


 彼の細い目がわずかに見開かれる。何か言おうとするシリルを遮って、私は続けた。


「だって、あんなに美しい魔法を使う人なんだよ。それをこの国のために全力で使う人なんだ。簡単に失っていいはずがない」


 魔術師になる人たち。もちろん、最初はただの憧れだけの人も多い。アローラさんの場合は、家柄からしてなるべくしてなった義務のようなものかもしれない。でも、任務に就く人たちはいつだって命がけなのに、この国を守れることを誇りに思っている人ばかりだ。顔が、声が、なにより扱う魔法の美しさが、見る人にそれを訴えてくるのだ。だれよりも憧れてきた、私にだからわかる。

 そんな人を、失っていいはずがない。


「……それで治るなら良いとして、治らなかった場合はどうなる」


 単純すぎると言いたいのか、シリルが質問を重ねてくる。私はそれに対して胸を張って答えた。


「治るよ。お医者さんの言う通りただの疲労だけが原因なら、絶対治る。まあ、演舞のメンバー差し替えを延期するのは……イアンさんにかけ合わないと間に合わないかもしれないけど」

「本人が望んでいない場合は?」

「え?」


 シリルは凪いだ表情で私をみていた。沸騰していた頭が一瞬で冷えた。


「俺たちが知らないだけで、本当は演舞に出たくないかもしれないし、彼女がもっと大きな病気を抱えている可能性だってある」

「それ、は」


 もしも、彼女にその気がなかったら。

 もしも、手遅れだったら。


「いや、ないな。絶対ない。」

「どうしてそう言い切れるんだ」

「勘」


 即答した私に、シリルは隠しもせず「は?」という顔をした。


「シリルはアローラさんの魔法を使うところ、見たことないわけ?」

「いや、よく見るが」

「なら分かるでしょ。病気がある人の魔法は濁って見えるし、迷いがある人の魔法はぼやけて見えるんだよ。私が昼に見た演舞練習の炎、そんな様子全くなかった。あの時点でそれがなかったんだから、彼女には病気も、ましてや魔術師を諦める気持ちも絶対にない」


 こう見えて、魔法の検分にかけては村で一番才能があったんだからね。

 母が風邪を隠した時も、祖父が病気になった時も、一番最初に気づくのは私だったんだから。

 

 自信を持って言い切った……ら、シリルが珍しく腹を抱えて笑い始めた。


「ちょっと。なにさ」

「ははっ。いや、お前らしいと思って。はははっ」

「今の会話のどこが!?」


 ちょっとよく分からない。ついでに言うとシリルのツボもよく分からない。


「まあ何にせよ、お前がそう思うなら本人に直接会って提案したら良いんじゃないか」


 しまいに涙まで拭きながら、シリルは残っていたパンの最後を口に入れてむせた。


「大丈夫? 水飲みなよ……で、そうするつもりだけど。ちょうど明日非番だし、早速彼女の所に行きたいんだけど、付いてきてくれるよね?」

「それは決定事項か?」

「うん」


 シリルはまだ笑いを噛み殺しながら頷いた。


「まあいい。付き合おう」

「さんきゅ。ところでそんな爆笑する君、見たことないんだけど一体何がおかしいの」


 食べ終わった食器を片付け終わるまで、何度も追求したのだが、結局シリルは答えてくれなかった。ただ一言だけ、「お前はいいやつだよ」とお墨付きをもらったんだが……それはシリル、巻き込まれているのに文句も言わない君の方なんじゃないかな。

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