2 朝食はジンジャースープ

 食材の入ったカゴをえっちらおっちら運んでいくと、先輩のお兄さん二人組が鍋の余熱を始めていた。


「エリック、点火するぞ」

「オーケー、火力に注意してくれ」

「了解」


 鍋、と言っても、大抵の人が最初に想像するような家庭用のアレとはまるで違う。

 その大きさは子供が中で水遊びできるくらいのサイズである。ちなみに鍋の深さは立った大人の腰くらい。まず持ち運びは不可能だ。


 次に、鍋底にガス装置がひっついている。

 このためガス台が必要ない。両側にある支え棒で、床から数十センチのところに固定されている。右側についているハンドルを回すと鍋が手前に傾いて、中身を取り出せるという仕組みのものだ。

 魔術師寮全体の食事を賄うには、これくらいの量が入る鍋が必要不可欠なのである。


 通称「回転式大鍋ローリング・ポット」というこの鍋は、料理長が優秀な魔術師に図面をひかせて作らせたシロモノらしい。魔術師に対しても発言権の強い料理長のことだ、何人か貸し切って最短納期で作らせたに違いない。かわいそうに。


 余談だが、一度でいいからこの鍋でチーズフォンデュをやってみたい、というのが私の密かな夢だったりする。


「ディアンさん、エリックさん、食材ここに並べておきます」

「おうアナベル、いつもありがとな。シリルも」


 エリックさんは人好きのする笑顔をぱっと浮かべて、カゴのひとつを受け取ってくれた。誰に対してもフレンドリーで明るい彼は、厨房内でも男女問わず人気な先輩のうちの一人だ。


「いえいえ、それが『下仕込み』の仕事ですから」


 調理班がいかに調理しやすく、時短できるか。それを考えて野菜を切り、運び、手伝うのが私とシリルの主な仕事だ。


 何も知らない人たちからは『下働き』『雑用係』などの言葉も時折もらうけど、私は存外この仕事が気に入っている。

 色々な部署と関わって、色々見せてもらえる。頼めば丁寧に教えてくれるし、とても楽しい。

 ていうか私たちがいなかったらみんな仕事が成り立たないので、もし厨房内で揶揄されたら食材を皮のまま渡せばいい話だ。切られた野菜が当たり前だと思うなよ! ってことでね。



「ディアン、入れていいか?」

「どうぞー」


 エリックさんが、火力調節を行っていた彼の相棒ディアンさんに向けて確認を取る。了解が取れると、計量カップに入っていた油をひとまわし。続いてゴロゴロゴロ……と昨日シリルが切った玉ねぎたちが、エリックさんの持つカゴから躍り出た。

 顔の三分の二ほどもある大きな面の木べらを持ち、底が焦げ付かないように二人でひっくり返していく。


 あー玉ねぎに火が通るいい香り……

 じゅわじゅわと爆ぜる音が心地いい。


「アナベル、次」

「あっごめん」


 ぼけっとしている暇はないんだった。名残惜しいがここから先は先輩に任せて、別の場所へと向かう。


 厨房を一番奥までてくてく進んでいけば、せわしなく行き来する女の子達がいる。

 長いバゲットが何本も載ったトレーを、保存ラックから次々作業台に引っ張り出しているのだ。


「おはよう、シャノン。机の上のやつから切り始めていいかな?」


 パンを焼くベーカリー部門の人達はいつもバタバタと忙しそうだ。同期を見つけて声をかけると、挨拶もそこそこに指示を飛ばされた。


「あ、おはようアナベル! 助かる! いつも通り1本12カットで」

「おっけー」


 彼女は下手すると中等部の子に間違えられるくらいの体格なのに、先輩達に混じって重い鉄板を上げ下ろしている。偉い。

 ぱっと横をむくと、既にシリルはパン切りナイフを棚から出して支度を始めていた。やばいやばい。私も慌ててパン切りナイフを手に取り、負けじとバケットを切り始めた。




♯ ♯ ♯




 黙々と作業を続けて全てのパンが切り終わる頃には、空は白みはじめていた。

 なにせシリルと二人きりで、1000人分のパンのカットだ。ベーカリーの人達はすでに夜用の仕込みに入っている。


 もう少しすると夜勤明けの面々が食堂になだれ込んでくるはずだ。次に朝練上がりの人、そして日勤の人。広い食堂ではあるが、ちょっとづつ時間をずらすことで混雑を避けている。


「配膳準備、頼んでいいか」

「はーい。仕込み準備よろしく」


 ナイフを片付けたシリルと一旦別れ、私は厨房に繋がっている配膳カウンターへ向かった。


 魔術師寮の食事は、朝昼晩とビッフェスタイルである。朝は軽めの事が多いのでカウンターに置く皿数もそんなに必要ないが、昼夜になると品数も増え準備するものも多くなる。カウンターを拭き、出来上がってきたスープをふた鍋(これは家庭用よりちょっとおっきい位のサイズね、回転式大鍋から移し替えたもの)セットし、さっきカットした雑穀バケットパンが再びトーストされて出てくるのを待つ。……うん、パンの焼ける香ばしい香りが漂ってきた。至福の時間だ。


「おはようアナベル。今朝はお寝坊さんしなかった?」


 お皿の数をチェックしていると、カウンターの向こう側から声をかけられた。

 ふと顔を上げる。私よりいくぶん低いところにある、深いアメジストの輝きが私を捉えた。

 腰まで伸びたふわっふわのプラチナブロンドの髪。朝日を浴びてそれがキラキラと輝いている。まだあどけなさの残る幼い顔立ちながら、絶世の美少女と呼ぶにふさわしい人物がそこにいた。


 ミーシャ・ガードナー。11歳にしてこの美貌という、恐ろしいスペックの持ち主である。



「おはようミーシャ。今日は私もちゃんと起きられたよ。ミーシャはいつも早起きさんで偉いね」

「『しれーかん』をおこすのは、わたしのお仕事だから。ねえ、あさごはんはなに?」

「雑穀パンにジンジャースープだよ」

「ジンジャー……きらい……」


 ミーシャはわかりやすく顔をしかめた。


「たしかに、ちょっと辛いよね」

「うん。からくて苦い……」

「ミーシャだけ違うの用意する?」

「ううん、わたしも食べられるもん」


 背伸びをしたいお年頃。ぶんぶんと首を振って否定する。何がなんでもみんなと同じものを食べたいらしい。私なら、嫌いなもの避けちゃうけどな。


「ジンジャーは免疫力を高めてくれるんだよ」

「めんえき?」

「体を丈夫にしてくれるの。ミーシャはこないだ風邪ひいてたから、しっかり食べようね」

「……わかった。また後でね」


 彼女はばいばい、と手をふり、くるりと踵を返す。とてとて去っていく彼女の後ろ姿……いやもうかわいいなんて言葉だけではとても表せない。抱きしめたい。食べちゃいたい。甘やかしたい!

 おっとあぶない。犯罪者になりそうだ。

 100年に一度の逸材と言われる魔術師にそんなことをしたら、死刑では済まされない。いやその前に、ミーシャ本人に切り刻まれるだろう。


「はあ天使……元気出た」


 なぜか自分に懐いてくれている彼女を見送って、私はもう一度カウンターに並べたものを点検した。あとは配膳係にバトンタッチして、自らも朝食にありつくのみである。





「ふぇー、今日もがんばった!」

「おつかれさま」


 トレーを持ってきて、私の前にどっかりと座ったシャノンをねぎらった。本日の相席は先程パンの場所で指示を仰いだシャノンと、そのペアである先輩のレイさん。そしておなじみ、シリルくんだ。

 前に座るふたりはお揃いのゴムで髪の毛を一つくくりにしばり、ポニーテールにしている。ブラウンの髪色も、顔のつくりも何となく似ていて、姉妹と言われても納得してしまいそうだ。

 コック帽を被っていない姿というのはお互いに新鮮で、目を合わせるのがなぜかちょっと気恥ずかしい。

 私は食事の挨拶を済ませるとさっそく楽しみにしていたジンジャースープをひとさじ、すくった。ふわっと口の中に野菜の旨みと甘みがひろがった。


「んんん今日のスープもたいへんに美味しい……」


 あまり生姜はガツンと来ないが、このしつこ過ぎずにさわやかな後味を産んでいるのは生姜のパワーだろう。ひとくち、ふたくち。食べ進めるうちに体がポカポカしてくる。


 冬のイメージが強い生姜(ジンジャー)だけど、夏の新生姜は辛味も強くなくて美味しいんだよ。|酢漬け(ピクルス)にして食べても最高。

 ちょっと離れたところに座っていたミーシャはおそるおそる口をつけたあと、「辛くない!!」とでも言うようにぱっとこっちを向いてニコニコしていた。マジ天使だった。


「シリルは今日は忙しい?」

「割とハードな方だと思う。ビーフの仕込みがあるから、少々気が重い」


 真面目に答えたシリルに対し、質問者のシャノンは「まじかぁ残念だわぁ」と両手を広げた。


「お手隙ならミニケーキ手伝ってもらおうとおもってたのに。ねえ? レイ」

「そうねえ、今日はミニケーキがあるからいくら人手があっても足りないのよ……シリルくんが来てくれるなら大助かりだったんだけど」


 そっか、今日は月に一回の誕生日メニューだったな。

 果物が出ることはあっても、ケーキが出るのは誕生日メニューの日だけと決まっている。その月に生まれた人をまとめてお祝いしましょうねっていう、豪華献立なのだ。


 そしてケーキといえばこの人。


「……手伝いたいのは…………山々だが」


 大きな男が顔を顰めて苦渋の表情をしていた。

 そう、シリルである。昨日私の仕込みをエクレア奢り約束でチャラにしてくれた彼は、大の甘党。しかも食べるだけではなく、作るのもかなり好きなのである。

 仕事として手伝いに入る際はもちろん味見待遇を要求するけれど。めちゃくちゃ器用で早いとくれば、声がかかるのも必然だ。休みの日にしょっちゅうベーカリー部門に入り浸っているおかげで、担当者にはかなり頼られ(そしていじられ)ているのだった。昔はシリルにびびっていたシャノンも、いつの間にやらご覧の通りである。


「仕方ない。こっちはこっちで頑張ろうね、レイ」

「ええ、そうね」

「こっちも見通しついたらシリルを派遣できるように頑張るよ」


 私が口を挟むとシリルがちらっとこっちを見た。

 おいこら、目で「本気か? 行ってもいいのか?」って訴えるな。こっちの仕事が終わってからだよ終わってから! 私を見捨てて行ったら泣くからな。

 たぶんシャノン達には「なんで今お互いに睨みあったの?」と思われているだろうが、睨んではない。アイコンタクトである。


 いつも通りの、なんてことはない普通の朝。

 今日という日にとんでもない事件が起きるなんて、一体誰が予測できただろう。

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