めまい副官の悩みごと
1 相棒は器用で不器用
ベリル皇国の首都、ヘリオドールの南端。
ひらけたその台地に、国防特務機関・魔術師第二総合詰所とその寮、通称『魔術師寮』はある。
詰所に勤務する者や、当直に当たるものたち、およそ1000人の食事の管理を担い、健康と任務をサポートする。それが、ハワード・オルムステッドが率いる我々「料理番」の主な仕事である。総勢20名の料理番たちが、日夜ご飯の生産に勤しんでいる、というわけだ。
「ふぁあ……ふ……ねっむ…………」
思わず口からあくびが零れてしまった。
料理番の朝は早い。朝礼当番の朝は、普段よりもさらに十分ほど早い。
飲んだくれのおっさんならば、まだ外で酒をあおっているくらいの時間帯が起床時間である。
早起き中の早起きとはいえ、自分の部屋から廊下続きに通勤できるのだから、たいへん恵まれているのは分かっている。冬に外へ出る勇気は必要ないし、初夏に近いこの時期にも、悪酔い連中に絡まれる心配がない。なにより、走れば3分で着く。いや走っちゃダメなんだけど。
私はシフトの関係もあって一人部屋だし、この上なく快適な生活環境にいるといえる。
……けど眠いもんは眠いわけで。
「おはよう、珍しく早いな」
「あーシリル。おはよう。いくら私でもさすがに二日連続で朝礼まですっぽかさないよ。また皿洗いはゴメンだし」
生あくびを噛み殺していると、男子寮方面から歩いてきた起き抜けのシリルといきあった。普段「氷の貴公子」とあだ名されるほど無表情に近い彼が、三割ほど気が抜けたほわっとした顔を見られるのはこの時間だけの特権だ。私ですら三回くらいしかみたことがない。
え? それは私がいつも遅刻ギリギリだからだ、って? 聞こえなーい聞こえませんよー。シリルが当番でもないのに、やたら早起きなだけですよー。
「朝ごはんのメニュー、なんだっけ」
「ジンジャースープと雑穀パン。アナベルの好きなメニューだろ」
「やったね。ちょっとテンション上がった」
魔術師寮の野菜スープはとにかく具沢山で、腹も満たされかつ美味しい、という最高の一品だ。作るのは私達だけど。
厨房手前でシリルと別れて上下真っ白な戦闘服……そう、コックコートに着替える。ズボンに足を通すと、何となく気持ちが引き締まるから不思議なものだ。帽子を被ってエプロンを締めたら、防水ブーツに履き替えていざ、厨房へ。
朝礼当番の役割は、今日のメニューと作業分担の確認をして、朝礼で発表することだ。さらに作業台を拭いて場所を整え、調理道具や機械の不具合がないかを確かめて、安全チェック表に記入する。これに不備があると大きな事故に繋がりかねないので、慎重に行わなければならない。
そしてもうひとつ、この点検が終わる頃にやってくる大切なお役目が……
「おはよう諸君!!! おうアナベル、今日は皿洗いにならなくてよかったな!!」
……朝からテンションフルスロットルの料理長、ハワード・オルムステッドの
「いっでっ……おはようございます料理長。今日も元気そうでなによりです……」
危うくよろけるところだった。完全に気を抜いていた同僚が顔からつんのめったのを見て以来、腰を落として備えるようにはしているんだけど。
男子の標準であるシリルよりも、さらに頭一つ大きい身長とがっしりした肩幅。四十を超えたところだというのに、筋肉が全然衰えていない。存在感のいかつさが半端じゃない。料理長が来ると厨房が少し狭く思える程だ。それがガハハと笑うさまを想像して欲しい。ね、ヒグマでしょ。
いつの間にか、朝当番の面々が一列に揃っていた。端の方にシリルの顔も見える。
「では料理長もいらしたので……朝礼を始めます」
みんなよく知った仲だとしても、前に立つのは緊張するものだ。
「本日の朝礼当番は、アナベル・クレイトンが担当します。今日の献立は、
【朝食】ジンジャースープと雑穀パン
【昼食】蒸し野菜のサラダ・ガスパチョ・パエリア
【夕食】アクアパッツァ・温野菜のサラダ・パンプキンスープ・豆パン・ミニケーキ
以上です。夕食は今月の誕生日メニューになります。明日の献立は各自の仕込みリストをご覧下さい。他になにか連絡事項は……」
壁際にならんでいたシリルから強烈な殺気を感じ、私は思わず顔を上げた。
なんかモゴモゴ言ってるな。口パクで伝えようとしてくれてるのか。きょ、きょうの、えん? えんしゅ……ああ!! 思い出した!
「連絡事項の前に、今日の魔術師演習の行程です。午前九時から辺境任務訓練、午後三時からは建国記念日パレード演習があります。携行用夜食の申請は20人分です。他になにか連絡事項のある方はいらっしゃいますか?」
あぶないあぶない。これ言い忘れると怒る人が何人かいるんだよな……魔術師の日程が大事な部署もあるからね。シリルさんきゅ!
あたりを見回す。とくに連絡事項はないようだった。
「では料理長。最後に一言お願い致します」
「うむ。今日もいつも通り、魔術師の力を存分に引き出して最高のサポートが出来るように努めてくれ。『食は国防の要なり』だ。しっかり頼む」
『はい!』
全員の返事が綺麗に揃った。
『食は国防の要なり』──この言葉は、初代国王になった最初にして最高の魔術師が残したと言われる格言である。
ベリルでは質の良い鉱石や石炭などが多く採れる一方で、食べられる作物が育つ土地は決して多くなかった。原初の頃は鉱石と必要な食料を交換して暮らしを立てていたが、外の国と敵対してしまうと深刻な食糧難に陥った。そこで初代王が初めに着手したのが、農地の開墾だ。
腹が減っては戦うこともままならない。戦えなければ国は守れない。
そんな深刻な命題のもと、私たちの祖先は慣れない畑仕事に明け暮れた。同時に、食料保存の技術も発達させ、大陸から様々な料理と調理法を輸入した。友好関係も保たれ、ものが豊富になってきた今でこそ食は軽視されがちだが、私たちが食べ物に困らないのはこうした努力の賜物なのである。
料理長はことある事にこの格言を持ち出しては、我々にハッパをかけるのだった。
「では朝礼を終わります。本日もよろしくお願い致します」
『よろしくお願い致します』
一礼を残し、バラバラとそれぞれの持ち場につく。
「シリル、助かった」
「いや、別に」
この言葉が『別に、特別なことはしていない』の略だと気づいたのは、実はつい最近の事だったりする。ペアなら助け合うのは当たり前だ、と当然のように手を差し伸べてくれる彼は、本当にでいいやつだ。人間として尊敬する。というか、もはや人間じゃなくて神かもしれない。
料理番にはペア制度がある。不測の怪我や事故防止・ミス防止のために、二人一組で動くのが原則だ。
大抵はシフトや部屋の関係で、同性どうしが組むことが多い。だが研修中にやらかした私がシリルに迷惑をかけてしまい、そのまま「じゃあお前らペアでいいな」ということでなし崩しに決まってしまったのだ。
あの時は正直「詰んだ」と思ったね。
だってシリル、イケメンだけど顔怖いし。無口だ(と見られがちだ)し。料理長とはまた違った威圧オーラあるし。おっそろしく包丁さばき早いし。
研修の時「切り刻まれる……!」と思っていたのは、私だけじゃないはず。
そんな彼に今じゃ頼りっぱなしなんですけどね。
突然このペアが解散されることになったら、私は生きていけない気がする、真面目に。私のようなズボラ人間の相手なんて、シリルくらい心が広い人じゃないとつとまらないと思う。自分で言っていて悲しい。
「アナベルはこっちのカゴを頼む。俺は奥のを持っていく」
「了解。重い方持ってくれてありがと」
貯蔵庫に入ったシリルから食材を受け取って、私は鍋の方へと足を向けた。
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