魔術師寮の料理番 〜その不調、おいしいごはんで解決します〜

楠木千歳

プロローグ 夢を叶えられなかった私ですが今日も元気です

「人間、自分が食ったもん以上の存在にはなれねえんだよ」


 とは、我が敬愛する料理長の言葉である。

 なかなかショッキングかつパワーワードなセリフだけども、あながち間違ってもないな、と私は思う。


 考えてもみてほしい。脳みその元は細胞である。細胞を作るのは体内に取り込まれた栄養素である。では、その栄養素は一体どこから取り入れるのか?


 そう、食事である。


 食べ物が私たちを作っている。それは誰もが知っていることだけれども、本当の意味で理解している人が一体どれだけいるんだろうか。

 我々はもっと、そう、食事に敬意を払うべきなんだ。


 それを作る人にも、片付ける人にもな!!


 ……とまあ、そんなことをぼそぼそ考えて現実逃避するレベルには、心がダメージを負っていた。



「アナベル、そのペースじゃ夕食の仕込みに間に合わないと思うが」

「だって、さあ………………」


 そこそこ洗い終わってなお、目の前にはおよそ300枚の皿、皿、皿。しかも全部カレーの食べ終わりである。これをたった一人で全部手洗いしろって鬼なの? 悪魔なの? ヒグマなの? 手の皮、すでにふよっふよにふやけてるんですけど。


「料理長にそのまま伝えてこようか」

「うわ、声にでてたわ。それだけは勘弁して」


 うっかりうっかり。

 でもさあ、朝礼当番すっぽかしただけでこの仕打ちはちょっと酷くないですか。


「カレンダーを確認しなかった君の責任だと思うがな、それは」

「なるほど優等生の言うことは違う」

「たまねぎの仕込みは始めておくから、出来るだけ早く終わらせてこい」

「ああシリル、きみはなんていいやつなんだ! あふれてくる涙で、君の美しいアイスブルーの瞳が見えないよ!!」

「軽口はいいから手を動かせ」


 私の相棒はその整ったお顔を僅かにゆがめて、軽蔑と非難の視線を送ってきた。


 シリル・スタンフォード。ひょんなことから私とタッグを組まされている人物である。いまはコック帽子にほぼ隠れている、美しい白銀の髪とその整ったお顔立ちから、冷たい人なんじゃないかと噂されることも多い。でも本当は面倒見が良くて、とってもフランクなイイヤツなんだよ。

 ……せっかくイイヤツなんだから黙って皿を追加していくのはやめろ。


「じゃあまた後で」

「へーいありがとう、玉ねぎよろしく……」


 力なく項垂れた私の頬に、ぴしゃりと容赦なく洗剤がはねた。






 ――『魔術師』といえば、ベリル皇国に生まれた子供なら誰しも一度は夢に見る憧れの職業だ。


 四方を海に囲まれた島国であるベリル。かつてここには、特産の鉱石を狙って財を求める大陸からの侵略者が数えきれないほど押し寄せてきた。

 しかしベリルの人々が、その上陸を許したことは一度もない。それは、鉱石を通して体内の魔力を変換し、ありとあらゆる力に変える「魔法」を教えた人物がいたからだ。


 彼──その正体は鉱石の精霊だったとも伝えられている──彼は『魔法』の使い方を広く丁寧に教えた。鉱石を体のどこかに触れさせて、周囲の精霊に呼びかける。石に乗せて自分の魔力を渡す代わりに、魔法としてあらゆる現象を引き起こす。それが基本的な魔法の使い方だ。

 大きな魔法を扱う事のできる人々は限られていたが、有事の際には、魔法を使える者が一斉に蜂起して外敵を退けた。

 やがて第一の魔術師と呼ばれるようになった彼は、民に望まれて王となる。

 これがベリル皇国の起源である。『彼』自身は王位を譲ったのち、いずこともなく消えたと言われているが、歴史書に記されているのを見る限りで、その血筋が途絶えたことは無い。べリルの王は国民の誇りであり、魔術師を礎として発展してきた、この国の象徴そのものなのだ。


 ざあ、と巻き起こる風。噴き出す魔力が視覚化し、術師の髪をなびかせる。

 魔力の象徴である鉱石のはめ込まれた魔導書を左手に掲げ、そのページがパラパラとひとりでにめくられていく……


 彼が魔法を詠唱し発動する様は、息を呑むほど美しかったという。

 伝説を教えられて育つ子どもたちが、魔術師に憧れないはずがない。



 『魔術師』は、ベリルの特産品である石炭や、それから生まれる蒸気の力で軍備が大幅に進歩したいまでも、国防の要を担う大変な職業だ。何かあれば軍人と共に最前線に立つだけでなく、常日頃の警備から諜報に至るまでを一手に引き受ける過酷な任務を行っている。

 もちろん、なるには高い魔法適性が必要だ。だいたいの一般人はここで夢から醒めて、諦めてしまう。


 けれども、私は諦めが悪かった。村ではそこそこ魔法が使えた方だったから、ちょっと天狗になっていたのもあるかもしれない。実際王都に来てみれば私レベルの魔法適性者は道端の石ころレベルにゴロゴロいて、魔術師試験の当日に現実を叩きつけられたことは記憶に新しい。


 試験に落ちたあの日。家に帰るのも情けなくて呆然としている時に出会ったその人は、項垂れる私を豪快に笑い飛ばした。



『お前にいい仕事を教えてやろう。魔術師の手足になり血肉になり、最高のサポートができる仕事だ。適性? そんなもんはいらん。国を守る情熱さえあるなら俺についてこい』



 それが、私と料理長――ハワード・オルムステッドとの最初の会話だ。

 まったく、あの時の私は「血迷った」としかいいようがない。まさかその仕事が「魔術師寮の料理人」だなんてつゆ知らず、のこのこほいほいと汽車に揺られてついてきてしまったのだから!!


 1000人分の食事を毎食作るなんて思いもしなかったし、「魔術師になるつもりだったんだからこれくらいイけるよな!」という謎のムチャぶりをふられるし、ぶっちゃけ家でぜんっぜん料理してこなかったから手順とか全く分からないし。


 でも……不思議と、この仕事は嫌いではない。


 むしろ毎日を、なんだかエンジョイしてしまっている自分がいる。



『アナベル・クレイトンに告ぐ! アナベル・クレイトンに告ぐ!! いつまで洗い物にかかってるつもりだ仕込みの時間が押してるぞ!』

「あんたが命じたんでしょうがぁぁ!!!」


 そんなことで一斉放送使うな! 魔力装置の無駄遣いだぞまったく!!


 最後の一枚を棚に戻し終わると、私は全力早足で洗い場を後にした。若干よれたコック帽をきちんと正し、エプロンの紐を締め直したら次の戦場へ出発だ。


「シリル、お待たせ。本当に助かったよ」

「おかえり。これで終わるからアナベルはにんじんの方を始めてくれ」

「さすがシリル様……なんとお礼を申しあげたら良いか」

「今週末エクレア」

「えっあっハイ」


 甘党の同僚とも、それなりに上手くやれているし、ね。……いや、一方的に迷惑をかけているだけな気もするけどさ。


 アナベル・クレイトン18歳。

 魔術師寮の料理人として、再出発は上々です!

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