第14話
人の形をしたものを探す。歩いていないか、どこかに倒れていないか。目を四方に凝らすが、その姿は見当たらなかった。
メイ、と叫ぼうとした。が、なぜだかそれが憚られた。
自分がここにいる、彼女を探している、などと。大声で喧伝してはならない。自分の存在を悟られてはならない。そんな直観があった。
この場所は人間を拒絶している。
……いや、違う。ここにはふたつの思念が蟠っている。
ひとつは人間に対する憎しみ、もうひとつは人間に対する警告だった。
なぜ分かるのか、自分でも解らない。しかし、解る。
これまで霊感なんて無かったはずなのに。幽霊も怪異も見たことは無い。だというのに、この場所に何かがいて、害意を抱いているという事実が感じられてならない。
「いや、違うか」
思えば傍らにはいつも彼女がいた。今朝から姿を見せないミヤコ。その辺にいる雑霊は駆除できる、と豪語していた自称守護霊。彼女がそばにいる時、僕は何も感じなかった。彼女以外のこの世ならざる気配は何一つ感じなかった。
だが、彼女がそばにいない今、僕はとてつもない心細さを感じている。これまで何も感じなかったのは、すべて彼女に守られていたから。今、ミヤコのいない僕は身を守る者も術もない。
彼女はどこにいってしまったのだろう。
もしかすると、もういなくなってしまったのだろうか?
『お守りを開けてはならない』
よく言われるそんな言葉が脳裏を過る。
僕がミヤコの正体を探ろうとしたことが、お守りを開けたことになったのだろうか。僕が中身を調べようとしたから、彼女は消えてしまった……?
彼女は昨日までいつも通り存在していた。夜、僕のスマホを使ってアニメを見ていた。僕が彼女の正体を探ろうとした時、僕を止めなかった。消えるような素振りも見せなかったはずだ。
いずれにせよ、彼女はそばにいない。僕ひとりでメイを探さなくてはならない。
頭が痛む。右も左も酷い痛みだったが、それぞれ種類が違う。
右側はただひたすらに痛い。左側では先ほどからなっている鈴の音が止まらない。
いずれにせよ、ここにいてはならないと体が告げている。
メイを探して30分ほどたった。
彼女の姿は見当たらない。人間の気配を何者かがかき消しているかのようだった。
代わりに、ざわざわ、と。ぞわぞわと。この土地に何かがいるという不快な気配が感じられた。
部屋の中で虫を発見して……羽音とか砕けた羽とか、痕跡は見つかるのに、本体が見当たらない時の不快感。確かに何かがいるのに、その原因を見つけられないような、そんな感覚が。
かちかち、かさかさ、ねちねち。
そんな音が聞こえて、身をすくめた。動きを止めて、物音をこれ以上立てないように耳を澄ます。その音の源を探るように。その音が気のせいであることを祈るように。
……聞こえない。耳を澄ました瞬間、何ものかもそれを察して動きを止めたようだった。
だが次の瞬間、「あ」と声を挙げてしまった。
これまでどんなに探しても見つからなかった人影が姿を見せた。メイの影だった。
彼女を連れ帰るために僕はこの谷底まで降りてきたのだ。立っている、ということは死んでいない。まだ生きている。まだ連れ帰れる。
軽率にも、僕は彼女に向って駆け出していた。
メイは動くことなく、その場にとどまっている。彼女さえ連れ戻せれば、この場にいる必要もない。不快な気配から逃げ去ることが出来るはずだ。
彼女の傍に近づき、肩を揺さぶる。メイ、と呼びかける。前髪の後ろから
ごめんよ、と小声で謝りながら、彼女を無理矢理背中で負ぶる。
彼女の体重は僕よりも全然軽い。背中にやわらかい感触が伝わってくる。昔飼っていたハムスターを思わせるやわらかさ。生き物特有の、少し力を入れれば死んでしまいそうなやわらかさ……。
ともかくも、その場から逃げ出そうと足に力を込めた。
「あ?」
がくん、と。奇妙な力がかかる。次の瞬間に僕は後ろに倒れこんでいた。
最初、何が起きたのか分からなかった。先ほどまで僕は彼女を負ぶって走り始めていた。だが今はメイを下敷きにして倒れこんでいる。
息がしにくい。首に何か力がかかっている。いや、首から力がかかったのだ。それで僕は倒れこんだ———
メイが、僕の首を締めている。筋肉のあまりついていないやわらかい両腕をがっしりと組んで僕の呼吸を止めている。
メイ、と声を挙げようとした。出ない。掠れた空気が出ていく音しかしない。鼻から口から息を吸い込もうとするが、それが喉の奥から先に行かない。
このままでは死ぬ。死んでしまう。こんなところで、息もできずに———
いやだ、にげなくては、このままじゃだめだ、はなせ、てをはなせ————
必死に体を動かす。もはやメイへの気遣いも躊躇も無かった。彼女に体重をかけて、振りほどこうと必死に動いた。だが、何者かに操られたメイはそんなものを意にも介さず、腕に力をかけるばかりだった。
締められる首は不快だった。仮にも裕福な女子大生の手とも思えない感触。彼女はさして家事をするような人間には思えなかった。覗かせた掌は白パンのようにふっくらと瑞々しいものだった。今もそうだ。見た目はいつもと変わりがない。なのに、首に伝わる感触はそうではなく……いや、そもそも人間の手に思えない。何か、ねっとりとした、無数の糸のよいな不快感がある。例えるなら、排水口の奥に蟠った髪の毛が首に纏わりついてくるような感触。
意識が遠のいていく。気持ち悪い。あとどれくらい持つかもわからない。
その刹那に、視えた。
多足をワラワラと蠢かせ、歯をカチカチと鳴らしている。表面は七色に光りぬらぬらと濡れてキチン質のよう。
身が竦んだ。離れたい。アレの目の前に居たくない。誰を押しのけても逃げ出したい———恐怖心に屈して、もう自分のことしか考えられない。
それは悠々としている。からめとった生贄と、息が止まり、もはや死を待つばかりの饗された餌を今にも食そうと。
ああ、しぬ。
諦観が過った。
僕はここで、何もできずに食われるしかない。
そう思うと、抵抗するのが馬鹿らしく思えてくる。
すでに身体は萎えていた。だったら最後に、ふっと力を抜いて身を任せてしまった方がいいかも知れない。結局この怪物に食まれる運命ならば、一思いに、一息に死んでしまった方がいいのではないか?
諦めかける理性とは裏腹に、しかし本能はまだ生き残ることをあきらめない。
脳裏に様々な記憶が駆け巡っていく。思い出さなくてはならないことを、この場を切り抜けるための方策を探して、過去の記憶を漁っている。
そうして、ひとつの思い出が蘇った。
『きっとわたしのなまえを呼んでね』
『なにせわたし最強だし?誰にも負けないし』
うへへ、という奇妙な笑い声。
そうだ、そうだった。そんな約束をしたんだ。
首を締める腕をつかむ。無理矢理引き離そうと力をかけた。剥がれない。この程度で剥がれるなら、今頃僕一人だけでも逃げ出せているだろう。
剥がすためではない。
声を出すためだ。一言だけ。かつての約束を試すため。これでダメならあきらめが付く。最後に、彼女の名前を。
僕の抵抗によって、首に絡まったメイの掌が離れる。薄皮一枚ほどの隙間が生まれる。
一瞬、息が通った。外部から酸素が肺に供給され、そこから思いっきり、出せる限りの力で声を放った。
「ミヤコっっっ!」
僕の声に呼応するかのように、巨大な百足の怪異は遠方へとはじけ飛んだ。
同時に僕の首を拘束していた腕の力がふっと抜ける。
「ほーい。だいじょーぶ?」
そこにいたのはいつも傍にいた少女。
これまで通り、今まで通り、どこか気の抜けたような声のミヤコだった。
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