第13話
吹きすさぶ風に溺れるような感覚を持ちながら僕たちは茶畑が立ち並ぶ道を歩いた。人の姿は見えない。限界集落になりつつあるのかもしれない。
時折、錆び付いた小屋や倉庫などが思い出したように現れる。それがどこか、不吉な様相を呈してもいる。
その中を僕とメイは淡々と歩き続けた。
「あの頃はもう少し……なんていうか、美しかった気がするのよね」
夏だったからかしら、と彼女は呟いた。
「……そうだね」
僕は覚えていない思い出をさも共有しているかのように応える。
脳裏に浮かんだのは昨日の夢だった。ミヤコと僕とが語らったのは、こんな感じの畑が立ち並ぶ道だったように思う。ただ、景色だけが違っていた。
夢の中で、空は気持ち悪いくらいの晴天で、太陽は僕らを焼き付くそうとしているみたいに燃えさかって、茶畑にはグロテスクなまでに生命力あふれる植物たちが生い茂って、鼻孔を雑多な生き物たちの臭いが満たしていた。 そんな中で、僕とミヤコは汗を掻きながらその光景を享受していた。
美しかったかは分からない。だが、新鮮な光景だったのだろう。
対して今はというと、あのときから色々なものが色あせているように思えた。畑は荒れ放題になっているモノも多い。くすんだ黄金色をした雑草だかすすきだかが一面を満たしているところもある。
「これじゃ聞き取りどころじゃないわね」
聞き取りが出来そうな人がいれば積極的に聞いていこう、ということにしていた。だがこう人がいないのではそれどころではない。歩いても歩いても風景が変わっているような感じがしない。
ふと、ミヤコはどうしたのだろう、と思った。今朝から彼女には会えていない。
どこかに行ったのだろうか、と思う。
それと同時に、こんなことはあまりなかった、と不安に思う気持ちがある。もしかして消えてしまったんじゃ無いか、とか。そもそもミヤコなんて最初からいなかったんじゃ無いか、とか。そういう喪失感のようなものが手足の先から脳内に掛けてじわじわと駆け巡っていく。
「大丈夫?」
様子がおかしいのに気がついたメイが心配そうにのぞき込んだ。
「……うん。大丈夫」
強がりながら答える。
「……ならいいけど」とそれ以上追及してこなかった。
急に自分の立っている場所がおぼつかない気持ちになってきている。
ずっと一緒にいた彼女———半身とも言っていいミヤコが隣にいない。
それだけで、心が乱れている。
……しかし、彼女についての謎を解くということ。それは彼女の存在を消し去ることにつながるのではないか、と思えてならない。
ミヤコ。守護霊を自称する超常の存在。そんな、現実の理から離れている少女。
この旅はその正体を探る旅となっている。
これ以上、調べるべきではないのではないか?
これ以上、知ることは現状を決定的に変えることになるのではないか?
その予感を胸に。しかし僕は歩みを止めることはしなかった。
僕はミヤコのことを知らない。
ずっと一緒にいるけれど。彼女がなんなのか、どうして隣にいるのか。それを知らない。ずっと一緒にいてくれた彼女について、僕は知りたい。
スマホの案内に従ってたどり着いた鈴山を登っていく。
当初は舗装された車道を歩いていたのだが、途中で声をあげた。
「ここ、知ってる……」
山道は二人がかろうじて通れる程度の細い石道である。
彼女はそういった。僕の記憶には無かったが、そこは僕とメイと、そしてミヤコの三人で通った道だ、という。
ともかくも、地図アプリが示す反応とメイの記憶というふたつの手がかりがこの道が、三人が通ったそれであるということを示しているのだ。この覚束ない石段であろうと、行かないわけには行かなかった。
……鈴の音が聞こえる。
風が通り抜けるたびに、清涼な音が耳を揺らす。
きっとあれは風だ。風が木々に実った葉をたわわに震わせている。その音が、まるで鈴の音のように聞こえるのだろうと思う。だから鈴山なのだろう。鈴の結界というワードはそこからくる連想であるはずだ。
メイは、と言えばどこか神妙な表情で周囲を見回している。
その様子はどこか高揚しているようだった。
「知っている……この道、知ってる……歩いたことがあるわ。ミヤコちゃんはこの森に遺体があるって。この道を通った先に、少女たちの遺体と……その想念が残っているんだって……そう言っていた」
石段を登る度、彼女の声は熱を帯びていった。
忘れていた記憶が刺激され、思い出が鮮明になっていくことに興奮を覚えている様子だった。
「この森で人々の供犠にされた子供たち、捧げられた『何か』……それがこの山に悪さをしているって……そう、覚えている。私はこの道を通った。何度も何度も……同じ道を何度も登った」
……様子がおかしい。
言葉に熱がこもりすぎている。言っている内容も支離滅裂だ。彼女は何度もこの道を通ったりしていない。記憶が確かなら、あの夏休み、遭難した時に一度だけのはず。
「ねぇ、メイ。引き返そう。何かおかしいよ」
それはメイと、この森の両方だった。
一段、一段と歩むたびに鳴り響く音が激しくなっていく。
影の関係か、あるいは天気が変わったのか、周囲がだんだんと暗く変わっていく。
おかしい、と思って立ち止まった。これ以上先に進むべきではないと思った。
だが、メイは僕の静止を聞いていない。彼女だけが、石段を進んでいく。
「その度に寂しく、その度に惨めで、その度に大人たちを呪った。供犠になる……山の物の怪の供犠になる童々の群れは、簡単に人々を許しはしない……そんな簡単に娘を逃しはしない。娘であるならば、それだけで———」
「メイ!」
興奮した声は徐々に間断なきつぶやきに変わっていく。
彼女の存在と思考もまた、変わっていくように思えた。それが何故なのか。何なのかまでは分からない。
———鈴の音が聞こえる。
ざわざわと、らんらんと。
それは清涼な風などではない。これは寄り付くものを拒む警戒の鈴の音。近づいてはならないという警戒の———
僕は思考を中断して、なおも登っていくメイを追いかけた。
肩を掴んで揺らしたが、彼女の心が戻る気配はない。
ふと見えた表情は、爛々と目が見開かれていた。
急に、立ち止まった。
ようやく僕の声が届いたか、と安堵した。しかし、すぐにそうではないことが分かった。
視線が左方に向かった。
その視線を追ってみると、深い谷底がある。知らないうちに高くまで登っていたらしい。
谷の底は木々が生い茂り、沢があった。今いる場所よりもなおも暗く、陰気である。
メイはそこに身を投げた。
転がっていく。
まるで人形を放りなげたかのようだった。ごろごろと谷の底へと転がり落ちていく。
一瞬、僕は何が起こったのかわからなかった。
彼女は何をしているんだ?なんでこんなことを———何かを見つけたのか?見つけたからそれを確かめるために谷の底へ降りた———?
とにかく、メイは理知的で行動的な女の子だった。今もそうだ。彼女は頼りになる、尊敬できる人間であるはずだった。理由のない行動はしない。彼女が彼女であるのなら———
遅れて、理解する。
今の彼女は正気ではない。メイではない。ここに至って確信してしまった。彼女は、なにか訳のわからないものに憑りつかれているのだ。
「ああ————ああああああ!」
血の気が引く。
目の前で友人が身を投げた。よくわからないものに憑りつかれて、意思を奪われて———そのまま飛び降りた。
僕はそれを、指を咥えてみていたのだ。
メイ、と彼女の名を叫ぶ。
返事はない。
彼女の言葉を思い出す。彼女自身は疎ましく思っていたようだが———彼女には様々な期待がかけられていた。彼女には両親がいて、親戚がいて、その未来を期待する人々がいた。
このままではメイが未来を選択することなくこの世界から消えてしまう。受け入れることも、否定することもないまま。自由を奪われて、何かわからないものの意思によって。
気が付けば、僕も谷へと降りていた。ずささ、と臀部に摩擦が伝わる。些末事である。興奮が痛みを忘れさせる。
それよりも、メイを探さなければならない。
……確かめなくてはならない。そして、連れ戻さなくては。生きているにせよ、死んでいるにせよ。僕と同じ、人間の世界に引き戻さなくてはならない。
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