第11話

 歯を磨かなければならないな、と思った。いつになく目覚めが良い。パチリ、とまるでスイッチを入れたかのように目を開いた。

 時計を見る。六時五分前。大学生になって以来の早起きだ。

 隣を見る。メイがあられも無い姿で寝転がっている。そんなに酒を飲んだ訳でも無いはずなのだけど。

 充電をしっぱなしにしたスマートフォンの画面は消えている。ミヤコは動画を見るのをやめたようだ。室内にいるというわけでもない。

 ぼんやりとした頭で、とりあえず歯を磨く。そうしながら、先ほど見た夢について考えた。 あの夢……幼い僕とミヤコが肉体を持って触れあい、ミヤコとメイが当たり前のように会話する、ありえないはずの風景たち。

 あの夢には二通りの解釈が出来る。

 本当にあったことを思い出したのか。

 それともメイに言われたことをきっかけに記憶を作り出したのか。

 だが、どちらとも僕には確定できなかった。 夢というのは雑多なものだ。夢に現れるものは人間の感情の複雑さそのものだと思う。仲良くなりたい誰かと仲良くなる夢、逆に嫌われる悪夢。欲しいものを手に入れる夢、逆に奪われる悪夢。

 ……過去にあったことを思い出す夢。逆に作り出す虚妄の夢。

 あり得て欲しいこともあり得ないことも、あったことも、すべて夢の中に現れる。だから夢をそのまま現実と直結させて受けいれる訳にはいかない。

 さりとて、無視できるような情報でも無かった。もし、本当にメイが言ったとおり、僕と彼女が訪れたこの村で、僕らがミヤコと出会ったのだとしたら。そこであの夢にあったような出来事があったのだとしたら。ミヤコの正体について、一つの予測が出来てしまう。 ふと、んに濁点のついたような奇声が聞こえだした。寝起きのメイのようだった。

 彼女は自分の乱れた浴衣に気がついたようで「ちょ……もう!」と苛立ちとも羞恥とも吐かない声を挙げていた。


「フー?いるの?」

「いるよ。歯磨いてる」

「……ちょっと着替えるから入らないで」


 僕はあらかた歯を磨き終わってしまっていた。こうなるとメイが着替え終わるのを待たなければならないのだが。

 メイから聞こえる衣擦れの音を聞きながら待つ。10分ほど待ってようやく彼女から「入って大丈夫」という声が聞こえた。ただ着替えただけにしてはずいぶん時間が掛かったように思う。

 やれやれ、と頭を掻く。ようやく洗面室から出られる。


 登山用のシャツに着替えたメイは、僕が着替え終わると作戦会議をしよう、と提案してきた。


「これからの予定なんだけど」

「うん」

「私たちがやるべきことはいくつかある。まず、これ」


 メイは手帳を取り出すとそこに文字を書き付ける。

①ミヤコちゃんと登った山を見てみる

②当時の私たちが歩いたルートを辿ってみる。

③ミヤコちゃんは何者だったのか調べる。家 家族 どこに住んでいるか 今も住んでいるのか


 メイはそういったことを箇条書きにして僕によこして見せた。


「まず最大のイベントは①の山登り。でも問題がある」

「問題?」

「あの山がどこだったのかってこと。私は当時のことをそこまで事細かに覚えてる訳じゃ無い。ミヤコちゃんの案内について行っただけだしね。加えてフーは……その、ほとんど記憶喪失みたいなものでしょう?」


 まぁ確かにそういうことになるのか。

 僕はミヤコとメイとで山に登ったことなど覚えていない。登る前のことも、登った後のこともである。当然のことながら、そのルートも名前も覚えてはいない。


「……そうだ、山の名前とか言ってなかったかな?」


 もし名前があるのなら地図アプリで検索すれば真っ先に分かるはずである。

 メイは僕の問いにこめかみを押さえながら答えた。


「彼女はムカデ山、と言っていたわ。そういう記憶があったから私も調べた。だけど…」


 そんな名前の山はこの近くには無いのだ、と首を振った。

 僕も試しにスマートフォンで百足山と調べてみる。当然のことながら近隣の地名としてはヒットしない。


「やっぱり百足山っていうと三上山だよな」

「……知ってるの?」

「知らない?俵藤太の百足退治」


 俵藤太……藤原秀郷という武士が竜宮の遣いに頼まれて山を七巻き半する大百足を退治する。その結果彼は無尽の米俵や反物と言った宝物を与えられ、繁栄したのだ……という伝説だった。典型的な怪物退治の話である。

 こうした物語は武士が自身の勇名を喧伝するためか、あるいはその地域の支配権を主張するために用意した物語と考えられる。


「ずいぶん妙なこと知ってんのね」

「妙って」


 ちょっと調べればすぐに出てくる程度の話ではある。秀郷自身も平将門を討ち取った武将として有名だ。……もちろん誰もが知っていて当たり前というような話でも無いだろうが。


「つまり、そのムカデ山っていうのは子供が勝手につけた仇名か……」

「さもなくば村民の間でのみ呼ばれてる名称って可能性もあるわ」


 裏メニューみたいなもんね、と付け加えた。

 彼女、そういうものがある店にいったりするのだろうか。


「その例えの妥当性は分からないけど。まぁつまり調べてみないとそもそもどのあたりの話だったかも分からないってことか」

「そういうこと」


 少し村を歩くと分かるのだが、この村は四方を山に囲まれている。それも割と大きな山だ。ミヤコと辿った場所がどこなのか、むやみやたらに歩き回っても分からない。


「滞在期間は三日の予定だよね」

「ええ」

「思ったより大変になりそうだ」


 僕がそうため息を吐くと、メイも同じようにため息を吐いた。彼女も似たような思いのようである。


「ま、やりようはあるわ。とりあえずコンビニ行きましょう」

「……何か買いたいものでもあるの?」

「ええ」

「朝ご飯はサービスに入ってると思うけど……おなか空いてる?」

「んなわけあるか。ちょっとした小細工をしに行くのよ」


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