第10話
フーくん、と甘えたような声が聞こえる。声の主はよく見知ったモノだった。ミヤコだ。
妙だな、と思う。
それと同時に、そうだった、と彼女のそういう嬌声を受け入れる気持ちもあった。
総じて僕の気持ちは後者に支配されていた。そう、気持ちだ。今の僕にとって理性は意味をなしていない。懐かしさとか、非日常にドキドキする感情とか、淡い恋心とか……そして、泣きたくなるような哀しさがじわじわと、僕の脳内からあふれ出るようだった。
僕はきっと夢を見ている。日常生活でこんなに感情があふれ出すことは久しくなかった。
夢ならば、ミヤコがこんな素直にかわいく思えるのも納得だった。
なに、と僕が彼女に返した。僕の声はまだ声変わりをしていない。少女のようにも聞こえる甲高い声だった。
夏が終わったら帰っちゃうんだよね?
そうだね。夏休みはもうすぐ終わっちゃうから。
……帰らなきゃいいのに。
ミヤコはすねたようにそう言った。僕はその言葉にずきずきと痛みを感じる。彼女の悲しそうな顔を見ると僕は耐えがたい気持ちになる。
転校すればいいよ。そうだ、この村に学校は無いけどおじいちゃんは物知りなんだよ。勉強ならおじいちゃんに教えてもらえば良いよ。
そうなんだ。おじいちゃんすごいんだね。
僕は本心からそうなればいいのに、と思った。同時に、そうはならなかったことも知っていた。
夢において、時系列は曖昧だ。すでに起きたことと、思い出したことが等価値になる。
ね、と言って彼女は僕の手を取った。
暖かい。長らく感じていなかった感触だ。ミヤコの手を握ったことなんて、出会ってからずっと、数えるほどだった。
「僕もずっとここにいたい」
そう、声を出そうとした。出ない。まるで金縛りにでも遭ったかのようだ。僕の声は外へ出力されない。
できないよ。明後日には帰らなきゃ。
代わりに出た甲高い声は、今の僕の感情とは真逆のものだった。
決められたゲームのイベントをこなすような感覚。これがはじめから僕のあずかり知らぬ他人の姿ならこんな風には思わない。でもこれは僕とミヤコなのだ。確かに変えることが出来たはずの出来事を前にして、僕はどうしようもなくもどかしく感じている。
「それでは駄目なんだ」
そう言おうとする。
それでは駄目だった。それが、良くないことのきっかけになる。でも、声にならない。
やがて場面が切り替わった。
いや、もし目覚めていれば切り替わった、と思うだろう。でも夢の中において、そういうものだと僕は受けいれている。
僕らは山道を登っている。道々には石灯籠があって、それが僕らが進む道のガイドとなっていた。メイとミヤコが楽しそうに笑っている。僕はその後ろを少し遅れて歩いている。ミヤコは得意げにあれは何々で、あれはなんとかで……と、解説していた。
たどり着いた先には、良くないものがいる。僕は知っている。髪の毛のような、藁のような、おぞましい何かがそこにはいる。排水溝に詰まった髪の毛のように黒く、厭らしいなにか……それを僕は知っているんだ。だから止めないと。二人を止めなければならないのに。
声が、出ない。
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