第9話
成人式から一ヶ月ほど後、2月中旬に僕とメイは例の田舎町へ行くことに決めていた。春休みの間に行きたかったからだ。だがその間にも僕とメイは頻繁に連絡を取り合って色々と準備を進めていた。
小学生の頃、私たちには遭難したという前科がある。となると、それを前提としてきちんとした装備を供えていくべきだ———というメイの言葉に従ってのことだった。彼女の言うことはもっともである。
というわけでホームセンターや登山グッズの店やらを二人で練り歩いて装備を固めた。メイとしては登山講習会も受けたかったらしいのだが、流石に大学の試験やら何やらもあってそこまでは手が回らなかった。サバイバルについてのガイドブックを持参するのが関の山である。
その間、ミヤコは特に変わった様子を見せることは無かった。僕とメイに対して冷やかすような態度を見せるくらいである。
「ようやく春が来ましたカナーーー?」
うへへ、といつものキモカワイイ笑い声をあげながらそんなことを言ってきた。僕は特に否定も肯定もしなかった。
そして春休みが始まって二日ほどたった二月の某日。僕とメイは電車に揺られながら、例の村へ出発することになった。昼前、僕らは登戸駅に集合した。僕たちが向かうのは神奈川県と静岡県の県境あたりの田園地帯である。電車で三時間ほどの立地のようだった。
「あそこってそんなに近かったの?」
僕はその事実を以外に思って呟く。
「当時から駅とか交通の便も変わってるんじゃない?小学生の頃はもうちょっと時間がかかった気がするけど」
人の少ない平日昼間の小田原線に並んで座りながらそんな他愛の無い会話を交わした。
この間の派手なドレスから打って変わって彼女はホームセンターで購入した実用的なウィンドブレイカーとリュックサックに身を包んでいる。僕も似たような格好だった。メイが事前に調べておすすめの登山用品を準備したからだ。彼女は赤、僕は青。同じメーカーでほぼ同じデザイン、違うのは色だけという格好である。
「ペアルックじゃん!」
と、傍らで騒ぎ立てる霊がいるが無視する。ペアルックて。やはり彼女は僕と同年代というのは無理があるように思える。
車窓から見える風景は少しずつ変わっていった。なじみのある都市部から、工業地帯、斜面にアパートが立ち並ぶ住宅街と移り変わり、最後には田園風景へ移り変わった。
最初、僕らの住んでいる土地から二時間あまりということと、あのいかにも田舎という思い出とが結びつかなった。だがこうして風景が移り変わりを見ると、確かにあの場所へと近づいているのが感じ取れた。
松田駅で東海道線に乗り換える前に、駅前の喫茶店で軽食を取る。ランチセットのナポリタンとコーヒーを二人して貪りながら、今後の予定を確認し合う。
「当時の親戚の人はもう住んでないの。私の大叔母に当たるんだけど、もう歳でね」
今は娘夫婦と二世帯住宅にして住んでいる、とメイはその人の近況を語った。
「そっか。当時のこととか聞ければって思ったんだけど」
僕として一番に確認したいことは、そのミヤコを名乗る少女の姿を、メイの大叔母は認識していたのか、ということだった。メイは確実に認識していた。メイの言うことを信じるなら僕もそうだったようだが、記憶に無い
あり得るのは、僕とメイ以外に彼女の姿が認識出来ていなかった、というケースだ。だとすると当時の事件について、怪談的な解釈を加えることが出来るようになる。僕らは怪異に誘われて山へと立ち入り、そこで何らかの霊障を受けた、ということ。
だが確認出来ないとなると仕方が無い。やはり山に入って見るしか無いということになる。
「……ちょっと待って。そうなると宿泊先ってどうなるの?」
「村の近くの民宿。予約はもう取ってるから安心なさい」
彼女はいかにもお嬢様、というような風情でそう言った。なんだか雰囲気がこの間の絡み酒をされた時より柔らかいように思えた。
「ま、旅行みたいなものと思いましょう。別に呪いが掛かってて解かなきゃいけないとかじゃないんだし」
「……そうだね」
近くでふわふわと漂うミヤコの姿を目で追う。どうやら他の客が読んでいるマンガを後ろからのぞき見ているようだった。
彼女という存在が呪いで無い確証は無い。さりとて呪いと言われても違和感がある。
松田駅から御殿場駅へ、そこからさらに乗り換えて山が連なる立地へと入っていく。こうなるといよいよ関東圏からは隔絶した感があった。
「ようやく到着ね」
目的の駅に着き、外の空気を吸いながらメイはと伸びをした。ん、という声がつい漏れている。
当然のことながら、小学生の頃とは感じる空気感は違った。当時は夏に来たが、今は初春である。寒々とした空気が僕らを迎える。
到着して、まず最初に予約を取っていた民宿へと向かった。着替えなど嵩張る荷物を置いていくためだ。持ち歩くナップザックには水筒、非常食、ラジオ付きライト、手巻き式充電器、ロープ、ダメ押しの発煙筒などを詰め込む。心配のしすぎでは、と思ったが、メイにしてみると小学生の頃の体験がトラウマになっているようだった。
「あのね、あのときだってまさかこんな山で遭難するなんてって思ったじゃ無い?」
「そうなんだね」
「そうなの。しかも当時は現地に詳しいミヤコちゃんがいたけど、今は私たちだけなのよ?だったら用心はいくらしてもし過ぎにはならないわ」
彼女は僕にあやすような口調で言った。僕には当時の記憶が無い。だから例の山がどれくらいの規模なのかが分からない。でも、まぁ確かにそうだろう。用心はいくらしてもいい。
初日はそこまで本格的な活動をするつもりは無かった。
「ここから山に入るのはどう考えても危険でしょうね」
メイはまるで専門家のような口調でもっともらしくそう言った。
現在時刻は午後三時過ぎ。
「まだ大丈夫、と、そう思ってからはあっという間に日が暮れるのが山———と、山登りのベテランの方の本には書いてあったわ。初日は周囲の散策と山の入り口あたりまで行くのでとどめておきましょう」
というわけで、そういうことになった。
二人そろって田んぼの中をそぞろ歩く。
田園の風景はあまり変わらない。そういえば、確かに僕はメイとこの風景を見ていた。都会とは違う光景にふたりして興奮していた気がする。そこにもう一人いた、と言われるとその記憶は飛んだままなのだが。
山の入り口まで入ってみたが、特に変わった様子は無かった。鳥居があるとか、地蔵や狛犬の像があるとか、特にそういうことも無い。ごく普通の、どこにもでありそうな山の登り口である。
結局その日は僕とメイは民宿に戻ってゴロゴロし、風呂に入り、浴衣に着替え、夕食を取って晩酌しながらだらだらと語り合うという、ほとんどただの旅行に終始した。
近所の酒屋で購入した日本酒ーーーどうやら地酒らしいーーーを飲みながら、昔の思い出やら最近の出来事やら愚痴やらを言ったり聞いたりした。
「あのさ、やっぱフーってミヤコちゃんのこと好きだったの?いや、むしろ今でも好きだったりする?」
そろそろお互い出来上がってきた、という頃。メイは唐突に質問に似た断定をしてきた。見れば彼女の耳は同窓会の時と同じく、真っ赤に染まっている。酔っ払っている証拠だった。
「私びっくりしたのよね。フーがさ、あんな楽しそうに話ししてるのあんま見なかったから。なんかあんたって捉えどころないじゃない?でもミヤコちゃんといるときはそうじゃなかった」
なにげに失礼なことを言われている。抗議したかったが、そうする暇も無くメイは畳みかけた。
「それで、やっぱり覚えてないのよね?それもさ、なんというか、言って良いのかわかんないんだけど……ミヤコちゃんに関する思い出を、封印するような……そんな心の動きがフーの中であったんじゃないかって。だとすると、私はあなたとミヤコちゃんをいたずらに傷つけるようなことしちゃったんじゃないかって。昔のことを思い出すたびにそんな公開がもたげて……」
どうやら絡み酒と泣き上戸の合わせ技のようだった。メイという人物はお酒を楽しく飲めない人物なのかも知れない。
「……別にさ、メイが何か謝ることなんて無いよ、きっと。僕を傷つけるって、なにかしたの?」
「……してない」
「でしょ?その山に入るっていうのもさ、そのミヤコが言い出したんだろ?」
「……そうだけど。私は止めなかったし。そもそもの話をするなら、学校で発表するから、何かネタになりそうなこと無い?って、軽率に聞いちゃったから———」
メイから嗚咽が漏れる。彼女は顔をテーブルに突っ伏して泣いているようだった。もし彼女が飲み過ぎるようなことがあったらどうなるんだろうか。
友人として、彼女とお酒を飲むときは丁度いいところでセーブさせてあげるべきかも知れない。
嗚咽はやがて寝息へと変わっていった。眠ってしまったようだ。時計を見る。時刻はまだ10時を回ったあたりだった。あと一時間くらいして目覚めなかったら起こしてあげて布団に誘導してあげるべきだろう。
「スエゼンってやつですか」
メイが眠ったのを見計らったように、ミヤコがニヤニヤしながらそんなことを言い出した。
「……話聞いてた?絶対そういうアレじゃないでしょ」
「いやいや、分かりませんよ?目の前で眠るって、色々OKっていう意思表示かも。私だったらそうしてるなー」
ミヤコの放言に辟易としつつ、僕は手元のお猪口をもう一口煽った。
「真面目な話だよ」
「うん?」
「ミヤコは本当に知らないんだよね?」
「何を」
「メイが言ってたことだよ。メイと僕と、君と同じミヤコって名前の誰か。三人でこの村のあたりで遊んだっていう思い出」
「……知らないね」
「嘘じゃ無いよね」
「私が今までフーに嘘吐いたことあった?」
正直に言って山ほどあった。僕とミヤコの関係は嘘とだまし合いの歴史といってもいい。
「真面目な話さ、私は本当に知らないよ」
「ここに来たのも初めて?」
「うーん……多分無い」
ミヤコは曖昧な言葉遣いをした。嘘を吐いている時は概ねこのような物言いになる。後から嘘がばれて追及されても言い訳が聞くように、という物言いは彼女の常套だった。
おそらくミヤコがこれ以上、僕に何かを語ることは無いだろう。これ以上追及しても無駄だろうし、追及するつもりも無かった。
彼女は僕にスマートフォンをつけっぱなしにするよう言った。動画サイトでアニメを見たいのだという。話を打ち切るぞ、ということを暗に告げていた。
ため息を吐きながら充電を差しっぱなしにしたスマートフォンで動画サイトに接続すると、好きにするように言った。
幸いなことにこの民宿にはWi-Fiが通っているようだった。一晩中動画をつけっぱなしにしてもバッテリーの消耗くらいしか問題は無いはずだ。ミヤコは人には見えないが、現実に小規模な影響を及ぼすことが出来る。スマートフォンやPC、テレビなどといった電子機器も消したり付けたりフリックしたり程度なら可能だった。
スマートフォンから音が流れる。それを尻目に僕はもう一口、日本酒を煽った。
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