第7話
思い出して見る。小学3年の夏休み。そういえば僕は山が見えるどこかの田舎に遊びにいった覚えがあった。車窓から見える風景がビルや住宅地から田園風景へと切り替わる瞬間、なんだか遠い場所へ旅に出ているような感覚を味わったように思う。どこかの民宿かに泊まって、そこでいかにも塩辛い味噌汁と山盛りの白米を朝食として掻き込んだ。空気は明らかに都会とは異なっていた。排気ガスの悪臭とか、建築物から漂う無味無臭とか、そういうものとは違う、生き物の匂いを感じさせる空気だった。夜、眠るときは虫と川のせせらぎを何時までも聞いていられた。そのせいでかえって寝付けなかったように思う。
そういう枝葉についての記憶は僕の中に残っている。そうだ、確かに夏休み。僕はあの田舎としか言いようのない田園風景の中で数日を過ごした。
だが肝心の、ミヤコとメイが一緒に遊んだ、ということについては全く思い出せないのだ。
「あの年の担任、井頭だったでしょ」
メイが忌々しげに呟く。
井頭は僕とメイがいた3年3組の担任教諭だった。彼女について、僕らの学年では一種のトラウマというか、かなりの悪名をとどろかせていたように思う。
例えば読書習慣カード事件。当時、学校では読書習慣をつけるための取り組みがあった。他のクラスでは比較的柔軟に対応していたのだが、井頭は一週間に4冊というノルマを課した。その上、守れなかった生徒を朝会でつるし上げるような真似もしていたように思う。僕も何度か吊し上げられた。
総じてヒステリックで潔癖症の気がある教師だった。
「そんであの年の夏休み前、井頭が思いつきとしか思えないこと言い出してさ」
”3組の協調性は学年で最低です。コミュニケーション能力もお話になりません。このような状態ではまともな大人にはなれませんよ。なので皆さんには夏休み班を作ってもらいます。夏休み明け、その班で自由研究の発表をしてください”
おおむね、そんなことを言っていたように思う。
そこまで悪い考えでも無いように思うが、いちいち嫌みな言い方をするので顰蹙を買っていた。しかも問題はこの発表は3組だけで、他の組ではこのような班を作って発表というようなことはしなかったことだ。それも井頭への怨嗟の声を生む一因になっていた。
「で、しょうがないから私とあんたで組んだでしょ?」
「……そうだったね」
確かに、そうだ。そういう話をした気がする。クラスメイトから「庄司さんと組むとか羨ましい」みたいなことを言われた覚えがある。当時はまだ彼女のことが苦手だったので、羨ましいといわれてもピンと来なかったが。
「面倒だったしさ。ふたりで田舎の旅行記みたいなもの書いて発表ってことにすれば良いかなって。そんで私の親戚が住んでる農村に何日か旅行した」
そうだ。そのはずだった。メイに誘われて僕も一緒にその農村に遊びに行った。電車とバスに揺られているさなか、僕の隣には確かにメイがいた。
「……でも、変だよ」
僕がそう呟くとメイは「何が?」と返した。
「井頭先生の面倒な宿題に端を発してる問題なんだったらさ、発表に使う壁紙なりパワポなり作ったはずだろ?作ったり発表した記憶がないんだけど」
「ああ、それ?作んなかったでしょ、結局。……いや、作れなかった」
「作れなかった?」
作らなかったと作れなかったではニュアンスが大きく異なる。作らなかったでは、単にサボっただけだ。しかしそんなことをしたらあの井頭が黙っているはずが無い。だが、僕らがそれで井頭に怒られたという記憶は無かった。
つまり作れなかった、という言い方をするということは、作れないだけの理由があったと言うことになる。それも神経質な井頭すらも納得させるようなものだ。
「だって私とあんた、山で遭難したんだから」
「……ホント?」
「ホントよ」
「冗談じゃ無く?」
「そんな悪趣味な冗談吐くわけ無いでしょ。後で聞いた話だと発見とされた時は私もあんたも意識が朦朧としてたみたいでさ。特にあんたは酷い熱で、意識が戻らなくてずっと入院してて……」
メイは比較的早く意識が戻ったのだが、問題は僕の方だった。意識が戻ったのは夏休みが終わってしばらくしてからだという。
「流石に私も責任感じたわね。そんな状況だから、井頭も宿題どころじゃ無かったし。結局発表はお流れ。そのせいでみんな余計に井頭のこと嫌ってたわね」
メイは妙にしみじみとしつつ、脱線したことを思い出したのか、話を戻した。
「んで、その田舎で出会ったのがミヤコちゃん。不思議な子だったわよね。和服着ててさ。私はそんなに和服に詳しいわけじゃないけど、今から思い出しても結構いい生地使ってたように思う。髪の毛も長くて艶々しててさ。もう、日本人形の滅茶苦茶かわいいバージョンって感じ。田舎ってこういう子がいたりするんだーって感動したものよ」
旅行先で出会った不思議な少女と、メイはすぐさま仲良くなった。その少女———ミヤコと名乗った———が村の中を案内してくれたのだという。
「……どうかしら」
「なに?」
「私は確かにミヤコちゃんのこと好きだった。かわいいし、なんていうか旅っていう非日常の象徴みたいな感じがあってさ。家のことも煩わしい学校のことも何も考えずに、ただ都ちゃんと仲良くしてれば良かったから……でも、私からすればフーの方がよほどミヤコちゃんと仲良くしてたように思えるわ」
メイのその言葉に僕は答えようが無かった。
いくら彼女が思い出を語ってくれても、僕にはその記憶が混乱の元にしかなっていない。
ともかく、メイから見た少女はかわいいし良い子なのだが、少しついて行けない部分があったのだという。
「私は、そうね。今もそうだけど、ゴウリシュギシャっていうの?そういう気があるのよね。だから彼女がいう、なんていうの?お化けがどうとか、幽霊が、霊能力がって話がどうにも馴染めなかった。結局、そんなのは無いじゃんって。でもフーはミヤコちゃんの言うことを疑わなかったじゃん?」
そういうことらしい。
ともかく、メイと僕と、その少女。三人は村に滞在する間、色々なところを駆け回って遊んだり、自然の色濃く残る山や川、野原を駆け回った。
まるでゲームか、アニメか小説か。
そういう、もはや戯画化されたものにしか残っていないような夏休みを過ごすことが出来たのだという。
そんなある日、少女がこう言い出した。
”山には女の子の遺体が埋まっている”
物騒な言葉にメイはぎょっとしたのを覚えているという。幽霊や化け物やら妖怪の話なら合理的判断を下せるが、遺体となるとそうも行かない。
少女はよりにもよってその遺体を探し出しに行こう、と提案したらしい。メイはその行動に、子供ながらに不謹慎さを感じた。同時にジュブナイル作品の冒険のようで、この上ない魅力も感じていた。
結局、僕たちはその山に遺体を探しに冒険に出たのだという。それがすべての間違いの始まりだった。山で遊んでいる内に僕とメイは遭難した。ミヤコともいつの間にかはぐれてしまった。やがて疲労困憊で僕とメイは意識を失い、気がついた時には病院に保護されていたという。
「……ねぇ、フー」
「うん」
「やっぱりまだ思い出せない?」
彼女は何か、自身を失ったかのような弱気な声音でそういった。僕はどう返すべきか分からなかった。僕の傍らにミヤコという守護霊が見えるということと、彼女の語る話。この二つの関係にどういう解釈をするべきなのかが、やはり分からなかったからだ。
メイは僕がミヤコのことを忘れている、という前提で話を続けた。
「私さ、やっぱり今でも妖怪がどうだとか遺体がどうだとかは信じられないんだけど。でもあの山に何かがあって、そのせいでフーもミヤコちゃんも倒れちゃったんじゃ無いかって思うの。具体的にそれが何かって言われると困るんだけど……」
分からないなりに、何通りかの解釈は思いつく。
例えば当時のメイに霊視能力のようなものがあって、ミヤコという霊を二人で見ていた可能性。
あるいは僕とメイが霊であるミヤコと出会い、そこから僕とミヤコの奇妙な関係が始まったという可能性。
———あるいは。
あるいは、その山に埋まっている遺体とやらがミヤコのもので、僕たちは彼女に誘われて山に入った。そして意識を失い、なぜか僕に取り憑く背後霊となった、という可能性。 いずれにしても、僕の傍にいるミヤコとその少女には何らかの関わりがある。同一人物と考えるのが自然だろう。
僕はどうするべきなのだろう。
ミヤコはもはや日常の一部だ。いつからそうなのか覚えていないくらい昔から一緒だった。そういうものだ、と受け入れていた。だがメイの話を聞くと、僕が彼女との始まりを覚えていないことには何らかの理由があるような気がしてくる。悪しきことなのか、良いことなのか。それを解き明かすこと自体に意味があるのか。それは分からないけども。
「メイ」
僕が呼ぶと、メイは顔を上げた。
「教えて欲しいんだ。その親戚のいる田舎ってどこなの?」
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