第14話 樺太を知る
稚内駅の手前で筆者はバスを降りた。向かったのは稚内樺太記念館。最北と言いつつ最北でない特殊な地、稚内。この地において、真の最北と言える樺太がどのような位置づけなのか見ておきたいと思ったのである。
樺太という地を筆者が強く意識したのは、終戦直後の真岡郵便局を描いたドラマを、十年以上前に新聞のテレビ欄で見た時である。ポツダム宣言受諾後も侵攻を続けるソ連軍が迫る中、最後まで電話交換業務を続けた職員を描いたドラマであったらしい。結局その番組を見ることはなかったけれど、それ以来、樺太は筆者にとってちょっと意識する地であり続けた。
記念館では、日本人の手によって着々と開拓が進む様子が伺えたが、その後の歴史を思うと、なかなか複雑な気分になった。結局予定していたよりじっくりと見学してしまったが、後悔はしていない。
再びバスに乗り、筆者はまたも岬に向かった。今度の行き先はノシャップ岬、およそ二十分で到着である。恥ずかしながら、乗る直前までノシャップ岬と
宗谷岬とは別の観点からではあるが、このノシャップ岬においても、稚内が北限近くの都市であるということを強く感じた。海岸には漁船が並ぶ一方、後ろを振り返ると薄緑色の自衛隊の施設が並んでいたからだ。海岸からそう遠くない山の頂上付近に、どうもレーダーやらパラボラアンテナらしき設備が北を向いて立っている。道中では特段の厳戒態勢は見当たらなかったけれど、国境に近いが故の特別な事情を垣間見た瞬間だった。
稚内駅に戻り、北の防波堤へ向かった。稚内に行ったら外せない場所、北防波堤ドームである。蒲鉾を二等分したような形状を持つこの防波堤は、樺太まで走る鉄道連絡船を守るため昭和初期に造られた。樺太の繁栄を色濃く遺すこの建物は、現在の視点から見ても美しい一方で、何か物悲しいようにも筆者は感じた。と同時に、すぐ隣では海上保安庁の船が出発の準備をしており、波や風雪から船舶を守るという本来の役目を今もなお果たしていることに、感慨深くもなった。
帰りの列車まで時間があったのでついでに国際旅客ターミナルにも寄ってみたが、全く営業していないようだった。船は留まっているのにと思ったが、このコロナ禍では致し方ないのだろう。(なお本稿執筆時に調べてみると、どうもコロナ以前から休止しているようだった)
国境がすぐ近くに存在することを、この一日全体を通して強く意識させられた地、それが筆者にとっての稚内であった。
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