第13話 宗谷岬

 翌十二月三十日。午前七時頃、筆者は目覚めた。眠たいけれどこのホテル自慢の海鮮丼を食べねば。

 食堂には十五人程がいた。そこそこ宿泊客がいるようで、そうだホテルとはこういうものだった、と懐かしくなった。まだ流行病が現れる前の、自由な頃の記憶。……もう遠くなってしまったけれど。いずれ起きるであろう再流行を思いつつも、つかの間の幻影を見ることができた。バイキング形式の朝食も、前に見たのはいつだったろう。次に見られるのはいつになるだろう。


 さて宿の自慢の一つ、海鮮丼をさっそく食べることにした。無論取り放題である。あるだけの食材をふんだんに盛り、鮭やイクラや蟹や帆立や甘エビ……ありとあらゆる海の幸が満載の、それはそれは豪華な一品に仕立てた。その他にも朝食バイキングの定番どころは一式揃っていたから、筆者は右の端から左の端まで全種類食べてしまった。カロリーオーバーな気がするが、旅先だもの。今をまず楽しまねば。


 と、のんびりまったり海の幸を満喫していると、出発の時間が来てしまった。ご飯を食べただけなのにどうして。

 散乱した荷物やら何やらをまとめつつ、まだいけるまだいける、などと言ってるうちにバスの時間が迫ってきた。とはいえあわてて走ることはせず、氷と化した路面をしっかりと踏みつつ着実に歩き、バス停には発車二分前に到着した。なかなかギリギリである。


 さてこれより向かうのは、今日のメインでありこの旅行最大の目的地、宗谷岬である。言わずと知れた日本最北端の地である。正確には、私人が通常訪れることのできる最北端の地、なのだが……

 暖房がよく効いた車内は、同じく宗谷岬行きと思しき乗客で座席のほとんどが埋まった。初めは外の雪景色を楽しんでいたのだが、これだけの人数と温度差である、だんだん曇って見えなくなってきた。周りが見えないまま揺られるのはどうも筆者のしょうに合わないようで、途中からうとうとしてしまった。


 五十分程乗り、宗谷岬に到着した。ほとんどの乗客を下ろすと、バスは浜頓別はまとんべつ、その先の音威子府おといねっぷへ向かって去った。辺りはほとんどが雪に覆われた真っ白な世界である。けれどいくつかの建物が青や橙で塗られているから、どの辺が道路かぐらいは把握できる。ひょっとして、冬場の視界を考慮して目立つ色に塗ったのだろうか。

 バス停から既に海岸が見え、少し歩くと例の記念碑にたどり着いた。テレビとかでよく見る三角錘みたいなアレである。耳が凍りそうになるほど風が強い中で順番待ちをして、ようやく三角錘の中に入れた。中から海の向こうを覗いたが、どんよりした天気では遠くまでは見えなかった。晴れていれば樺太からふと辺りまで見えるのだろうか。この先にあるべき国土に想いを馳せつつ、記念碑を後にした。


 バスまでまだ時間があるので、裏手の山に登って景色を眺めることにした。ところが登り始めてわずか数秒、筆者は雪との闘いに敗れてしまった。いくら慎重に進もうとも、降り積もった雪は階段から直角度を奪い、どの段も瓦屋根のように傾斜がついてしまった。手すりを頼りに登ると、百メートル程先に折り鶴の頭のような塔が見えた。海岸を向いた嘴が印象的だった。調べてみると大韓航空機撃墜事件の慰霊碑であることが分かり、かつてこのすぐ先にあったソ連という国家の存在を、強く実感した。本当はもっと近づいて見たかったのだけれど、膝まで雪に埋まったためこれ以上の行進は危険と判断して、引き返すことにした。


 折り返しのバスがやって来た。宗谷バスの赤い車体は雪景色でもよく目立つ。これも冬の視認性を念頭に置いたのだろうか。暖房がガンガンに効いた車内は、筆者を暖かく迎え入れてくれた。

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