7
おつまみがなくなってしまった机の上には、ワイングラスだけが置かれている。二本も用意していたのに、あっという間になくなってしまった。
「飲み足りなかったら、コンビニまで買いに行きますかあ?」
自分のろれつの回っていなさに驚いてしまう。
清水さんはとろんとした目を私に向けて、うふふ、とほほ笑んだ。
「これ以上飲んだらダメですよ。田中さん、ろれつ回っていませんよ」
「そういう清水さんだって、ちゃんと話せていないじゃないですかっ」
部屋はアルコールのにおいで充満していた。
お互いに酒には強いほうなはずなのに、頬は赤くなっていて、えへへと不気味に微笑みあっている。
清水さんは眼鏡をはずして、私の目をじいっとにらみつけるように凝視した。
「やっぱり、田中さんはきれいです。私にはまぶしすぎます」
清水さんの瞳にはキョトンとした私の顔が映っている。
「田中さんは私と一緒にいて楽しいと思ってくれているのでしょうか。どうして一緒にいてくれるんですか。笑顔で話してくれるんですか。こんなブスがあなたみたいな素敵な人に相手にされて浮かれている様が面白いんですか。わからないんです。わからないから怖いんです。どんなに楽しいと言ってもらえても、信じられないんです。……何言ってるんでしょうね、私。こんなこと言ったら、田中さんに嫌われてしまう」
ほろほろと瞼の端から涙が零れ落ちていた。
私はその涙を親指で拭ったら、清水さんがぎょっとした目を向けた。
どうやったら清水さんに伝わるのだろう。
どんなふうに言葉を尽くしたら、わかってもらえるのだろう。
清水さんにこんな思いをさせるなら、きれいな顔なんていらなかった。
私が美人じゃなければ、もっと清水さんと楽しい関係を築けたのだろうか。
「私は清水さんのことが好きなんです」
酔っぱらっている頭で答えたものだから、おかしな言葉が飛び出してしまった。
今彼女に告白したかったわけじゃないのに!
また勘違いされるじゃないか。
「それは、どっちの意味ですか?」
「ええーっと……どっちだろう~? 清水さんの想像にお任せしますよっ」
「いやです!」
きっぱりと嫌だと清水さんが言い張るものだから、気圧されて言葉が出てこなくなってしまった。
充血した目で清水さんは私のことを見つめている。
ここで逃げちゃいけないことは自覚しているが、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
私は清水さんのことを好きだと認めたくないのかもしれない。
どうして私が清水さんのことを好きになるのかわからないのだ。気の所為じゃないだろうか、と思わなくもない。
それ以上に——清水さんの関係がなくなってしまうことが怖い。
好きだと認めてしまったら、恋しているとバレてしまったら、清水さんが私の隣にいてくれなくなるんじゃないだろうか。
「ごめんなさい。今は何も言えません。でも、清水さんのことが大切なのは間違いなくて——わからないんです。私には」
「それは、私も同じです。私も田中さんのことが好きです。ここに呼ばれた時、すごく嬉しくてたまらなかったんです。昨日の夜は眠れなくって、今日はどんな服を着ていこうかって考えて、どんな楽しい話をしようかって、想像していたら、ほとんど眠れませんでした……ごめんなさい。気持ち悪いですね。私なんかが」
なぜだか私も泣いてしまっていた。
ほろほろと溢れる涙は止まらなくて、床に粒が落ちていく。それを見た清水さんはぎょっとした顔をして、「どうしたんですか」とハンカチで私の涙を拭った。
「何で田中さんまで泣いているんですか」
「何でかわかりません。わかんないけど涙が出るんです」
清水さんに今日という日を楽しみに思ってもらえていたことが、たまらなく嬉しかった。
誰かにこんなふうに思ってもらえたことは、初めてかもしれない。
どうでもいい人には好かれるのに、本当に好きな相手には振り向いてもらえなかったから。
「私も今日がとても楽しみだったんです。本当は友達からワインをもらったなんて嘘で、清水さんを呼ぶために嘘をついたんです。このワインもお酒好きな友達とうんうん唸って考えて決めたとっておきのお酒で——私は清水さんが思っているようなきれいな人間じゃないんですよ。こうやって、好きな人を遊びに誘うことすら、嘘をつかないとできないくらい不器用な女なんです」
一度崩れてしまうと虚勢を張ることができなくなってしまう。話すつもりもなかったことまで、清水さんに打ち明けてしまった。
でも、目の前の彼女は一度も眉間に皺をよせたりせず、私の手を優しく包み込んでくれた。
顔を真っ赤にした清水さんは目を伏せた。
「田中さん、可愛すぎますよ」
恥ずかしくていてもたってもいられなくて、心臓がばくばくとうるさくて、正気を保っていられなかった。
いつもなら可愛いと言われてもへっちゃらなのに、どうしちゃったんだろう。
「別に……可愛くありませんよ」
清水さんは手を繋いだまま、そっと雲を抱きしめるみたいに私を抱きしめた。
混乱したままの頭で何が何だかわからなくて、言葉も出てこなかった。
「わ……わたし……」
彼女がごくりと唾を飲む音が聞こえた。
「私と付き合ってくれませんか」
部屋中に清水さんの震えた声が響き渡る。
抱きしめられているから、彼女の鼓動が速くなっているのがわかる。ひょっとしたら、私の心臓の音かもしれないけど。
緊張で頭が真っ白になっていたけれど、断る理由なんて一つもなかった。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします……」
抱きしめられたまま頭を下げると、清水さんは腕を解いて私の顔を見た。
「いいんですか? 本当に私でも」
「し、清水さんがいいんです。好きになっちゃったんですもん……」
「……そんな言い方、反則です」
お互いに「よろしくお願いします」と改めて頭を下げて、その日は解散した。
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