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 なくなってしまえばいいのに、と願ったところで会社も仕事もなくなりはしない。

 飲み会前のどこか落ち着かない雰囲気の社員たちに苛立ちながらも笑顔で働いた。


 私は総務部で何でも屋をさせられている。稟議や押印などの承認処理はもちろん、会社のPR動画やインスタを作成させられたり、しょうもない動画に出演させられていた。広報部がやれよって内容なのに、どうして私がやらなくちゃいけないんだろう。


 とはいえ、残業すればきっちり残業代が出るから多忙な生活も嫌ではなかった。仕事を頑張れば頑張っただけ、給与や賞与に反映されるし、夜にキャバやガールズバーで働いていたころよりかは頑張りがいがある。

 ぼんやりといつも通り仕事をこなしていたら、あっという間に定時になり、飲み会会場へ上司たちと向かうことになった。


 職場から徒歩十五分辺りのチェーン居酒屋が飲み会の会場だ。

 私やさくらが絶対行かないような安居酒屋の食べ飲み放題三千円を頼むくらいなら、もう千円出してまともなところへ飲みに行くもの。

 まずい酒とごはんを食べながら、話したくない相手と話さなくちゃいけないなんて、何の罰ゲームなんだろう。



 総務部と経理、人事のメンバーでの飲み会だから、大広間の座敷席で予約をしていたらしい。四十人は座ることができそうなほど、広々とした空間で居心地が悪い。

 私は一番奥の席で縮こまってやり過ごそうと考えたけれど「田中さん~! 隣に座ってもいい?」と数人の人事の女子たちに囲まれてしまった。


 彼女たちとは時々ランチに出かける程度の仲で、私は一度たりとも彼女たちのことを友達だと思ったことがないのだけれど、彼女たちにとって私は「仲良し」で「友達」らしい。

 こぎれいなオフィスカジュアルを着た彼女たちは、ドリンクメニューを眺めながら「やっぱ、カシオレかなあ」などつぶやいていた。徐々にがやがやし始める広間で、無言でテーブル前に座り込む女性がいた。斜め右側に座った彼女——経理部の清水さんはうつむきがちにテーブル上のおしぼりを手に取った。


「ごめーん、清水さん。そこ後で里奈が座るんだよね。よけてもらってもいい?」

「あ。はい」


 清水さんは顔色ひとつ変えずに、立ち上がって席を移動した。

 指示した佐藤さんは悪びれもせず、再びメニューに目を落とした。

 私は頭の中で考える。この場で「そんな言い方ないんじゃない?」と言ったら、どうなるのだろうか。こんなとき、先輩なら、先のことなんて考えもせず、清水さんをかばうのだろうな。


 でも、私にはできない。


 この会社に身を据えて働くつもりだし、ほどほどの距離感を保って人付き合いをしたいのだ。その関係性を壊したくはない。

 こんな自分が嫌いだ。


 飲み会が始まって、美味しくない酒を喉に流し込みながら、脂っこいコース料理を控えめに胃に詰め込んだ。

 別のテーブルに座っていた小太り中年ハゲ男性の鈴木さんが、私の座っているテーブルにやってきた。


「田中さん~! ちゃんと飲んでるう~? 飲み足りないんじゃないの? 顔赤くないじゃーん」


 すでに顔がゆでだこ状態の鈴木さんは、いつもより倍くらいの声量で唾を飛ばしながら話しかける。

 おじさんのウザ絡みには慣れている。まあ、今は給与が発生していないから、耐えたくないけど。


「あはは。私、酔っても顔に出ないタイプなんですよっ! 実はもうへろへろです~」

「もー! 美月ちゃんはかわいいなあ。お酒はほどほどにしなよ! あ、帰れなくなったらタクシー代出すからさ」

「そんなに飲みませんよお」


 だっる。

 女性社員はキャバ嬢じゃないんだけど? 私は可愛いから酔っている男性社員に何かと絡まれる。それが飲み会が嫌いな理由の一つ。


「うわあ、鈴木、マジきもかったね」

「田中さん大丈夫~?」

「あはは。大丈夫! もう慣れてるから~」

「お、美人の余裕っ!」

「そんなことないよ~」


 おじさん相手よりも女性同士の会話のほうがだるいかもしれない。

 少しでも言葉選びを間違えたら、裏で悪口を叩かれるのだろう。言葉選びと表情作りを間違えたら会社での立場がなくなってしまう。


「ちょっと飲みすぎたかも。お手洗いに行ってくるね」


 耳を突き刺すような喧噪と、アルコールのにおいと、好きでもない人たちのご機嫌取りに疲れた私は、広間を出て、居酒屋内のお手洗いに向かう。

 トイレは男性用と女性用ともに個室トイレが一つだけで、すでに誰かが入っているようだ。

 酒を飲むとトイレが近くなるもんね。と一人で納得していると、案外すぐに鍵が開いた。

 中に入っていたのは清水さんだったらしく、眼鏡越しの目に目が合うと、奥二重の瞳がぱちぱちと瞬きをした。

 清水さんの顔を見ると罪悪感で胸が押しつぶされてしまいそうだった。こんな私にも少しの道徳心が残っていたことに驚愕する。


「さっきはごめんなさい」


 見て見ぬふりを貫くつもりだったのに、なぜか私は頭を下げてしまっていた。

 顔を上げると言葉を失った清水さんは、キョトンとして小首をかしげた。

 その反応を見て、自分がらしくないことをしていることに気が付いた。恥ずかしい。謝るなんてらしくないことをするんじゃなかった。


「どうして謝るんですか? 何か話しましたっけ」

「え、えーっと……忘れてください! 大したことじゃないんで」

「気になりますよ。教えてください」

「ここで話すと長くなっちゃいますしっ、トイレ前で話しているところを誰かに見られたくないでしょう?」

「じゃあ、二人で抜け出しちゃいますか?」


 その一言が聞き間違いかと思って、「え?」と聞き返すと、彼女は頬を桃色に染めて首を横に振った。


「何でもないです。忘れてください」

「二人で抜け出しちゃいますって言いました?」


 照れくさそうに清水さんは肩まで伸びた黒髪を指に巻いた。


「言いましたけど、迷惑ですよね……道連れだなんて」

「抜け出しちゃいましょう! お金だけおいて、さっさと出ていきましょうよ!」


 キョトンとした顔をして、か細い声で「ほんとうに?」と聞いた。

 私はこの飲み会にひどくうんざりしていたものだから、抜け出せる口実があれば何でもよかった。清水さんでも、きっとほかの誰でもよかっただけだった。

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