つまらない恋

橘セロリ

1

 二十五歳の誕生日に私はおばさんになってしまったと落胆した。

 昔は女性のことをクリスマスケーキに例えていたらしい。二十四日に売られるクリスマスケーキは二十五日以降には見向きもされなくなってしまう。その様を女の人生のようだと例えた人は性格が悪いと思うけど、みんなあえて言わないだけで心の中ではそう思っているんじゃないか。

 ガールズバーやキャバのような女を売りにする仕事では、二十五歳を過ぎたらお局扱いをされることも珍しくないし、周りの同年代の異性愛者たちは「将来を考えられる彼氏がいないといき遅れる」と焦っている。


 こうやって達観しているように見えているであろう私——田中美月、二十五歳いき遅れ予備軍は恋人どころか好きな相手すらいない。

 大学生の頃には大好きな人がいたけど、私は無様に振られてしまったのだ。

 一度大恋愛を経験すると人間は弱くなってしまうのだろうか、あれから私は恋愛に対して臆病になってしまった。

 いいな、と思う相手がいても、またあんな身を引き裂かれるような気持ちを味わうかもしれないと思うと、自分から声をかけることができなくなった。


——まあ、好きだと思える相手にすら出会えていないんだけど。

 

 今日は私の誕生日を友達の西園寺さくらが祝ってくれるらしい。

 彼女は大学生時代からの友達で、二か月に一度ほど電話をするくらいの間柄だ。私にはこれくらいの距離感が一番合っているのかもしれない。近すぎるとなぜか関係を壊してしまう。

 待ち合わせは赤ちょうちんが店の前にぶらさがっている焼き鳥屋さんだ。相変わらず、さくらちゃんは私の好みを理解してくれている。


「もう店内にいるわよ」


 スマホのホーム画面に彼女からのメッセージがあったので、私は木製の重たい扉を押した。ぎい、ときしむ音が鳴る。


「いらっしゃいませ」


 呼びかける店員たちが私のことを一瞥して、息を飲む。そして「入る店を間違えたんじゃないの?」と言いたげな視線を一身に浴びた。まあ、いつものこと。


「予約している西園寺の連れなんですけど」

「ああ、いらっしゃいませ。奥のテーブルです」


 カウンターに座っている男性客たちも、私のことを一瞥してうっとりとした表情を浮かべた。


 二十五歳になっても人々の視線は変わらない。

 謙遜せずにいうと、私は美人だ。それは私の母親が私のことをほどほどに可愛く産んでくれたおかげであり、私の努力のたまものでもある。


 店の奥の四人掛けのテーブルにさくらちゃんは座っていた。

 スマホに目を落としていた彼女は、私の顔を見るなり表情が明るくなる。

 西園寺さくらは私よりと同じくらいかそれ以上に美人だ。地毛の金髪は手入れも全然していないらしいのに枝毛一つなく、大きな目と通った鼻筋は普通の日本人では顔に手を加えないと手に入れられない代物だ。


 さくらちゃんと一緒にいるとすごく楽だ。嫉妬をされることはないし、対等に付き合える気がするから。


「お誕生日おめでとう! 美月が好きそうな店をチョイスしてみたのだけれど、ここで良かったかしら?」

「もちろん~! こういう小ぢんまりとしたお店って一人じゃ行きにくくって!」

「あと誕生日プレゼントなんだけれど、何がいいかわからなかったから、アマギフにしたわ。LINEで送っておくわね」


 なんだかんだと付き合いが長いから私のことをよくわかっている。

 ロクシタンのハンドクリームだとか、ラッシュの入浴剤セットのような定番のプレゼントなんて、もらっても困るだけだ。


「じゃあ、とりあえず生で大丈夫かしら」

「私は糖質制限中なのでハイボールにしますっ」

「あ、そうだったわね。すみませーん」


 さくらちゃんは店員を呼びつけて、ドリンクと適当なおつまみを注文した。


 私はたばこの煙臭い店内を見渡しながら、昔のことを思い出す。

 こんな居酒屋に通うようになったのは、あの人の影響だ。

 あの頃はいつもデートで居酒屋ばっかりだったからうんざりしていたけれど、あの人との時間は今とは比べ物にならないほど楽しかった。

 

 二人でとりとめのない会話を交わしていると、生ビールとハイボール、それからポテトサラダとお通しのキャベツがテーブルに並べられた。

 私たちは「乾杯しようか」なんて確認もせず、ジョッキを片手に持つ。


「「かんぱーーーい!!」」


 ジョッキを掲げてすぐさま口をつけた。

 痛いほどの強炭酸がのどを通り過ぎていく感覚がたまらない。

 さくらちゃんは生ビールをごくごくと一気に三分の一は飲んでしまっていた。


「そういえば、さくらちゃんは愛美さんと上手くいっているんですかあ~? 喧嘩してません?」


 愛美さんはさくらちゃんの恋人だ。付き合うまでかなり紆余曲折があったけれど、今じゃラブラブカップル(本人談)らしい。 


「昨日私のプリンを間違えて食べられていて、軽く喧嘩になったけど……それくらいかしら? 仲良くやっているわよ」

「子供みたいな喧嘩しているんですね」


「美月こそ最近はどうなのよ? そろそろいい人は見つからないの?」

「うーん、出会いがないんですよね。会社と自宅を往復しているだけの生活ですもん。言い寄られることはあっても、どーでもいい相手にだけですし。パパ活していたころが懐かしいですよお」

「珍しいわよね。きっちり夜職とパパ活から足洗ったんでしょう? 昼職の給料だけでよくやりくりしているわよね」

「こう見えて節約は得意なんですよっ! 顔のメンテのために賞与は全部貯金していますし」

「すごいわね。私は美月みたいに頑張れないわ~」


 いらっしゃいませ、と威勢の良い声が入口から聞こえる。

 私はポテトサラダを口に入れて、ハイボールで流し込む。


「そういえば、先輩は最近どうしているんですか?」


 さくらちゃんは気まずそうに目線をそらして、ジョッキに口をつけた。

 私が先輩のことを聞くと彼女は決まってばつが悪そうな表情を浮かべる。そりゃそうだろう。さくらちゃんは私がまだ先輩のことを引きずっていることをよくわかっているのだ。


「彼女と仲良くやっているみたいだわ。そろそろこっちに戻ってくるかもしれないと話していたけれど」

「ふうん。生きているんですね」


 すぐに別れてしまうだろうと思っていたのに、案外長く付き合っているらしい。

 あの人はどんどん先に進んでいくのに、私だけ過去にとらわれて取り残されているみたいだ。今でも何気ない瞬間に先輩のことを思い出してしまうし、時々ひょっこりと「ひさしぶりじゃん」と後ろから声をかけてくれるんじゃないかと考えてしまう。そんな日が訪れるわけないとわかっているけど。


「もうそろそろ、萌花のことを忘れたほうがいいんじゃないかしら」

「うるさいですよ!」


 思い出だけはいつもきれいだから、三年経った今も忘れることができない。


 さくらちゃんと楽しく飲んだ帰り道、明日会社の飲み会があったことを思い出した。

 楽しく飲んでいたのに、明日のことを思うと途端に憂鬱になる。仕事なんてなくなってしまえばいいのに。

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