episode7. 美咲の朝帰り

 アロマだろうか。ほのかにオレンジのような良い香りがする。

 心地よい眠気に美咲の思考はゆらゆらと漂った。


 「……アロマ?」


 だがそんな物を買った覚えのない美咲の意識は急に鮮明になった。

 ぼんやりと周囲を見渡すと、そこは全く見覚えのない部屋だった。安価な家具で固められ、ごちゃごちゃに物が散らかる美咲の部屋とは全く違う。シンプルだが高級そうなインテリアで整頓され、広々とした部屋は間接照明で柔らかな空間になっていた。


 「何処ここ……」


 美咲はもそりとベッドから出ようとしたが、あまりにもふかふかなマットに手が埋もれてしまった。

 支えを失った身体はバランスを崩し、ごろりと床に転がってしまう。何だこれはと床に打ち付けた額をさすると、自分が昨日着ていた服のままだった事に気付く。どうやらそのまま寝ていたようですっかりしわくちゃだ。


 「真面目に何処ここ。昨日どうしたんだっけ」


 昨日は壊れたアンドロイドの返却で藤堂小夜子氏の豪邸にお邪魔した。

 そしてそのまま漆原の車で自宅まで送ってもらったはずで――


 「……いや、帰った記憶無いな」


 漆原と会話が続かずぼんやりとしていたのは覚えているが、途中からどうしたかの記憶が無い。

 美咲はハッと何かに気付き、部屋のインテリアをじいっと睨みつける。


 「確実に金持ちの家……」


 美咲は慌てて部屋を出ると、食べ物を調理している音と共に良い香りが漂っていた。

 アロマとは違うその香りに引き寄せられてこそこそと足を向かわせる。ジューッという良い音が聴こえる先を見ると、そこにいたのは美咲が予想した通りの人物だった。

 うわ、と小さく吐き捨てると、それが聴こえたのかその人物はくるりと美咲を振り返った。


 「あ、起きたな」

 「……漆原さん……」

 「よく寝てたな。もう昼だぞ」


 これは朝食ではなく昼食か、と美咲は時計を見るともう十二時を過ぎていた。

 

 「遠出になるから翌日休みの日が良いだろうと思ったけど、正解だったな」

 「あの……私は一体……」 

 「……覚えてねえの?昨日お前――」


 にやり、と漆原は意地悪そうな笑みを浮かべた。


 「まあ知らない方が良い事もある」

 「は!?何ですか!?」

 「飯食う?あ、その前にシャワー使う?」

 「つ、使いません!!!」

 「そのくらいの頭はあるか。でも男と車で二人きりの状況で寝るのもどうかと思うぞ」


 あははと漆原は面白そうに笑った。

 ようやく昨日の事を思い出し、美咲はうわあああ、と頭を抱えてへたり込んでしまう。上司とはいえ異性の部屋で熟睡するとは……とぶつぶつ言いながら自分への呆れと恥ずかしさでぶるぶる震えた。


 「何もしてねえよ。いいからさっさと食え。そんで今度こそ道案内しろよ」

 「え?どこに?」

 「お前の家だよ。さすがにその服で電車は乗れないだろ。送ってやるよ」

 「あ……じゃあ、あの、よろしくお願いします……」

 「ん。ほら、あえず食え。昨日の夜も食ってないんだし腹減ったろ」


 漆原は最初から二人分を作ってくれていたようで、手際よくテーブルにセッティングしてくれる。

 出て来たのはペペロンチーノとミネストローネ、ジャーマンポテト、グリーンサラダ、ヨーグルト、コーヒーというまるでカフェかホテルのランチセットのようだった。


 「……これ全部作ったんですか……?」

 「当たり前だろ」


 当たり前かぁ……と美咲はぼやいた。

 パスタなんてコンビニで買うくらいしかしないし、手作りなんてそれこそカフェ等のお店でしか食べない。作ったとしてもこんな完全なセットを作ったりはしないし、何より美咲は料理ができない。

 美咲はふあ~と間抜けな鳴き声を上げた。


 「頭良くて顔も良くて高級スポーツカー持っててこんな広い部屋に住んでて料理まで完璧とか……」

 「どうも」


 普通は「何て嫌味な人間だ」と思うかもしれないが、そんなレベルでもないなと美咲は嫉妬も何も吹き飛んだ。


 「凄い部屋ですよね。一人暮らしですか?」

 「そうだけど。あ、女がいないか気になる?」

 「いえ全く。それより年収が気になります。ここ家賃いくらですか?」

 「お前は俺に興味あるの?無いの?」

 「側面によりますね」


 少し前の美咲なら漆原の部屋に泊って料理を振る舞ってもらうなんて、発狂するほど喜んだだろう。

 だが今はこれだけのスペックの人間がどうやって生きているのかの方が気になっていた。


 「まあ金は持ってるよ」

 「でしょうよ。けどこんな生活、いくら天才でも新卒二年目の給料じゃ無理でしょう」

 「たりめーだ。俺は副業の収入がいいんだよ」

 「副業?アンドロイドファッションの子会社ですか?」

 「違うよ。美作関係無く俺個人でやってる」

 「そうなんですか!?何やってるんですか!?あ、芸能活動!?」


 漆原朔也といえばそのルックスも大きな話題だ。

 それは今でも続いていて、アンドロイド関係の番組への出演も多い。美作の広告塔のような役割にもなっているのでその収入があってもおかしくない。


 「出演は会社員としてなの。給料内だよ」

 「ゲ。めっちゃ嫌ですね」

 「本当だよ。時間ばっか取られていい迷惑だ」


 そうなんだ、と美咲は少し意外に思った。

 テレビやインタビュー、グラビアで見る漆原朔也は相当ノリノリでやっているように見えていたからだ。いつもにこやかで人当たりも良く、喜怒哀楽問わず露骨な感情を表に出す事もない。

 だが給料内となれば、研究の時間を削られ残業になるだけという事だ。心底嫌そうな顔をしているのを見て、この人も人間なんだな、と美咲は親近感を感じた。


 「だから効率よく副業をするわけだが、最も儲かる仕事って何だと思う?」

 「何ですか急に。収入上位はアンドロイドメンテナンス関連ですよね」


 アンドロイド自体よりもそのメンテナンスの需要の方が高い。

 メンテナンスは月に一度行う事を推奨されているのだが、サービス内容に差はあるが一回五万円前後だ。故障していたら修理になるわけだが、三か月もすれば指先の人工皮膚が摩耗しているケースが多いのでパーツ交換も多い。しかも富裕層は細々としたアクセサリー用品を買う人間も多く、結果年間で百万近くを消費する。

 そしてメンテナンス企業は一般家電も取り扱う。むしろ一般家電量販店がアンドロイドメンテナンスサービスを行う店舗が多くなっているので総合的な収入は圧倒的に高いのだ


 「ん。じゃあ最も利益率が良いのは?」

 「利益率?金額じゃなくてですか?」

 「アンドロイドメンテナンスってのは大変だから高額支払いなんだ。その分技術も資材も人員も必要だろ?出て行く金も多いんだ。じゃあ出て行く金が一番少ない業種は何だと思う?」

 「えー……自営業?」

 「五割だな。正解はコンサルタントだ」


 コンサルタントは知識を与える仕事だ。

 元手になるのは自分の脳とパソコン一台。それさえあれば動かずに口を動かすだけで収入になる。

 とはいえ、それを高収入に繋げるためには個人が企業を率いるくらいの知識と説得力と実績が必要になる。


 「俺がやってるのはそれのミニマム。学生を対象にやってるんだけど、何だと思う?」


 漆原が個人で行い高額に繋がる知識なんて一つしかない。


 「……まさかアンドロイド関連の家庭教師……?」

 「正解。開発者として成功を目指す富裕層のご子息ご令嬢だ」

 「なるほど……天下の漆原朔也が見てくれるならお金払うわ……。ちなみに生徒は女の子ばかりでは?」

 「ご名答。ようするに目当ては勉強だけじゃないってこった」


 自分で言うか、と美咲は呆れ果てた。だがこれを知っていたらきっと自分も家庭教師を頼んでいただろうとも思った。


 「それヤバい事になったりしないんですか?」

 「紹介必須でオンラインのみ。連絡は親も閲覧権限がある専用のウェブ上のみ。支払いは指定口座へ振り込み」

 「完璧ですね……」


 娘と二人きりなんて親は嫌がりそうだが漆原朔也ならウェルカムだろう。

 だがそれを防ぐならプライベートのやり取りをしなければよい。これなら居場所も分からないし親の目が届かない場所であれやこれやをする事なんてまずできない。

 居場所が分からなければ漆原朔也は一般人にとって雲上人だ。


 「本来なら有料の指導をタダで受けられたんだから感謝しろよ」

 「インターンを指導するのは漆原さんの業務では?」

 「可愛くねえな」

 「それはどうも」


 そんなこんなで、楽しくお昼をぺろりと平らげると、漆原は地下駐車場へと美咲を連れて行った。

 するとそこを見て美咲はまた驚いた。


 「……これ全部漆原さんの車で?」

 「そうだよ。今日はこっち」


 昨日のスポーツカーとは別の車が三台停まっている。セダンとクーペ、それにこじんまりとしたコンパクトカーだ。

 用途別なのは分かるが、必要か?と美咲はじとっと漆原を睨んだが、漆原はその視線をさらりとかわしてコンパクトカーのロックを解除した。


 「ほら、乗れ」

 「このお車は何千万で?」

 「そんなするか。五百万くらいだよ。さっさと乗れ」

 「ごっ……」


 大した事無いように言われ、生きてる次元が違う、と美咲は表情を失った。


 漆原の自宅から三十分ほど走り、ようやく美咲は自宅に到着した。


 「有難うございました」

 「どーいたしまして。あ、会社で余計な事言うなよ。間違っても俺の家から朝帰りしたとか言うな」

 「言いませんよ!」


 言ったとて問題になるのはおそらく美咲だけだ。

 漆原ほどのポジションにいる人間は何があってもいいとこ厳重注意で終わる。インターンを連れ込んだ程度の噂を理由に手放して良い人材ではない。だが美咲はインターンだ。どちらかを罰してカタを付けるのなら美咲を辞めさせればいいだけだ。

 まったく、と美咲がいらいらしてると、ピピピ、と電話の受信音が聞こえて来た。スマホのモニターを見るとそこには母の名が表示されていた。


 「お母さんだ。どうしたんだろ」

 「男と一夜を共にして朝帰りしたところです、とか言うなよ」

 「言わないですってば!!ていうかわざわざ誤解を生む言い方しないで下さい!!」

 「電話切れるぞ」

 「分かってます!どうも有難う御座いました失礼します!もしもし!」


 美咲は怒りのままに背を向け、どすどすとマンションへと向かっていった。

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