episode8. 祖父との衝突

 「はいもしもし!!!」

 『やだ~、どうしたのぉ?怒ってるの~?』


 怒り任せな美咲の声に驚いて、美咲の母はのろのろとした口調ながら驚いた。


 「あ、ううん。ごめん。どしたの?」

 『あのね、お母さんお片付け中に骨折しちゃってね、ちょっとお手伝いに来てくれないかしら~』

 「骨折!?」

 『大した事無いのよ。でも不便でね、来てもらえると助かるんだけどな~』

 「すぐ行くよ!一時間、あ~……二時間以内には行くから!」


 美咲は漆原がまだ後ろにいるのに気付かず大慌てで部屋へ駆け込んだ。

 しわくちゃの服を着替えて実家へ向かおうと思ったが、実家までは少し距離がある。二時間はかからないが電車なら一時間半はかかるだろう。


 「これなら漆原さんの家から行った方が速かったよー!タイミング悪い!」

 「なら乗っけてやろうか」

 「え!?あれ!?まだいたんですか!?」

 「骨折って言ってたから親のとこ行くだろうと思って。家どこ?」

 「……川崎の方です。あの、いいんですか?」

 「帰るついでだよ。ほら、乗れ」

 「は、はい!有難う御座います!!」


 そして、漆原は本当に美咲の実家まで送り届けてくれた。

 美咲は漆原の自宅前で降ろしてくれればそれでも十分だったのだが、ついでだと言ってここまで連れて来てくれた。


 「でっか!おま、こんな家住んでたの!?お前こそお嬢様じゃん!!」

 「お祖父ちゃんが建てたんでうちのお金じゃないですよ。あの、本当に有難う御座いました!」

 「どーいたしまして。ああ、付き添い必要なら無理して出社しなくていいからな」

 「はい!有難う御座います!」


 美咲はぺこっと頭を下げると、お母さん、と叫びながら家に飛び込んで行った。中には母と思しき女性の姿が見えて、漆原はほっと一息ついた。

 見つかる前に帰ろうと車へ戻ろうとした時、ふと久世家の表札が目に入った。黒い御影石の浮かし彫りで重厚感があり、歴史を感じる家に相応しい。


 「久世裕太、香織。それと久世大河……」


 ふうん、と眺めると漆原はようやく自宅へと戻って行った。


*


 「お母さん!!」

 「あらやだ、本当に来てくれたの~」

 「ちょっと、骨折ってどうし」


 美咲が母に駆け寄ると、同時に家の奥から男二人の怒号が飛び交っているのが聴こえて来た。

 母はあらまあ、とのほほんとしているが困ったように笑い、静かにね、と美咲を連れてりびんぐをちらりと覗いた。


 「どんな理由だろうが暴力を振るって良い理由にはならないだろ!」

 「嫁風情が勝手な事をするのが悪い」

 「その嫁に世話をされてるくせに何を偉そうに!」

 「嫁が嫁ぎ先のために働くのは当然だ。そのくせ外で仕事なんぞしおって」

 「時代錯誤もいい加減にしろ!父さんがどんな価値観持とうが勝手だ。だが謝罪しないのなら傷害罪で訴える!」


 喧嘩しているのは美咲の父と祖父だった。

 父は顔を真っ赤に憤慨しているが、祖父は座卓で腰かけたままぴくりとも動こうとしない。それどころかのん気にお茶を啜っていた。


 「障害って、まさかこの怪我お祖父ちゃんがやったの!?」

 「うーん。でもお母さんが勝手に捨てたのもいけな」

 「ちょっとお祖父ちゃん!どういう事よ!」

 「あらあら、美咲ちゃんまで」


 事情を知っては大人しくなどできるわけもなく、美咲はガンガンと足を踏み鳴らして声を張り上げ父に並んだ。


 「どういう事よ!!」

 「……会社を辞めるまで帰って来るなと言ったはずだが」

 「私の人生をお祖父ちゃんに決められる覚え無いわよ!」

 「成人したばかりの子供が己を見極められるわけがない。レールを敷いてもらえる事に感謝するんだな」

 「今時アンドロイド毛嫌いとか馬鹿みたい。自分が嫌いだからって人にもそれを押し付けるとか最低!」


 美咲の祖父はアンドロイドが嫌いで、それを好んで大学まで選んだ美咲を罵倒し続けてきた。

 その上母には暴力を振るったともなれば美咲も折れるつもりはない。祖父に罵声で返したが、アンドロイド、と聞いた途端に祖父は立ち上がり美咲に手を上げた。そしてそれは美咲の頬を強く殴り、その勢いで転んで戸棚に頭をぶつけてしまった。


 「美咲!!」

 「美咲ちゃん!!」

 「……父さん!!」

 「ふん。軟弱者が」


 父が美咲を抱き起こすと美咲の額にはだらりと血が流れていて、母は顔を真っ青にしていた。けれど祖父は驚く事も慌てる事も無く、ただ不愉快そうに居間を出ていった。

 父は声を上げて追いかけて行ったが、母は救急箱を持って美咲に駆け寄り手当をしてくれた。傷は対したことではなかったようで、大きめの絆創膏をぺたりと貼っておけば大丈夫なようだった。


 「クソジジイめ~」

 「お祖父ちゃんの事はお父さんに任せましょ。それよりあっちのお片付け手伝ってちょうだい」

 「何片付けてたの?」

 「あの辺の棚を整理してたんだけどね」


 母に連れられて行った先では荷物が散乱していた。

 ここで母と祖父はもみ合ったのだろうか、棚に入っていたであろう物が床に散らばっている。

 一体何がそんなに気に食わなかったのか美咲には分からないが、落ちているのはどれも大した事の無い物に見える。


 「この辺は写真?随分古いけど……」


 それはすっかり黄色く変色していて、明らかに古い時代の物だと分かる。

 映っているのは険しい顔つきをした若い男と女性、それに小さな男の子だ。何枚もあるが、どれも映っているのはその三人だった。


 「……これってお祖父ちゃんとお父さんと……もしかしてお祖母ちゃん?」

 「ん~?どうかしら。そうかしら。結婚した時もうお亡くなりになってたから分からないわ~」

 「お祖父ちゃんもお父さんもお祖母ちゃんの話ってしないもんね」


 美咲の祖母は生まれた時既に他界しており、美咲は全く知らない。何しろこの家には写真や動画が全くと言っていいほど残っていないからだ。

 アンドロイドを受け入れない人間は少なからずいるが、だからといってデジタルを嫌う事には直結しない。実際美咲の祖父はパソコンを使うしスマホも使う。一昔前の古い型から変えようとしないが、それでも使う事は使うから記録が残らないなんて事はないだろう。

 それなのに、どういう訳か美咲は祖母の情報を与えてはもらえなかった。

 女性と子供の頃の父が映っている写真を一枚拾って何とは無しに裏返すと、そこにインクで文字が書かれていた。


 「裕太、裕子……」


 写真は誕生日祝いの場面のようで、気まずそうな顔をした裕太少年と笑顔で寄り添う女性の姿があった。

 顔立ちはあまり似ていないが、その名前は血縁者である事を思わせる。


 「お祖母ちゃんだ……」


 ふんわりと柔らかく微笑む祖母はとても優しそうで、幸せな家庭である事が伝わって来た。

 けれどその日、祖父の怒号と父の口汚い罵り合いは止む事が無かった。

 

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