Tout, tout pour ma chérie,
夜、コナーが眠りについてから厚手のニットカーディガンを羽織ってバルコニーに出た。
夜風は冷たいけれど、僕にはちょうどいい。バルコニーの手すりに腰掛けた。普段は危ないから止めろと言われてるけど、4階くらいなら万が一落ちたところで着地できるし、ここは街灯も少なくてちょうど影だ。下の細い道には車も人もいない。
満月が遠くから僕を見ていた。
月の前をすばやい影が通り過ぎた。
耳をぴんと立てて、音を探す。
影は急降下してきて、僕の前で止まった。
「ショコラ」
影が、にやっと笑う。
彼女の癖で、口角が斜めになるから悪巧みしているような表情になることが多い。
「またそんなところに座って。退屈か?」
「毎日楽しいよ。でもショコラもいないし、旅はお預けだ。物足りないかもね」
ショコラは鼻先で笑って、手を差し出した。
僕はその手を取って、箒の後ろに飛び乗った。
はじめてパリにやってきて以来だな、とショコラの腰に右手を回す。
すると、一気に空高く飛び立った。
あたりは静かで、部屋の灯りもまちまちに点いていたりするが大半の人々は就寝中だ。
ちょうど24:00になった。
時計塔が今日の最後の鐘を鳴らす。
街を見下ろして、風をきるのが心地よい。
夜のほうが心が弾む。暗くてもはっきりと、河川の流れまで見えるこの目があってよかった。
ショコラに体を寄せて、ぎゅっと両手で抱きしめた。
「なんだよ、苦しい」
「すきだなぁと思って」
ショコラはため息をついているけれど、体が火照ってくるから照れているんだろう。
白く透けるような髪が、夜空に反射して青だったり紫だったり魔法の絹のようできれいだ。
彼女にとって体なんて「器」でしかなくて、敵を欺くのであれば「かよわい小娘」に見えるほうが得だからと言う。千年を乗り越えてきた強さを感じる、不思議な人だ。
「ねえ、お迎えにきたの何か意味があるんでしょ」
「……どこか人気のないところで話したい」
ちょうど下界に人気のない噴水のあるこざっぱりした公園があるのを見つけ、彼女に伝えた。
僕らを乗せた箒はスーッと空を斜めに、たっぷり旋回しながら降りていった。
誰もいない噴水が白色に光るだけで、あたりは住宅街ともあって静かだった。
外灯はちょうどベンチの側にたっていて、公園全体も明るかった。
しばらく噴水の流れる音が響いていて、僕らは黙ってベンチに座っていた。
ショコラが話すタイミングをみているのだ。
公園の外に止まっていたタクシーが走り出す音がした。
すぅ、と息を吸う音が聴こえた。
「ノアール。実は、邪悪なものがすぐそこまで迫ってきてる。あたしとドルフがいれば、きっと心配はいらない。魔法使いの世界大戦でも一番活躍していたのは彼だからな。とはいえ、今回は市民も、お前たちも近くにいる。どうしたら守りきれるかと。以前のときは人のいない高次空間だったが市街地戦はあたしもはじめての経験だ」
「そのときの魔法使いの仲間は? まさかふたりで戦ったわけじゃないでしょ」
ショコラは少し不機嫌な表情をして、足を組み、その上に肘をおいて手の甲に顎をのせる。
ため息が聞こえた。
「今、世界があちらこちらで混乱している。それぞれの国でそれぞれの役割をもつ魔法使いが治安維持をしているが間に合ってないのが現状だ。魔法界も限界だ。我々も自分たちの周囲で手一杯。だれも助けになどこないだろう」
ショコラは遠くを見るようなぼんやりとした目付きになる。
「それでだ、愚かな策とは思ったが異世界の魂を引き継ぐウィリアムにスミスが声をかけた。当然ウィリアムはなにも知らない。ただ純粋に生まれ、生きてきたひとりの人間だからな。その体になんの因果か別の魂を宿していた。何もなければ、生涯気が付かずにいたはずの存在だ。
もちろん、魔法にかける許可は得ている。裁判になっても合法・合意の手続きだ。スミスは抜かりない。しかしながら、肉体は人間である以上傷つくだろうし、魔法使いでもない。精神の混濁がおきないとも限らない。あの中の「かつての狂人ブラン」が他人の体をうまく使役できるかが鍵になる。幸い剣の腕は鈍っていないようだった」
「つまり、戦う人員として呼び出したってこと?」
ショコラはうつむいた。
「他に手段がなかった」
組んだ足と肘つきを解いて、そして僕のほうに膝を向けた。
「ノアール、お前は戦うな。とにかく逃げるか、防ぐかしながら私の作戦の補助をしてほしい」
「僕にできることなら」
ショコラはまた顔を赤らめて、瞳が揺れてくるが、いつもならこのあたりで目を反らすのに、じっと僕の瞳を捕らえている。
「ノアール、好きだ」
僕がずっと聞きたかった返事だった。
「僕もショコラが好きだよ」
手を握ろうとしたとき、ふいにネクタイを勢いよく引っ張られた。
「 口を開けろ 」
僕は自然と前かがみの体勢になり、口を半分くらい開けた。
気がついたときには、僕らは唇をあわせていた。
彼女の唇は熱くなっているのを感じ、
次には口を経由して僕の口内をなにかが通る不思議な感覚があった。
苦しくもないし、痛くもない。
熱いものを飲み込むと喉から弾けるように全身に走っていく。
手先や足先までくると少し痺れるようでもあった。その痺れがくる頃には彼女が僕の手を繋いでいて、僕のほうから彼女になにかがまた伝っていく。
やがて痺れはなくなっていった。
唇をそっと離したショコラは目を反らして照れているようだった。
僕は反らしたショコラの顔に手を添えて、触れるだけのキスをした。
「だらしない顔をしてるな、お前」
「君こそ」
ショコラは軽く僕の腕を叩いた。
あまりにもいとおしくなって、小さな体を両腕で包みこむように抱きしめた。
「か、勘違いすんなよ…」
僕の胸の中で小さな声で顔を伏せて言った。
「守ってくれてありがとう。今度は僕が君の力になりたい」
異世界から脱出したときも、僕がまだ掌の大きさの黒猫だったときも。
いつだって近くにいてくれたのはショコラだ。
僕のたいせつな人。
とてもあたたかい。
居心地がよくて時間を忘れそう。
「その…まだ他人には言うなよ。色々厄介だから…ドルフにはゆくゆく話す。時間はだいぶかかると思うけど」
僕はふふ、と笑った。
「そんな形式とか枠組みはいらないよ。君とどんな形であれ、心は君と共に」
「は、キザな奴。聞いてるほうが恥ずかしい…」
ショコラが体を離したそうだったので、組んだ手を外した。
「それで話は変わるが、ここからが本題で…お前に、魔法を渡した。とはいえ、継承手続なしの直接補給だからどこまで魔法が使えるか、順応するのか不明だ」
髪の毛が逆立ってゾワゾワする感覚になる。
「魔法が使えるの!」
「そうだ、お前のやりたいことを叶える素晴らしい魔法だ」
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