空から金貨

待機してます。とは伝えたものの、あのスミスさんとご一緒ということだし、テムズ川沿いにあるパブのVIP用のバルコニー席で会食ということだから、ビルの身の安全は保障されている……というものの、どうしても気になって仕方がない。

 僕は誰もいない家の1階のリビングで、そわそわと机のまわりを歩きまわっていた。

すると突然、うちの庭からクラクションが2回鳴るのが聞こえた。


思わず声をあげて飛び上がった!


来客かと慌てて玄関の覗き穴から外を覗いたところ、タクシーがライトをつけたまま停まっていた。

僕は追加の呼び出しコールはしていない。

不審者なら通報と思ったが、運転手らしき人が車内から降りてきて、玄関まで勢いよくずかずかと歩いてきたので、とっさに穴から顔を離した。

彼はドアを大きく叩いた。

「ディラン様のお宅ですか? パブ・ルビーまでのご送迎に参りました」

不審者かもしれないけれど、ウィリアムの予定を知ってるという疑問のほうが勝り、思わず玄関の扉をあけてしまった。

暴漢だったら暴行、略奪や銃殺されてしまうかもしれないのに。

目の前にいる人は初老くらいの年齢にみえ、セーターにデニムのラフなスタイルで清潔感のある雰囲気の男性だった。

「驚かせたみたいでわるいな。おらぁ、スミスんとこでも送迎を担当してるタクシー運転手でよ。昨日からこっちにいるもんだから、ウィリアム様のご送迎もと依頼されたんだ」

彼の言葉は訛りがつよい発音だが、どこか懐かしいきもちにもなる。僕の故郷のほうの言葉遣いに似ている。

「ありがとうございます。しかしウィリアムはパブに到着している時間なので、不在にしております。どういう行き違いなのでしょう…」

彼は大きな声で笑った。

「というのは建前で、君がディランくんか! 社交場でそんなに場数踏んでないんだろう。今夜は俺がこっそりパブに連れていってやるから、見学のツアーなどはいかがかなと」

たしかに僕はごく普通に生きてきて、ちいさな音楽フェスや小さなライブハウスに行ったことがあるくらいで、クラブやパブは怖くて、高校の仲間たちともまだ行ったことがない。

でもそれをなぜ、このおじいさんが?

「まぁ悪いことはしない。タクシー代はスミス社もちだから心配いらねぇ! 

さぁ、乗った!」

僕の背中をグイグイ押して、タクシーの後部座席までなかば強引に詰め込まれた。

そうこうしているうちに、車は動き出す。

田舎道でガタガタ揺れる車に乗って、車窓からぼんやりと夜空をみあげていた。

ああ、そういえば故郷からロンドンに来るまでに電車代が惜しくて途中まで父の車で送ってもらったことがあった。

また中学校を卒業したばかりで、なにもわからないまま寮の生活が始まってしまったから、勉強も生活も規律が厳しくて、自分の時間がとれずに、ずいぶん実家とは疎遠になっていた。ようやく学業が落ち着いてきたところで、訳のわからない疫病騒ぎとなった。

本当に、ここまで、あっという間だった。

感染の疑いのための隔離期間もなにをしていたか(厳密には勉強したり、読者したりしてたのだけど)あまりよく思い出せない。 ただただ、病気になったらどうしようという得体のしれないものと戦いに疲弊していた。

そこで出逢ったウィリアム。

本当に奇跡で、僕にとっての神さまみたいな存在。

「ディランくん、あの美人さんとは仲良く暮らせてるのかい」

ドライバーはバックミラー越しに僕をちらりと見た。

「ええ、まあ」

「本当にあのときのニュースには驚いたよ。記者会見が終わったと思ったら、収監されて、そうかと思えば収容所にデモ隊が集まってきて、市長が緊急の会見を開いて誤収監したと謝罪ときたもんだ。一体なにが起きたのか、いまだに整理がつかねぇんだ。お前さんらがなんか裏回したのか?」

 僕は首を振った。

「ウィリアムがただ一言、刑務所へ、と世界に呟いただけです」

ドライバーは深くため息をついた。

「それだけであれだけ人が動くのか、すげえ奴というか、愛されているというか」

「はい。僕も正直、いまだに不思議です」

 ウィリアムは力がありすぎると、嘆いていた。

 それでも、僕からみた彼はスーパースターでもあるけれど、個性的で、どこかにいそうな青年のうちのひとりだ。

刑務所から出てからはしばらくパパラッチに追いかけられていたが、その後すぐに事務所を退所することで、事務所の人が法的に訴えてくれた。おかげで今の平穏な暮らしができている。

すべてを失った状況のなか、記者会見のときに着ていたドレスのブランドから電話があり、専属モデルとしての依頼が舞い込んできた。あの会見の様子をみたデザイナーが感動のあまり、同じコンセプトラインでコレクション・ショーを開催したいという。

その繋がりで、フランスで有名な販売店Aスミスのオーナー、サー・ドルフ・スミスと出会うことになる。

いやはや。

一般人の僕にはなにがなんだかわからないけど、こういうのが空から金貨がわんさか降ってくるっていうんだろうな。なんて幸運の持ち主。

そして僕もその硬貨をほんの少しわけてもらって。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る