4、獺祭


◆獺祭



 断捨離決意から、数日。

 世の中はバレンタインで浮かれぎみ。

 視界に入る色はピンクやチョコ色が多くなった。イベント事に盛り上がるのは食品売り場だけでなく、書店もちゃっかりあやかる。恋愛モンとか、お菓子作りのレシピ本とかがピックアップされている。イベントがやってくるとポップの制作がメンドーな事この上ない。仕事じゃなかったら絶対投げ出してる。

「痛っ」

 カウンター内で作業していると、紙で指の外側を切ってしまった。乾燥する季節柄よくある。ハンドクリーム、買わなきゃ。

 ふとアンナとのLIMEのやりとりを思い出した。

 捨てるのもそうだけど、増やす癖もどうにかすんだぞ————。

 バンドクリーム、もしかしたらどこかにあるかもしれない。帰ったら探そう。

「小深山さん、指切ってしまったんですか? コレ使ってください。試供品ですけど、下の店で貰えたので」

「え、ありがとうございます」

 平目さんが飾らない仕草であたしが今まさに欲しかった物をくれた。ソース顔マッチョが好みのあたしが、不覚にもときめいてしまう。

「平目さんは使わないんですか?」

「僕、ハンドクリームってちょっと苦手なんですよね」

 男性はハンドクリーム、リップクリームだとか使いたがらない人は、たしかにいるよな。そうだとしても、平目さんの手は細くて綺麗だった。そういえば今日はあの文字盤が木の洒落た時計をしていない。

 いただいたクリームを手に塗り込む。ゆずの香りがした。

「婚約指輪、効果ありませんでしたね」

 平目さんが言った。

「いや、こっちが避け続けてるので、まだ手を見られてないだけかもしれません」

 タヌキはここのところ連日やってきた。あたしのあとを付かず離れずの距離でつけまわしたりして、そして最後は何かの本を買って帰るのだ。昨日はバレンタイン特集のワゴンから恋愛モンを一冊買っていったらしい。なんでもいいというわけじゃないみたいだから、一応は読んでるのかもしれない。関係ないけど。

 はやく辞めてしまいたい。今月末までだけど、あたしが辞めてもしばらくはこの店に通うのだろうか。指輪に気付いていたら、寿退社だとショックをウケるんだろうか。

 それは分からないけど、夕方、タヌキがウソの指輪に気が付いたことは、誰がどう見ても一目瞭然だった。

 あたしがレジにこもっている時、運悪くタヌキはやってきた。下校した学生や会社帰りの勤め人たちで混み合う時間帯、あたしはレジにやってきたタヌキに、反射的に営業ボイスで「いらっしゃいませ」と言ってしまった。

「ふっ、せっ……! ああの!」

 タヌキが声を発する。

 あたしと向かい合うと、いつもまともな言葉を紡げない。いつか平目さんが声をかけた時は、そこそこ強めに、いろいろ言っていたらしい。自分は客であるからとか、ゆっくり本を選んでいるからとか。なのにあたしの前では、山椒にむせたみたいに息を吐くだけだ。

 タヌキが持ってきたのはまた恋愛の本だった。現役バンドマンが書いたとかいう、高校生が主人公の話のやつ。あたしは超事務的に会計を済ませる。メンドーだと思ってた、ウイルス対策としてやっているカルトンを2枚使っての金銭のやりとりも今じゃありがたい。飛沫防止のパーテーションも。

「ゆ、ゆゆっ、び……! ききっき」

 顔が真っ赤だ。マスクで向きが変わった吐息が前髪を揺らす。

 会計が終わったのにその場にとどまるタヌキ。レシートやら何やらでパンパンになった財布をがさごそと漁っている。そこに平目さんがやってきた。

「恐れ入ります、お客様。お次の方がお待ちですので」

 退店を促され、タヌキは歩き出した。その際に何か小さい物を落としたのが見えた。あたしは次のお客を相手してる間に、タヌキを追っ払った平目さんが戻ってくる。そして落ちた物を拾っていた。あたしには絆創膏のように見えたけど、後で平目さんに聞いたら、

「ゴミでした」

 とかえってきた。



 仕事を終え、中道通りの商店街の八百屋で野菜をいくらか買い、それからは真っ直ぐアパートへ。あたしの足だと約10分かかるけど、立ち並ぶお店を横目に歩くと、まるで時間は感じない。

「ただいま〜〜」

 テケテケと住むようになってからは、行きも帰りも部屋の奥へ声をかけるようになった。明かりを点けると奥のリビングへ駆けてくテケテケのちゅるりと長いカラダが見えた。

「ただいま」

 改めて壺に向かって声をかける。なかなか出てこないなと待っていると、先日アンナと出かけて買った、籐製のバスケットの蓋が開いた。

「オイテケ、オイテケ!」

 ひょっこりポーズのテケテケに破顔、頬がゆるむ。

「えー! テケちゃんその籠に入ってくれたのー?! 嬉しい〜!」

 籠やら箱やら筒やらを買ったけど、テケテケはなかなか入ってくれなかった。このバスケットに入っているのは初めて見た。可愛い。

 あたしは散乱した物に視線をめぐらせる。

 最近分かったけど、あたしがどれだけ思い入れのあるか、気に入っているか、捨てたくないかでテケテケの満腹(?)度合いが変化するらしい。ただ単に、もったいないからと貰った付録の品より、それこそこないだの寄せ書きのような物の方が好きみたいなのだ。

 だからゴミはアウトだ。愛着ゼロだし、そもそもテケテケは受け取らなかった。

 どうしようかな。

 探し出したのは、中学入学時に買ってもらったガラケーだった。時代はスマホに移行したから長くは使わなかったとは言え、強い思い入れがある。電源ボタンを長押ししたけど、画面は黒いままだった。充電器は見つかりそうもない。

「はい、どうぞ」

 テケテケはそれを咥えて、そそくさと壺に持っていった。

「アリガト、アリガト!」

 と、あたしが自分で言ってみる。

 まだテケテケが来てから1週間足らずだから、部屋の見た目に変わりはない。だけどあたしはこれがあと何日したら綺麗な部屋になるだろうかなどを想像して、前向きな気持ちになっていた。仕事も辞めてタヌキと関わりが無くなったらどんなに楽だろうか。

 インスタントの珈琲を薄めで飲みながら、スマホをいじっていると、テケテケがベッドの上で何かを始めた。あまり注視すると落ち着かないみたいだから、チラチラと観察すると、どうやらベッドの上に今まであげた物を並べているようだった。綺麗に並べて、一段高いところからそれらを満足げに眺めている。

 なんだあれ、可愛い。

 カワウソの習性を調べ直すと、それは獺祭というものだと分かった。うそまつり、とも言うらしい。カワウソが採った魚を岸辺に並べておく様子が、祭りのお供えのようだったので、カワウソが先祖の祭りをしているものだー、獺祭だー、とかだとか、どうだとか。

 コッソリと写真に撮った。が、驚いたことにテケテケの姿はスマホのカメラにはうつらなかった。今更驚きはしないけど、テケテケの可愛い姿がおさめられないのは残念だ。

 夕飯の支度を始める。

 まな板の上で野菜を切っていると、そばにテケテケが寄ってきた。

 後ろ足で立ってカラダをにゅうっと伸ばす。コイツはここでなにをやっているのだろう……的な感じで様子を見ている。ひくひくと鼻が動くたび、長いヒゲも揺れる。

「食べる?」

 あたしは人参を縦長に切ると、テケテケの鼻先に近づけた。あたしの手から人参を取ると、サッと冷蔵庫の上の電子レンジに登り、あたしを観察しながらコリコリと食べた。壺に収納するだけじゃなく、食べるって行為もするのか。

 小さい頃、いろいろな生き物を飼った。昆虫とか、亀とか、イヌとか、そういうの。でもいつも、小さい生き物は先に死んでしまう。アンナと行ったどっかの夏祭りで、金魚をすくった時、ビニル袋で泳ぐ出目金を眺めながら、性懲りもなく生き物を可愛がる自分に嫌気がさし、何かを飼うのはこれで最後にしようと決めたんだ。

 金魚をとって、はしゃいでいたあたしに、誰かが知ったか顔で、

「金魚すくいでとられるようか魚は、弱って動きが鈍くなったやつなんだぜ」

 と言った。

 あたしは夏祭りを先に一人で抜け出した。祭囃子が小さくなるにつれて、足取りが早まった。家に帰って急いで水槽に移した。魚を飼う設備は、前のグッピーやメダカで整っていた。出目金は、夏休みが終わる前に死んだ。

 関係あるのか、ないのか、あたしは初めてのピアスを秋に空けたっけ。

 テケテケの可愛さと殺処分待ちという状況に押し負けて、またまた生き物(妖怪だけど)を飼うという愚行を犯した。

 どれだけ大切に育てたって、死んでしまう。それが病気でも、天寿を全うするほどの長生きでも、あたしはその命たちが不幸だったのではと考えずにはいられなかった。

 彼らは悪くないのに、生き物なんて嫌いだと心から思った。

 だけどあたしはテケテケと一緒に過ごすことになった。

 だから、消えかけていた妖怪、置いてけ堀のテケテケには心血を注いで大切に接した。前例がない故に、様々なことが手探りだった。この後テケテケが下痢を起こした時、あたしは寝ずの番をして見守った。動物病院に妖怪を連れていくわけにもいかない。

 招吉に連絡すると、「久しぶりに食べ物を食べて胃がびっくりしてるんだと思います」と呑気な口調で言っていた。「来てよ」とたのんでも、「今夜は別件から目を離せないので」と。仕方ない、みんな忙しい。

 テケテケが例の吹き替え音声で何か言うかもしれないと、壺のそばから離れなかった。

 この子のためだったら、なんだって捨てられる————。

 テケテケが出すのは、不思議な排泄物だった。

 壺にこもったかと思うと、オヤジが痰を吐くみたいな音と共に吐瀉物が出てきた。それは今まであげてきた物が砕けてバラバラになったものだった。

「ごめんね」

 弱っているからか、テケテケは初めてカラダを撫でさせてくれた。聞き間違いでなかったのなら、テケテケはこう言った。

「アリガト、アリガト」

 あたしも疲れて相当寝ぼけていたから、もしかしたら夢だったかもしれない。

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