3、いらない物たち
◆いらない物たち
「それで、澄子は殺処分寸前の妖怪に、テケテケなんていう安直な名前までつけて可愛がってるわけなんだ」
「そう。まるでネコ飼うのを反対してた強面パパが、いざ飼ったら一番メロメロのパターン、みたいな?」
あたしはアンナと井の頭公園で会っていた。この公園はデートスポットだから、カップルたちで賑わっている。あたしたちはこの公園が好きだ。駅前の人混みが井の頭通りでふるいにかけられ、ここには呑気な若者たちが集まる。眺めていて、飽きない。
「もしかしてだけど」アンナがあたしが提げた大きめのショルダーバッグを指差す。「その中にいるとか……?」
「そう! 今日はテケテケの新しい壺を探しのに付き合ってほしくて」
あたしはバックを覗き込む。古めかしい壺だけが入っている。財布などはジーンズのポケットに。テケテケが取っちゃわないためにだ。壺の中の闇は全てを吸い込んでしまいそうでそら恐ろしい。
「犬にクッションあげたり、猫に猫ちぐら買ったりするのと一緒ってカンジね。で、その壺にはモノが無尽蔵に入るの? なるほどねぇ」
アンナが恐る恐るバックの中を覗いた。
「あんた、妖怪とか、変な壺とか、よく信じたわね」
「そりゃ澄子の言うことだからね。とは言え、半信半疑だけど」
「人間たちに住む場所を追われて、かわいそうなテケテケ」
「完全にメロメロじゃん……」
「まぁ生き物なんて嫌いだけどね、飼うことになったら仕方ないじゃん?」
公園の池の橋に差し掛かった。橋のたもとには空に真っ直ぐ伸びた2本の木がある。木に挟まれるようにタープが設けられている。これは、この木によく来ていた鳥が、下に落とした糞を防ぐためのものだ。木の枝は切り落とされ、鳥の姿はない。例えば人間は、仕事から帰って来てアパートがなかったら、どんな気分だろうか。
吉祥寺駅周辺の店を回った。デパートも、アーケード街も、路地裏の老舗も。しかしピンと来る、良い感じの穴蔵は無かった。それでもいくらか買い揃えた。ふわふわの猫ちぐらとか、籐製のピクニックバスケットとか、木樽、いろいろだ。
「あのねぇ……大変申し上げにくいんですが」DIYで使うような太く長い蛇腹の管を持ち直して、アンナは続けた。「招吉はアンタの捨てられない悩みをどうにかするためにオイテケボリを持ってきたんでしょ? こんなに買い込んでどうするんですかってことよ」
はぁ〜、とあたしはわざと大きなため息をついて答えた。
「ちいさい時にさ、お母さんと買い物いくとね、ちっちゃいお菓子を買ってくれたのよ」
「ちっちゃいお菓子ね、相場100円くらいの」
「まさにそう。でね、あたしはテープみたいにガムが出てくるやつとか、魔女ステッキに飴玉が詰まってるやつとかが欲しかったのよ。でも買ってもらえなかった、高いから。その時の反動かなぁ、物欲は」
「チョット、ヨク、ワカラナイ。とにかく、そんな超常のテクノロジーの壺があるなら、どんどん捨てちゃいなよ」
「壺というか、テケテケ次第なのよ。テケテケにも空腹とか満腹とかあるみたいで、壺にいっぺんに全部ぶち込めるわけじゃないんだから。こっちも断捨離タイヘンなんだからね」
「はいはい」
「ねぇ、今日泊まってったら? テケテケとちゃんと会ってほしいし」
「会ってほしいし、荷物運びも、でしょ? マッタク……」
ハモニカ横丁の立ち飲み寿司屋で少し飲み食いして、さて帰ろうかとなった頃、アンナが手を打った。
「そうだ、そういえば去年末、宝くじ買い損ねたじゃん。ここいらで買っとこうよ。テケちゃんが、幸運を招くんでしよ?」
あたしたちは毎年、年末の宝くじを買っていた。それが去年末は忙しくて買うタイミングを逃したんだった。
「いいぜ。そろそろデカいの当てて、遊んで暮らそう」
アンナは今「遊び期間」だ。つまりいつもやる気満々。
宝くじ売り場でそれぞれ五千円分のくじを買った。
「じゃ、缶酒とか買い込んで澄子んち行くか」
いい感じにテンションが上がり、軽い足取り。
「アンナは今回の遊び期はなにすんの?」
「澄子もすぐ遊び期じゃん」
「あたしはストーカーのせいで退職するだけだよ、すぐ転職するし」
「そう? 残念。で、ワタシの方はさ、なんか自分との根比べ的なのもやりたいかなとか企ててたり」
「というと?」
「東海道行脚とか四国お遍路とか、リアルわらしべ長者とか」
「わらしべ長者やるなら、ウチからなんか持ってっていいよ」
「澄子んち別に値打ちのあるもん無いしなぁ〜。でもワタシ思ってたんだけど、ルームシェアもやりたい。澄子が片付けられる人になったら割と本気でアリかもって。澄子、片づけはともかく綺麗好きじゃん? 水回りとか。そういう衛生観念ワタシと合ってるし」
「衛生観念はともかく、あたしがアンナの裸族生活をどう思うかは分からないけど」
「慣れてくれ。開放的だぞよ」
「あたしの裸体はほいほい公開できません」
「なにが彫ってあんの?」
「極道前提で聞くなって。でもルームシェアかー。たしかに2人なら広いとこ安く住めるしねー」
「でも動物可となると部屋探し大変だよね」
「ペットじゃなくて妖怪」
「たしかに。とりま当たったらハワイ旅行で」
「イイねー」
こんな無責任で、奔放で、下らない会話もアンナだと心から楽しめる。帰って映画でも観ながら酒盛りだ。
あー、明日仕事じゃなければな————。
などと思っていたら、道の先にアイツを見つけた。
「隠れて!」
「え?」
「タヌキ!」
アンナを引っ張って、ハモニカ横丁の細い路地に身を隠した。タヌキは駅のバスロータリーの方へずんずん歩を進めていく。相変わらずキョロキョロしているのは、癖なのか、あたしを探しているのか。
「予想以上にヤバそうなやつだね、タヌキ。ってか女だったんだ
アンナは初めてタヌキを見たんだっけ。
「まぁアレに付きまとわれてるってんなら、辞めるってなっても不自然じゃないでしょ?」アンナはイタズラっぽく笑った。「ちょうどいいじゃん」
あたしが退職する理由はストーカー被害に遭って精神的に参っているからと告げてあった。
だけど、本当は違う。
自由に生きるアンナに触発されたからだ。
アンナは散々飲食店で働き続けた挙句、突然、自由人に転身した。
実のところ、高卒フリーターで、身を粉にして働いていた頃のアンナはキツいところがあった。スケジュールも、言葉も、お金も、人への評価も、いろいろ。変わっちゃったなと、悲しくなった。だけど自由人アンナはゆるく軽やかで、重い足取りで歩くあたしが顔を上げた先にいつもいて、楽しそうに笑っていた。幼馴染のアンナと一緒なら、二十代の転職なんてこわくない。ストーカーだって、もう縁が切れるはずだ。宝くじだってそのうち、当たる。
あたしの部屋に2人で帰った。
余り物でアンナが料理をしてくれた。残ってたロールパンと一緒にそれをリビングのローテーブルに。どうせこの2人だし、酒もツマミも、そういうのにカッコつける必要はない。
「テケちゃんのお食事を見せてよ」
「テケテケ〜〜、おいで〜〜」
酔っ払い女が2人して、テケテケの壺を覗き込む。アンナがあたりの物を手に取っていく。
「この紙袋いる?」
「ちょっとまって、それは何かに使うかもしれないから!」
「このクッキー缶は?」
「それも使うって!」
「この熊の形の空き瓶は?」
「かわいいし!」
「この木箱なに? うわっ! こわっ! 臍の緒じゃん!」
「それは、こないだ実家帰った時、邪魔だからって押し付けられたのよ……。持ち主に呪われそうだから捨てない」
「誰に呪われんだよ! アンナがアンタのモン捨てんだから何も問題ないでしょーが!」
「昨日と明日の自分は別人だよ」
「そういうセリフは汚部屋ぐらしのやつが言ってもカッコつかないからな?! んなことだったらテケちゃんが飢え死にするぞ!」
「そんなことさせないよ……。ただ選出に時間がかかるだけで」
とかなんとか言ってると、テケテケが壺からひょっこりと顔を出した。
「オイテケ、オイテケ!」
例の子役みたいな声。
「うわ、本当に喋った? こわ、澄子、ワタシにヤバいの一服盛った?」
「待っててねー、いまご飯あげますよー」
「無視」
あたしはあたりを見回した。何を餌にしようか。選ぶの大変だし、いっそテケテケ用の餌を買うことにしようか
「澄子、アンタ、この子の餌用に百均とかで物を買うつもりじゃないでしょうね?」
「ま、まさか……」
さすがは長い付き合いだけある。ココロを読まれた。
「ねぇ、捨てるための出会いだったんでしょ? じゃあ頑張りなよ」
たしかに、この子と一緒なのに汚部屋がなおらなかったら、将来ホントにゴミ屋敷に住むことになりそうだ。
あたしは手近にあった横浜のプロ野球チームのメガホンを手にとった。
「この部屋にある物は全部、意味があるんだよ」
「ほんとーにー?」アンナは時計に目をやり、あたしの手から奪ったメガホンを叩いた。「澄子! 地震が来た! 今すぐ本当に必要な物を選んで! 40秒で支度しな!」
「ちょっと!」
文句をたれながらもあたしは架空の地震に腰を上げた。
「ほらほら! 急げ! 最低限に! 必需品を!」
「ヤバい! どうしよ!」
狼狽えている間に40秒は過ぎ去った。
結果、あたしが手にしていたのはスマホと財布と鍵……それから、入れ物があったら便利じゃないかなと掴んだのは、何かのオマケで貰ったトートバッグだった。
「それが本当に必要な物? 選べなかったんでしょ? つまり、本当に必要な物なんて無いっていう証拠じゃん」
「むーー…………」
煮え切らない気持ちが、低く長い唸りとなって漏れる。
「オイテケ、オイテケ!」
再びテケテケが鳴いた。壺から顔を出したひょっこりポーズであたしを見つめていた。
「ほら澄子、テケちゃんのために何か捨てなきゃ」
あたしは床に散らばってる物を手に取りは戻しを繰り返して、その物がどういう経緯でうちにあるのかを思い出した。
「あ、この寄せ書き、懐かしいなぁ」
「懐かしむな。テケちゃん待ってるよ」
「わかってるって」
この寄せ書きはあたしが大学四年の時、数年勤めたバイトを辞める時に後輩たちから貰ったものだ。みんな元気かな。
「これは捨てられない」
見えやすいところに置こうとしたら、痺れを切らしたテケテケが素早くあたしの手から寄せ書きを奪った。
「あっ!」と言う間に寄せ書きは壺の中に。入口の大きさからして入るはずないのに、まるでハンペンみたいに柔らかく曲がり、くにゃっと納められてしまった。
「うわ、すげー……!」アンナが驚く。
「あーー! みんなの思いが! みんなが消えちゃう!」
物が無くなったら、あたしの記憶からいつか消えてしまうかもしれない。それが寂しい。
アンナは冷たい顔で言い放つ。
「みんなは消えない。澄子が忘れたってね。だから安心して捨てろ」
「うう……」
そんなこと言われても、寂しいものは寂しい。
「辛い気持ちは分かるよ。でもワタシもついてるし、ここが正念場」
あたしの肩をたたくかたわら、アンナはもう片っぽの手を動かしていた。
「なにしてんの?」
「これは要らんだろ、って物たちの仕分け」
勝手にすんなって。
「考えてみなよ。サイコーじゃん。部屋は片付く、テケちゃんは可愛い、スッキリしたオンナになれる」
「そうかー?」
あたしはそばにあった電子蚊取り豚をテケテケの壺の上に。2本の前足がサッとそれを掴んで中へ引っぱりこんだ。
「でも、頑張ってみるよ」
蚊取り豚のコードがしゅるしゅるっと引き込まれるのを見ながら、あたしは口にしてみた。
この子が幸せを招いてくれる。
翌日、仕事中に読んだアンナからのLIMEによると、宝くじは外れちゃったみたいだけど。
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