うそまつり

1、片付けられないオンナ


————『うそまつり』



『誰も彼もアナタもワタシも

 隠れて流すココロのナミダ

 そっとお拭きいたします

 みんなに幸せ行き渡るまで

 この世の暗闇から手招きを』



今回のお客様:小深山澄子(コミヤマスミコ)23歳。




◆片付けられないオンナ



「澄子、おれと結婚してくれ!」

「えっ?!」

 あたしはいきなりのことに驚きを隠せなかった。

 左手の薬指に指輪がはめられる。タイミングを見計らったように暗転。場内はしんと静まり返り、前方のディスプレイに「ギャラクシーストライクチャレンジ!」と映される。各レーンにずらりと投球者が並び、3、2、1のカウントで一斉に投球。あたしの「お相手」はあえて一呼吸おいて黄色い7ポンドの球を投げた。レーン右側のぎりぎりをすべり、ピンの手前で音もなく曲がる。そしてピンに衝突すると、まるで爆発したかのように全てのピンを弾き飛ばした。スポットライトが照射されたかと思うと、控え席にいたあたしは手を引っ張られ、2人して明かりの下へ。

「結婚したぞー!」

「ちょっと、アンナ」

 苦笑しつつ、わきおこった拍手に照れながら応えた。アンナはダボついたジーンズを穿いて、大きめのニットセーター。ベリーショートの髪のせいで、男ですと言えば、ああそうですかとなりそうな出立ちだった。控え席に2人で戻ってアンナにたずねる。

「なんのつもり?」

「ほんの冗談。急に注目を浴びてドキドキしてるでしょ?」

 同性のフィアンセが言うように、あたしもパーカーの下の胸が熱くなっていた。ただのジョークだとはいえ、いざあんなサプライズ的おふざけをくらうと、ハートは高鳴るものらしい。

「まぁ驚いた。で、この指輪どうしたの?」

「このために中古でそれっぽいの買った。500円だった。いやね、澄子がさ、店でストーカー被害に遭ってるって言ってるじゃん。でね、さりげなく婚約指輪をつけてれば、そいつも諦めるんじゃないかなってさ」

 アンナに促され、あたしは立ち上がってレーンへ向かう。手にした球はオレンジの9ポンド。女が扱うには重い。でもあたしはそこが好きだ。アンナのように回転を加えたりはしない。ピンの真ん中目がけて全力投球。高得点狙いの投手はみんな回転をかけるけど、あたしはストレートで勝負すると決め込んでいた。プロを視野に入れてるわけじゃないし、カーブの練習でガーターを繰り返したりだなんて、もったいない気がしてできない。したくない。シンプルなのが好きだ。というか、めんどくさい。

 球は左に寄っていって、なんのひねりもなく、左半分のピンのぶっ飛ばした。もう半分も2投目でぶっ倒してスペア。

 アンナが背後で拍手した。彼女が仕事を辞めるたびにあたしたちはここ、吉祥寺のラウンドツーでボウリングをするのが恒例だった。アンナは一定期間シャカリキに働いてお金を稼ぐ。そして海外だとか、シュノーケリングだとか、バンジージャンプだとか、とにかく楽しむために時やお金を惜しまず使う。今年度、書店に就職したあたしはその奔放さをどれほど羨んだろうか。

 2ゲームを投げ終えると、あたしたちは最後の一杯としてビールを注文した。スマホをいじって待っていると、隣のレーンに1人の男がやってきた。安っぽいリクルートスーツに、大きなビジネスリュック。漫画調の笑い口が大きくプリントされたマスク。元気と若さが取り柄です! と面接で答えそうな健康的な雰囲気の彼は、13ポンドの球を軽々と持っていた。

「同い年くらいかなぁ」アンナがぽつり。

 モニターを見ると4人客のようだが、彼は一人で投球を始めた。そのグループの1人目が彼ならまだしも、彼は4人分を続けて投げていく。プレイヤー名は上から、大、黒、招、吉となっていた。

「あの人も独り身かな」

 あたしがこぼすと、アンナはスマホをしまい、彼を観察する。そしてニタァっと笑い、ちょうど運ばれてきた二杯のビールを手に立ち上がった。

「おつかれさまでーす」さっきのプロポーズとは打って変わった女の声だ。「お兄さん1人ですかー? ワタシたちと良かったら投げませんかー? ほら、飲みながら」

「え? 一緒にですか?」

 ビールジョッキを彼は反射的に受け取っていた。

「はい。来なかった3人の分も投げるなんて大変ですよね? もちろんお金は払いますよ? ワタシたち暇してて〜〜」

 暇はしてなかった。ただ1人で4人分を投げているプレイヤーは、たしかにちょっとワケアリそうで、アンナの好きそうなシチュエーションだった。男は、お金は無さそうだったけど、清潔感もあるし、人畜無害そうだったから、こわいことにはならないだろうと、あたしも悪ノリに加担した。パリピ的振る舞いは、学生のうちに習得済みだった。しばらく埃をかぶっているけど。

「飲みながら一緒にやりましょーよー」

 つまるところ、やっぱりあたしも暇だったのかもしれない。年を越してはや2ヶ月。チョコをあげようと思える相手もおらず、ましてやデートする男もいない。慣れという渦中にいて、暇。刺激を欲していた。

「じゃあ、まぁ……いいですけど」

 彼は渋っているというか、若い女の子に慣れていない様子だった。

「ヤッター! ワタシはアンナです。向こうは澄子。お兄さんは?」

 アンナにぐいぐいこられて、彼は言いにくそうに答えた。

「大黒招吉です……」

 思わず女2人してモニターを見上げた。4人のプレイヤー名を縦読みすると、大黒招吉となる。この人、最初から1人で投げるつもりだったのか。

「なんで4人分なんですか……?」

「いや……」彼は一旦口ごもり、そして堰を切ったように話し出した。「誘う友達もいないんで1人だったんですが、1人で来てて、ボッチとか、コッチが気にしてないのに思われるのも嫌ですし、熱心に練習してるって思われてもなんか恥ずかしいですし。下手だけどただ久しぶりにやってみたくなったんで来ただけなんです。いやでもこんな風に思ってるのもサビシイやつですよね……」

 突然たくさん喋るから面食らいつつ、あたしはフッと思ったことを口にしてしまった。

「というかメンドくさいやつ!」

 石化魔法をかけられたみたいにハッと固まった彼を見て、あたしは慌てた。どういうわけか、アンナと2人きりの時と同じように歯に衣着せぬ物言いをしてしまったからだ。

「いやいや! 違うんですよ、別にそういう意味じゃなくて」

「ですよね……。偽装だからって4人はやりすぎですよね」

 そういう意味でもなくて。

「さすがに仕事終わりに4ゲームは重いですよ」アンナが苦笑して、あたしもつられて笑った。

 なぜか小中学校と同じだった級友を思い出す。不思議と懐かしい。たとえば呼び捨てか、君をつけようか迷う、そんな雰囲気をまとった人間だった。

 なんだかんだで、呼び名は招吉になった。23のあたしと同い年ではないと言った。Z世代かなー?

 あたしたちはお酒を飲みながらボウリングを楽しんだ。1ゲーム4人分を投げ終え、「最後の一杯にしましょう!」と招吉が頼んだハイボールを飲んでいた。

 短時間でかなり打ち解けた。

「あ、ちなみにボクの名刺がコレです」

 アンナとあたしに名刺が渡される。大黒招吉の名の横にキャッチコピーだろうか————、

 アナタの笑顔がインセンティブ 幸せお招きいたします

 とあった。

 アンナと2人で爆笑する。

「うさんくっさ!!」

 そう言いつつ、さっさと帰り支度を始めないのは、この遊戯の中で彼が、金欲しさに人を騙くらかして笑う人間……、とは到底思えなかったからだった。さえないけど、真面目だ。お互いマッチョ好きであるあたしたちのストライクゾーンからは外れていたけれど。



 駐輪場の代金をケチったアンナはいつもうちのアパートの階段の下にミニベロを停めていた。

 働き詰めだった飲食を辞めた途端に良い意味で健全な享楽主義者になったアンナは今夜もゴキゲンで、あたしの部屋で二次会だ! と飲む気満満だった。もし学生時代だったらあたしもノリ気だったのに、自分でも驚くくらいその提案が出た途端、仕事の疲れが存在を主張してきたことに驚いた。あたしは疲れている。若干やさぐれて、たぶん、ちょっと、すねている。

 吉祥寺駅のバスロータリーから伸びる中道通りを行き、こないだまで新幹線のマークだとばかり思っていたアイロンの看板を掲げたクリーニング屋の前にあるアパートにたどり着く。考えてみればクリーニング屋が新幹線のマークを使うわけがないか。

 変な意味でなく、一回しか会ったことのない人、飲み屋で初対面の人をうちに上げることは少なからずあった。たむろされたり、終電を逃した際の都合のいい宿にされるのは困るけど、生憎その心配はない。うちでリラックスできる人はそういないからだ。

「うわっ」

 部屋に上がるなり招吉は声をあげた。無理もない。部屋じゅうに足の踏み場もないほど散らかった物を目の当たりにすれば誰だって同じ反応をする。

 ベッドの枕周りにはゲーセンで獲ったぬいぐるみが新興宗教の祭壇チックにうずたかく積まれている。閉め切ったカーテンのレールには四季折々の洋服が満艦飾。部屋の隅には雑誌が層になり、まるで子供が描いた虹のような色を発している。床には化粧品やら文房具やら、小物家電だとか、ポストに入っていたチラシとか、誰かが置いてったクーラーボックスとか、ダイエットボールだとか。部屋の中央にあるローテーブルには、去年のクリスマスのアドベントカレンダーが。

「招吉、テキトーに座んなよ。物どかして」

 アンナがボロボロのビート板を使ってブルドーザーの要領で物をどかした。足でやらないのがこの娘の良いとこだ。招吉も遠慮がちに自分のスペースを作って腰をおろした。

「ものすごいですね……」

 ひく……というより感心の声だった。

「なにそれ、駄洒落? 物が、ものすごい、って」あたしがきくと招吉はあっさりと、ちがいますと言った。逆にあたしがつまらない駄洒落をかましたみたいで恥ずかしい。

「まーまー! とにかく宅飲みと洒落こみましょうや!」

 アンナの威勢のいいセリフであたしたちはコンビニで調達した缶酒をかかげた。

 あたしは心の隅で明日の仕事のことを考え、最悪の就寝時刻を算出する。アンナがウォッカと炭酸を買っているとこを鑑みると、明日は酒気帯びの辛い勤務になりそうだ。長期戦が決定してる。

 Bluetoothのスピーカーで音楽を流しながら酒盛りはハイスピードで進行した。

「いやぁでも、こうやって物に囲まれていると不思議と落ち着きますね」

 招吉が改めて部屋を見回した。絡まったタコ足配線を見つけて、断りもいれずにスマホを充電し始める。いくつか充電コードが伸びてるけど、いくつかはハズレだ。無断だったからあたしも何も言わない……つもりだったけど、正しいやつを教えてあげた。

 酔い始めたアンナがけたけた笑いながら言う。

「落ち着くでしょ? 澄子んちはね、昔から実家もこんな感じでさ」

「おや、お二人は幼馴染ですか」

「そうだよ。高校からは別だったけど、澄子とはずっと一緒だよね」

「いいですね。そういう友達がいるって。ボクは友達がいないので羨ましいです」

「ねー、笑顔がインセンティブの招吉は普段どんな商品をあつかってんの? やっぱ、ありがたいお説教が書かれた本とか、未来が見える水晶玉とか?」

 アンナの容赦ない言い草にフォローの言葉を探ったけど、あたしはつい「あとは怪しい壺とか?」と付け足してしまった。

「いやぁ〜」招吉は苦笑いする。「顔のシワを伸ばすアイロンとか、前世を思い出すカレンダーとか、イケナイ映像を映すテレビとかですね。人の紹介もしますし」

 うっそー、と驚いてみたものの、わりとマジでぶっ飛んでヤバかったので内心ビビる。アンナも身を引いたのが分かったけど、好奇心の方が勝っているのも充分感じた。

「えー! じゃあ今なんかないの?! 見してよ!」

 裸族のアンナが靴下を脱いだ。どんどん自分を解放していっている。あたしは9時をまわった時計を見遣って、自分の方はずいぶん心までフットワークが重くなったなと痛感する。

「スイマセン……。商品はちゃんと悩みある人にでないとご紹介できないんです」

「悩みならここにある!」

 アンナがローテーブルをたたく。グラスが音を立てて震えた。あたしはアンナのウォッカに炭酸を足す。濃いのを飲み過ぎだぞと。

「悩みとはやっぱり」

「そう。この部屋のことだよ。あたしは片付けられないオンナ」

「結構なレベルのね」けたけたと笑い、アンナが続ける。「でも澄子さ、前はここまでヒドくなかったよね。仕事始めてからどんどん散らかって。やっぱ仕事が辛いの?」

「んー。さーねぇ」

「だって最後に掃除したのいつよ? ワタシが買った、そこにあるボケモンのカレンダーなんて一昨年のじゃないの」

「まだ年越したばっかだし、ほとんど去年のでしょ」

「なんだその言い分は! で最後に掃除したのはいつなんだって」

 あたしは目を逸らした。服を陳列するように置けるオープンラック(もちろん陳列はされてない)の陰には掃除機のパイプ部分が見えるけど、本体はたぶんそこにない。

「片付けはできてないけど、水回りの掃除はしている」

「片付けもせい!」

「めんどくさくて……」

「まぁまぁ! お二人とも」

 招吉があたしたちの間に割ってきた。手にした缶はべこべこに潰れている。潰しながら飲むのか。ストローを噛みそうなやつだな。

「なに?」

「お手洗いをお借りしたいです」

「せんせぇトイレーってか! 勝手に行け!」

「アンナ、ちょっと冷静になってよ……。あー、招吉。悪いんだけど、トイレ、座ってしてね」

 男に立って用を足されて、あたりに「シズク」が飛び散るのはまっぴらだ。かなりのものぐさだけれど綺麗好きではある。片付けはしないけれど清掃はする。散らかってはいるけれど、よく触るところの消毒や、食材の管理、水回りの掃除だけは欠かさなかった。

「大丈夫です。絶対に散らさないので」

「なんの自信なのよ。ホントにお願いね」

「ええ。もとより座ってするタイプのモノでしたので」

 いらん情報を。

 あたしはアンナが脱ぎ散らした靴下を物に埋没しない位置に移して、たずねた。

「彼、どう?」

「どうって、ワタシがマッチョ好きなの知ってるでしょ」

「知ってる。そうじゃなくて、招吉けっこうおかしな仕事みたいだけど」

「平気でしょ? ワタシの目に狂いがなければ、根はワルイやつじゃないよ」

 昔からアンナは人を見る目がある。あたしが感じてたことが、アンナの言葉に後押しされた。

「そうだよね。おカネも無さそうだしね」

「そう。同志だよ、ワタシらは」

 アンナはパーカーの腕をまくった。この酔い具合なら、いつもだったら上裸になってる頃合いだ。トイレの水洗音がきこえる。アンナが「でもさ」と口をひらいた。

「ホントに澄子、疲れてるよ。ストーカー被害ももちろんだけど、普通に仕事で疲れてるよ。そうだよ」

「それな」

 あえてテキトーな返しをした。期間限定のアルコール9%のいちご味のチューハイの栓を開ける。ベタベタに甘い匂いを嗅いで、昔アンナと山手線一駅ずつハシゴ酒ツアーをしたのを思い出した。まだまだこれからだ。

「ってか、ホントに辞めるんだよね?」

「………………うん」

 もう仕事なんて辞めてやる。

「さぁさぁ! 大黒招吉のお戻りです! 澄子さんのココロのナミダ! ボクがお拭きいたします!」

 笑顔満開で戻ってきた招吉。その人を信じてやまないような笑顔を見ていると、昔実家で飼っていた犬を思い出した。どこへ行くにもついてきたゴールデンレトリバーだった。笑うと目が細くなるところなんて、あの子とちょっと似ている。

 招吉のジャケットが濡れてる。洗った手を服で拭くやつに、ココロのナミダを拭かれる、か。

「なんだー若造? お姉さま方は言っとっけどようやく食前酒を終えたとこだ」

「おうよ。お前はどこまでついてこられっかな?」

 アルコールハラスメントを2人してキメる。招吉は早くも見慣れた苦笑顔を作った。

「タダ酒なら無限に」

 ほう、根性がある。なかなかイケる口じゃないか。

 予定就寝時間が変更された。実際に目を閉じたのはもっと遅かった。

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