4、テキパキ
◆テキパキ
新しい職場は下北沢にある沖縄然としたの居酒屋だった。名前は『かり〜〜』。乾杯する時の言葉だ。
選んだ理由は通いやすさと、あとはもちろん賄い付きという点。それから、社員登用の制度があるかどうか。
もっと慎重に選べよ、とコズエにはいつも言われる。しかし自分で言うのもなんだが、あまりにも仕事ができなさすぎるので、自らの「試用期間」を設けたいのだ。社員になったら辞めにくいし……なんて責任感の無さが万年フリーターたるゆえんなんだろう。だけど合わない職場で何年も働き続けられるわけがない。だったらいきなり社員になるより(なれるかはさておき)、とりあえずバイトとして「試用期間」を経験した方がいいのでは?
って、こないだ黒ちゃんに話したら、
「はぁ、よくわからないですけど、いいんじゃないですか」
と言われた。
興味ないよな、そんなこと。
職場の制服はアロハシャツだった。「どんなアロハでもいい」とは言われたが、持っていなかったので古着屋で一着だけ買った。沖縄感を前面におしだした店の前でちょっと立ち止まると、後ろから肩をたたかれた。振り向くと前に面接で会った店長さんだった。
「早いですね」
名前はたしか崎野さん。浅黒い肌に目鼻立ちのはっきりした顔でスラリと背が高い。面接中に「どうせワタシは三十路のおばさんだけどさ!」と快活に笑っていたが、とてもそんな風には見えない。マスクをしてても健康的な若々しさに溢れる人だった。
2人で店内に入った。店内は決して広いとは言えなかった。泡盛や焼酎の瓶を背にするオープンキッチン。内装は海、魚、青空、太陽、と言った具合なのに、無理矢理クリスマス風の電飾を張り巡らせていて、おかしな気持ちになる。
具体的な店内の説明や、調理器具や食材のありかなど、いろいろ説明を受けているうちに開店の時間となった。
「飲食のベテランバイトさんのお手並拝見ですよー!」
平日は2人で営業するらしいが、今日は新人のおれがいるからバイトの子を含めた3人だった。
「なんて言いつつ、どうせ最近はぜんっぜん人来ないんだけどねェー」
とか言ってるそばから、4人連れが来店した。「幸先イイー!」とか言った矢先にまた来店。また、また。あれよあれよと一気に満席。
これは新人育成に手が回らないパターンだったが、おれはどういう理屈なのか、店内をキビキビと動き回れた。
どうしてかと聞かれれても分からない。飲食のホール業務ぐらいどこも一緒だろ? なんて言いたくなるほど、おれは動けた。キッチンにお邪魔して、皿を洗いながらあたりを見回す。
「役田クン、すごいね! やっぱ経験者はイイわぁ。でもさすがにお造りなんかは用意できないよねェ?」
崎野さんが休みなく手を動かしながら笑った。おれはなぜかキッチンでも動けた。刺身盛りだって、なんとなく、わかった。勝手知ったる風に棚を開け、冷蔵庫を開け、酒やらツマミやらを次々に用意していく。
「魚はさばけないって面接で言ってなかったっけ……? もしかして猛練習してきた系?」
「いやぁ〜、かもしれないですね…………」
考えるより先にカラダが動く。
こんなもんだろ? これはこうでこうなんだろ?
「驚いたよ役田クン。やばい期待の新人引き当ててしまったよ。無料ガチャでSR来ちゃったカンジだよ」
ミスもなく、苦労もせず、気づけば営業終了時間だった。
「カリーーーッ!」
と崎野さんの声でおれたちは乾杯した。カリーは沖縄の方言でめでたいことという意味だが、こうして乾杯の音頭として使われることがある。カリーってカレーじゃないよ、と崎野さんに言われ、おれは知ってますよと答えた。
いつも大繁盛、学生もたくさんいる安居酒屋……鳥家族の店内。4人用のテーブルには今夜働いたメンツ……崎野さんと桑原さん。それから「飲むんなら秒で行きます」と突然の招集にもかかわらず、おれたちが居酒屋に着くと先に席を取っていたバイトの田中さんが加わって4人。バイトの2人も崎野さんと同じ明るい印象で、どちらも大学生らしい。
「入社するからって沖縄方言調べたんですか?」と桑原さん。
「まじめかよ」いきなりフランクな田中さん。
「いや、彼女が沖縄の人で、それでちょっと知ってるんですよ」
新参者が彼女がいると言っても女性がこれといって反応を示さないのは、自分のミテクレの問題か、フリーターだからか、やっぱり年のせいか。
テーブルに女の子だらけだと、こちらで積極的に話さなくてもいいからラクだ。というより、主に学生の2人が自主的に、自発的に飲みを楽しんでいて、気に入ってもらわなければという新人としての義務感や疎外感が生まれないのが心地よかった。良い意味の、テキトーな人たちだ。
「でもさー、つるちゃんが来たから、サキさんは安心してコトブキ退社できるってことだねー」
田中さんが崎野さんを肘で小突いた。つるちゃんとは、鶴士の鶴からとったあだ名だ。あだ名をつけられるなんて、コズエと働いていた店以来だ。
「ご結婚される予定があるんですか?」
「んー…………」
崎野さんは大袈裟に考え込むふりをした。下の名前がサキというらしい。サキノサキ、変わった名前だ。
「相手がいればの話なんだけどねェ〜」崎野さんはウイスキーのロックをちびっとすする。「女盛りのクリスマスを過ぎ、はや三十路ですよ」
「というかサキさんとわたしたちって10も違うんだね」と桑原さん。
「ねー、こわいねー、時の流れって」田中さんが遠慮なく笑う。その無遠慮はおれにも向けられる。「つるちゃんはいつ結婚すんの?」
「いや……、ちゃんと定職につくのが先だよね」
「だよねー、仕事ない男とかマジ無理だもん」
「ちょっと! さすがに失礼だよ!」
「すんまそーん…………」
「大丈夫ですよ。言われ慣れてますますから」
「彼女さんはなにを?」
「飲食ですよ。渋谷の方で」
「あー、じゃあ前の店で知り合ってそれで、って感じ?」崎野さんはおれが苦笑したのを見て、「なるほど」
「でもー」桑原さんが注文用のタブレットをいじりながら言う。「飲食同士の結婚って、ほんっとに時間ないですよね。家にいる時間重ならなくないですかー?」
「ね、いつセックスすんの? って感じ」田中さんがまた崎野さんに嗜められる。「慣れてるって言ってたじゃないすか」
たしかに、どちらも飲食だったら会える時間は少ない。あーー、たしかに、そうなるよなぁ。
「すいません、この子飲むとほんっとアルハラ娘になるんで」
おほほ、と桑原さんが笑う。
「てかさー」しかし田中さんのハラスメントは止まらない。「飲食同士でいいならもうサキさんとつるちゃんくっついちゃえばよくね?」
「ちょっと! つるちゃんには彼女さんがいるんだよ!?」桑原さんが田中さんにツッコむ。ツッコんで、「あ、でもサキさんにはいないんだ」
崎野さんを反射的に見てしまう。
キッ! と崎野さんはバイト2人を睨んでいた。たとえば漫画で描いたなら、グラスを握り割っているコマだろう。
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