2、メモリーメクリーカレンダー


◆メモリーメクリーカレンダー



 数日後、案の定おれはバイトを辞めた。

 ちょくちょく休みながら、日雇いのバイトにいくつか入った。軽作業……とか求人に書いておきながらそこそこ辛い、カラダ動かす系の仕事の日が意図せず続くと、看板持ちをして休んだ。店の前に立ってぼーっとしてるだけで済む。それが「休憩」だ。

 まぁこの季節柄、寒さが身にこたえるのだが……。

 今日は渋谷の一角にあるネットカフェの看板持ち。視界には人混み、メイドカフェ、ゲーセン、別のネットカフェ、マッサージ店、交番、人、人、人ごみ。

 木で雑に作られた看板を顔の前にまで持ってきて、人目を遮り、目を閉じる。視界のスクリーンセーバー、喧騒を遠くにノイズキャンセル、マフラーに顔を埋めて匂いを無くす。

 こうやって立ってるとわりと道をきかれる。昔はもっぱら外国人に声をかけられたっけ。観光マップを指さされて、「ワタシ、キタ、ワタシ、キタ」と全く意味の通じない日本語を喋られたりした。まぁ……言葉の壁はあってもそこに行きたいんだろうなと気持ちは汲めるから、道案内をしたりして、で、持ち場を離れたと雇い主に減給されたりと。世知辛い

 いまおれは店が入ってるビルの前にいる。こんな店の真ん前で看板を掲げていることが、何か役に立っているのだろうか。

 日当8000円。

 そんな価値が、この仕事に、このおれに、意味があるのか?

「失礼します!」

 声をかけられた。

 はじめはおれのことではないと無視していた。「立ち話してんなら減給する」とも言われたこともあったし。

「アナタですよ、役田さん」

 名前を呼ばれて省エネモードだった感覚を再起動させる。目の前には人混みがあるばかり。

「ここですよ、役田さん」

 看板の上に乗っている1匹の蜘蛛が目に入った。

 はい…………?

「こんにちわ。あの時助けてもらった蜘蛛です」

 あの時だって? まさかこないだ風呂に出た蜘蛛?

「役田さん! 冗談です、こっちですよ」

 肩を叩かれた。隣に見覚えのある男が立っていた。あ、この人って……。

 安っぽいスーツに大きなビジネスリュック、漫画風の笑い口が描かれたマスク。

「先日はどうも。これどうぞ」

 記憶が繋がらないうちに彼からペットボトルのお茶を差し出された。反射的に受け取る。手の内に熱が広がって、思い出した。

「ああー! こないだの。大丈夫でしたあの後? ちゃんと帰れましたか?」

「はい! おかげさまで、ありがとうございました!」

 井の頭公園駅の前で酔い潰れていた人だ。こうして向き合うと若く健康的で、声もハツラツ、マスクの下の明るい笑顔が容易に想像ができた。

「このあたりで働いているんですか?」彼がきいてきた。

「いやぁ、いろんな店を転々としてて……。今はご覧の通りデイワーカーですよ。無事に年、越せるんですかねぇ」

「大丈夫ですよ。今日はですね、面白い物を持ってきましたよ」

「え? あ、ところであなたは? てかどうしておれの名前を……?」

「こんなご時世、誰かの名前を調べるなんて簡単ですよ! 特にアナタはいろんな職場を経験なさってますから、足跡もその分そこかしこに残るわけでして」

「はぁ……」

「ともあれ、ボクはこういうものです」彼は一枚の名刺を差し出してきた。「大黒招吉といいます。しがないセールスマンやってます」

 おれは名刺を受け取った。


 アナタの笑顔がインセンティブ 幸せお招きいたします 大黒招吉


 って、いやいや、この人、大丈夫か? なんかしらヤバい人なんじゃないか……?

「役田さん、もうすぐ仕事終わりますか? ボク、終わるまで待ってますよ。こないだのお礼として、お酒、飲みに行きましょう!」

「大丈夫ですよ! お礼はほら、いまいただいたじゃないですか」

「違いますよ。そのお茶は単なる差し入れです。お酒はお礼。ボク、あの日あのままだったら危なかったんです。寒空の下、目を閉じて、そこままお陀仏……だったかもしれませんでした。地獄はどんなところでしょうか。熱湯風呂とか怖いなぁ」

 ふとお風呂場にいた蜘蛛を思い出した。あのままだったらあの蜘蛛、コズエのシャワーに流されていたかもな。

 ともかく、この男のことだ。

「あの、こんな言い方しちゃなんですが、おれからお金とろうったって無駄ですよ。無いんですから」

 いろんな職場に行って、様々な人に声をかけられた。酒臭い息で「うまい話がある」とか、「儲けたくないか?」とか、いろんなことを囁かれた。声をかけられるたびに軽蔑していたけど、ああいう人たちは今頃どうなっているんだろうか。その、うまい、儲け話で、不労所得とか得たりしてるんだろうか。まさか、馬鹿な、だったら日雇いのバイトなんか来るはずないんだから。

「お金をとろうなんてとんでもないです!」彼はマスクの下で鼻をすすった。「ボクは言うなればボランティアです。ココロで泣いている人々を救済し、幸せになってもらえたらそれで満足なんです」

 胡散臭さ満点だ。

「ね? 飲みましょうよ! ちょっと早い忘年会です。ね、ね? おごりますから」

「くっ……!」

 タダ酒、大好き!

「まぁ〜、あと1時間もしないうちに終わりますけど……?」

「よかった! じゃあその頃に」

 彼は立ち去った。

 まったく、おれとしたことが。




 おれとしたことが、飲み放題で相手に遅れをとるなんて!

 看板持ちが終わった後、おれたちはチェーンの安居酒屋で飲み放題を堪能していた。

「タズさん、アナタそうとうイケる口ですね……」

「そういう黒ちゃんだって、素質あるじゃないのよ」

 誰に咎められることもないのに、おれたちはぐびぐびハイペースで飲みまくっていた。

 大黒招吉……もとい黒ちゃんは、おれの仕事が終わるまでの間ゲームセンターに寄っていたらしい。つぶらな瞳のティラノサウルスのでっかいぬいぐるみを一丁前に、おれの横の席に座らせている。自分の隣には大きなビジネスリュック。4人がけのテーブルで、2人きりなのに荒れ模様。

 この短時間でとりあえずわかったことは、彼がとんでもなく貧乏性だということだ。たぶん学生の頃は、ファミレスでドリンクバーをたのんだとなれば「10杯ちょっとで元とれるから!」とガブ飲みする無頼漢だったに違いない。

 セールスマンなんてイイ金もらってると思ってたけど、こういう人もいるんだな。黒ちゃんなんて客に呼ばれて、ホントは嫌かもしれないし。「野菜食べますか」と言って、10円ちょいしか値段が変わらないシーザーサラダと梅と豆腐のさっぱりサラダのどちらを頼むかをかれこれ5分以上も悩んでいるし。

「いやぁあのですね、ほんとにタズさんが話の分かる人でよかったどす」

 どす? 舞妓はんかな。

「話のわかる?」

「はい! だって塩ダレきゃべつはおかわり無料なのに、タダだってのに、なにを気取ってか頼まない人が多すぎる!」

「なるほど」

「こんなもんウサギの餌だとかなんだとか言って、全く酷い言い草ですよ」

「じゃあ……ほら、塩ダレきゃべつ頼もうよ」シーザーサラダとかなんだ言ってないで。

「やっぱりタズさんは話のわかるお人だ!」

 話のわかる人発言はこのための布石かよ。可笑しい人だ。大変だよな、上手くない酒をたくさん飲んできたんだろうな。彼は注文用タブレットをいじる。

「黒ちゃん、おれの前では遠慮しないでよね。食べたいの頼んでね。ちゃんと割り勘にするし」

「マ?」

 心許した途端すげぇ距離の詰め方だな。すぐメニューを手に取るし。

「で、黒ちゃん、本題をそろそろたのむよ」

「ホンダイ? 刺身ですか? タイって魚か、魚、魚……」

「本題! おれに話すべきことがあったんでしょー、って!」

「そうでした! そう、アルコールで理性と記憶がぶっ飛ぶ前に話しとかないと」

 おいおいぶっ飛ぶ前提かよ。

 黒ちゃんはビジネスリュックをガサゴソ。中がめちゃくちゃなんだろうな、なかなか目当てのものが出てこない。おれは手持ち無沙汰にティラノサウルスのぬいぐるみを撫でる。なかなか良い手触りだ。

「はい、これですこれ!」

 黒ちゃんが何かを取り出した。丁寧に包装されていて中身は見えない。

「これです、その名もメモリーメクリーカレンダー!」

「メモリーメクリーカレンダー?」

 アホみたいに復唱してしまった。なんちゅうネーミングセンスの商品名だ。

「なんだよー、それ」

 運ばれてきた塩ダレきゃべつをおれは口に運んだ。おかわりは無限。食べなきゃ損々。

「これはですね。一枚目をめくった人の前世を、1日1日めくるごとに追体験していくことができるアイテムです。誰しも前世があります。その前世を思い出せれば人としての経験値が2倍になる。つまりどんな不器用な人だとしても! ある程度までは! 人並みに! 物事をこなせるようになるということです。まぁ前世がどんな人だったかによるんですがね」

 どんな理屈だよ————。思っただけのつもりが、声に出ていたらしい。

 黒ちゃんは嫌な顔せず、ふふんと鼻で笑った。

「スマホのカメラロールなんかを眺めていると、忘れていた過去を思い出したりするでしょう? そして芋づる式にその写真を撮った時に関する記憶も呼び覚まされる。このカレンダーはめくることで魂の記憶保管庫を刺激するんです。「あぁ去年の今頃はこんなことがあったなぁ〜」て感じのノリで色々思い出せます」

「ノリで前世まで思い出せるかよ……」

「ね! すごいですよね!?」

 まさか「すごい!」の一言で理屈を無視するなんて。

「おや? 疑ってますね? 物は試しでやってみてくださいよ。よく器用になんでもこなす天才子役なんかに「人生2周目」などと僻みたっぷりのコメントがあるじゃないですか。でもですね、人として前世の記憶があるのは大きなアドバンテージなんです。きっと生活の役に立ちますから」

「そんな便利なら今すぐやってみたいね。でも今は師走だぞ? 年始まで待たないで、はやく仕事ができるようになりたいよ」

 わざと煽るような言い方をした。黒ちゃんは美味しそうにビールを呷る。

「ぷはっ! ええ、いつからでも大丈夫です。始めようとしたその日から数字も始まります」

「そんな日めくりカレンダーある?」

「はい。思い立ったが吉日です。最近のカレンダーってすごいですね」

 また、すごい。

 納得し切れない。反論の糸口を探している自分がいる。小さなハエが視界の端をよぎった。

「前世が虫だったりする場合もあるんじゃないか?」

 そう言うと黒ちゃんはしどろもどろになって、誤魔化すみたいにメニューをおれに見せてきた。

「つ、つぎ何飲みます? ボクはビールで。あときゃべつも追加しましょう! 元とらないといけないんで」

「黒ちゃんはやってみたのか? カレンダー、めくってみたかい?」

 うまい話ならまず自分がやったらいい。意地悪な質問に、黒ちゃんはバツが悪そうに、水滴しか入ってないジョッキを口にした。

「いやぁ〜、たしかに人間じゃない場合もあります……。ボクがそうでした」

「なんだった?」

 彼は口にしたキャベツがまるでちり紙にでもすり替えられたような顔をした。

「アイアイでしたね」

「アイアイ…………猿の?」

 聞いた途端に、アーイアイ! と、目の大きな猿の名前が陽気なリズムで頭に充満した。充満して止まらず鳴り響く。だめだ。もう眠るまで消えない。

「虫とか食べてましたね〜〜」

 彼は遠い目をした。その沈黙が堪らずおれは声に出して歌い始めてしまう。

「アーイアイ、アーイアイ!」

 虫を食べる記憶だとか、犬小屋から日がな一日変わらない景色を眺める記憶とか、ハズレの前世もあるんだろう。でもアイアイか目玉の丸い。

「タズさん……止めてくださいよ。歌って踊らないでくださいよ…………アーイアイ! アーイアイ!」そう言う黒ちゃんも、おれの馬鹿さ加減にあてられて歌い出す。

 なんでこんな会ったばかりの人と猿踊りをやっているんだ? よっぽど毎日に鬱屈としてたのか、アルコールで脳がぶっ壊れたか。

「お待たせしました……、ビール追加でーす」

「アーイアイ! アーイア…………」

 店員さんがやってきてビールを置いていく。おれたちを見る彼女の目の、なんと冷たいことか。

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