6、ドクロ


◆どくろ



 ミナミさんと出会った時のことを思い出した。

 真っ赤なライトが2つ、交互に点滅している。踏切だ。赤色灯が万華鏡のように滲んで、カンカンと鳴る警報音が頭の両側をリズミカルにたたいて弄ぶ。視界がぐるりと渦巻いていく。吐き気がした。


 また知らないところにいる。さっきまで何をしていたんだっけ。


 涙が出ていた。そうだ、気付いてしまったのだ。僕は毎日、これまでずっとながいこと苦しかった。


 次、目覚めたら、知らないところでもいい————、でももうちょっと、あたたかくて明るい場所がいい。人がいい。ココロがいい。


 次、目覚めたら————。


 僕は歩き出した。


 目を閉じる。


 しかし、目覚めは早かった。僕は遮断機の内側のすぐのところで、一人の女性に肩を掴まれていた。


「久しぶり」





 先程の衝撃と悲鳴が、脳内で何度も繰り返される。

 僕はレンタカーの助手席にいる。隣には真っ青な顔で前方を見つめるミナミさんがいる。どうやら僕たちは人を轢いてしまったらしい。


 僕はミナミさんの肩にふれ、

「落ち着いてください」

 と言った。自分にも言い聞かせた。


 車外に出て倒れている人に駆け寄る。子供だった。小学生……低学年だろうか、小さい男の子だった。


「大丈夫かい!?」


 呼びかけに答えはない。彼の両目はあらぬ方を向いていた。ランドセルに乗るように仰向けにカラダを逸らせている。小玉スイカみたいな頭から帽子が落ちた。血が滲んでいた。出血は多くなかったが、覗き込んでみると頭骨がへこんでいた。キャラクターモノのマスクがはずれかけ、口は大きく開けられているのに、喉の奥から出てくるのはか細い糸のような呼吸音だった。


 まだ生きている、ただ、とても苦しそうだ————。


「………………」

 むせかえるように、えずく声が一度した。

 路傍の死骸と同じ匂いがした。

 子供は死んだ。


 子供と、子供の荷物を抱えて車に戻った。後部座席に乗り込む。


「その子……、その子、し……死んじゃったの……?」


 ミナミさんの声がする。まだ前を見つめたままだ。


「はい。死にました。でも大丈夫です」


 大丈夫、大丈夫……と呟く。


「行きましょう」

「行くってどこに!? 警察に! 救急車も呼ばないと!」

「どうしてですか?」

「だって、私その子を————」


 そこでミナミさんがようやく振り返った。


「えっ……?」


 後部座席には僕しか乗っていない。


「さっきの……子供は?」

「なんのことですか? 子供なんて…………最初からいなかったじゃないですか」


 ずしりと重たくなった棺のリュック。


「いなかったんです」


 いなかった。子供は頭からリュックを被せていくと手品のように棺の中へと収納されてしまった。もう、いない。


「ツカサくん……」

「行きましょう。僕が絶対になんとかします」

 そう口にしていた。


「どこでもいいから、行かないと」


 返事はなかった。


 車が走り出す。

 取り返しのつかないことをしてしまった。車はあてもなく知らない風景の中を走っていった。日が沈み、夜が来て、街に灯りがついて、それでも止まらずに車は走った。動揺はなかなかおさまらなかった。まるで通り過ぎたそばから後ろの地面が奈落へと落ちていく感覚。


 何も喋らなかった。


 予告もなく、車は街灯もない道に停まった。あたりは真っ暗で、遠くにぽつんとある一つの灯りは、人家の灯りか、街灯なのか、自動販売機の照明なのかも定かじゃなかった。


 車外に出ると驚くほど空気が冷たかった。


「大変なことになっちゃったね」


 ぽつりとミナミさんが言った。暗闇に目が慣れてくると、夜空にたくさんの星が散りばめられているのが見えた。ミナミさんは肩を震わせて、声にならない声をもらしながら泣いていた。彼女に声をかける。


「悪いのは僕です。最初から僕が悪かったんです」


 全てを呪いたい気持ちになる。

 僕にそんな資格なんてない。


「寒いね」


 彼女に手を引かれて車に戻った。

 二人で後部座席に乗り込んで、

 当然じゃん————。


 寒さをしのぐように抱き合った。カラダを結んで、手を繋いで温めあった。どうしてもっと早くこうしなかったのか、こうならなかったのかと考えを巡らせる。嬉しいなんて感情が肌一枚の内側に流れていく。こんな時じゃなければ……、こんな時だから……。


 長いこと2人きりだった。長い夜だった。ミナミさんの寝息がきこえる。寝顔を見ていたい気持ちと、抗い難くなってきた眠気がせめぎあう。


 視界の端が明るくなった。


 車の前方に目をやると、ヘッドライトがついていた。エンジンは消えているはずなのに。


 人目についてはまずいとハンドル横のスイッチに手を伸ばして、動きがかたまった。ライトが照らす先に人が立っていた。


「ツカサ君」


 耳元で声がした。だが、喋っているのは道の先の人影なのだと分かった。僕は棺のリュックを手に車外に出る。人影へと歩み寄った。


「大黒君……」


 安っぽいリクルートスーツ、大きなビジネスリュック、漫画風の笑い口がデザインされたマスク。大黒君が立っていた。


「こんばんわツカサ君、どうしてこんなところにいるのかという質問はさておき、キミ、ボクの忠告を無視したね」


 暗く鋭利な雰囲気を彼はまとっていた。

 言い訳できることではなかった。


「ああ」


 罰を受けるのだと悟った。ある日突然に警察手帳を目の前に突き出されたようだ。逃げる気はなかった。逃げられるとも思ってなかった。


「言ったよね? 忠告を破ったら運命の保証はしないって! 君なら大丈夫だと思ってたんだけど、それなのにまさか——————」


 真正面から指をさされる。


「幼い子供の命をその手で奪ってしまうとは!」


 喉元に見えない刃物でも突きつけられた心地だった。


「あの子が苦しんでいるから、楽にしてあげたくて」

「ちがうでしょう!」

「骨にしてどこかへ遺棄すれば、彼女の罪は立証できないと」

「だからってあの子を骨にしたと」


 大黒君が僕の手にあったリュックを持ち上げる。カラカラと音がする。


「この子はキミらとなんら関係ないんですよ。辛くても苦しくても明日がありました」


 大黒君が左手を体の前へ差し出した。


「おいで、おいで————」


 かわいた音がきこえる。棺のリュックがひとりでに開いた。踊り出てきた白骨たちが空中で組み上がっていく。子供のモノとは思えない大きさになったガイコツ。がしゃ、がしゃっ……、膝を地面についた僕の方へと歩いてくる。


 目を閉じた。骨が軋む音が僕の目の前にやってくる。そして、横、後ろ、遠くに。


「え……? どうしたんだよ、僕は殺されるんじゃないのか?!」


「キミには罰を受けてもらいます。でも死にたがりのキミが死んでもキミは苦しくない。だから罰は彼女の命でとなりました」


「彼女は関係ない!」


「関係あるよ。彼女の罪は人間界で裁かれるでしょう。でも……だけど! それこそボクらとは関係ない。彼女の存在はキミの運命を曲げてしまった。彼女がいたことで、キミは棺にまつわる本来の欲望とは別の理由で忠告を破ってしまった! ボクたちのルールにより、彼女は裁かれる」


「だけど、キミたちとは関係ないじゃないか!」


 怒声が飛び交う。大黒君からはサラリーマン然とした振る舞いはほぼ無くなっていた。まるで自分も悔しいのだと言いたげな声音だ。


「関係あるんだよ、ツカサ君。彼女はね…………彼女自身が、ココロの中で棺のリュックの力を期待してしまったんだよ。そうなってしまえばいいと、ココロの中で願い、そしてキミと一緒に逃げた。 罰は2人に下される」


 僕は車を振り返った。知らぬ間にヘッドライトが消えている。車内のミナミさんを思い浮かべる。起きた様子はない。ガイコツが近づく。


 苦しい思いをさせてごめんなさい————。


 目の前に向き直る。

 勝手に終わらせてごめんなさい——————。


「頼むよ」

「ツカサ君、もうこうなったらボクにはどうしようもできないんだよ。ごめんね。ボクは幸も不幸も、招くだけ。あとはお客様次第」


 僕はガイコツの方へ声を張り上げる。


「ねえ!」


 ガイコツは振り向かない。車の周りには奇妙な色をしたたくさんの人影が集っていた。


 僕は棺のリュックを手に取った。


 ガイコツが振り返った。







 長い取り調べが終わった。

 私の話をきいていた男は、灰皿に吸いかけの煙草をおいて外に出て行った。彼曰く、ツカサ君はあれ以来うわ言ばかり言うようになってしまったらしい。そして時折り誰かと会話しているという。何年も生きた老人のようにこれまでの事は何も覚えておらず、発作的にやってくる感情の波にやられて暴れてばかりだと。


 私は、「生きているんですか」と食ってかかりそうだった。朝起きたら彼はいなかった。またどこかにいってしまった。もう帰って来ないと思った。だから生きているのだと知って、どれほど嬉しかったか。


 取調室に若い男が入ってきた。先ほどの黄ばんだ歯を覗かせて喫煙していた男とは違い、マスクをしている。漫画風の笑い口がデザインされた変わったマスクだった。気がつくと私と彼の2人きりだった。いつの間にかに。


「はじめまして! ボクはこういう者です! セールスマンやってます!」


 若さと元気が取り柄なんですと言わんばかりのハツラツとした声。提示された名刺には、


『アナタの笑顔がインセンティブ 幸せお招きいたします 大黒招吉』とある。


「セールスマンの方ですか…………?」


「はい! まだまだペーペーですが」彼は照れた仕草をした。それから「臭いですね」と呟き、火のついていた煙草の火種を指でつまんで潰した。ジュッ……とモノが腐った臭いがした。


「あの……セールスマンの方がなんのお話を」


「ツカサ君のことです」彼はため息をついた。「最後までアナタを案じていたんですが、もうすっかり何もかも忘れてしまいました。彼とボク、もしかしたらいい友だちになれるんじゃないかと、思っていたりもしたんですが……」


 ふと、ツカサ君が飲みに行ったという……、あの不思議なリュックを持ってきたセールスマンが彼だと思い出した。


「あなたが」

「はい。大黒です」


 彼がリュックを持ってこなければこうはならなかったと思いはしたが、長い話の中で、誰がいけなかった……などと決めるのは容易なことではないし、責任なんて、はっきり誰かに押しつけられるものでもない。彼も悪いかもしれないし、ツカサ君だって間違いをおかした。私だって間違いなく悪いことをした。


「あっ、忘れないうちにコレを」


 彼は背負っていた大きなビジネスリュックから、別のリュックを取り出した。ツカサ君が動物の死骸を入れていたリュックだ。子供の死体を入れたリュック。さっきの男によると、最後はツカサ君の頭を覆っていたらしい。


「どうしてこんなところに」

「まぁまぁそんなことはさておき。アナタの手帳がどさくさで落ちていたので、お返ししにきたんです。おっと————」


 大黒君がリュックから私が日記やスケジュール帳として使っていた手帳を取り出した。本革だったがすっかり古くなっている。使用感を通り越して風化していた。リュックの効果だろう。


「わざわざ……どうも」


 檻に入るのにこんな物を今更渡されても困る。


「でもミナミさん、ツカサ君が生きていてよかったですね。彼を助けるのは何回目ですか?」


「さぁ。もし今回、彼が命を落とさずに済んだのでしたら、それで3回目でしょうか」私は手帳を開き、一枚の写真を取り出した。「あれ? これ……」


「おや? ああ、リュックの効果で写真まで時が進んでしまったようですね。撮った当時より未来の姿が写っているようです」


 その写真は、あるクラスの集合写真だった。5、6年前になるのだろうか。学級崩壊していたクラスを受け持つ担任だった私と、騒がしくて小鬼のようだったクラスの子達が写っている。不思議なことに、制服を着ている彼らの顔は当時より大人びていた。やつれていたはずの私の顔も、少し歳をとって、時間に癒された顔をしていた。


 みんな何をしているのだろう。当時いじめていたクラスメイトのことや、こうして警察に捕まっている教師のことなど思い出したりするのだろうか。


 かわいた笑いがもれた。その笑いにハンパな愛想笑いを大黒君は返した。


「先生、3回も彼を助けていたんですか」


 そうして長いため息をついた。

 ツカサ君がいじめられているのは知っていた。けれど私はぐちゃぐちゃに崩壊したクラスにカラダもココロもやられてしまい、ツカサ君のケアをしている余裕などなかった。何もできなかった。毎日辛くて、苦しかった。終わりにしたかった。

 ある日、高いところに行きたいと思った。落ちたらタダじゃ済まないようなところだ。私は職員室から鍵をくすねて放課後の屋上に上った。普段施錠されているはずの屋上への扉はなぜか開いていた。外へと出ると奥のフェンスをよじのぼるツカサ君の姿が目に入った。


「それが1回目ですか」


「ええ。でもそのおかげで彼は卒業までずっといじめられた」


 それから私は教師を辞めた。数年後、新しく始めた仕事の帰り道、遠回りしてたまたま通った踏切にツカサ君がいた。私は遮断機をくぐった彼を見て走り出していた。


「それが2回目。それから今回」

「彼、私の名前を呼んでいたそうですね」

「ええ」


 私の名前を呼んでいた。


「先生、ツカサ君は死んでもおかしくない状況なのに、生きています。それはアナタがいたからです。死んだら罰にならない。アナタがいたから生きている」


 生きていてよかったですねぇ、と大黒君は笑った。マスクの下で、にっこり笑ったように見えた。


「私が生きるための力になったと」


「はい!」


「そんな私が、自分を助けてくれなかった……苦しみを終わらせてくれなかったかつての担任教師だと知ったら、彼は絶望するでしょうね」


「してませんでしたよ。彼、アナタが昔の担任だって、思い出したと言ってました」


「本当ですか!?」


「ええ」


「話したんですか?」


「ここ何日か、何度も。彼が、アナタを助けるために子供を殺すという間違いを犯したのも、元担任などではなく、アナタ自身を助けたかったという気持ちがあったからなんです。悪い結果にはなってしまいましたがね」


「そんな気持ちで向き合ってくれていたのに、私は『何か役に立ちたい』なんて気持ちで接していたなんて……。罪滅ぼしだったなんて……」


「本当にそれだけですか? ミナミさん、彼に対して」


 私は何も答えず、手元の写真に目を落とした。


 集合写真の右端に私が写っている。これはどれだけの時が進んだ写真なのだろうか。私はずいぶん柔らかい表情をしている。


 彼といると楽しかった。


 私には単純な贖罪の気持ちだけしかなかったのだろうか。


 クラスの子達は、今頃私が担任についたぐらいの歳のはずだ。新しい生活が始まり、はじめての会社勤めに苦労していることだろう。大変だな。彼らが今の私を知らないように、彼らの苦しみなんて知ったことではないのだけど。


 写真に落としていた目線をずらしていく。

 私がもっと苦しんだら彼を救えたのだろうか。


 生きていてよかったですね————。


 大黒という男の言葉が耳に蘇った。大黒の姿は目の前にもうない。ただ彼が消したはずの煙草がゆらゆらと紫煙を立ち昇らせている。


 手帳はダメでも、写真一枚だけなら隠し持っていられないかな。


 ツカサ君————。


 写真の中で、私とは正反対の位置にいるツカサ君。


 忘れちゃったんだ、私のこと。


 それが辛く、苦しい。忘れられたのなら、私の痛みも軽くなるはずなのに、苦しくて仕方がない。私が彼に元教え子以上の思いを抱いていることにハッキリと気がついた。


 生きていてよかった————か。


 写真に写る彼は生きているとは言い難かった。骨と皮だけ……と痩せた人によく使う比喩があるけど、それがまさに当てはまる顔だった。ツカサ君は言葉そのままの、骨と皮だけの相貌をしていた。表情はあった。何もかも忘れたときいたが、苦しみだけは覚えていたらしい。こちらまで希死念慮を抱かせる苦悶の形相、落ち窪んだ眼窩に光る目で撮影者を睨んでいる。


 堅くて冷たい大きな棺の中で、彼はこれからゆっくり、骨になっていくんだ。


 苦しみながら。


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