3、探死


◆探死



 死体探しに出かけた。

 僕はとりあえず線路沿いに西へと自転車を走らせた。久しぶりの自転車だ。歩きだと捜索できる範囲が限られる。


 スティーブンキングの『スタンドバイミー』という小説を思い出す。少年たちが線路を歩いて死体を探しに行く物語だ。彼の話は好きで、だいたいどの小説も読んだし、映画も観た。ホラーを数多く書く作家だが、スタンドバイミーは違う。映画だと、青空の元を少年たちが歩いていく姿が好きだ。さすがに東京都の線路上は歩けないが、線路沿いに道は多摩湖まで長く続いている。前に調べた時は、有名な地図アプリにも細かくは表示されなかった。わりとランナーやチャリダーには穴場的要素があるのではと思う。


 しばらくは自転車道を走っていたのだが、小動物は車に轢かれている印象があり、途中から車が走る大通りを行くことにした。江戸街道や新青梅街道の車道の端を走った。


 どこかに死骸はないだろうか。死骸、死骸、死骸————。


 まるで死を望んでいるようだった。


 違う。

 僕は望まれない、望まない死を遂げた、死骸を探している。


 誰かに、何かに死んでほしいわけでは決してない。


 休むこともなくペダルを漕ぎ続けた。しかし死骸はなかなか見つからない。ついに多摩湖まで辿り着いてしまった。


 信号待ち以外で初めて自転車を止めた。さすがに疲れた。

 自販機で水を買い、またしばらく自転車を走らせる。いくらかうろつくと見知った道に出た。


 そうだ、そこの近くの急な坂を上がると、トロールが居るという森への入り口がある。真夏に一度その中で目覚めて死ぬ寸前の経験をした。喉が渇いて動けなくなっていたところを、妙に軽装な女の人に助けられた。僕に飲みかけの水を渡してあの女性は木陰と陽炎の中に消えていった。


 西武園遊園地がすぐそこにある。たしかここからの道は西武球場の方まで伸びている。周りはいい感じに木々に囲まれており、その上たくさんの車がスピードを出して走っていく。期待感が高まる。死骸がありそうだ。


 起伏の激しい道程だった。無理せずたまに歩いたりしながら進んでいった。車に何回も追い越される。ちらりと運転席に目をやると、邪魔だと言わんばかりにこちらを睨んでいく人も多かった。否めない。たしかにこんな道でノロノロ走っていたら邪魔だろう。しかし法を犯しているわけではない。悪いことはしていないと信じながら進み続けた。


 急なカーブを抜けた先にそれはあった。


 背中を向けて寝ている人間にも見えたそれは、近づいてみるとタヌキだとわかった。


 だらりと舌を出している以外は、特別これといった外傷がなかった。


 クラクションを鳴らしながら車が後ろから来て過ぎていった。意に介さず、僕はリュックを下ろす。口を広げ、使い捨ての手袋をはめてからタヌキを持ち上げる。べりりっとシールを剥がすかのような音がした。半身が地面から離れたところで奇妙に体がグニャリと折れ曲がる。背骨が折れているのかもしれない。そのまま持ち上げ続けると、胴体は乾きかけのガムみたいに伸びて、少し遅れてあとの半身もついてきた。


 リュックにタヌキを入れる。大きさ的にギリギリ入らないかもと心配したが、まるでマジックのようにリュックに納まった。不思議だ。全身すっぽりと入りきった。時間の流れに加え、容量も見た目以上にどうにかなっているのかもしれない。


 ファスナーを閉じる。知らぬ間に呼吸を止めていたようで、そこで強く息をついた。


「フゥっ!」


 汚れがつかないように手袋を外し、閉めたばかりのファスナーを開けてリュックの中に入れようとする。リュックの暗闇の中にきらりと光るものがあった。タヌキの目がこちらに向いていたのだ。己を轢いた車両を見送った眼なのか、冷たい怒りの目だった。


 待っていてね————。


 僕はリュックを背負い自転車を漕ぎ出した。ずっしりと重たい背中。心地よかった。


 多摩湖から離れ、坂を下っていく。民家やコンビニが見えるようになり、真っ直ぐ南へいくと新青梅街道にぶつかる。そうして東にペダルを漕ぎ、部屋がある小平方面に引き返した。




 空堀川という川を過ぎ、大きな交差点で信号待ちをすることとなった。


 右にいくと駅がある。たしか久米川駅だ。僕は右側の歩道を行くことにした。そろそろ小平霊園にさしかかる。そこを突っ切って帰ることにした。


 小平霊園は巨大な敷地だった。霊園を横切るなんて……と顔をしかめる人もいるだろうが、実際かなりの学生や通勤者が霊園を突っ切っていく。生活道なのだ。園内も不思議と暗い雰囲気がない。むしろ周りに建物がなくなり、青い空が頭上に広がるので気分がいい。自転車を下りてゆっくり歩いていると、背中が軽くなってきた。


 霊園を出た。再び自転車にまたがる。石材店が左に軒を連ね、右側に線路。好きな道だった。左側に視線を流す。並べられている墓石を見て、昨日の猫や今日のタヌキも、墓標か何かを用意したいと考える。場所が場所なので大袈裟なのはできないが。


 アパートに帰ってくるなりすぐ裏手に回った。昨日も使った、もともと無造作に放ってあったスコップを手にする。アジサイのそばが手頃に思えたのでタヌキはそこに埋めることにした。小さな板っきれをどかし穴を掘る。広めに、浅くなり過ぎないようにスコップを地面に突き立てていく。


 かんッ——とかたい音がして、スコップの先が何かに当たった。石かなと拾い上げると、それは何かの骨だった。ただの木片か何かだと放り捨ててしまいそうな軽くて白っぽいモノ。嫌な予感がして控えめにスコップを動かすと、驚いたことに骨はいくつも出てきた。ハッとして先程無造作にどかした板っきれを拾い上げた。


 表面を指で擦ると土埃がとれて、そこに文字が書いてあるのが分かった。風化してとても読み取れたものではなかったが、測ったように幅や間隔が整えられたきれいな字だった。


 これは墓標だったのだ。


 周りを見渡すと、他にもそれらしきものがあった。ひとつ、ふたつ……、五つはありそうだった。


 アパートの裏手は小さな墓地になっていたのだ。空恐ろしくなると同時に、掘り返してしまった墓の主に申し訳なくなった。丁重に骨を戻し、多めに土を被せる。墓標をさし直す。


 猫を埋めた場所はたまたま他の墓の合間だったらしい。墓標が無いことを確認し、僕はまた別の場所を掘り始めた。骨は出てこなかった。リュックからタヌキの骨を取り出し、余ること承知で頭骨から並べていく。


 そういえばまたスティーブンキングだが、引越した先の土地にペットの集合墓地がある話も読んだな。なんて名前の話だったっけ。


 墓を作り終えた。気持ち的にはもう一度死骸探しに出かけてもよかったのだが、そうすると夕飯までに帰って来られない可能性大だ。ミナミさんが心配する。いけない。


 ミナミさんここに猫を埋めたと言ったらいい顔をしなかったな…………。

 実は僕が猫を埋める前からここが墓地だったなんて知ったら、また嫌な気持ちにさせてしまうだろうか。


 …………黙っておこう。


 墓前に手を合わせる。

 それだけで僕は無心になった。


 ——————、——————。


 肩になにかが触れた気がして振り返った。

 誰もいないし、何もない。


 ミナミさんの顔を思い出した。

 よく何でもない時に彼女のことを思い出す。ミナミさんは綺麗な人だ。それなのに、いやそれだからなのか、時折りとても悲しげな表情をする。ささいな、ほんの何でもない時にだ。たとえば手を洗った後にタオルで拭く時とか、洗濯物を取り込みベランダから戻って来る時とか、歩行者信号が点滅したから少し走った後とか、本当に何でもない瞬間に。油断につけこんでやってくる悲しみがいったいどこに由来するものなのか、僕は想像がつかない。彼女の悲しみを垣間見たら、僕は直前の2人のやりとりを反芻して、自分の落ち度を探す。知らないうちにミナミさんを傷つけてしまってはいないかと考えるのだが、答えが出たためしはない。


 悲しみに襲われたミナミさんは、その後必ず悲しみ越しに僕を見る。だから漠然と、悲しみに僕が一枚噛んでいるのだと分かる。いたたまれなくなる。申し訳なくなる。しかしその悲しみと申し訳なさがあるがために、僕は毎日あの部屋に帰るのだと思う。僕は忘我の果てに行ってしまいたい。が、毎日帰る。放置できない問題だ。まぁそれ故に2人暮らしが続いているのかもしれない。そうじゃなきゃ、なんの関係もない2人が一緒に寝て、食べて、起きて、暮らせるものか。


 空になったリュックを背負い、部屋に行った。


 シャワーを浴びる。普段とは違う疲労感があった。


 夕飯の支度をする。


 ミナミさんの帰りを待った。


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