2、棺のリュック
◆
ミナミさんの話だと、死んだ猫などはちゃんと回収されるらしい。誰かが連絡すればの話で。
僕は昼間の課題である掃除を終えてすぐ部屋を出た。
猫が死んだ場所へいき、どうなっているかを確認したかった。確認したその後のことは考えていない。
20分と歩かぬうちに現場には着いた。
猫の死骸はあった。車道の隅、歩道との境の縁石のところに移動されていた。この死骸を移動した主は、血だらけの猫を善意か何かで移動したものの、市町村に連絡はしなかったらしい。轢かれた野生動物を市町村に回収してもらおうと考える人などそういないのかもしれない。
昼間の太陽の元で観察すると、猫の胴体はほとんどちぎれかけていた。これでよくあそこまで悶えていられたものだ。大きな蝿が1匹、猫の鼻っ面のあたりにとまっている。水回りをいくら掃除してもどこからか侵入するコイツに聞けば、悲運の死を遂げた他の猫たちの場所を教えてくれるだろうか。
「かわいそうですねぇ」
すぐ後ろで声がした。心臓を鷲掴みにされたくらい驚いた。が、僕の体は驚きと連動していないためゆっくりと振り返る。そしてもう一度驚いた。昨日踏切の向こう側で見かけた口裂け男がいたからだ。
「ボク、綺麗ですか?」
それは口裂け女のセリフだ。綺麗かなど知ったことではない。僕は逃げ出すことも出来ず、とりあえず挨拶をしたのだった。
「こんにちは」
すると向こうはどこか安心したように緊張していた肩を落とした。
「はい! こんにちわ!」
彼は安っぽいリクルートスーツに大きなビジネスリュック。履歴書の自己PR欄に、元気が取り柄ですと自信を持って書けそうな快活な雰囲気が伝わってくる。初々しい。新卒かもしれない。ということは、僕と同い年という可能性もある。マスクにはイラスト風の大きな笑い口がデザインされている。このマスクのおかげで昨日はおかしな見間違いをしたようだ。しかし新社会人としては不適切な格好なのではなかろうか。
「今のは昔出没して巷を騒がせた怪異の真似です。口裂け女ご存知ですか?」
「ええ、知ってますよ」僕は警戒心をとかない。「マスクをした女性で道抜く人に自分は綺麗かと尋ねるんですよね」
「そうです! そしてマスクを外して耳まで口が裂けた顔をさらし「これでもか!」と言うんですよね。今そんなことしたらソーシャルディスタンスをとってくださいなんて言い返されちゃいますよ」
彼は冗談めかしてそう口にした。どことなく、かねてより用意された台詞のようにも感じられた。
「えっと、それでなんでしょうか……?」
口裂け女のことはともかくスーツは苦手だ。働きもせずプチ放浪している自分にとっては、無言の冷罵を浴びせてくる服装だからだ。
「突然お声がけしてスミマセン! ボク、セールスマンです。こういう者です、はい!」
いつかネットで調べた社会人マナーを教えるサイトに載っていた所作で彼は名刺を僕に差し出してきた。たしか受け取る時もマナーの所作があったはずだ。僕はそのサイトの水色っぽい背景の色しか思い出せず、ただ「どうも……」と片手で受け取ってしまうありさま。思えばイメトレしているばっかで実際にもらうのは初めてだ。もちろんお返しの名刺はない。
「大黒招吉と申します!」
だいこくしょーきち。ミナミさん以外の人と話すのはあまりない。だいこく、しょーきち、名前は忘れてしまうかもしれない。
「セールスマンの方がこんな金の無さそうな僕に何の用ですか」
名刺にはキャッチコピーなのか、
『アナタの笑顔がインセンティブ 幸せお招きいたします』
とある。実に胡散臭い。
「あっ、お金を求めてるわけじゃないんです! あなただから声をおかけしたんです」
本当に元気がいい。笑い口のマスクの効果も加味されているだろうが、声もにこやかで明るい。笑顔が仮面のようなものでないのが僕にとっては救いだった。スーツに身を包んで嘘笑いでこられたらジンマシンが出るかもしれない。
「はぁ。僕だからですか……」
「はい! あなただからです。櫃木官さん」
相手の口から出た自分の名前にどきりとする。名乗ったっけ。
「櫃木さん、この猫に何か御用があったんじゃないですか?」
「用なんて別に……」
あまり話していたくないと思った。元気はいいが完全に怪しい者である。昼日中から町を手ぶらでうろつく僕も大概だが、そんな僕に声をかける彼はいったい。
「ボクはココロにナミダする人をお助けする、一種のボランティアみたいなものなんです! ちょっとお話だけでも」
彼はそばにあったチェーンのカフェを指さした。
普通ならついていかない。しかし町でミナミさんに声をかえられたあの日も、僕は言われるがままに見ず知らずの彼女の部屋に上がり込んだ。何か変わるのではという期待を抱いていた。この大黒と名乗る男も僕を変えてくれるかもしれない。口裂け女のイントロダクション…………営業の用語だとアイスブレイクか、あれは有効とは思えないけど。
「コーヒーでいいですか?」
そう聞かれて頷くと、
「ではお好きな席に座って待っていてください。いえお代は結構です! お客様の笑顔がインセンティブなんです」
と、またぞろ決められていた台詞臭さで大黒さんは言った。
はぁ……と僕は曖昧な返事をして、先に2人掛けの席についた。正面に大黒さんを捉える形となる。彼は店員さんを前にメニューボードを見上げている。悩んでいるようだ。店員さんは大黒さんの言葉をじっと待つ。他のお客さんはカウンターそばを通る際、彼が背負ったまま大きなリュックを邪魔そうに見ていく。
ほどなくして大黒さんは戻ってきた。運んできたトレーにはコーヒーとカフェオレ、スコーンが2個にそれから番号札。お腹が減っていたらしい。
「じゃあ」
なぜかビールジョッキで遠くの人と乾杯するかの如くカップをかかげ、彼はカフェオレを口にした。トレードマークであるだろう例のマスクはなんの躊躇いもなくずらしていた。ミルクと砂糖を追加している。
いただきますと僕もコーヒーをブラックですすった。大黒さんはスコーンにかじりつき、無言で食べていく。口の端にスコーンのかけらをつけた男を前に、僕はいったい何をしに来たんだっけと思い始めた。やがて彼の注文した品の番号が呼ばれる。彼が気づいていないようだったので僕が代わりに受け取りにいった。鯖サンドだった。
「スミマセン! お腹減ってて……」
一応僕はセールスのターゲットであるはずった。それとも僕は空腹で倒れているこの男性をここまで連れてきてご馳走しているんだっけ。謎空間だ。
僕の視線に気付き、大黒さんはハッとなって食べる手を止めた。
「なんか食べてばっかりで申し訳ないです。えーっと……それでなんだったかな」
「大黒さんは猫の死骸を見ている僕に声をかけたんです。ココロにナミダしていると言って」
「そう! そうでした! 櫃木さん、アナタは轢かれてしまった猫を見て何かしてあげたいと思っていたんじゃないですか? ボクはそんなそんなアナタにぴったりのサービスをご提供できます! それがですね……」
大黒さんは早口でまくしたてて、椅子の横に置いていたリュックに手をつっこむ。セールスマンとして、こういうやり方って正しいのかな。普通……、こう、少しずつ相手のガードを切り崩していって、そして本当の目的をぶつけるのが筋なんじゃないか? こう勘ぐるのも彼の術中にハマっているがゆえなのか、どうなのか。
「櫃木さんにおすすめするのがこちら! 棺リュックです!」
大黒さんがリュックからリュックを取り出した。マトリョーシカじゃないんだから。
「そのリュックがなんなんですか? 見た感じ普通のデザインで大きさも普通ですが」
「もう一つ小さいのもあります!」
提示したリュックからもうワンサイズ小さいリュックを取り出して大黒さんはドヤ顔。マトリョーシカだなホントに。
「サイズの問題ではなくて、一体それはなんなんですか?」
「その名の通り、リュック型の棺です。この中は時間の流れが特殊で、歪んでいるんです。小さい時にこういうことがありませんでしたか? いつ入れたか覚えていない溶けた飴玉がポケットに入っていたり、謎の五百円玉とかが鞄に入っていたり。不思議なことですがポケットやリュックの中というのは時間の流れが歪んでいると米の大学で証明されているんです。こちらのリュックの中は時間の流れがとても早くなっていて、ああいった不慮な事故で死を遂げたモノたちを手軽に葬るために作られた物なんです。このリュックの中に死骸を入れたら、それはたちまち骨になってしまうんです。火葬の手間が省けて、埋葬も簡単になるでしょう? これなら特殊な設備がなくても容易く櫃木さんでも可哀想な動物たちを弔うことができるんです、はい!」
口を挟む気にもなれない早口で大黒さんは言い尽くした。つまりはまぁ、よく分からない理屈によるすごい発明のリュックらしい。僕は彼の熱心な口から手に飛んできた小さなツバの一粒をそっと拭き取る。
「すごいですね」
返事に困ってそう返すと、
「ですよね!」
となんの足掛かりにもならないことを返される。リュックを手に取るしかなくなる。
「思ったより軽いですね。外側にポケットも多い。これなら小物もたくさん入れられます。それにもしかしたら防水ですか? 雨の日も安心ですね。黒を基調としたデザインが大人の雰囲気」
逆に僕がセールストークをしてしまう。謎空間、彼は誰で僕は何なんだろう。
「でもお高いんでしょう?」
「ボランティアだからお金はいただきません。今から早速行きませんか? あの猫もあのままではかわいそうでしょう?」
「連絡さえすればちゃんと回収されるらしいですよ」
「回収業者さん方の苦労はお察ししますが、ちゃんと弔いの気持ちがある人に、そう櫃木さんのような人に世話された方が、あの猫も幸せのはずです。あの子の力になりたいと思いませんか?」
また返事に困った。台詞が思い浮かばなかったからでなく、本心をズバリ突かれたからだった。
「善は急げです! いきましょう!」
彼は立ち上がった。僕はまだコーヒーを飲み終えていないのに。
勇み足の大黒さんについていき、あの現場に舞い戻った。猫はより多くの蠅を集らせていただけで、やはりそこにあった。
「こういう時のために使い捨て手袋も————」
彼が言うより早いか、僕は素手で猫を抱き上げていた。ちぎれかけていたカラダも離れずにぶら下がった。大黒さんが一拍遅れてリュックの口を広げる。僕は猫の死骸をそこに入れた。ファスナーが閉められる。
「これでお家に帰る頃には骨になって、処理……いえいえ、埋葬もしやすくなるでしょう」
僕はリュックを受け取った。
ずしりと、重たかった。
「帰る頃には……ですか。僕の名前だけでなく家まで把握しているんですね」
ええ、と低い呻き声みたいな相槌をされた。僕の家、つまりはミナミさんが借りている部屋だ。ここまで怪しい相手に対して、ここでようやく敵意に近い気持ちを覚えた。
「家まで来ないでくださいね」
「はい!」
「絞ろうとしたって、僕らには余計なお金はありませんから」
「とんでもない! 何度も申し上げますが、ボクはお金が目的ではありません。ボランティアなんです。お客様が幸せになれば、それでボクも幸せなんです」
今までで一番胡散臭い言葉だった。一つお願いがあります、と切り出す。
「今後会うことがあったら、僕に敬語や丁寧語はやめてください。年もきっと分かっているんじゃないですか? 同年代として話してください。苦手なんです、そういうの」
「そういうの、ですか」
大黒さんはにっこり笑った、ように思えた。
「わかりました。いえ、わかったよ、ツカサ君。キミが幸せになれるように、ボクも仕事がんばるからね」
「うん。大黒君も頑張ってね」
肩の力が抜けた。
得体の知れない男と僕の間には妙な関係性が生まれた。誘拐犯と、誘拐された人……又は人質などの間には奇妙な連帯感が築かれるときくが、これはもしかしてそれに類似するものだろうか。まるで僕が悪事の片棒を担いでいる気持ちだ。
ニコニコ笑い続ける大黒君をおいて歩き出す。
部屋に着く頃にはと言われたが、途中で急に背中が軽くなった。僕は恐る恐るリュックを下ろし、ファスナーをあけ、中を確認した。
何も入っていないかと思われたが、リュックの底の方に、くすんだ白色をしたモノが入っていた。臭いはしない。手を入れてつまみ出す。漫画で描かれるような、ザ・骨といったような棒が入っていた。
そう、骨だった。
にわかには信じられなかった。十数分前では、リュックに死骸を詰め込む僕の神経の方が信じられないだろうが、いや、これはおかしい。そんなはずはない。
いくら僕が物忘れが酷くたって、時間の流れを感じられなくたって、これは説明がつかない。
ちりんちりんと背後で自転車のベルがきこえて、身を縮めると同時に骨を隠した。買い物帰りのおばさんが過ぎていく。
とてつもなく悪いことをしているようだった。
どろどろとココロが濁る。
家路を急いだ。
二階建てのアパート、上下三部屋ずつの造りの建物…………そのかげに僕は穴を掘り、骨を埋めた。掘り広げた穴の中で、なんとなくで猫の形を作っていく。最後には骨が余ってしまった。僕は生き物の構造も知らない。知らないことがたくさんある。だからせめて誠心誠意をこめて出来上がった墓に手を合わせた。群生した貧乏草、それから世話のされていない痩せたアジサイのそばだった。
このリュックはすごい。
手を合わせながらほくそ笑んでしまった。
やることが与えられた気がした。
自分でもできる、役に立つことを得た気がした。
その日の夜、ミナミさんは目敏くリュックに気がついた。
「これどうしたの?」
ときかれ、僕は一から十まで欠片の偽りもなく事の仔細を話した。
「幽霊だと思ってたのはセールスマンだったの?」
それがミナミさんの最初の感想だった。
「うん。その人から貰ったのがこのリュックなんです」
「え〜〜。大丈夫これ? なんか盗聴器とか入ってない?」
言ってから彼女は口を手で覆った。
「多分ありません。仕組みを調べようとして僕も細かく調べましたが、何も見つかりませんでした」
「骨になっちゃうんだ」
手を差し入れてから、ドキッとしたようにミナミさんは手を引っ込めた。
「時間の流れが違うらしいですよ。ポケットの中で飴玉が生まれるとかなんとか」
「なんだそりゃ」
たしかになんだそりゃの理屈だ。こんな荒唐無稽な与太話をきく彼女の気持ちは想像し難い。
「で、その猫の骨はどうしたの?」
ミナミさんがきいた。西側の出窓に顔を向ける。窓から見下ろせば、猫を埋めたちょっとしたスペースが広がっている。
「アパートの裏に埋めました」
「ええッ!?」
ミナミさんは窓に近寄った。僕もそうする。痩せたアジサイが闇の中でぼんやりと浮き上がっていた。
「あ、あんなところに……」
「すいません。勝手に墓地にしてしまって……」
「あはは……」
苦笑いを浮かべるミナミさん。
リュックのことは日記に詳しく書いておいた。
日記はミナミさんから課された課題の一つだった。僕の忘れっぽさを改善するためのもので、その日のことを思い出すことによって記憶力向上が望めるとか。だから僕は思いついたまま書いていく。過去のことをよく思い出すことがあり、それをそのまま書くため、これを読んだ人は不一致な時勢に混乱することは免れない。読む人はミナミさんしかいないが。
できることを見つけなくちゃね————。
ミナミさんは僕によくそう言った。
僕とは離れた場所で、彼女自身も手帳に何か書き込んでいる。スケジュール帳兼、日記としても使っているものだった。
できること————。
僕にでもできることは見つけた。
僕は就寝時、明かりを落とした部屋のベッドの中できいた。
「迷惑じゃないですか?」
「ん?」
背中で声がする。シングルベッドで無理やり2人で寝ている。僕は普段通り端っこの縁ぎりぎりに、ミナミさんに背を向けて横になっている。
「僕は明日から動物の死骸を探して歩いて、それをリュックに詰めて、また歩いて、どこかに埋めようとしているんです。それは正常な人間のする行為とは言えないですよね。そんなことを始めて僕が、よりおかしなヤツになったら、ミナミさんは嫌ですよね」
静かだった。寝てしまったかなと諦めかけた時、ささやき声に近い返事が。
「君ができると思ったことを止めたくはないかな。悪いことはしないって信じてるし、ちゃんと毎日帰ってきてくれるなら、ね」
背後の気配が変わった。どうやら寝てしまったようだ。
部屋には置き時計の秒針の音が響く。時折、床や壁がぴしっとほんの小さな音を立てたり、浴室のシャワーヘッドから水が滴る音がする。
昔の僕は横になって寝ようとすると、どんな些細な、小さな、かすかな音にでもビックリしていた。それですっかり眠気が彼方へ吹き飛んでしまうのだ。しばらくしてまた眠気を手繰り寄せても、またかすかな物音ひとつで驚く。なかなか寝付けなかった。けれど今は違う。彼女の肌の匂いをそばに感じているとココロが安らいだ。ひとりより、よく眠れた。
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