4、発覚


◆発覚



 仕事が楽しくて仕方なかった。


 いやいや、仕事ではない。ただそこにいるだけなのに気分は晴れ晴れとしている。


 大いなる問題は消えた。加えて、今後幾度となくやってくるであろう問題たちも、あのアイテムがあれば大丈夫だ。シワができても伸ばせばいい。


 半永久の美しさが保証されたのだ。老いの呪いはシワだけじゃないのは百も承知している。そこが憂慮すべき点ではある。だけどワタシは不思議と不安にはならなかった。健康にも恵まれている。若い時から(この言葉が若くない証拠か?)一度も病気やケガをしたことがない。食べても太らないし、睡眠も少しだけで体力全快。お酒も翌日に引きずらない。要らないと判断したらモノでも、そうじゃないのも簡単に切り捨てられる。だからあまり悩まない。まぁ、シワについては別だった。でもそれももう終わり。ワタシはまた若さと美しさを存分に発揮することができる。


「なんだか嬉しそう。さては何か予定があるのね」


 おばさんの職員が定時上がりをするワタシに言った。


「ええ」シワがない今、真っ直ぐ相手の顔を見られる。「観たかった映画を観に行くんです」


 職場を出ると真っ直ぐ帰った。

 身支度を済ませ、日が沈むのを待つ。

 夜にこそワタシの魅力は強大になる。輪をかけて綺麗になる。


 部屋にさしていた西日が全て消えたのと同時にワタシは街へと繰り出した。


 騒がしすぎないクラブを選んだ。グラス片手にゆるやかにカラダを揺らす。それだけで楽しい。日によってDJが違い、かかる音楽は違うけれど、ワタシは何にだって対応できるし、楽しめる。


 トランス状態と呼ぶのだろうか、視覚や聴覚がふやけて溶けていく……そういう境地が好きだった。


 時間の感覚が曖昧になる。


 ふわりとカラダが宙に浮いた気がした。勘違いでなく、ワタシのカラダを男が軽々と抱きかかえて回っていた。笑って、靴が片方脱げた。地面に下ろされる時、それはシンデレラのガラスの靴よろしくワタシの足を待っていた。当然足にピッタリ。


 シンデレラと自分を重ねる。昼間のシンデレラは自分の美しさを知らなかった。だけど魔法により舞踏会の夜にそれを余すことなく発揮した。結果、王子様を手に入れる。彼女は夜の世界から本当の人生を見つけた。


 彼女とワタシは違う。ワタシは昼間をスキップ飛ばしして、毎日夜にだけ姿を表す生き物のようになっていた。毎晩、街や、店、相手を変えて夜を浮遊した。どこに自分の人生があるのかと疑問に思ったりもした。





 ある平日の朝、目尻に新たなシワを見つけた。


 そこでやっとワタシは現実的な朝に着地した。調子良く歩いていたのに突然後ろから引っ張られて転倒。


 小ジワは両方の目尻にあった。昨日はなかった。あったら気づいているし。


 ワタシは朝食もとらずにスキンアイロンを取り出した。電源をつけ、かけ面が熱くなるのを待つ。


 初めてのシワができてから1か月ほどしか経っていない。こんなに次々とできるものなのだろうか?


 シワができても消せる…………という事実がワタシに無茶をさせているのかもしれない。しかし今更だ。昼間の自分だけで人生を歩むなんてできるわけがない。誰にも見てもらえず、灰をかぶって暮らすなんて、そんな、意味のない、価値のない生活たえられない。


 美しくなきゃダメなんだ。ワタシがたった一人で立って、生きていくには美しさが必要なんだ。それがなきゃダメだ。それだけあればいい。


 指でアイロンが温まったか確認する。

 あれ?

 熱くない?

 べったりと手の平でかけ面に触れる。遅れてやってきた強い熱に手を引っ込める。


 痛い、熱い。


 手の平を見るとなんと手相が消えていた。手相だけではない。指の先の指紋までがツルリと、シワを伸ばされていた。


 途端、強い不安に襲われた。手相と指紋、言うなれば生物的な身分証が片方失われたからだ。誰でもなくなってしまうような酩酊感が頭にかぶさった。


 とりあえず火傷には変わりない。冷凍庫の氷を握りしめた。


 出勤時間まで余裕もないので、さっさとシワを伸ばす。指紋も消すだけあって、やはりアイロンの効果は折り紙付きだった。


 時間がなくなってしまったため、朝食は抜いて出勤した。


 仕事はなんの滞りもなく終わった。


 ワタシはもはや昼間になんて用が無い。前より、夜が待ち遠しい。


「また映画ー?」


 帰り際にまたぞろ言われた。曖昧に笑ってワタシは職場を後にした。


 例によってワタシは夜を部屋で待ち、西日が消えると同時に街へと出かける。


 ふらりと入ったバー。バーカウンターの奥にクラゲが入った水槽があった。何回か来たか、それとも初めてかも定かじゃなかった。言われなくても、薄暗い店内で光と戯れるクラゲがこの店の目玉ということが一目瞭然のレイアウト。ぷっくりとハリのあるクラゲがゆったり泳いでいるのは癒されるけれど、ワタシは途中から水槽の隅がすこし茶色くくすんでいるのが気になってしょうがなかった。


「お一人ですか?」


 聞き慣れた声に顔を向ける。大黒だった。ワタシの隣に座ろうとして、逡巡の後、一個空けて腰を下ろした。


「大黒くん、なんか疲れてるわね」

「はい……! あ、あのう、飲みやすいやつください」


 そう大黒に言われたバーテンは「飲みやすいの……」と呟く。飲みやすさなんて人それぞれだ。ワタシはだいたいどこにも置いてある輸入ビールの名前を告げた。クラゲとは対照的な無駄のない動作でバーテンは動き、大黒の前にビールを置いた。


「ありがとうございます。おつかれさまです」


「お疲れ様。ねぇ、リュックぐらい下ろしたら?」


 ワタシは座っても例の大きなリュックを背負ったままの大黒に言った。大黒のリュックは低い背もたれの上に乗っかってしまっている。


「いやぁ…………うっかり忘れちゃうことがあって、あまり下ろしたくないんですよね。それに盗られるかもしれませんし」


「誰も盗らないわよそんなの」


「モノの価値は人それぞれでして。使い回しの悪い重たいアイロンでも必要な人には必要です」


「あら? 嫌味のつもり? それ」


「いいえ、スミマセン。今夜はそのアイロンについてご忠告するためにうかがったんです。探しましたよずいぶん」


「ご足労さまです。それでそんなに疲れちゃってるの?」


「いやぁ実はボクいま別のお客様を見つけたところでして」


「ふうん。よかったじゃない。フットインザドアやってるの?」


 ワタシは大黒の方へ脚を伸ばしてみせた。彼にいつもの元気がない。


「まぁはい。でもお客様が何が幸せかと考えることが思った以上に大変でして。納得のいくサービスをご提供できているのかどうか、分からないんです」


 コイツも悩むんだな、といささか感心する。


「テキトーでいいのよ」


 そうですかねぇ、と大きなため息をつく大黒。思い出したようにスマホを取り出して操作している。会社への連絡かもしれない。ワタシもガラになく人を慰めたりしていないで、そろそろ場所をかえようか。そう、そういえば何かワタシに忠告があるって。


「ねぇところで、忠告ってなんなの?」

「はい?」


 大黒はスマホから顔を上げた。チラッとスマホの画面が見えた。電車の中なんかでもよくやってるやつがいる、スマホのパズルゲームだった。敷き詰められた数色の泡を竜が消す、バブドラとかいうアプリ。


 いや、こんなタイミングでゲームする? ねえ?


「だから、忠告って」


 ワタシは立ち上がる。大黒はなんのことだっけといった具合に目を泳がせる。


「あ、はい。そうでした。腰輪さん、あのアイロンに頼るのはいいですが、必ず使用上の注意は守ってください。それから、アレを使えば簡単にシワを伸ばすことができますが、覚えておいてください。伸ばせば伸ばすほどに、シワ寄せが待っていることを」


 真っ直ぐ見つめられ、少々たじろいでしまう。


「わ、分かったわよ……。やりすぎちゃダメってことでしょ?」


「はい。腰輪さんは、ご自分の絶対的な美しさというものを心のよりどころにしています。その自信こそが貴女のバランスを保っています。しかし「老い」の呪いは自然の摂理です。一過性の術ばかりに頼っていないで、いつかは受け入れなくてはいけません」


 ムッとした。

 こんな若い子に言われたくない。


「ご忠告ありがとう。それじゃまた。お仕事がんばりすぎないでね、大黒くん」


 ワタシは店を後にした。彼のビールの分は払っておいた。アイロンの使用料とでも言おうか。先程の言葉は聞き捨てならないが、奢られる喜びを彼にもお裾分けしよう。交渉術や話術を多少なりとも使う仕事をしている仲間として。


 そう、大黒が言い放った台詞はまさしく図星だった。

 かと言って夜を飛び跳ねることはやめられない。


 ワタシは大黒の忠告を受けた後も、そんな生活を続けた。楽しかったし、必要だった。

 妊娠が発覚したのはそれから2週間ほど後だった。

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