9.威嚇する蝶

 麻琴に連れられ歩く道は町の中にあるマンション。エントラスを抜けロビーに入ると麻琴がチラッと私を見てくすくす笑う。それで、自分の口が半開きになっていることに気付き、慌てて口を閉じる。


 日頃、築年数が経ったアパートに住んでいる身としては、水の流れるエントラスとか高い天井に煌びやかな照明と高級そうなソファーが並ぶロビーがある場所なんてところに人が住んでいるんだと口が半開きになるのも仕方ないことだと思う。


 ふくれっ面になる私に笑みを向けた後、先に進む麻琴の後ろをついて行く。


 落ち着いた感じのドアが開き、飾り気のない玄関を抜け案内されたソファーに腰を掛ける。家の中はシンプルで物が少なく、良く言えばシンプル。悪く言えば味気ない部屋。さっきまで可愛い麻琴を見ていた私からすればギャップが激しいと言わざるを得ない。


 きょろきょろと見回していると、程なくして出されたのは、薔薇の花があしらわれた綺麗なティーカップと、棘の茎と葉の鮮やかなソーサーのティーセット。

 爽やかで香ばしい紅茶の香りが鼻をくすぐるなか、ふかふかの沈むソファーに悪戦苦闘しながら、慣れない紅茶を飲む私が麻琴のどこか優しい視線に気が付いたのは、一緒に出されたお茶請けのクッキーを口に入れてからだった。


「ゆっくりで良いよ。落ち着いてお話したいから」


 視線に気付き、ナッツ入りのクッキーを慌てて飲み込もうとした私を麻琴嗜める。せっかくだからと味わって食べる私の前で紅茶に口をつける麻琴は、優雅でそれだけで絵になる。


「美味しそうに食べたり、麻琴をじっと見たり、飾切は忙しい子ね」


 可笑しそうに笑うと、そっとカップをソーサーの上に置く。陶器同士がぶつかり鳴らす澄んだ音は、これから始まる戦いのゴングの音のように感じたのは、私が麻琴に対し身構えているからに他ならない。


 この人は気を抜いたらすぐに自分のペースに持ち込んでくる油断ならない相手。少し美味しいクッキーに気を取られかけたが、ここに来た目的を忘れているわけではない。


 私は目の前にいる麻琴から目を離さないよう……あれ?


 目の前にいるはずの麻琴が視界から消えていることに気付き、慌てる私の左の耳に温かい空気が触れる。

 さりげなく腰に回される手と右肩に優しくもしっかりと絡む手に、私の心臓が一瞬止まったのかのような錯覚を覚える。


「ねっ、麻琴の体に触りたいんでしょ。飾切も見せたいものがあるんじゃない? 見せ合いっこしようよ」


 耳元で囁かれる甘い言葉。


 ──あ、無理


 麻琴に対しスキを見せまいと意気込んで僅か2秒程で、抗えないことを私は悟る。

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