6.未知の道で呼び方を強要される

 花蓮麻琴に連れられ歩く私の足が少しずつ重くなるのを感じる。


 私が住んでいる市の中にある町なはずなのに、いつもの道からいつもと違う角を曲がると違う世界が広がる。

 大通りから僅かに外れただけなのに空気は濃い色をつけ、どこか落ち着かない雰囲気を纏い私に付きまとってくる。


 すれ違う人たちは私たちに興味を向けつつも、自分自身に興味を持たれないよう視線を逸らし足早に歩く。


 甘くもどこか苦味を感じる空気を吸い込むと、小笠原弥生おさわらやよいとしての自分は踏み込んでいけない場所だと警告してくるが、心の奥底で、いや一人の人間として興味を持っている。


 高い塀にきらびやかな建物。入り口は踏み込んではいけないような、踏み込みたいような独特な雰囲気を出して手招きをする。


 私の隣を歩く花蓮麻琴はこの雰囲気に慣れているのか、足どり軽く歩いている。

 そもそもこのホテル街を女2人で歩くのも目立つのに、隣を歩く花蓮麻琴の容姿のせいで余計に注目を浴びている気がする。


「ちょっと」


 耐えきれずに私は花蓮麻琴に声を掛ける。すると大きな瞳を輝かせ私の腕にしがみついてくる。私と身長は対して変わらないのに私を見上げる、いわゆる上目遣いで見てくる花蓮麻琴に体の芯が熱くなる。


「なに? なに?」


 ほんのり頬を赤らめ満面の笑みで尋ねてくる花蓮麻琴に頭がくらくらしてしまう。


「弥生ちゃんが私に話し掛けてくれて嬉しいっ。何かな?」


 そう言ってしがみつく私の腕を更にぎゅっと握り顔を近付けてくる。顔が熱くなるのを感じながら、先ほどファミレスでの会話で「麻琴に伝えたいことがあるならもっと近付いてお話しようよ。近付いて小さな声でお話した方が特別感があって楽しくない?」と言っていたことを思い出し、腕にしがみつく花蓮麻琴が嬉しそうにしていることに自分が無意識に小声だったのだと気付き納得してしまう。


「こ、こんな場所に連れてきてどういうつもりよ」


「こんなとこ? あ~なるほどね」


 そう言って花蓮麻琴が私の腕を引っ張ると耳に息が掛かる距離で囁く。


「それはねっ、麻琴のことを知って欲しいのと……弥生ちゃんのことを知りたいから」


「知りたいって、あんたを受け入れるかどうかって話し……」


「うん、だからここに来たの」


「はぁ?」


 目を輝かせ可愛さを振りまく花蓮麻琴に対し、私は間抜けな声を出してしまう。そんなことはお構いなく花蓮麻琴は私に更にすがってくる。


「麻琴のね、全てを知った上で誰にも邪魔されないところで弥生ちゃんと二人っきりでお話したいの」


『全てを知った上』『誰にも邪魔されない』『二人っきりで』の単語が強調されている気がして、その先にあるものを想像して息を飲みこんでしまう。そんな私の心内を知ってか上目遣いで私を見る花蓮麻琴の瞳は色気をふんだんに含んでいる。


「さっきから気になってたんだけどぉ、麻琴のことはって呼んでよ」


 色気たっぷりの瞳で何を言い出すかと思えば、くだらないことを言い出すので身構えてしまった分拍子抜けして馬鹿らしくなってしまう。


「はあ? なんでよ。バカらしいっ! もう帰る」


 逃げ出したい気持ちもあったかもしれないが、このタイミングを逃してはいけないと大袈裟な動きで振り返り花蓮麻琴に背を向ける。


「帰っても良いけど、弥生ちゃん一人で帰れる?」


 ほんのり意地悪な感じを含んだ花蓮麻琴の言葉に辺りを見渡すと、全然知らない場所にいて、周囲の視線から目を逸らしていたせいで来た道も覚えていない。


 知らない場所、知らない人たちに加え、日頃踏み入れない場所に対し不安に駈られてしまう。


 先程までの甘い匂いは今ではむせる死の香りにすら感じる。


 震える足を悟られまいと私の腕にしがみついてきた花蓮麻琴を睨む。相変わらず綺麗で純粋そうに見えるが、奥に色気を潜ませた瞳で私を見て微笑むと、


「このまま一人で帰っちゃう? それとも麻琴のことをま・こって呼ぶ?」


 元々なんでこんな話しになったのかも分からない。でも今この知らない場所で、目の前にいる花蓮麻琴から離れるのは危険だと心の中の私が叫ぶ。

 意地になってここまでついてきたことを後悔しながらも、私はゆっくり口を開く。


「ま……麻琴。これでいいでしょ……」


 最後は小声になってしまったが私に名前を呼ばれた花蓮麻琴は、女の私から見ても可愛いくて、ドキッとしてしまう笑みを向けて抱きついてくる。


「嬉しいっ!」


 自分でも顔が真っ赤なのが分かるほど熱い顔を隠すところもないのは分かってても、麻琴に見られないように必死に反らすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る