6.闇の中にある飴と鞭はただただ甘美で

「あなたのお名前はむげんねずみさんで間違いないよね?」


 僕の唇を押さえていた指に僅かに力が入り、それ以上の答えは求めていないと示される。僕が黙っていると麻琴ちゃんは質問を続ける。


「∞ねずみさんに質問。ここ数日、あとをつけていたのはあなた?」


「後をつけてただなんて、僕は麻琴ちゃんのためにっ!?」


 パチッと乾いた音がして、真っ暗な視界が揺れる。右の頬にチリチリと焼けたような痛みを感じ、それが麻琴ちゃんに叩かれたのだと認識する前に甘く鋭い声でたしなめられる。


「余計なことは言わなくていいの。∞ねずみさんはただ質問に答えればいいから」


 そう言われてすぐに左頬に衝撃が走る。


「返事は?」


 凄く痛いわけではなが、ピリピリと後を引く痛みが頬から首を伝わり、背中を走り抜けていく。


「はい」


「声が小さいよ」


 今度は鼻先に痛みが走り目に涙が溜まる。恐らく鼻先を指で強く弾かれたのだと思う。


「はい!」


 痛みに反射的に返事をすると右頬に手が触れる。また叩かれるのかと思い体を硬直させてしまうが掛けられた声と触れる手の動きは優しく甘美なもの。


「よくできました」


 右の頬から首筋へ撫でられ、左頬に触れる感触は声の位置から麻琴ちゃんの頬だと確信する。頬擦りをしてくれる柔らかい感触が心地好くて、左頬に神経を集中させる。


「いい? あなたはただ質問に答えればいいの。できるよね?」


「はい! できます!」


「よしよし、いい返事ができてお利口さん」


 頷きながら返事をすると褒められながら頭を撫でられる。頭を撫でられたのなんていつ以来だろうか、くすぐったさと嬉しさが湧き上がり心を満たしていく。


「じゃあ聞くね。ここ数日、後をつけていたのは∞ねずみさんであってる?」


「はい!」


「じゃあ、なんで後をつけていたのかな?」


「僕と麻琴ちゃんとの記念すべき出会いを劇的に演出したくて、声を掛けるタイミングを見計らっていたんです」


 嘘偽りなく答えると麻琴ちゃんは少し黙って考えているような雰囲気を出す。


「それをやって相手が喜ぶと思ったの?」


「えっ! だって! 僕は麻琴ちゃんのことが好きで、麻琴ちゃんも僕のこと気にかけてくれてたよね? お互い相思相愛だから──」


 パンっと乾いた音が頬から響く。大きく視界が揺れ、頬の刺すような痛みから先ほどよりも激しく叩かれたのだと知る。


「言ったでしょ、あなたは答えるだけ。余計なことは言わなくていいの」


 麻琴ちゃんの静かだけど怒りの籠った声に、怒らせてしまったと怖くなった僕が頷くと、頭に手を置かれる。


 叩かれると思って身をすくめるが、予想に反して優しく頭を撫でてくれる。


 優しい手つきが嬉しくて、暗闇の中で目を細めるが、突然右足の内ももに硬くて冷たいものが当たる。

 それは何度か太ももを強目に叩き、そいつの存在を僕へ示すと、ゆっくりと太ももに沿って這い上がりやがて足の付け根にたどり着くと、股関節を叩く。


 冷たい感触と当たった場所に背筋に寒気が走る。


「∞ねずみさんの大切なここを切り落とすことが麻琴の愛情表現。もちろん受け入れてくれるよね?」


「そ、そんな愛情表現がっ」


「あるの。人の数だけ愛情表現があって当然でしょ。あなたの愛情表現と麻琴の愛情表現、形は違えども本質に違いはある?」


 僕の言葉を遮り、冷たく言い放つ麻琴ちゃんの言葉に返す言葉が思い付かず黙ってしまう。


「それで? 受け入れるの? 受け入れないの?」


 カツン、カツンと一定のリズムで鳴る金属音は、僕の股関節の骨を伝い響く。それはどこまでも冷たくて、痛みを伴う熱を持つ極限の矛盾を持って僕を追い込んでいく。


 終始無言でただただ僕を打ち続ける麻琴ちゃんの求めるものは僕の答えだけ。

 余計なことを言えば叩かれるだけでは済まない、麻琴ちゃんの愛情表現を『受け入れるか』『受け入れないか』それだけを答えるだけだ。


 暗くて視界はなくとも麻琴ちゃんを近くに感じられる幸せな時間が続いて欲しいと、麻琴ちゃんの愛情表現を一瞬だけ受け入れるという選択肢を考慮してしまうが、股下に感じる冷たい感触が現実に引き戻す。


 冷静に考えて体の一部を切り落とす、そんな愛情表現を受け入れられるわけがない。


 だから僕は一言だけ言葉を発する。


「……無理です……」

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