答えは空のむこうに
逢沢 海月
第1話
答えは空の向こう
ジンちゃんとは、高校2年生のクラス替えで仲良くなった。きっかけが何だったのかも覚えてはいないけれど、私が転校する日までの学校で過ごす時間のほとんどは一緒に居た様に思う。
もちろん最初から二人きりでいる事はなく、クラス替えで自然と出来た男女三人ずつの仲良しグループで過ごす時間での一人だった。メンバーは入学時から仲良くなった真由美(まゆみ)と美紗(みさ)、幼稚園からずっと一緒で幼なじみの亮(りょう)太(た)、そこに二年のクラス替えで初めて話をした達也(たつや)とジンちゃん。そこに私を入れての六人組。男女三人ずつのグループだけど、カレ・カノ関係はなく、それぞれ別にカレ・カノが居る少し変わった仲間。でもその分、ケンカをする事もなく本当に仲が良かった。
ジンちゃんは一見物静かに見えて少し取っ付きにくい。でも突然、突拍子もない行動をとって周りを笑わせたり、マイペースが過ぎるところがあり見ていて面白い。いつの間にかそんなジンちゃんに突っ込みを入れるのが私の役目になって……そんな関係性が私とジンちゃんの距離を他のメンバーよりも縮めて行ったのだと思う。ジンちゃんが「さくら」という名の私を「さくっち」と呼ぶことも、私だけが「仁(ひとし)」と言う名前なのに「ジンちゃん」と呼ぶところもそんな関係性が現れていたと思う。
ジンちゃんはクラス委員の由香(ゆか)ちゃんと付き合っていた。二人は堂々と付き合いをしていたから、クラス全員が知っている事だった。その分、私とジンちゃんの近さをよく言わない人も多かったのかもしれない。
由香ちゃんは私とは真逆に見える可愛らしい子。人の悪口など言えない子に見えて、そんな可愛らしい由香ちゃんのがジンちゃんを先に好きになって、私達が居る前で堂々とジンちゃんに告白をして二人は付き合った。今思うと由香ちゃんはジンちゃんと私の近さが嫌で、私達の前で告白をしたのかもしれないと今ならわかる気がする。
「さくらちゃんと仁君は性別を超えた親友だね」
由香ちゃんはいつもそう言って、優しく笑ってくれていた。
いつもの体育授業前の移動中、真由美、美紗と三人で体育館へ向かって歩いていると、ちょうど体育館の入り口に差し掛かった時に話し声が聞こえてきた。
「由香、いいの?さくらちゃん。由香と仁君が付き合っているのを知っていて、あの仲の良さはさ、当て付けているようにしか見えないけど……」
声は同じクラスの恵子(けいこ)ちゃん。
「やっぱりそう思う?さくらちゃん、仁君の事好きなのかな。仁君は私が好きって言ってるのに何だかちょっと可哀そう……ハハハ!笑っちゃかわいそうだけど」
そう言ったのは由香ちゃん。由香ちゃんのいつもとは違う、はっきりとした口調のその声にと言葉に、真由美と美紗は驚いていたが私は驚かなかった。いつも優しい顔で、優しい声で、ジンちゃんと話をする由香ちゃんの一瞬見せる無表情に気付いた時から、由香ちゃんの内の深い海に気付いていたから。
由香ちゃんの本心を聞いてしまった後、三人は阿吽(あうん)の呼吸(こきゅう)で頷く。そして大きく足音をたて大げさに笑い声をあげ、気付いていないふりで由香ちゃんたちの前を通り体育館へ入った。由香ちゃんたちは私達の笑い声を聞くと、いつもの優しい顔で笑いかけた。私達もニコリと笑い返し、何もなかった様に通り過ぎた。女ばかりだとコレが面倒くさい。だから私達はいつもカレ・カノではない男女6人で居るのが心地良いのだと実感した。
うちの学校は髪型や髪色は自由で、個人を尊重するかなり独特な価値観のある学校だけれど、一応進学校。成績をクリアして、通学の許可をもらえればバイク免許も取ることが出来る。かなり自由度が高いが、もちろん禁止をされている事もあり、それはアルバイト。理由は勉強の時間が減るという理由からだった。
だから私がアルバイトをしているのを知っているのはいつもの仲間と一部の大人たちだけ。アルバイトをしている理由は気兼ねなく使えるお金が欲しかったから。
仲が良いと思っていた父と母の離婚を急に知らされて、母はひとりで出て行った。私を連れて行くつもりだったらしいが、私の親権を含めてお互いの条件などを決めてからとなり、今はまだ籍は切れていないまま母は別の場所に暮らし、父と連絡を取り合っていた。
父と二人の生活は金銭的には全く困ってはいない。お願いをすればお小遣いも充分に貰える。それでも、父には欲しい物を伝えるのは嫌な事も多くてお小遣い以外をねだる事が出来ない。だからバイトをして好きに使えるお金を確保していた。
でもそんな理由は学校には通用するはずもないので、見つかったとしても「今日だけただのお手伝い」と言い訳の出来る、母の友人家族のお店で厨房内の仕事をさせてもらうアルバイトをしていた。
夜九時になりバイトが終わった。平日の夜でもお客さんが多く来る店で、今日もディナー用のサラダを盛り付け、数えきれないほどのお皿を洗った。
「さくらちゃん、疲れたでしょ。そろそろ上がって良いよ。今日もありがとうね」
マスターから声を掛けられ、簡単に掃除を終えてからお店の方々に挨拶をし、裏口から外へ出た。
「疲れた……」
大きく息を吐いて、独り言を言い歩く。お店と隣の建物の間にある狭い通りを曲がると車三台ほどが停められるお店の駐車場があって、私はいつも自分のスクーターをそこに停めている。いつも通り駐車場に行くと、そこにはジンちゃんが自分のバイクに座って私を待っていた。
「あれ、ジンちゃんどうしたの?」
「さくっち、バイト終わった?」
「終わったよ。」
「お疲れ。ねぇ、ちょっと付き合って欲しいんだけど……。丘の上公園に行かない?」
丘の上公園は私達が通う学校の裏手にあり、文字通り丘の上にある公園で、ジンちゃんが私をそこに誘う時は心にダメージを受けている時が多く、放っておけないからいつも付き合う。
「丘の上までスクーターだと大変だから後ろに乗りなよ」
そう言ってジンちゃんは自分のバイクのタンデムシートを叩いた。学校帰りに丘の上公園へ行く時は学校近くから続く長い階段で向かうけれど、車道を通るとちょっとした小山(こやま)を上る位の坂が続く。少し考えたけれど、スクーターを置いたままだとマスターが心配すると思い、自分で行くことをジンちゃんに告げ、スクーターのエンジンをかけた。
「そっか!じゃぁ俺、先に行くよ!」
そう言うとジンちゃんは走り出した。私は後を追うように付いて行くが、続く上り坂にスクーターは唸りながら速度が弱まる。ジンちゃんに遅れる事7分ほどで公園に着いた。
「スクーター壊れるかと思った」
笑いながら、唸り続けたスクーターのエンジンを切り、センタースタンドを立ててシートに座り直してからヘルメットを外した。
「だから後ろに乗りな!って、言ったのに」
そう笑い近付くジンちゃん。
「5月も終わりだけど、やっぱり夜は少し寒みぃね。……さくっち、もう少し前に座ってよ」
そう言うと私の後ろからシートに跨りハンドルを握った。
「スクーターは二人乗り禁止だよ」
「大丈夫。動かさないよ。停めたままなら問題ないじゃん」
「狭いって。ベンチに座れば良いでしょ」
笑いながら押し合う。いつものじゃれ合い。
「嫌だよ。ベンチ冷たいもん。さくっちが前に座れば後ろが空くでしょ!そこに俺が座ればさくっちが、座っていたからあったかいし、さくっちも俺が後ろに座ればあったかいじゃん。一石二鳥」
そう言いながら後ろから、ハグをする様に腕の辺りにギュッと力を込められた。
「またぁ、私が由香ちゃんに怒られるよ」
「大丈夫!見てないし、さくっちだし」
ジンちゃんは笑いながら、今度はステップに足を乗せて両膝で私の足を挟む。
「バイクに乗る時はハンドルをしっかり持って、脇を締めて膝に力を入れる。ニーグリップが大切なんだよ」
そう言いながら実践するジンちゃんに、私はすっぽりと包まれてしまった。「やっぱり何か嫌な事があったのだろうな……」そんな事を心で思いながら、今度は私からゆっくりとジンちゃんに体重を預ける。それに合わせてジンちゃんが私の肩に顎を乗せてきて頬と頬がぴたりと付いた。それはジンちゃんが私に甘える時のお決まりの体制。
「ジンちゃんのほっぺあったかいね」
「俺のヘルメットフルフェイスだからね。さくっちが冷たいから、あっためてあげてるんだから……有難いと思ってジッとしてて……」
「うん。今日だけね」
「何で今日だけだよ。いつも感謝してよ」
そう笑い、後ろから抱きしめる力を強くされた。
そのまましばらく、丘の上から見える学校や私達の住む街を2人で見下ろした。静かな丘の上には誰も来る事はなくて、今日で何度目か分からない二人の不思議な時間に、心地よい沈黙がそっと流れて行った。
いつも何かあると、こうやって私に触れに来る。でも私は今までも今も、理由は聞かずに静かな時間を一緒に過ごす。ジンちゃんもきっとそう望んでいる気がしていた。
いっそう街が静かになって、暗さが増す。
「さくっちのほっぺ、あったまったし……そろそろ帰るか」
ジンちゃんが私のスクーターから降りる。
「うん。また明日!」
「さくっち、先に行けよ。」
そう言われて先に走り出すと、後ろからゆっくりついて来る。結局、私の家の前まで送り、手を挙げて帰って行った。これもいつもの事。
静かな自宅のドアノブを回すと玄関の鍵が開いた。家に入ると父が私を待っていた。
「遅くなってごめん」
「いいよ。バイトだろ?お疲れ様。さくら、話があるんだけどいい?」
改まった声の父。私は頷いて父の向かい側に座った。
「お母さんとやっと話がついた。さくらには色々、迷惑をかけたね」
「……」
黙ったまま父を見つめる。
「お母さん、さくらと一緒に住みたいって。もちろん、お父さんもさくらと一緒に居たいよ。でも、お父さんは仕事で留守にする事も多いし、さくらを一人にするのはやっぱり心配だから、お母さんにさくらをお願いする事にしたよ」
「そっか、わかった。2人で決めたんだね。じゃあさ、一つだけいい?お母さんのところに行く日は私に決めさせて。3年になると転校はきついから、夏休みが終わったらお母さんのところに行きたい。急だけど……急な方がいい事もあるから」
「そっか。わかった。学校は?友達にも言わないとだよね」
「明日学校に行ったら担任の先生に相談をしてみる。次に行く学校も決めなきゃならないし……」
父にそう告げ自分の部屋へ入る。
ドアが閉まると自然と涙が溢れた。父と母の離婚が正式に決まり私は母のところで暮らす。もちろん高校も通うのは厳しくなる距離。未成年の私は親に従うしかなく、自分の事なのに自分で決められないのがとても悔しかった。
次の日、担任の先生に親が離婚をする事、転校をしなければならない事、夏休み中に手続きをしたい事、全てを話して転校可能な高校を探してもらうことになった。先生はとても驚いてから悲しい顔をした。その顔が私の気持ちを理解してくれているようで嬉しくて、我慢していたのに思い切り泣いた。先生は黙って私が泣き止むまで背中をさすってくれた先生の手がとても暖かったのを覚えている。
転校先が決まるまでは誰にも言うつもりはなかったが、先生からのアドバイスもあり、親友の真由美と昔から知る亮太には先に話して気持ちを支えてもらう事にした。
真由美は話を聞きながら、ずっと泣いていて、話終わると二人で抱き合って泣いた。亮太はそれをじっと見ていたが、泣き止まない私達を包むようにして、いつの間にか三人で泣いていた。後日先生にその事を話した。
「友達ってありがたいね。側にいてくれる人を大切にしてね。側にいると意味は色々あって、目に見える距離が近いって事だけじゃないよ!心の側いる人って事もね。」
千背からはそう言われ、大きく頷いた事が忘れられない。
少し時間が流れ、予想外にも転校先は早く見つけられた。家庭の事情を理解してくれた先生は親に代わって、色々な手続きをしてくれ、先生が担任で良かった事に、先生に恵まれた事に心から感謝をした。
九月の転校も決まり、7月に入ってからジンちゃんたちにも話をした。泣き虫美佐は抱き付いてきて泣いて、達也は無言のままずっと俯いていた。ジンちゃんが気になりそちらを見ると少し怒ったような……驚いたような顔で真っすぐに「じっ」と私を見ていた。
期末テストが終わり6人で思い出作りをした。遊園地へ行き写真をいっぱい撮り、気分が悪くなるほど繰り返し繰り返しアトラクションに乗り笑いあった。海水浴にも行った。浮き輪に捕まり浮遊していたジンちゃんが、気付くと私達から離れて沖に流されそうになっていて、皆で慌てて引き戻しに行った。陸に戻るとその様子を見ていたライフセーバーの方にはかなり怒られ
「いやいや、見て居たなら助けてよ!」
そう言い返してしまい、ジンちゃんは更に怒られて皆で頭をさげた。それでも納得が行かなかったジンちゃんはいつまでもブツブツと小声で言っていたが、皆で必死に静まらせた。 そんな事も楽しくて六人の忘れられない思い出のひとつとなり……。夏休みはあっと言う間に過ぎて、9月に入る3日前。駅まで送りに来てくれた皆と「会いたい時にいつでも会おう」と約束をして、ひとり電車に乗って育った街を離れた。
9月に入り、新しい学校では目立たない様にしていた。一緒に居てくれる友達はすぐに出来たが、気が抜けない学校生活に疲れて一人になると泣きそうになった。そんな毎日を送っていた時にジンちゃんから電話があった。
「さくっち元気?もうすぐ三連休じゃん!二人で海行こうよ」
そう言ってくれた。
「うん。…海、行く。」
嬉しくて声が震えたが、泣きそうになるのを我慢した。
「よっしゃ!じゃあ、決まり。」
震えている私の声には触れないでジンちゃんは優しくそう言った。それから何度か連絡を取り合って、皆で行った海へ遠回りをしながら電車で行く事に決めた。
約束の日、海まで行く乗換駅で待ち合わせをして二人で1番前の車両に乗った。この電車の先頭には昔の車両が使われており、全席小さなボックス席になっている。進行方向を向いて私が座り、その向かい側にジンちゃんが座った。ボックス席には 今では見られなくなった灰皿が付いていて、電車の揺れに合わせて「カチャカチャ」と音をたてた。椅子には所々焦げた跡もあり、たばこの灰が落ちたのかな……なんて思いながら年代を感じさせた。窓枠や肘掛けには 何かで引っ搔いて書かれた様なイタズラ書きが沢山ある。好きな人の名前や意味のない言葉を羅列したものなど、2人でそれらを見ながら書いた人たちを想像しながら沢山話をした。
しばらく走ると急に車窓の視界が開け、キラキラとまぶしい水面が見えた。目的の駅まではもう近いのが想像できた。古い車両の窓は今でも見かける窓と同じ作りで、両脇からレバーを挟み持つと窓が上にスライドをする。少しだけ開かれた窓からは夏の名残を感じさせる、ほのかな熱を感じる風と潮のにおいが入り込んできた。
ジンちゃんは立ち上がり私の隣に座り直した。そこから外を見ようとするから体同士が近くなり、自然と顔も近付く。そしていつもの様に私の肩に顎を乗せ、頬を合わせたまま海を見た。それから程なくして、外の景色が変わらぬ海の続くままに電車は駅に着いた。
ホームの向こうには砂浜が見え、秋の海が広がっている。ほんの少し前、夏に皆で来た海なのに、あの時とは違う場所みたいに静かなのにそれに反して、波は夏よりも荒々しくうねっていた。
9月の日中は太陽が昇るとまだ少し汗ばむ。
ジンちゃんはズボンの裾を膝まで捲り、海に入り楽しそうにはしゃぐ。そして振り返った瞬間、近くの岩で大きく割れた波が高さを増し押し寄せた。ジンちゃんは慌てて砂浜へ走るが思うように走れず、腰まで波にのまれて濡れてしまった。
「やばーい!ヤバイ、ヤバイ」
笑いながら走って来るジンちゃんに言う。
「ライフセーバーの人が居たら、また怒られていたかもよ。フフフ!濡れたままでは帰れないよ。さぁどうする?」
「ハハ……冷たいよ海、冷たい!やっちゃった」
そう笑い周りを見回すと、夏にもお邪魔をした海の横にあるカフェを指さした。
お店のドアを開けると状況を察したマスターが近付いて来てタオルを差し出してくれた。
「このままじゃ風邪ひいちゃうから、向かいのコンビニで下着を買ってくるといいよ」
「そうですよね。ごめん!さくっち買ってきて」
ジンちゃんは自分の財布を私に渡してきた。
「もぉ……そうなるよね。」
お財布を受け取りコンビニでトランクスを買って来てジンちゃんに渡すと、奥のトイレで着換えてトランクスのままでコンビニの袋に入れた下着と濡れたジーンズを手に私に向かって歩いて来た。嫌な予感がした…。その予感はあたり、
「さくっち、ごめん。今度はズボン乾かしてきて」
そう言い、濡れたジーンズと三百円を手渡してくる。仕方なく私はコンビニ横にあるコインランドリーに濡れたジーンズを入れてきた。
カフェには私達の他にはお客さんも居なかったので、ジーンズが乾くまではマスターも加わり三人で会話を楽しんだ。
四十分後、乾いたズボンを穿いて(はいて)帰り支度をしながらマスターにお礼を伝えると
「こちらこそ楽しかったよ。二人は仲がいいね。またおいで待っているからさ!」
そう言って私達に飴をひとつずつくれた。私達は2人で頭を深々とさげ、また来る約束をして店を後にした。
駅に着くとちょうど電車が入って来た。来る時とは違い電車に乗る足が重い。そんな気持ちを察してくれたのか、来る時とは違ってジンちゃんは 最初から隣に座ってくれた。電車が動くと寂しさが増してきて黙ってジッと外を眺めていた。
「また来ればいいじゃん!また来よう」
ジンちゃんはいつもの様に私の肩に顎を乗せると「コツンコツン」と頭と頭を軽くあてた。そのまま二人で、ずっと静かに外を見た。
ゆっくり電車が止まり待ち合わせをした駅に着くと、ジンちゃんに背中を押されて電車を降りた。
「さくっち?またね。大丈夫だよ……いつでも連絡してよ。飛んで来るからさ。はい!俺からのプレゼント」
そう言ってジンちゃんはマスターからもらった飴を私の手に載せ優しく笑うと、手を振りながらホーム反対側に停まる電車に乗り込んだ。急いで乗ったのは私への優しさだったと思う。帰りたくない私が早く家に帰るようにとった行動だったと思った。だから私も、ジンちゃんの乗る電車が走り出す前にホームを離れた。
新学期になり文化祭の話し合いが始まると皆と話す機会が増えた分、自分の居場所が少しずつ増え学校が楽しく感じられるようになった。おかげで、学年末の頃にはすっかり友達と呼べる仲間も増えて行った。3年への進級ではクラス替えも無かったので、楽しいまま高校生活を無事に終える事が出来て進学し、その後の就職と順調に送ることが出来た。
大学の頃は六人の同窓会と言う名の集まりを何度かしたが、ジンちゃんと二人だけで会ったのは九月の海が最後となった。
現在の就職先で営業に配属をされて、毎日のように新しい人達と話をし、色々な意味で刺激が多く、良い事でも悪い事でも毎日頭をさげる生活を送っていた。上手くこなせるように成る頃には自然と新しい仕事も増えてくる繰り返し。新しく覚える時はなかなか容量が掴めない事も多くて、残業をしなければ仕事が終わらない日々に次第に体調を崩していった。
月曜の朝起きると、吐き気と胃痛で支度が進まずその日は休みを取って病院へ行った。診断結果はストレス性の胃炎。胃壁がボロボロになり内出血を起こしていた様で、少し仕事を休むように言われた。
診察室を出て会計を待っていると、痛みが落ち着いたせいかその日初めて、喉の渇きを感じた。見ると奥に売店があり足を運ぶ。飲み物を選びセルフレジに向かうと何となく見覚えのある後ろ姿。そこには 点滴に繋がったまま歩くジンちゃんが居た。久しぶりの再会だった。
「ジンちゃん!どうしたの?」
「えっ、さくっち?久しぶりだね。さくっちこそどうしたのさ?」
質問を上手くはぐらかされた事にも気付かず、胃炎だったことを話した。
「さくっち、少し時間ある?ストレス溜まっているみたいじゃん。話聞いてやるよ」
変わらず優しかった。私はジンちゃんの言葉に甘えて、病院の喫茶室でたくさん話を聞いてもらった。最初は仕事の愚痴ばかりを言っていたが、そのうちに皆で行った海の話や二人で行った海の話になり、ストレスを忘れて心から笑うことが出来た。
「よかった。さくっちに元気が戻った。じゃあ、俺はそろそろ病室に戻るな。怒られちゃうしね」
「あっ、自分の事ばかりでごめん。ジンちゃんありがとう。会えてよかった」
そう言いながら病室へと上がるエレベーター付近まで送ると、女の人が近付いて来て会釈をされた。
「あっ、俺の奥さん。去年結婚したんだ。式はまだだけどね。式が決まったらさくっち達も来てよね!」
そう言うと今度は奥さんの方を向いて
「こっちはさくっち、高校の同級生」
と私を紹介してくれた。私は奥さんに会釈をして、ジンちゃんにお礼を言い病院を出た。
病院からの帰り電車の車窓から「ボーっ」と外を見ていると、ジンちゃんが入院している理由を聞き忘れた事に気付いた。それと同時に奥さんの顔が浮かび「私が心配しなくても大丈夫だね…」そう思った。ちょっと寂しさを感じながら帰路についた。
仕事は相変わらず忙しかった。でも就職をして二年を終える頃には食事に誘ってくれる先輩も出来て笑える日が増えて行った。毎日が楽しく思える様になった事も嬉しく感じていた。
ジンちゃんと病院で話してからふた月ほど経ったある日、真由美からの電話が鳴った。真由美とは今でも良く連絡を取っているので、珍しくはなかった。
「もしもし!真由美?お疲れ!」
「さくらちゃん、お疲れ。ねえねえ、久しぶりに六人で会おうよ。」
「六人で?いいね。会いたいよ。」
速攻で答えた。聞くと、真由美が私と美佐を誘い、達也がジンちゃんと亮太に連絡をする事になっているらしく、皆で近況報告会をやろうと言う誘いだった。真由美と達也は高校を卒業後に付き合い、六人の間を結ぶ大切な糸となってくれていた。もちろん六人は欠けることなく、皆で会う約束をした。
毎年夏の暑さは増して、異常気象ではなくこれが日常なんだと独り言を言って、テレビを見ながら支度をする。そんな熱すぎる夏がまだまだ続く9月の連休前日の夜、六人で久しぶりに顔を合わせた。待ち合わせの居酒屋前、久しぶりの嬉しさと恥ずかしさが入交りながら皆で挨拶を交わし店に入り、席に着くと直ぐに
「はい!皆さんに報告があります。俺達けっこんします!」
と達也と真由美から告げられた。これには皆で声を上げて祝福をし、2人を中心に盛り上がり、久しぶりに高校生に戻ったようで楽しかった。
2時間の予約の時間も終わる頃、亮太がカラオケ店へ予約の電話を入れてくれて、お会計を済ませて皆で店を出た。カラオケ屋に向かい歩き出した時にジンちゃんが居ない事に気付いた。
「ジンちゃんは?」
「あっ、さっきトイレに歩いて行ったからまだ出てきてないのかも。俺見てくるよ」
達也がそう言ってくれたけど私が見てくると伝え、皆で先に行ってもらうことにした。店員さんに事情を話して入り口付近で待たせてもらうと、ジンちゃんが出て来て、店員さんにお礼を言って店を出た。
「さくっち、どっか行こうか……二人でどっか行っちゃおうか?」
突然ジンちゃんに言われた。
「何言ってるの?みんなが待ってるよ。それにそんな事がばれてごらん!可愛い奥さんが心配するよ」
「えっ!バレなきゃいいの?」
そう笑うジンちゃんに少しドキドキしながら、背を向けてジンちゃんの手を引きカラオケ店まで沈黙のまま歩いた。今思うと、その時のジンちゃんの表情を確かめなかった事を後悔している。その時ジンちゃんはどんな顔をしていたのか私は考える余裕もなかった。
カラオケ店に着くと何も無かったように皆に大はしゃぎをしながらジンちゃんは楽しそうに歌い始めた。新しい今どきの曲ではなく、自然と当時に流行っていた選曲が続いて、大合唱になる。
「ちょっと何だよ!今は俺が歌っているの!ダメだよ、俺が歌っているの!」
皆の大合唱を笑いながら辞めさせようとするジンちゃんの声に余計に皆の声が大きくなって皆が笑っている。幸せな時間が流れた。
「真由美と達也が結婚するなら、俺らの糸は切れることないな」
亮太のそんな言葉に嬉しさを感じながら、大人になった私達は終電よりも少し早い時間にそれぞれの家へ帰って行った。また六人で会いたい。強くそう思った日であった。
年が明けて梅の花が香る日に亮太からの電話が鳴った。
「もしもし亮太?どうしたの?」
「さくら……驚かないで聞いてね。仁が死んだよ」
「……えっ、」
その後に続ける言葉が出てこない。
「もしもし、さくら?大丈夫?」
「…何で?何で…」
「さくら知っていた?仁の病気……。皆で会う前『さくらと病院で会った』って、仁から聞いていたから、病気の事は知っていると思うけど」
「私、何も知らない。あの時、何も聞いてなかったの。じゃあ、皆で会った時は?」
「うん。あれも仁の元気なうちに…って達也と話して、皆で会う事にしたんだ。……葬儀の日程、仁のお母さんから聞いたから。さくら?美佐と三人で行こう。迎えに行くから」
亮太の気遣う声が優しい。
「ジンちゃんのお母さんから連絡きたの?喪主はジンちゃんの奥さんじゃないの?」
質問攻めになる私に優しく答えてくれる亮太。
「さくら……仁、病気が治らないって分かって奥さんと別れたんだよ。奥さんのご両親とも話をして決めたって言ってた。仁、一人にならないように俺と達也が毎日会いに行ってたんだ。」
「何で言ってくれなかったの……」
「ごめんね。さくら……」
沈黙が流れる。亮太は電話を切らずに私の言葉を待ってくれている。
「さくっち、どっか行こうか……二人でどっか行っちゃおうか?」
あの時突然ジンちゃんにそう言われた。
「何言ってるの?みんなが待ってるよ。それにそんな事がばれてごらん!可愛い奥さんが心配するよ」
私はあの時、そう答えると
「えっ!バレなきゃいいの?」
ジンちゃんはそう笑っていた。でもその時にはもう、奥さんとは別れた後だったと言うの?
ジンちゃんはどんな顔をしていたのだろう。私はあの時、後ろも振り返りもしないで手を引いていた。知らずに傷付ける言葉を沢山言っていたと思う。胸がギュッとした。
昔からそうだったのに。何かあると会いに来た。あの頃、私の肩に顎を置いて静かな時間を過ごした。きっとあの夜もそうしたかったのよね。だから『二人でどっか行っちゃおうか…』なんて言ったんだよね。どうして気付いてあげられなかったのだろう。胸をグラグラと後悔が揺らす。心臓が早くなり涙が溢れ出た。
「さくら、大丈夫?一番仲が良かったもんな。まだ落ち着いて聞けないと思うから、また明日連絡するね。」
そう言って亮太の電話は切れた。その夜は眠れぬまま朝を迎えた。
次の日、約束通り亮太から電話が着て、葬儀の場所と時間を知らせてくれ、一晩考えたが気持ちの整理がつかないから葬儀には出られないと伝えた。亮太は小さい頃からの幼なじみ。多くを言わなくても分かってくれた。
「わかった。皆にはそれとなく行っておくよ。落ち着いて仁の家に行く気になったら俺が付き合うから大丈夫だよ」
そう言ってくれた。亮太と電話を切って数分後、美佐から電話が着た。美佐は半分泣きながら半分怒った声で言った。
「行かなきゃダメだよ。仁くん、さくっちが来てくれないと悲しむ。」
「ゴメン。受け入れるのは難しくて」
美佐に謝り電話を切った。
ジンちゃんの葬儀が行われる日、少しずつ薄暗くなり始めた自室でクローゼットを開けてアルバムとお菓子の缶を出す。 アルバムには六人で撮った写真が沢山並び、お菓子の缶の中には二人だけしか知らない沢山の写真と、あの日の飴が入れてある。ジンちゃんと私には二人の秘密が沢山あって……。丘の上公園で過ごした静かな時間、二人で行った秋の海。電車の落書きを見て笑った時間。いつも私の肩に顎をのせ、体温を感じながら一緒に見た景色。ずっと続いた不思議な関係に答えを出すこともなくジンちゃんは居なくなってしまった。皆が知っていた病気の事も私には話してくれなかった。離婚した事だって…私だけ知らなかった。
もし、教えてくれて居たら。あの夜、二人でどこかに行ったのかな。昔みたいに頬を寄せて一緒に何かを見たのかな。大人になったから聞ける事も沢山あったはずなのに。大人になったから言えない事もジンちゃんにはあったのかな。最後の時間を一緒に過ごす事も私なら望んだよ。最後まで手を握る事も私なら出来たよ。部屋の中がすっかり暗くなっても、悔しさと悲しみと消せない後悔は涙になって私の体から溢れた。
二度とは戻らない毎日を過ごしながら、私達は生きている。どんなに時が過ぎても鮮明に思い出せるあの頃は、聞けなかったジンちゃんへの言葉と一緒に、きっと違う次元で続いているのかもしれない。ジンちゃん、二人で居る時間はどういう気持ちだったのジンちゃんは私に何かを求めていたのかな?もしも、私が好きって言っていたら…関係は変わっていたのかな?今になって聞きたかった言葉が沢山あった事に気付いても、もう聞く事も出来ないんだね。
でもさ、ジンちゃん。私たちは次の世界でもまたきっと巡り合えるよね。私、強く願うから。ジンちゃんも強く願ってね。そして会えたその時はお互いの気持ちを素直に話そうね。ちゃんと答えてくれるよね。だからそれまでは…その時まではもう聞かないね。
だって「答えは空の向こうに…」あるのだから……。
答えは空のむこうに 逢沢 海月 @omohide
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