第96話 さくらちゃん鍛える



 諫早いさはやさくらはだらしなく寝転ねころがってテレビを見ていた。

 もちろん、いつもいつもそうしているわけではない。

 最近はよく働いたし、ちょっと疲れて横になっているだけだ。

 決して腹筋ふっきんが弱いせいではない。


 ちょうどバラエティ番組では『きんトレ』の特集をやっていた。

 オフィス帰りにジムに通い、筋肉をたくましくする女性たちが急増中とのことだ。


「ただ生きているだけでもつかれるというのに、よくやるわね……」


 就職というものにかけらも縁のないさくらにとって、それは修行僧しゅぎょうそうのようにストイックな行いに思えた。

 それとも『オフィス』というものにはそれだけ筋肉を育てなければならない何かがひそんでいるのだろうか。


 さくらは寝転びながらボリボリと腹をいた。


 この『ボリボリ』という擬音ぎおんは正確ではない。

 正しくは、腹のあたりから『ぽよんぽよん♪』という感じの感触が指を伝わってくる。

 ふと自分の体を見下ろすと、そこにはベッドの上に垂れ落ちる脂肪しぼうかたまりがあった。


「これは……重力にしたがっているだけ……人が本来あるべき自然な姿……」


 さくらはそう自分に言い聞かせた。

 しかし動かざる事実として、つい先日、さくらはジャージのズボンだけを買い替えたばかりであった。

 ほかならぬ自分の意志でそうしたのだから、よくわかっている。

 それというのも、愛用していた高校時代のジャージがサイズアウトしてしまい、ズボンだけサイズアップしなければならかったからだ。


 成長期でもないのに……。


 さくらはおそるおそる腹に触れた。

 すごくやわらかかった。

 外出時は補正下着ほせいしたぎでなんとかするのだが、これだけ増えてしまうと、贅肉ぜいにくが下着に入りきらなくなる恐れがあった。

 補正下着も万能ではない。


「ダイエットするべき……?」


 するべきである。

 しかし彼女には体型維持のために運動を行うというりがつかなかった。

 およそこの世に存在するすべてのスポーツが嫌いなさくらである。

 走るのは息が苦しくなるので嫌だし、散歩だと退屈になってしまう。

 水泳は水着になるのが面倒くさく、そもそもプールまで行くのもかなり面倒だ。


「うー……ん」


 彼女はごろりと転がり、キリッとした顔つきで天井をにらむ。


「そういえば、ぶるぶるふるえるベルトをつけるだけで腹筋がつくって商品があったわね、昔……」


 パソコンを起動し、通販サイトを漁ると、振動しんどうベルトという名称の商品がずらりと出てくる。


「こういうのってきくのかしらね」


 軽く調べると『振動が内臓に悪い』という意見が散見さんけんされた。


「うわっ。ダマされた! あっぶね……買うところだったじゃない」


 さくらは購入を断念だんねんした。

 やはり筋トレに楽な道はないのだろうか。

 そのとき、ひとすじの光明こうみょうがさした。


「そうだ! 魔法で何とかすればいいじゃない」


 さくらはピンときた。

 筋トレは得意じゃないが、むりやり得意分野に持ち込めばいい。

 うまくすれば、振動ベルト以上に金が動く呪文になること間違いなしだ。

 さくらはさっそくインターネット上で魔女たちが集まるカヴンに顔をだし、先行研究がないかどうか聞いて回った。

 どうやら画期的かっきてきなものは無いらしい、と知り、さくらは意気揚々いきようようと呪文研究に乗り出した。


 ちなみに、ここにいたるまでにずっとさくらはしゃべり続けていたが、あれはひとりごとである。





 翌日、さくらはベッドに寝そべったまま、宿毛湊すくもみなとを呼ぶはめになった。

 宿毛湊は大家に合鍵を借り、ベッドに寝そべったままのさくらを発見した。

 彼女は自分の力では起き上がれなかったのである。


 宿毛湊はそこそこ心配した。


 先日のハロウィンイベントで、七尾支部長が勝手にさくらをまつり上げたときのあれが――さくらはすっかり忘れていたが――尾を引いているのではないかと思ったのだ。


「何があった!?」


 さくらは狩人のほうをちらりと見ると、悲しげな表情で言う。


「シックスパックが……逃げたの……」

「シ、シックスパックが……?」

「ええ、つまり。私の筋肉が」

「筋肉が、逃げる? どういうことだ。もっとわかるように話してくれ」


 昨晩、さくらちゃんは「寝たまま筋トレ呪文」を開発した。

 それは、鍛えたい筋肉の部位に魔法をかけ、それぞれに命を宿す呪文である。

 命を与えられた筋肉たちは、さくらの肉体から離れ、独立した確固かっこの生命体となった。


 そしてさくらの命じるままに筋トレを始めたのである。


 これなら、さくらが寝ていても勝手に筋肉が育つ。しかもどの筋肉を育てるかは、自分で選び放題ほうだいなのである。


「いうなればちょっと前に見かけた付喪神化に近いかしらね」

「とんでもない呪文だな」

「とんでもなかったわよ。最初はまあらくができてよかったのだけれど、やがてシックスパックは自分たちの《意志》をもちはじめたの……」

「SFみたいな話だな」


 六体の筋肉たちは、さくらの肉体に戻ることを拒否し、それぞれの自由を求めて飛び出していった。いまは、この部屋のどこかに息をひそめている。


「そのシックスパックをつかまえて、私の肉体へと戻してほしいのよ!」


 さくらはかなり恥ずかしそうである。

 しかし、その腹部をみると、脂肪と筋肉がごっそりげ落ちて異常なへこみ方をしている。ただごとではない。


「わかった。だが……」


 宿毛湊は神妙しんみょうな顔つきで室内を眺める。

 机の上には、中途半端に食べたスナック菓子の袋や、飲み終わったビール缶が並んでいる。あまりジロジロ見ないようにしたが、窓辺には室内干しの洗濯物がり下がっている。たたまれていない衣服もベッドに山盛りだ。

 さらにテレビ台の周辺はさまざまなゲームのケーブルがこんがらがっており、あらゆるゲーム機のコントローラがあっちこっちに放りだされていた。

 ゲームのパッケージやマンガも、床に積まれたままで雪崩なだれを起こしている。


「本当にこの部屋の中を探し回っていいのか……?」

「よくない! でも仕方がないじゃない……!」


 さくらはガチ泣きしていた。

 彼女にも尊厳そんげんというものがある。

 しかしシックスパックが出かけたままでは起き上がることさえ不可能だ。


「…………お片付け呪文を使うのではダメなのか?」


 宿毛湊がたずねると、さくらは目をカッと見開いた。


「それだわ!!」


 お片付け呪文とは、さくらが考えた呪文の中でも一、二をあらそうほどの人気呪文である。

 この魔法を使うと部屋のあちこちに散らばったものをひとつところに集めることができる。

 本来は箱や収納容器しゅうのうようきの中に物を集める呪文なのだが、収納容器を肉体に見立てれば簡単にシックスパックを元の位置に戻すことができるだろう。

 非常に簡単な解決方法であったが、これまで思いつかなかったのは精神的なショックのせいだろう。いかに馬鹿らしい理由とはいえ、肉体の一部が欠損けっそんするというのは大変なことだ。


「こんなことでわざわざ来てもらってごめんなさいね、宿毛湊。でも、はじめて他人を部屋に入れてありがたいと思ったわ」

「さくら……」


 宿毛湊は泣き女が出たときとか、ミントが生えたときとか、インクをき散らしていたのを止めたときのことも、感謝してほしいと思った。


 かくして、事件はいやに速く解決をみた。

 さくらが魔法を使うと、呪文によって、命を得たシックスパックが部屋のあちこちから飛びだしてきた。


 それは筋肉に小さな手足が生えた存在であった。

 この間のワイヤレスイヤフォンに確かに似ている。


 なお、筋肉たちの手足はデフォルメされたものだが、筋肉そのものはちがう。

 詳しくは言えないが、筋肉は筋肉である。


「…………ウッ!!」


 狩人は怪異には慣れていても、グロ系に耐性たいせいはない。

 うぞうぞと這い出し、さくらの体に戻っていくシックスパックをモロに目撃してしまった宿毛湊は、その後何日かお肉が食べられず、スーパーの精肉売場で生肉を見るだけで苦しんだ。

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