第95話 やつか町のハロウィン


 マメタはすっかり冬毛になりふくらんだお尻をふりながら、100均で買ってもらったカボチャ頭の置物をくりぬいて頭にかぶった。

 吸血鬼のマントを着こんでオリジナルの妖怪に変身する。


「ぱんぱかぱーん、オリジナルの最強ハロウィン妖怪カボチャマンです!」


 マメタはみじかいおててで大きなカボチャ頭を支えながら、後ろ肢ですくっと立ち上がる。


「……ふう。なぜいまさらという声が聞こえてくるかのようですが、やつか町にとってハロウィンはとっても大切なものなのです。だからこれをやらないと誰も前に進めないんです」


 マメタは誰にともなくそう言った。

 台所から、さくらがマメタを呼ぶ声がした。


「マメタロウ、クッキー焼けたわよ~」

「は~いっ」


 とてちて、と重たい頭によろめきながらキッチンに向かうと、諫早さくらの手によってカボチャやコウモリ、オバケの形をしたクッキーがオーブンから取り出されたところだった。

 やつか町の魔女、諫早いさはやさくらはじつはクッキーが焼ける女なのである。

 とくべつにお菓子作りが得意であるとか、好きであるということはないのだが、クッキーだけは焼ける。そして何となく思い立っては、おもむろに焼き始める。真夜中に突然焼き始めることもある。

 この度は、宿毛宅のキッチンにお呼ばれして、マメタと相模くんちの小さなおじさんと一緒になって大量のクッキーを焼きまくっていた。

 ダイニングテーブルの上には、既に焼き上げられたクッキーが整然と並んでおり、割烹着かっぽうぎを着こんだ小さなおじさんがデコレーションを施している真っ最中である。


「マメタロウ、子ども会のイベントは六時からなんでしょ? それまでにラッピングしちゃわないと」

「がんばります! たくさん来てくれるといいですねえ~」


 マメタは少しカボチャ頭を脱いで、焼き立てのクッキーのにおいを嗅いでいる。

 小さなおじさんも、その隣でウンウンと頷いていた。

 ふたりの飼い主である宿毛湊と相模くんは、残念ながらこの場にはいない。ふたりともお仕事で出払っている。さくらがふたりの面倒をみているのは、それぞれの飼い主から『何日か帰れそうにないので、マメタとおじさんの面倒をみてほしい』とお願いをされたからなのだった。




 

 年末にかけて怪異退治組合は忙しくなる。

 もともと盆暮れ正月というのは慌ただしい時期でもあるし、ちょっとした怪異だから放置して「様子を見るか~」とか言っていた人たちがいよいよのっぴきならなくなって駆けこみ通報をしてくるのもこの時期だし、ここ数年はハロウィンという厄介なイベントが待ち構えている。

 もともとハロウィンは日本ではさほど馴染みのないイベントだった。

 せいぜい子どもたちが子ども会でちょっとしたお菓子をもらうだけの催しだったのだが、近年、何かの間違いで若者たちがこぞって参加する超人気仮装イベントになってしまった。

 妖怪や怪異たちは、イベントごとが好きだ。マメタですらお祭りの噂を聞きつけるとそわそわしはじめる。家の近くで、ということになると参加したいと宿毛さんにごねまくる。これがハロウィンとなるとオバケや妖怪に仮装する人たちが多いので、よりいっそう本物の怪異が混ざりやすくなる。

 ただでさえ忙しい年末なのに、すっかりハロウィンは怪異退治組合にとっての難事業になってしまった。

 怪異退治組合やつか支部もフル稼働を続けている。

 ハロウィン当日、支部には兼業狩人のおじさんたち十数名が集まって、七尾支部長の訓示を聞いていた。

 七尾支部長は眉間に深い皺を寄せながら、手元のリストを参照している。


「え~本日はお日柄もよく、絶好のハロウィンイベント日和となっちまいました。まいったねえ、こりゃ……。ただし幸いなことに、各自治体に問い合わせたところ、やつか支部担当区域内で開催されるハロウィン関連イベントは例年通り、夕方六時からの子ども会のお菓子配りイベントと、七時半からのななほし町のショッピングモールでの仮装コンテストだけだそうで、うちの支部の主な仕事はこの二つのイベントの監視と、駅前周辺のパトロールのみ。兼業さんの力を借りれば何とかこなせる内容に落ち着いています。関係各位に感謝ですなぁ」


 七尾支部長の顔色が悪いのは、ここ三日くらい昼夜の別なく働き詰めだからである。

 ハロウィンイベントの厄介さは、地元のお祭りごととは違って、日本全国で一斉に開催される点である。クリスマスなどと同じく日付が決定しているため、ドッペルゲンガー発生時などとは違って、他支部からの応援を受けることができない。しかもイベントがない地域であっても若者は勝手に駅前などに集合して仮装をするため、まったく対策をしないというわけにもいかないのだ。

 なので、やつか支部は日頃からこの手のイベントのために兼業狩人の育成に力を入れつつ、自治体や商業施設とコミュニケーションをとって、ハロウィン当日にイベントが集中しないよう交渉を続けているのである。


「パトロールは明日まで続きますが、終了後はお好み焼き『幻月』にて懇親会を予定しております。皆さまお誘いあわせの上、ご参加ください」


 おじさんがおじさんたちに話しかけている間、事務所では、事務員の相模君さがみくん賀田かたさんが電話対応にあたふたしていた。

 相模君などは、今日は朝五時から事務所に詰めている。昨日も深夜の零時をまわってしか自宅に帰れず、これはまずいと思って、慌てて小さなおじさんをさくらに託すことにしたのである。

 彼は電話の子機を保留にしたまま、二階の会議室に上がった。

 会議室はいま、狩人の待機室……要するに仮眠室になっている。

 相模くんはドアを小さくノックし、小声で話し掛ける。


「お休み中のところすみませ~ん、二丁目の田中さん宅なんですけど……家鳴りがひどくて天井が落ちたとかで……すぐ出れる方いらっしゃいませんか?」


 寝袋に体を半分だけ突っ込んだ状態で、相模君に寝不足の顔を向けたのは狩人の宿毛湊すくもみなとである。ようやく宿をみつけたヤドカリみたいなかっこうだ。

 ただでさえ目つきが悪い男であるのに、紫色の目の下のクマまで加わって地獄の獄卒のような顔色だった。


「……家鳴りですよね。それ、スケジュール調整何とかなりませんか?」

「電話、業者さんからでして……。工務店のほうのスケジュールもパンパンで、どうしても今日来てほしいんだそうです」


 家鳴りで屋根が落ちるということは、通常考えられない。

 発生してからずいぶん放置もしているだろう。厄介案件である。

 しかし屋根がないまま放置というのもかわいそうだ。

 田中さんのかわりに、相模君は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。


「はい、僕、それ行きます」


 隣の寝袋がもぞりと動き、やつれた美男子が這い出てきた。

 的矢樹まとやいつきである。


「大丈夫ですか、的矢さん」

「大丈夫大丈夫。先輩は仮眠入ったばっかだし、これでも三時間くらい寝れたんで~うえっへっへ……」

「まったく大丈夫な人の返事じゃありませんね。これ差し入れです」


 相模君が暖かいコーヒー缶を手渡すと、的矢樹は悩ましげな瞳でじっと相模くんのことを見据えた。


「相模くん……。優しいんだね」


 相模くんはドキっとしながら、これは何か厄介ごとを押しつけられる前触れだなと思った。慣れである。


「そんな優しい相模くんに三体くらい憑けてもいい?」

「駄目ですよ」

「ちょっと気分が悪くなるくらいだから。何もしないように言い聞かせるから!」

「絶対ダメです!!」


 どうやら忙しすぎてひとつひとつの案件を丁寧に処理する間もなく、生霊の件のときのように自分に取り憑かせ、保留にしているらしい。

 何体の霊が取り憑いているのか知らないが、的矢樹が音を上げるとなると相当のものである。

 組合が忙しいのはハロウィン当日だけではない。

 ハロウィンに向けて様々な怪異が騒ぎ出すため、やつか支部おなじみメンバーである宿毛湊や的矢樹、七尾支部長はここのところ尋常でない忙しさであった。

 とても処理が追い付かないので、生命にかかわらない案件は保留にしてある。さほど危険ではなく対処法が明らかな案件は、今日の午前中に集まった兼業狩人たちが分担してこなす予定になっていた。

 仮眠室からい出てきた的矢樹を、酒屋との兼業の雄勝おがつさんが声をかける。


「よう的矢君。体調悪そうだな。一体二体か」

「雄勝さん、助かります~!」

「まかせろ、俺はそっち方面はてんでゼロ感だからな。しかしうちでもこんな状況なのに都会のほうはどうなってるんだ? 東京は渋谷に全部集めることにしたらしいが、あれが賢いやり方なのかね?」

「いや~あれはあれで地獄ですよ……。警察も総動員だし、自衛隊も待機しているし。ただでさえ人で混むのに幽霊が平然と混じってるでしょ、ブチ切れたDJポリスがお札を取り出したときは僕感動しちゃいました」

「やっぱりこういうときは田舎がいいな。何、お前らがやり残した仕事は、俺らがサックリ片付けといてやるから安心しろよ」

「頼もし~! もう惚れちゃいそうです!」

「いやいやいや。礼は久美浜くみはまっちに言ってくれ」


 ドン、とあつい脂肪に包まれた胸を叩く雄勝さん。

 ややこしい仕事は小学校教師との兼業である久美浜さんに任せる気満々なのが明らかだ。

 いつも優しく頼りがいのある久美浜先生は、やつか支部では七尾支部長、宿毛湊に次ぐ魔法の使い手だ。

 彼と組むと色々と楽ができることを雄勝さんは承知の上なのである。

 しかし、そんな雄勝さんに、ほかの兼業のおじさんが声をかける。


「雄勝さん、久美浜さん、今日来れないってさ」

「えっ! なんで!」

「やつか小学校で、コックリさんをやった児童が出たらしいんで、そっちの対応してるって……」

「なんでこんな時期に!?」

「子供って何やらかすか読めないからね……」


 雄勝さんは表情を硬くしていた。

 的矢君はそんな雄勝さんに適当な浮遊霊を三体くっつけると、風のごとく事務所を後にして車で走り去った。


 やつか町は上へ下への大騒ぎであった。


 狩人たちは「飼い猫がしゃべった」と聞いては駆け付け、「空き家に火の玉が出た」と聞いては駆け付け、「オモチャの兵隊が逃げ出した」とか「カードショップで転売屋の霊と店長の守護霊が戦っている」とか「お父さんがハゲた」り「お姉ちゃんが透明になった」と聞いては駆け付けた。ただしどこぞのロケットマンション系迷惑配信者がハロウィンイベントに参加しようとしているという通報は警察にまかせた。

 そうして猫ちゃんに話しかけたり、空き家でまるで知らない妖怪に襲われたり、お父さんのハゲが未知の怪異であることが明らかになったり、粗製の透明化呪文が発見されたりする中、子ども会のイベント準備にも奔走することになった。

 この準備が曲者だ。参加する子どもたちをリスト化し、ひとりずつどんな仮装をするかを記録して、ついでに怪異に会ったらどうすればいいか、簡単な防犯ならぬ防怪講座を開催して啓蒙活動も行わなければならない。

 夕方六時、いよいよ本番を迎える頃には、兼業狩人のおじさんたちは思いのほかクタクタになっていた。そもそもが、若手が少ない業界である上、昨日まで普通に働いていたおじさんたちなので、もともと残りの体力はゼロに近いのだ。

 おまけに子どもをさらう怪異や化ける妖怪が入り込まないように見張る仕事は一瞬も油断ができない。体力に自信のある兼業さんたちは全員、子ども会イベントの引率に向かったが、子どもたちの若さにエネルギーを吸い取られて生きて帰れるかどうかはわからぬ片道切符の旅路である。

 いったん事務所に帰還したイベント準備組のおじさんたちは、待合室のソファに深く腰掛け、項垂れていた。

 腰痛や肩こり、疲労がおじさんたちの体を苛んでいた。

 仮眠から復活してきた七尾支部長は死屍累々の待合室を見回し、眉毛を「ハ」の字にしていた。

 お気に入りの扇子を手の中でピシャリと鳴らす。


「いけないねえ。これからショッピングモールで仮装してハシャいでる若者とアライグマと天狗の相手だってのに、弱ってる狩人なんて格好の獲物だよ」

「支部長、アライグマはともかく、天狗もですか?」


 同じく、ショッピングモールのイベントに向けて起床した宿毛湊が訊ねる。


「うん。海仕舞丸うみじまいまるとのいざこざで、奴はいささか求心力ってものを失っただろう。そのときに海仕舞丸の元から離反した半端な天狗どもが街にはいまわんさといるわけよ。ハロウィンは連中にとってもかっこうの鬱憤晴らしになる。今晩は闇にまぎれて絶対に出てくるはずなんだよね」

「参りましたね」

「こういう大きなイベントは俺と宿毛だけでは手が足りないし、みんなにはもうひと頑張りしてもらわないと。何かもう少し策ってものがいるねえ」


 七尾支部長はそう言って、視線を上に向けた。

 宿毛湊にとって、その視線の先にあるのは天井だけに思えたが、支部長にはもう少し別のものが見えていたようだ。



 


 さくらちゃんは美しい姿でやつか町の空を飛んでいた。

 魔女の三角帽子をかぶり、ブラックのイブニングドレスを身にまとっている。

 特別な装飾はないが、マントの縁に飾ったラインストーンがきらきらと星のように光っていた。魔女の正装である。

 ホウキの前と後ろにはカゴがあり、カゴには袋詰めされたかわいらしいクッキーを満載している。

 カゴのひとつにはマメタとおじさんが乗っている。

 一匹とひとり(?)は、しくしくと泣いていた。


「まさか、子供会のハロウィンイベントが手作りお菓子禁止だとは思わなかったわね……」


 さくらちゃんも溜息を吐いた。

 マメタたちは子どもたちのために意気揚々とクッキーを焼いたはいいものの、食中毒や異物混入を懸念して「こういうイベントでは手作りお菓子は禁止です」と引率のお母さん方から注意を受けてしまったのである。

 大量に焼いたクッキーにはほかに行き場もない。

 自分たちで食べるには限界があり、かわいくデコったクッキーをゴミとして捨ててしまうにはあまりにも惜しく、どこかに飢えた人間でもいないか、ホウキに乗って探しに出たのである。

 とはいえ学校などももう閉まっている時間である。

 ななほし町まで足を伸ばすかと思っていたところ。


「おーい、諫早さくら!」


 足元から魔女を呼ぶ声が聞こえた。

 見下ろすと、怪異退治組合やつか支部が見える。

 駐車場で手を振っているのは、いつも以上に人相の悪い狩人の宿毛湊であった。


「なんの用事か知らないけど、事務所なら事務員たちもいるでしょ。せっかく焼いたクッキー、飼い主にも食べてもらいましょ」

「飼い主じゃなくてぱーとなーですう……」


 めそめそするマメタとおじさんを伴い、さくらは円を描きながら駐車場へと降りていく。

 地表近くまで来ると、宿毛湊が手を伸ばして浮いているホウキを引き寄せた。

 事務所には煌々と明かりがともっていた。

 待合室では、おじさんたちがあちこちで横になり、ふくらはぎや背中や腰に湿布を貼ったり、簡単なマッサージを行ったり、差し入れの栄養ドリンクを飲んでいる痛ましい姿が見えた。


「いやだ、死屍累々じゃない、何やってるの?」

「仕事だ、仕事……。ななほし町のハロウィンイベントの影響で怪異たちが活気づいていて、このありさまだ」

「みんなは楽しく遊んでるってのに、かわいそうね。クッキーあげるわ」

「クッキーもいいんだが、さくら、やつかの魔女として手伝ってくれないか?」


 さくらちゃんはキョトンとしている。


「私が? いやよ。どうせイベントでごまんと人間がいるんでしょ。そんなところに行くって考えただけでぞっとするわ。クッキーの処分が終わったら、今日は部屋に戻って寝る」

「そこをなんとか」

「あのねえ、私だってちゃんとした魔女なんだからね。顧問料取るわよ。高いわよ、払えるの?」


 もちろん、いつも予算ギリギリで活動している組合に、魔女の顧問料は高額すぎて払えるはずもない。

 そのとき、宿毛湊の後ろから兼業のおじさんたちが窓越しに声をかけた。


「ありゃ、あんなところに美人な魔女さんがいるぞ!」

「お嬢さん、どうか哀れなわしらを助けてくれんかねえ」

「いよっ、日本一!」

「魔力と魅力があふれでている!」


 事務所で休んでいた狩人も現れて、やんややんやと囃し立てる。

 さくらちゃんはむっとして狩人たちを睨みつける。


「何よ、おだてたって何も出ないわよ」

「まあまあ、今日はめでたい日じゃないか。堅いこと言わずに!」


 宿毛湊を押しのけて、雄勝さんが顔を出す。

 雄勝さんは白木の三方さんぽうを手にしている。

 そしてその場に跪く。三方には対の瓶子へいしが乗せられて、純米酒の甘い香りを放っていた。

 すかさず別の狩人が朱塗りの盃を乗せた三方を差し出す。


「さくら様、使い魔のマメダヌキ様、精霊様、ささやかながら我々からの気持ちでございます。どうぞどうぞお納めくださいませ」

「えっ、あたしに? こんな高そうなお酒、飲んでもいいの?」

「もちろんでございますとも。ささッ」

「魔女さんの、ちょっといいとこ見てみたい!」


 さくらが杯を受け取ると、瓶子から酒がなみなみ注がれた。

 最後に七尾支部長が懐紙で包んだ桜の枝を一折り、うやうやしく捧げもってやってきた。


「おそれながら魔女殿に申し上げます。やつか町に災いをなす者どもが近づいております。賢く美しい魔女殿、なにとぞ、我ら非力な狩人にお力を貸してくださいますようお願い申し上げる次第でございます」


 さくらは杯を飲み干すと、七尾支部長が差し出した桜の枝を掴んだ。


「いいわ! そこまで言うなら、このさくらちゃんが一肌脱いであげようじゃない!」


 先ほどまで渋っていたのは何だったのか、さくらはホウキに飛び乗ると、ななほし町に飛んでいく。

 その軌跡は光り輝き、手にした枝には満開の桜の花が開いていた。

 ホウキもいつもよりも速い。

 どこからか無尽蔵に力が湧いてくるようである。


「そこのけそこのけーっわたしが通るぞーっ!」


 行く手には、イベント会場に集まった若者をむやみに狙う天狗たちがひしめいていたが、


「げえっ!」

「諫早さくらだっ!!」


 みんな、さくらの姿を見ると蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていく。

 さくらちゃんは大笑いしながらイベント会場周辺を飛び回ると、クッキーを空からばらまいた。

 思い思いの仮装をした少年少女はクッキーを手に首をかしげている。


「なあに? これ」

「危ないから食べないほうがいいよ」


 実際は危ないわけではないが、昨今の犯罪事情などを考えれば、見知らぬ魔女が空から降らしたクッキーを食べるような人間はなかなかいない。手をつけるのはさもしい心根のアライグマくらいである。

 人間に化け、浄水器や高いツボや三日で儲かる情報商材を売ろうとしていた化けアライグマはタダで配られたクッキーをすぐさま口にした。

 しかし、齧ろうとしたとたんにクッキーは桜の花びらになって消えてしまう。

 クッキーに化かされた化けアライグマたちは、


「ギャフン!」


 と声を上げて変化を解き、四つ足の獣の姿で三々五々、逃げ回った。

 さくらは上機嫌に、DJイベントが終わるまで、ショッピングモール周辺を飛び回っていた。上空から桜の花びらが降り注ぎ、かすかに春の陽気まで感じられた。


「支部長、あれ、何を渡したんですか? さくらは大丈夫なんですか?」


 あとからショッピングモールに向かった宿毛湊は渋面である。

 七尾支部長はからからと笑っている。


「ただの桜の枝だよ。やつか町では一番古い、古木の桜だけどな。どんな妖物でもおだてて乗せれば力は増すもんだ。といっても気分の問題だから、一日で終わる」

「また天狗になったら面倒ですよ」

「そのときは猫にしちまえばいいだろ。どうだい、これでずいぶん、こっちも仕事がしやすくなったろう」

「俺はあまり気乗りはしませんね……」


 事前に飲ませたお神酒の力で、さくらの力は増している。魔法の調子もよさそうだが、本来の彼女は他人との接触を嫌う引きこもりだ。

 この反動が後からこないとも限らない。

 ショッピングモールのイルミネーションに照らされながら、浮かれた魔女がクルクル回る。星空の下、季節外れの桜の花びらが舞い散っている。

 宿毛湊は心配そうに空の上を見上げていた。

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