第92話 伊根家のリコーダー
よっちゃんとかっちゃんのお父さん、伊根家のパパは工場で働いている。
工場の中は大きな機械がたくさんあり、フォークリフトが行きかっている。
少しの油断で事故や怪我に繋がることも多く、なかなか集中力を必要とするお仕事だ。
報告・連絡・相談も大事なので、朝礼での情報伝達はみんな真剣である。
朝、工場の中に集まった人々は、真剣な表情で上長からの連絡事項を聞いていた。
「先日発送した――――の件だが――――が悪く、クレームが起きている。みんな一層集中して作業してほしい――――」
操業開始前の比較的静かな工場にはエーデルワイスの音色が響いていた。
それも、聞き覚えのある笛の音色だった。フルートとかサックスのような高級感のある音ではない。いかにも安っぽい音色で、日本の小学校に通っていれば誰もが一度は聞いた覚えがある音だ。
そう、それは大人になってからはその演奏技術が何の役にも立たないことで有名な楽器の音……。リコーダーの音色だった。
ぽーぴぽ~、ぽ~ぴっぽ~。
ぽ~ぽぽぴぴ~ぽ~ぽ~。
「不良品が3時に返品されてくるので――――各部署は1名ずつ人員を出して検品作業を進めてほしい――――」
ぽーぴぽ~、ぽ~ぴっぽ~。
ぽ~ぽぽぴぴ~ぽ~ぽ~。
ぴっぽぽ~ぴ~ぽ~ぴ~ぽ~ぽぺ~。
ぷ~ぴぽ~ぴぽ~ぺ~、プピー!!
おそらく運指を間違ったのだろう。突然、素っ頓狂な音が鳴る。
それまでマジメな表情を維持していた工場員たちが無言のまま噴き出した。かろうじて笑いをこらえた者も顔を真っ赤にしてブルブルと震えている。拳を強く握り、太腿を強く打ち据えることで耐えようとしている者もいる。
演奏はそこで集中力を失い、どんどん制御を失っていく。
ぽーっぴっ……ぽ~……ぴっぴぴぴぷぴぃ、ぽ~。
ぽ~ぽっぽぺー!!
ぴぴぷう~……ぽほぉぉ~。ぽーっ!!
たぶん、演奏者も変な音が出ているのが面白かったのだろう。
途中から変な音を出すことに集中しはじめていた。
工場員たちは誰も連絡事項など聞いていなかった。
真面目な顔を保っているのは上長と、そして輪の中で死んだ魚のような顔をしている伊根パパだけであった。
「それから……伊根、おまえは今日はもう帰って怪異退治組合の事務所に行ってこい。いいか、今日中に相談に行くんだぞ」
はい、と言おうとした伊根パパの鼻から高らかに「ぷぴー!!」という音が鳴った。
とうとう、上長も後ろを向いて手を叩きながら爆笑しはじめた。
伊根パパの鼻の穴から、リコーダーの音がするようになった。
*
お茶を出しに行った賀田さんは、トイレに行ったまま戻ってこない。
笑いが堪えきれなくなったのだろう。それでも来客の前で笑いださなかった点は、配慮があるといえるだろう。
会議室内では的矢樹が生ぬるい微笑みを浮かべながら、生気を失った顔をしている伊根パパの応対をしていた。
「それで……伊根さん。本日の相談内容は、鼻の穴からリコーダーの音が聞こえるようになった……ということでよろしいですか……?」
「さすがですね。今日、僕の姿を見て笑わなかったのは狩人さんが初めてです」
「まあ、お仕事ですからね~」
伊根パパの鼻の穴からは、「蛍の光」が流れている。
ポ~ぽぴいいいいい! ぽっぷああああああ~ぷぅぴいいいいい~!
「演奏しているのはよっちゃんかかっちゃんですよね?」
「おわかりになるんですね」
「小学生独特の暴走をしていますから。音が出るようになったきっかけとかありますか?」
「実は……」
三日ほど前、よりにもよって音楽のテストの直前に、かっちゃんがリコーダーを壊してしまった。
リコーダーで野球をすることを試みたのだという。
お母さんは烈火のごとく怒ったが、どれだけ怒っても真っ二つになったリコーダーは元には戻らなかった。それから大慌てで新しいリコーダーを買おうとしたのだが、運悪く配送に時間がかかるとかで、通販などを利用するとテストに間に合わないことがわかった。
お母さんは絶望したが、ご近所さんのお古のリコーダーを譲ってもらえることになった。
かっちゃんは「他人のリコーダーを吹くのは嫌だ」と主張したが、通らなかった。
それで音楽のテストを受けたところ、演奏がお休み中のお父さんの鼻から聞こえてきたというわけである。
はじめは気のせいかもしれないような小さな音であった。
夜勤明けで体もつらく、しばらく様子を見るつもりで放っていたのだが、だんだん無視できない音量になってきた。出勤しても周囲が笑い転げて仕事にならないので、結局は早退することになってしまった。これなら休みの間に事務所に来ればよかったと思ったが後の祭りである。
「元の持ち主と連絡を取るのも時間がかかりそうですし、明日も仕事ということで、ひとまずお寺に連絡してお焚き上げをしてもらうのがいいと思います。原因であるリコーダーはどこにあるんですか?」
「怪異だとわかって妻が隠していたのですが、隠し場所がばれてしまったようで、息子たちがどこかに持ち去ってしまったようです」
「今日、学校はお休みですか?」
「創立記念日で休校なんです」
「困りましたね」
「妻が鬼の形相で町内を探し回っているのですが、なかなか……。お焚き上げ以外に方法ってないんですか?」
「頭にアルミホイルを巻き付けるとか」
「お焚き上げでお願いします」
「それじゃ、よっちゃんたちを見つけるところからですね。僕も手伝いますよ」
「ありがとうございます、助かります」
伊根パパは涙目である。
「怪異って結構簡単に巻き込まれるものなんですね」
「そうですね~。お子さんがいる家庭は、インフルエンザにかかるくらいの頻度で起きるって言いますね。気が付いてないだけで巻き込まれてるパターンも多いですし。でもすぐに相談に来てくれてよかったですよ。お忙しい方ですと、無視しているうちにとんでもないことになってしまうことも多いです」
「とんでもないことというと?」
「僕が知ってるところだと、ものすごく顎がしゃくれて食事が取りづらくなってしまった方がいました。ちなみにその方は怪異が定着して元に戻りませんでした」
「すぐに探しましょう」
伊根パパは立ち上がる。
その後、よっちゃんとかっちゃんはマメダヌキネットワークを使って家電量販店の駐車場でアニソンメドレーを演奏しているところをすぐに見つかった。
二人の抵抗に遭いながらも、リコーダーはお焚き上げをすることになった。
怪異退治組合からの連絡を受けて住職は準備をしながら待っていてくれた。
ドラム缶にリコーダーを入れ、火をつける。お経を上げながら鉦を打つ住職の後ろ頭を、伊根パパと伊根ママ、よっちゃんとかっちゃん、付き添いの的矢樹が神妙な顔つきで見守っている。
あまり風がない午後だったため、煙はまっすぐ真上に上っていく。
それと同時に、伊根パパの鼻からももくもくと煙が上がりはじめた。
それに最初に気が付いたのは伊根ママだった。伊根パパは涙を流していたのだ。自分の状態があまりにも恥ずかし過ぎたのと、煙が目に染みるのである。
伊根ママは自分が笑うと子供たちが気づいてしまい、事態が収拾不可能になってしまうことを悟り、限界まで耐えたがダメだった。噴き出した瞬間に、よっちゃんとかっちゃんは人間煙突と化したパパに気が付いてしまった。
ふたりにはお焚き上げの最中だという大人の事情なんかわからない。
笑い転げている。
「お静かに……」
注意をするために振り返った住職も、その光景を目撃してしまう。
二次災害である。
住職はかろうじて笑わなかったが、お経を上げる声の間に度々不自然な咳払いが挟まっていた。
的矢樹は何とか『宿毛先輩の数を数えることで』耐えきったというが、意味がわらからないので深く考えないほうがいいだろう。
なお、その二週間くらい後、よっちゃんは音楽発表会の直前に鍵盤ハーモニカを壊した。みんなで鍵盤ハーモニカをピンに見立ててボーリングをしたせいだった。
メムカリで中古のものを購入したところ、またお父さんの鼻から音楽が聞こえてきたので、よっちゃんはしこたま怒られたらしい。
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