第91話 ちいさくなっちゃった
宿毛湊が5歳くらいの男児を連れて怪異退治組合やつか支部の事務所を訪れた。
そのとき、事務所にいた面々には微妙な空気が流れた。
もしかして、隠し子かな? という空気である。
いつも仏頂面で町を闊歩しているこの狩人の私生活は、なんとなく謎に秘められていそうな感じがある。実際のところ自宅では24時間マメタが走り回っているし、諫早さくらや事務所のメンバーが既婚者宅ではあり得ないペースで遊びに来るので、秘められた私生活なんてものはない。
だが、どことなく他人と一線を引いているイメージがあるからだろう。
誰にも言わないけど恋人がいてもおかしくない、結婚しても他人に言わなそう……等々、あらぬ疑いが向けられるのだ。
しかし隠し子疑惑は秒で解けた。
というのも、宿毛湊が抱いている男児がめちゃくちゃ可愛かったからである。
おめめはパッチリ、髪の毛つやつや、手足もなんだか他の子どもにくらべてスラっとしている。いまは宿毛湊に抱かれて不安げな表情をしているが、不安そうな顔もなんともいえずかわいい。親御さんはこの子の育成に関して、警備面で多大な心労を負っているにちがいないという確信があった。
そして宿毛湊の遺伝子が混ざった子ならば、どれだけ母親の遺伝子が優秀でも仏頂面のかわいげがない子になるので、これはあり得ない結果だった。
じゃあ、誘拐か? とみんなが勘ぐりはじめた頃あいに、宿毛湊は言った。
「こいつ、的矢です」
硬直していた面々はそう聞いてほっとした。
全然ほっとできない状況なのに、ほっとしていた。
「昨日、体調が悪いって連絡が来ていて……今朝様子を見に行ったらこうなっていました。怪異病だと思います」
怪異病とは、透明病をはじめとして怪異が原因で一時的にかかる病気のことである。治らないものは怪異化というので、基本的には治るものがこのカテゴリに入ることになっている。
「的矢さんの隠し子ではないんですよね?」
「隠す理由はないと思いますけど、本人です。ただ、成長後の記憶は消えてしまっているんですが……」
宿毛湊に抱きかかえられた男児は、知らない大人に囲まれて瞳をうるうる潤ませている。
「同人誌みたい」
不意に賀田さんが呟いた。
「えっ、どうじん……?」
「いえ、なんでもないです」
試金石であったことに気が付いた賀田さんは、うつむいて「もう話し掛けてこないでくださいモード」に入った。美容室でよく使う技である。
こんなとき一番はじめに怒りだしそうな七尾支部長だが、今日は穏やかであった。
五歳児と化した的矢樹の頭を撫で、困った顔をしている。
「そうか、こいつ十種混交ワクチン打ってなかったんだな」
「十種混交……ってそんなワクチンありましたっけ」
「君らも子どものとき打ってるハズだぞ。怪異病の予防ワクチン」
子育て世帯以外にはあまり馴染がないが、十種混合怪異病予防ワクチンは、それ一本打つだけで幼児化、異性化、獣化、吸血鬼化、透明病等々の怪異病の発症や重症化を押さえてくれる便利なワクチンである。
みんなだいたい幼稚園に上がる頃までには打つということになっており、怪異病に罹患するリスクが高い狩人には必須のワクチンなのだ。
「こいつ、組合に入った直後に神隠しにあったから、そのゴタゴタでチェックが抜けてたんだと思います」
「こればかりは本人のせいじゃないからな。一日大人しくしてれば治るだろう。病院には俺から連絡を入れておくから、今すぐ行って来い」
その瞬間、宿毛湊が「ハッ」とした表情になったのを相模くんは見逃さなかった。
「びょういんやだ! びょういんいかないってゆった! ゆったのにうそつきー!」
それまでいい子にしていた五歳児が突如として暴れだした。
ちいさなおててをグーにして、宿毛湊の頭をぽかぽか殴りはじめた。
「どうするんですか支部長、だましだまし連れて行こうと思ってたのに」
「犬猫じゃないんだからよ、そんなわけにもいかないだろ。病院に行ったら行ったで注射打たれるんだぞ」
「ちゅうしゃやだーっ!」
ぽかぽか攻撃に足によるバタバタ攻撃が加わる。
落っことさないように抱えているだけで精いっぱいだ。
こうなるともう暴れる鮭である。
何がなんだかよくわからないが宿毛湊の脳内イメージは鮭であった。
彼なりに、予測不能で不慣れな育児に戸惑っていたのかもしれない。
「帰りにオモチャでも買ってやれ」
「おもちゃ!」
的矢樹は瞳をきらきらと輝かせた。
「もしかしてこの頃からミニ四駆が好きなのかもしれませんね」
相模くんはそう言って、五歳児にミニ四駆は好きかどうか聞いた。
「だいすき!」
そういうことになった。
*
やつか町にも一軒だけ玩具を取り扱う店舗がある。
おもちゃ屋宗谷という店で、年季が入ったいかにも昭和風の立て看板に『お祭り、子供会のイベント、各種承ります』と書いてある。ここは駄菓子や子ども向けイベントのくじ引きなんかでもらえる小さなオモチャを売るのがメインだが、実はマニアックなプラモデルやおもちゃが売られている店としても有名だ。
特に品揃え豊富なのがミニ四駆で、駐車場には特設の手作りコースがあり、店内にはミニ四駆を組み立てられる作業スペースも設置されている。時折大会も開かれるらしく、作業スペースには子どもたちの写真が飾ってあった。
「わ~~~~! ミニ四駆がいっぱい! ぼくが知らないのもある!」
「本体だけならそんなに高くないんだな。どれでも好きなの選んでいいぞ」
「どれでも? 何個でもいい?」
「に……二個までにしてくれると助かる……」
子供らしく箱を取り出しては、きらきらした目で品定めをしている。
「どれが速いんだ? お兄さんに教えてくれ」
「えっとねー、ぼくのオススメはこれ! ファントムセイバー! すごいんだよ、はやいんだよ、一番新しいんだよ!」
そう言って差し出された箱は、他のものよりも色褪せてくたびれている。
的矢樹が五歳だった頃の最新モデルなのだろう。
「ふぁ、ふぁんとむ……?」
その後、五歳児的矢はそのふぁんとむ某がいかに最新技術を駆使したマシンなのかを熱弁してくれたのだが、あいにく宿毛湊にはそれが実際にメーカーが行っている企業努力なのか、漫画の設定なのか区別がつかなかった。
さすがに空を飛ぶとか時速500キロを越えるとかは作り話なんだろうが、この複雑なボディが空気を吸い込み路面に吸いつくのだという説明はそれらしく思える。
ほかにもオススメのミニ四駆を説明してくれるのを、宿毛湊は我慢強く耐え、相槌を打ち続けた。
そのうち五歳児が息切れをはじめたので、すかさず訊ねる。
「で、どれがほしいんだ?」
その瞬間、きらきらが失われて行くのが手に取るようにわかった。
「あのね、ぼく、見ているだけでいいよ」
「なんでだ? 好きなんだろ、ミニ四駆。遠慮することはない」
「でも……ぼくがオモチャを持ってると、お兄ちゃんたちにお母さんが怒られるから」
「怒られるって、なんでだ?」
「よくわかんない。ぼくはお父さんと血がつながってないから、おもちゃは買ってもらったらいけないんだって」
「じゃあ、ミニ四駆は持ってないのか」
「うん……」
宿毛湊は少し黙る。
的矢樹が継父に育てられたことは以前話して知っていた。幼児期に受けているはずのワクチンを受けていないことといい、複雑な家庭環境だったのだろう。
怪異病にかかっていたときの記憶は完治とともに消えてしまうが、子どもの形をしたものがしょんぼりとしている姿を見るのは複雑な気分だ。
「そうか。じゃあ、今日買ったミニ四駆は俺の家に置いておけばいい。それなら怒られないだろ? 遊びたくなったらいつでもおいで」
そう言うと、少年の顔にキラキラが少しだけ戻ってきた。
「ほんとにいいの? ありがとうすくものおじさん!」
工具を借りてふたりでミニ四駆を作り、コースを走らせて遊んだ。
子ども形態の的矢樹はたっぷり遊び、宿毛さんちでハンバーグを乗せたグラタンを食べさせてもらい、ミニ四駆とマメタを競争させて遊んだ。
普段、的矢樹には極力好き好んでは近づかないマメタも、「いつきくん」と呼んでたのしく遊んでいる。
おなかがいっぱいになると眠ってしまい、朝起きた頃には、もう元の姿に戻っていた。
*
「先輩をはじめとして皆様、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
翌朝、事務所に出てきた的矢樹はなぜか晴れ晴れとした顔つきであった。
「子どもになってたときのこと、何か覚えてるんですか?」
「それが全く覚えてないんですよね~。でもなんだかめちゃくちゃ幸せだった気がします。なんかすべてが夢の中っていうか? ときどき子どもに戻るのもいいかもですね!」
そう言った的矢樹に、七尾支部長は釘を刺す。
「一応、言っておくが、幼児化病は以前は治療法がなかったんだぞ」
「えっ、それじゃ、子どもになったらまた人生やり直しですか?」
「怪異病だからな。二度と成長しないこともあり得る」
「こわっ……」
これを機会に、ワクチンを受けたかどうかちゃんと確認しようと思う面々であった。
ちなみに、宿毛湊宅には二台のミニ四駆が置いてある。
ときどきマメタが乗って遊んでいるという噂である。
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