第89話 ぱちぱち
その日の午後はまるで小春日和のような陽気だった。
やつか町からななほし町に向かう二両編成の電車はすかすかで、乗っているのは中学校の制服を着た女の子ふたりと、くたびれた背広を着こんだ中年男性だけだった。
女の子ふたりはスマートフォンを取り出し、イヤフォンを持っていないのか極力音量を押さえて動画をみはじめた。マナー違反ではあるが、ふたりは無邪気である。
動画は暗い夜の森の映像からはじまって焚火の画像が差し込まれ、炎がはじける音が流れ出す。
ぱちぱち……と、燃えかすが
動画のタイトルは『深く眠れる睡眠用BGM 焚火の音』である。睡眠導入音楽の一種のようだった。
「きのう使ってみたけど、これよかったよ」
「えーっ、ふつうにたき火だよね。こんなので眠くなったりする?」
「するよお、これ再生して十秒で寝落ちしたもん。おすすめ」
「うそだあ。寝る前に火をみたらおしっこしたくなるって言うじゃん」
「画面は見ないんだよ、ループ再生にして、枕元に置いとくだけ」
「あ、音だけね、それはそうか」
女子中学生は目を閉じて音に聞き入っている。
しばらくして目を開けると、妙な顔つきになった。
「ごめん、やっぱむりかも。火事になったんじゃないかって不安になる」
「もう、文句ばっかじゃん。ユカが眠れないって言うからいろいろ探したのに」
「ごめんごめん、繊細なんだよね、ユカは」
「いま自分のことユカっていった?」
「言った言った」
「自分で言う?」
「言う」
二人は軽く笑いあい、ふと静かになった。
電車の揺れる走行音が少し大きく聞こえた。
地元の塗装会社の看板が真横に過ぎ去った頃、ユカが真剣な顔つきで口を開いた。
「てかさ、焚火の音ってこわいよね」
「唐突にどした?」
「大学生のいとこの兄貴から今年の正月にきいた話なんだけどさ」
「それ怖い話の導入じゃん」
「怖くない怖くない。ぜんぜんそういうのじゃないから」
そう前置きをして、ユカは話を続けた。
いとこの兄は昨年から社会人として働いていた。そして慣れない社会人生活でストレスが続いたからか、眠れなくなってしまったそうだ。
病院に行って睡眠薬を処方してもらうことも考えたが、眠るためだけにお金を出すのはなんとなくもったいないような気がする。まずは無料のものから試そうと思い、ストレッチや軽い運動、刺激の少ない食事や半身浴など、良いと言われるものはなんでもやってみたのだが、あまり効果がない。
困り果てて、とうとう行き着いたのが動画投稿サイトのYuuTubeだった。
彼はそこでとある男性が投稿した動画を見つけた。男はキャンパーで、自身のチャンネルでキャンプの動画を投稿していた。
それもどこかの人気のない森の中で、たったひとりでテントの横に座り、ただただひたすらたき火をする動画なのだそうだ。
キャンプのやり方や道具についての解説なんかは一切ない。世間話すらしない。無言の空間で、火を起こし、薪を燃やし続ける音だけが聞こえてくる。
いま流行りのひとりキャンプというやつだろうか。
動画はひとつ三十分以上あり、中には二時間もの大作もある。定期的に新作を公開しているようだが、表示されるサムネイルを見る限り内容は大差がないように思えた。
しかし、その動画の単調さがかえってよかったのかもしれない。
彼はその動画をぼんやり見ていると久しぶりに深く寝入ってしまった。
それからというもの、夜になるとその男が投稿するキャンプ動画を見ながら眠る生活がはじまった。
画面が暗いほうが眠りやすいので、夜間に撮影されたものだけを選び、再生してベッドにもぐる。ぱちぱち……という音を聞いているうちに不思議とリラックスして全身から力が抜け、眠りに落ちた。朝になると再生は止まって真っ黒な画面だけが映っている。
そうしてしばらくは快適な眠りを楽しんでいたのだが、数週間もすると彼はその動画を見るのをやめてチャンネルごとブロックしてしまった。
「あるとき、珍しくお酒を飲んでからいつも通り動画を見て眠ったらしいのね。で、アルコールが入ったせいか真夜中に目が覚めたの。枕元をみると……いつもは見ない動画の後半部分が再生されてたんだって」
そこではいつも通り寡黙な男がたき火をしていた。しかし……その手元をみて、彼はぞっとして悲鳴を上げそうになった。
「なんと、そのキャンパーが、焚火で動物の死骸を燃やしてたんだって!」
恐る恐るほかの動画も確認してみると、すべてが同じだった。最初こそ普通にたき火をするだけなのだが、途中からおもむろにねずみや猫などの小動物の亡骸を炎の中に入れたり、串に刺した虫を燃やしていたようだ。
いつも動画の途中で寝入ってしまい最初のほうしか見ていなかったから気がつかないでいたが、毎夜、彼は耳元で生き物が燃えていく音を聞いて眠っていたのである。
その後すぐ、誰かから通報があったのか、チャンネルは消えてなくなってしまった。
「ね、怖くない? それ聞いてから、焚火無理ってなった!」
「やば、っていうか、やっぱり怖い話なんじゃん」
「ごめーん、この話ガチで怖くてひとりで抱えきれなくって」
「やめろって言ったじゃん!」
「え、言った? やめろは言ってないよね」
「察してよ!」
「えー、むり、ユカそういうのむり」
「やーめーろってば」
言葉の強さに比して本当に怒っているわけではないらしい。友達どうしの悪ふざけを楽しんでいる雰囲気だ。ふたりの声は車内でどんどん大きくなっていく。
電車は駅のホームにすべりこんだ。
中学生ふたりが席を立つ。
それと同じタイミングで、サラリーマンも立ち上がる。
灰色の背広を着た中年男は妙に青白い肌をしていた。髪や服はじっとりと濡れ、瞳は真っ黒で生気というものがない。車内はあたたかな陽射しに満たされていたが、中年男には温度や影というものが存在しなかった。
彼のくちびるは窄められ、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。
その声に耳を澄ましてみると男が絶え間なくこう言っているのが聞こえた。
「ぱちぱち……」
中年男は電車を降りようとする女子中学生たちの後ろにぴったりとくっついた。
あり得ないほどの至近距離だが、中学生ふたり組はその存在そのものに気がついていないようだ。
「ぱちぱち……ぱちぱちぱち…………」
ふたりの中学生はそのまま、じゃれあい、もつれあうようにして、中年男と共にホームの外に出ていってしまった。
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