第88話 的矢くんの地縛霊相談室


 やつか駅前商店街に、御年86歳のマダムが店主をつとめる喫茶店『ぱんどら』はある。


 当然、若い人たちは近寄らないし、近所のじいさんばあさんのたまり場になっているのだが、時折、なにかと話題の絶えない狩人組合の狩人、的矢樹が現れるというのでちょっとだけ噂になっていた。

 彼は狙い澄ましたように他の客のいない平日の昼間にふらっと現れて、やはり客が来ないうちに帰っていく。

 曇った窓ガラスの向こうから見えるのはミックスジュースを一杯頼み、何をするでもなく一番広いテーブル席に腰かけ、一時間くらい過ごして席を立つ彼の姿である。

 それが何の才能ももたない者が見る彼の休日の姿だ。

 ただし天が力を与えた者にとっては、まるで別の、考えようによってはおぞましい光景が見えただろう。


 彼の周囲には複数体の地縛霊が集まって世間話をしていた。


 今日のメンバーは自宅で転倒して亡くなった勲さん(享年60歳)や、自宅で心臓麻痺を起こして飼い猫と共に発見された三津子さん(享年72歳)、妻の浮気を苦にして自ら命を絶った俊介さん(享年46歳)、そしてひき逃げ事故にあって亡くなった浩司さん(享年56歳)だ。

 いずれもやつか町かななほし町の元居住者で、強い未練を残して死亡し、この世に魂を残してしまった無念の死者たちである。

 それぞれ地縛霊と化して思い出の場所に取り憑いていたいたところを『ぱんどら』に集めてきたのは無論、やつか支部唯一の『見える系』狩人である的矢樹本人であった。


「――で、みなさん、どうですか。あの世に行く覚悟は決まりましたか?」


 的矢樹がたずねると、それぞれ渋い表情を浮かべる。


「そうはいってもね……我々も事情があってこっちに残ってるわけでして……」


 首に麻縄をくくりつけたままの俊介さんが申し訳なさそうに言う。


「未練があるのはわかりますけど、でも地上に滞在する時間をどんなに伸ばしたところで、奥さんが改心して間男との同居を解消してくれるわけじゃないですよ。あなたが苦労して買ったマンションで三人暮らしを続けるより、断然あの世のほうが快適ですよ?」

「そんなのわかってるんですよ」


 俊介さんは肩を落としてうなだれる。


「俺達が死んでることを教えてくれたのは感謝してるが、的矢君、君は別に僕らを浄化してくれるわけじゃないんだろ?」


 となりに座る勲さんは困り顔である。

 的矢樹は頷いた。


「まあそれはそうですね~。ただ、やり残したことがあるならできる範囲でお手伝いはしますよ」


 やつか町に赴任してからというもの、的矢樹は暇なとき、こうして厄介な霊を集めて相談会を開いていた。


「あと気乗りはしないんですけど、組合のもうひとりの霊能力者をご紹介することもできます」

「あんた以外にもいるの?」

「そうです。糸の切れた凧みたいな人なんで、本当に全然オススメできないですけど、チャチャッと成仏したいならスマホ越しにあの世に送ってくれると思います」

「う~ん……スマホはなんか嫌だな~……使い方もいまひとつわからんしなあ」


 勲さんは迷っているのか、パックリと割れた後頭部を抱えて悩みはじめた。

 的矢樹は真面目な顔でうんうん頷きながら、悩みを聞いているふうである。

 

「迷うくらいならサクっと逝っちゃったほうがいいですって」

「う~ん、でもなあ……」

「勲さん。行きつけのパン屋さんのお気に入りの売り子の女性がいくら心配だからって、地上に留まっても守護霊にはなれないんです。しかもお相手、女子大生じゃないですか」


 的矢樹がそう言うと猫を抱いた三津子さんが「まあいやらしい!」と声を上げた。


「ちなみに僕が確認したところ、生前の勲さんはプチストーカーとして認知されてましたよ」

「失礼なやつだな、親心だよ、親心。あの子のことを娘みたいに思ってたんだ。お前みたいなイケメンに何がわかる!」


 イケメンを憎むあたり、親心というより下心だったのではないかとみんなは思った。


「三津子さんも、そろそろ天国に行くことを考えてくださいね。猫ちゃんは連れて行けませんけど……」


 三津子さんはトラ柄の猫をぎゅっと抱きしめて背を向ける。


「俺は、俺を殺したヤツが裁判で有罪になるまで絶対にあの世には行かんぞ!」


 力強い語調で言ったのは、四人の中では一番、相談会に参加してからの歴が短い浩司さんだ。その姿はまるで事故直後のままで、血みどろのポロシャツや裂けたズボンが事故の悲惨さを物語っていた。


「浩司さん……。あなたがそう言うから見逃して来ましたけど、裁判が終わったらあの世に逝く気、本当にあるんですか? あの犯人、警察の聴取にもずーっとダンマリで、弁護士の言いなりで謝罪ひとつないですし……。あなたの魂は前に来たときよりずっと状態が悪くなってますよ」


 犯人のことがよほど許せないのだろう。

 拳をきつく握り、唇をかみしめる浩司の表情はほとんど悪鬼のそれだ。


「あいつがきちんと法の裁きを受けるまで、絶対ここを動かないぞ!」

「そんなこと言って、裁判が終わったら終わったで、ひき逃げ犯の謝罪がほしいとか、あれやこれやと言い訳するつもりじゃないでしょうね」

「それの何が悪い!?」

「相手を取り殺すつもりなんだったら、僕も無視はできないんですよ」

「お前に何ができる! やれるもんならやってみろ!」


 浩司さんは怒りのあまり、叫んだ。

 割れんばかりの大声だった。空気が凍えるほど寒く、どこか空間が歪むような気配があった。彼が怒りのままに拳を叩きつけると、その体から黒々とした液体が飛び散った。

 砂糖の入った小瓶が揺れて音を立てる。


「うるさいな~。じゃあもう今日はおしまい!」


 的矢樹はうんざりした表情でそう言って、パチン、と両手を叩いた。

 すると、テーブル席に座っていた四人の地縛霊の姿がかき消える。

 喫茶店は元通り静かな店内に戻っている。

 異常の名残りと呼べるのは、机の上に飛び散った液体だけだろう。

 的矢樹は胸ポケットに差していたボールペンを取り出し、キャップを開けて、液体に近づけた。ぬるりとした血のような感触だったそれが、見る間に気化してボールペンの中にするりと入っていく。


「よし、いい感じ」


 的矢樹は席を立った。

 居眠りしていた店主がうっすらと目を開ける。


「あらあ、樹くん、もういいの?」

「うん。ごちそうさま」

「樹くんが帰ったあとは、空気がきれいになった気がするね」

「そうでしょ。今月はもう何日かまた来るからね」

「あらうれしい」


 会計を済ませると、的矢樹は『ぱんどら』を後にした。

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