第87話 遠足
宿毛湊は怪異動物保護センターを訪れた。
アニマルパークに隣接する保護センターは一般には非公開の施設で、怪異化した動物を収容するための場所だ。以前、巨大化したタニシの夢を食べてくれた、夢を食べるほうの獏のばくちゃんが収容されているのもこのセンターである。
この日、宿毛湊は飼育員の
とくに狩人の監視が必要な仕事というわけではなかったが、きりのいいところまで見届けたかったのである。それから別件で少し気になることもあった。
「コンちゃん、飼育員さんと別れることになって落ち込んでましたが、これからも定期的に訪問してくれるってわかって食欲も戻ったんですよ」
志津川夢乃はほっとした表情である。
タヌキやキツネを筆頭として、動物が不意に怪異の力を得る事はよくあるが、それが動物園の飼育動物だったり、誰かのペットだったりとなると元の暮らしを続けるのが困難になる場合がある。
人語を理解し、知能レベルが上がり、異能を手にした動物を普通の施設や設備で収容していくことは人のためにも動物のためにもならないのだ。
センターはそうした動物の管理を一手に引き受け、飼育と怪異の知識を併せ持った飼育員が世話をしている。
その後、世間話を挟んで、宿毛湊は本題に入った。
「実は、化けアライグマの水野が脱走したという話を小耳にはさんだのですが」
アライグマの水野、という単語が出た途端、志津川の表情が一気に曇る。
「水野ちゃんですね~。その節は大変申し訳なかったです。明るい家の小松島施設長とも協力して、万全の保護体制だと思ったんですけど……」
夏頃、『水事件』で『お水様』に洗脳されていたアライグマの水野は、マメタや支部長の活躍でつかまり『明るい家』に収容された。そこで人間に化ける力を奪われ、しばらく怪異動物保護センターに収容されていたのである。
「化けアライグマたちは野心が強いですからね……。定期的にばくちゃんに夢を食べてもらって、しばらくは大人しかったんです」
しかし、何らかの隙を突いて水野は施設を脱走してしまった。
その後、ラスカル水野と名乗り、ダーク・ヨーカイ団の手先となってホリシンを誘拐した疑惑がもたれている。
「どうやって脱走したか、経路はわかりましたか?」
「警察に捜査してもらったんですが、さっぱりで。やっぱり、怪異動物の完全収容はむずかしいですね。しかたなくうちも怪異コンサルタントの方に入っていただいて、怪異用の新型監視カメラを何台か納品してもらったんですよ」
「怪異コンサルタント? お名前を教えてもらってもいいですか?」
「ええ。与那覇さんという方ですよ」
怪異コンサルタントの与那覇。
その不穏な名前の羅列に、狩人の眼光は知らず知らずのうちに鋭くなる。
志津川と別れた後、駐車場に戻った宿毛湊は私用のスマホである人物に電話をかけた。
『はい。宿毛先輩、どうしました?』
聞こえてきたのは後輩狩人、的矢樹の声である。
「今、センターで話を聞いてきた。アライグマの脱走の件だ。脱走に関わったかはわからないが、その後、センターに与那覇が顔を出している」
『嫌な動きしてますね……。自演に決まってるじゃないですか、そんなの』
「俺もそう思う。水野を脱走させたのは与那覇だろう。……わざと事件を起こして、不安を
『やり口が変わりませんね。東京時代から』
的矢樹と宿毛湊、そして与那覇は、少なからず因縁のある間柄だった。
二人が東京本部で仕事をしていた頃、与那覇も東京にいたからだ。
怪異の専門家としての立場は狩人と変わらないものの、与那覇の目的はビジネスだ。社会の平穏と暮らしを守ることはおろか、怪異との共存などというものはかけらも頭にはないだろう。当時からそういう人物であった。
『どうしますか? 先輩、俺、先輩が号令さえかけてくれたら……取りますよ、茜先輩の仇』
宿毛湊は黙りこんだ。
一瞬、時間が止まったようだった。意識の外では枯れ葉が空を舞い、風の音が鼓膜を叩くのに、それらのすべてが視界のなかに入ってこない。
「…………様子見だ。証拠がない」
『わかりました。このこと、七尾支部長には伝えますか』
「黙っておいてくれ」
ようやくそれだけ口にして通話を切ると、まだ昼前だというのに重たい疲労感が両肩にのしかかってくる気がした。
そのとき、半開きにしていた軽トラの助手席から、茶色い毛玉がおどりかかってきた。
「すくもさんすくもさんっ! はやくはやく!!」
「わっ、何するんだマメタ!」
「すくもさん! いそがないと遠足おわっちゃうよ~!!」
茶色い毛玉、マメタは宿毛湊の顔にべったりと貼りついたまま、顔をこすりつけてくる。
「わかった、わかったから離れてくれ! 運転できない!」
マメタが「遠足に行きたい」と言いだしたのは昨晩のことであった。
*
秋と言えば行楽シーズン。
やつか町に住む小学生たちにとって定番の遠足スポットは天狗山アニマルパークである。午前中に動物園を見学して、天狗山展望台でお弁当を食べるのがお決まりのコースだ。
遊び仲間である子どもたちから遠足の噂を聞いたマメタは、自分も一緒に行きたいとだだをこねて聞かなくなった。
いくら仲良しでも小学校の遠足にマメダヌキが参加するのはいかがなものかと迷ったのだが……。やつか小学校教員兼狩人の
マメタがお弁当箱と水筒を風呂敷に背負い展望台に向かうと、ちょうど子どもたちが展望台まわりの広場にビニールシートを広げているところだった。
「よっちゃ~~~~ん、た~まちゃ~~~~ん!」
「あっマメタくんだ!」
「マメタ~、いっしょに弁当食べようぜ~!」
マメタはお友達をみつけ、さっそく駆けていく。
子どもたちもすぐにマメタを仲間に入れてくれ、座るところを開けてくれた。
よっぽど楽しみにしていたのだろう。
みんなと並んで小さめのお弁当のふたを開けたマメタは、中身をみてきらきらとおめめを輝かせた。宿毛湊が早朝から手作りしたお弁当はおにぎりとウィンナーと卵焼きというシンプルなものだったが、おにぎりにハムと野菜で細工して、マメタの顔そっくりに作ってあった。
「わ~っ、マメタくんのおべんとう、かわいいね~」
子どもたちから褒められて、マメタはうれしそうだ。
食事のとき、たいていの豆狸は犬のように皿に顔を突っ込んで食べるのだが、今日はみんなと一緒だからか少し背伸びをしてスプーンを使って上手にお弁当を食べている。
ごはんの後はおまちかね、おやつタイムである。
マメタたちがご飯を食べているグループからちょっと離れたところで、女の子たちが持ってきたお菓子を広げていた。
「玉ちゃん、ヨーカイチョコレートなんて買ったの?」
やつか小に通う化け子狐、
300円という限られた予算内で少しでもたくさんお菓子を買おうとする子供たちのチョイスのなかではかなり異色といえるだろう。
お友達にふしぎそうにたずねられた玉乃はうつむきながら、恥ずかしそうに言う。
「あのね……よっちゃんがヨーカイシールを集めてるってきいたから……」
低学年でも、女の子たちは少し大人びている。お友達はそれだけで玉乃の言わんとしているところを察したらしい。
「もしかして、よっちゃんとおやつ交換したかったの?」
「うん……」
「さっそく行っておいでよ!」
玉乃はチョコレートをだいじそうに手に持ち、靴を履いて、よっちゃんのところをめざす。
そして、数分もたたずに、元のシートにもどってきた。
手にはチョコレートがまだ、ある。
「どうしたの? 玉ちゃん」
「ち、ちかづけなかった……」
「えっ」
女子小学生たちが背後を振り返ると、そこには大勢のクラスメイトに取り囲まれるよっちゃんの姿があった。
「よっちゃんのお菓子、マジでうめー!」
「俺のと交換して!」
「俺も俺もー!」
よっちゃんは懐に特売品で半額になった大袋菓子をふたつ抱えていた。それをクラスメイトに配りまくっては別のお菓子と交換し、お菓子長者と化していたのである。
長蛇の列に割って入ることもできず、玉ちゃんは泣く泣く戻って来たというわけだ。
「あいつらバカじゃないの……! 先生に言いつけてやる!」
「いいの、ホノカちゃん。せっかく都さんに選んでもらったんだもん、チョコレートは自分で食べることにする……」
半泣きのまま寂しそうに袋を開ける玉ちゃん。
これならよっちゃんが興味を持ってくれるんじゃないか、と思って貴重な予算の三分の一を削ったチョコレートから、あまり欲しくもないヨーカイのシールが出てきた。
「このシール、ぴかぴか光ってる……」
「あーっ!」
大きな声にびっくりする玉ちゃん。
足もとをみると、いつのまにかマメタが近くにやってきて、玉ちゃんが手にしたホログラムつきのシールを見あげ、おめめをキラキラさせていた。
「いーなーっ! 玉ちゃんヨーカイザーのレアシールもってるー!」
そう言いながら、玉ちゃんのまわりをくるくる回るマメタ。
すると、よっちゃんのお菓子交換の列に並んでいた男の子たちが、引き寄せられるように玉ちゃんのまわりに集まってきた。
「あっ! すげー! 玉ちゃんのシール、ファビュラスレアじゃん!!」
「えーっ ! 俺みたことねー!」
「すげー、俺にもみせて! みせて!」
どうやら交換用にひとつだけ買ったチョコレートに入っていたシールは、男子垂涎の貴重なシールだったようだ。玉ちゃんはあっという間に男子にもみくちゃにされてしまった。
「でも伊万里、おまえヨーカイザー持ってないだろ?」
「えーっ、そうなの。じゃあ、シール俺にくれよ!」
「あっ、ずりい。俺もほしーよ!」
「じゃんけんで決めよーぜ!」
あげるとも何とも言っていないのに、目の前で話がサクサク進んでしまう。
しかも玉ちゃんのファビュラスレアをめぐる争いは熱がこもっており、男子たちの目つきは肉食動物のそれだ。玉ちゃんは混乱するばかりである。
このみにくい争いに終止符を打ったのは、誰であろう、伊根さんちの自慢の次男坊、よっちゃんである。
「みんなー、やめよーよ。玉ちゃん、はじめてのレアシールなんでしょ~?」
よっちゃんはのんびりした口調でみんなに話しかける。
「はじめてのレアってとくべつじゃん! だいじにしたほうがいいよ!」
「そうかな……」と玉ちゃんが首をかしげる。
「絶対そう! すげー思い出になるから!」
よっちゃんはぐっと親指を立てる。
今のところ、玉ちゃんの思い出はお菓子交換に敗れた切ない記憶だけではあるが、それを聞いている男子たちは訳知り顔でうなずきあっていた。
「それよりさ~、お菓子があまりそうなんだよね。みんなからもらったお菓子も食べきれないしさー、お菓子パーティしようよ!」
その掛け声で、男子たちはレアシールへの興味を失い、大量のお菓子のほうへと移動していった。
よっちゃんもパーティー会場に向かおうとして、すぐに戻ってきた。そして玉ちゃんに耳打ちする。
「あのさ、ああいったけど。俺もそのシールほしいんだよね。よかったらさ、俺のシール帳もってくから、今度の日曜、ふたりでシール交換しようよ!」
「……!」
「玉ちゃんがそのレアがいいなら無理はいわないから。見るだけ、ねっ!」
「う、うん……」
よっちゃんは「やりい!」と言って元のシートに帰っていく。
ほかの女子生徒たちが見守るなか、玉ちゃんは手元のシールをみつめ、はらりと涙をこぼした。
「ふたりきりで……遊ぶ約束しちゃった……!」
「よかったね、玉ちゃん」
「エビで鯛を釣ったね、玉ちゃん!」
小学生にもいろいろあるのである。
その頃、宿毛湊はというと、挨拶ついでに教員たちの席に招かれていた。
「今日は、無理を言ってマメタを混ぜていただきありがとうございました」
「いやいや、マメタくんが来てくれてうれしいよ。マメタくんがいると、クラスのみんなが明るくなるんです」
兼業狩人の久美浜良孝は、ベンチの隣に宿毛湊を座らせると、にこにこしながらそう言った。
「それに……マメタくんは以前からよく学校のほうに遊びに来てくれてたからね」
「えっ?」
初耳である。
その反応を目にした久美浜は「やっぱりな」という感じの声つきで、どうやら宿毛湊の反応は想定済みだったようだ。
「すみません、把握してなくて。ご迷惑じゃありませんでしたか」
「いやいや、マメタ君は聞き分けがよくて素直ないい子だから。最初は子供たちと遊びたかったみたいなんだけど、そのうち授業を見学していくようになって……。実は、マメタくんはもう、ひらがなの読み書きはマスターしちゃったんですよ」
「ええっ!?」
そういえば……と記憶を呼び覚ます。お盆が終わった頃、マメタは的矢樹に当ててクレヨンを使ってお手紙を書いていた気がする。あれは、まさか学校で勉強して覚えていたのだろうか。
「それだけじゃなくって、先週は七の段を覚えてたし……」
「えええええっ!?」
何がいけないというわけではないが、マメタのことを幼稚園くらいの幼い子供だと思っていた宿毛湊である。三の段くらいならともかく、七の段ともなると、掛け算をほぼ習得しつつあるではないか。
「どうかな、この機会に、本格的にマメタ君を小学校に通わせてみるっていうのは。そのときには、宿毛くんにも保護者としていろいろやってもらうことになるけどね。PTAの役員とかさ」
「俺がPTA……。いやそれより怪異が人間の知識を習得するのって、どうなんでしょう」
「七尾支部長と相談だね。僕はいいと思うけど」
「け、検討してみます……」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
新たな懸念事項が増えた。宿毛湊は、うれしそうに生徒たちのまわりを跳ねまわるちいさなタヌキを、複雑な目つきで見つめていた。
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