第79話 いつの間にか増えている(中)
*
電話口の
あれは、的矢樹が東京本部に配属されたばかりのことだ。
的矢は着任するはずだったその日、東京本部に姿を現さなかった。
電話もつながらず、自宅を訪問しても返事がない。
ようやく来たと思ったら、何食わぬ顔で「ずっといましたよ。でも皆さんが気がつかなかったんじゃないですか」と言ってのけた。そしていなかったはずの一週間、本部にいなければわからなかったようなこと――所属職員の名前や配置、昼食の弁当の内容、ささいな会話の詳細——をつらつらと述べたので、たちまち「神隠し」というあだ名になった。「歩く遠野物語」と呼ぶ者もいた。
これは手に負えないというので配属される予定だった部署から外され、当時、宿毛湊の教育係をしていた
「どうして
当時、宿毛湊がたずねると的矢樹は今よりずっとボンヤリした顔で、
「買い物してたらよく知らない人に話し掛けられたんです。面白いところに連れてってくれるって。人間じゃないことはわかってましたけど……」
と言った。
「人間じゃないってわかってたのなら、なんでついていったんだ?」
「どうしてついて行っちゃいけないんですか?」
「どうしてって……お前、魔法使いではないんだろう?」
「はい」
「怖いとか、何も思わないのか?」
「全然」
高校を卒業したばかりの的矢樹は不思議そうな顔つきだった。
霊薬を飲めば一般人でも霊や怪異が見えるようになる。しかし生まれつき見えていた的矢樹は、そういうものとの付き合い方がほかの狩人とは違っていた。
それから年月がたち、やつか町に来ても当時の人間離れしていた部分が消えたわけではないらしい。
これも元教育係の責任かと思い、宿毛湊は仕事を受けた。
七尾支部長の配慮により『開錠』の前日から前乗りできることになり、的矢樹はすべての要望が通って大喜びであった。
宿泊施設はかなり豪華な旅館である。市街地からは離れた閑静な場所にあり、客数も少ない。食事こそ持ち込みの弁当だが、温泉もついている。
宿毛湊は通された部屋の広さに
「的矢、何もこんな豪華な宿にしなくてもよかったんじゃないか……?」
的矢樹はさっそく
「ちょうどういいところが他になかったんですよ。ごはんは食べれないけど、広いお風呂に入れますよ。あっ、温泉は入ってもいいんですよね」
「あまり良くはないが」
「そう言うと思って部屋に温泉ついてるとこにしました~」
ガラスの仕切りで
「七尾支部長の財布が死んでしまう……。やりすぎだ」
「素泊まりですから、それほどでもないですって。それに、あんまり人が多いホテルとかにはしないほうがいいと思うんですよね。今回の仕事ちょっと変なんで」
「何か見えたのか?」
「いいえ。でも普通にキナくさくないですか? この仕事。だって三十年以上塩漬けになってた案件なんでしょ」
担当支部はこれまで『いつの間にか増えている鍵』を積極的に駆除しようとしてはいなかった。
鍵はいつの間にか増えては人々の頭を悩ませてはいるものの、だからといってそれで誰かが困るでもない。現状維持したとしても異変のない怪異はそのままにしておくのが吉だというのは、どの支部でも変わらない考え方だ。
「いまさら動かす理由がわかんないんですもん。たぶん何かありますよ」
「何かって?」
「それがわからないので、今回は先輩に来てもらったんです。皆さん理解があって助かりました」
「理解はしてなかったぞ。ちゃんと理由を説明したんだろうな」
「したってわかってもらえないですよ」
「話してみないとわからないだろう」
「え~っ。それより先輩、誰か来ましたよ。先輩が出てください」
そのとき、ちょうどいいタイミングで部屋の呼び
浴室から出ると的矢は長椅子の上で横になったまま眠っていた。
「……?」
玄関の戸の、覗き窓の向こう側に来客が立っていた。
明るい色の髪を清潔感のあるショートヘアに
宿毛湊はドアを開けずに訊ねた。
「どなたですか?」
女性は少し戸惑ったように「開けてくれませんか?」と言う。
「はじめまして、三浦玲音です。怪異退治組合のお仕事のことでお話があります」
「そうですか。男だけの部屋に若いお嬢さんを入れるわけにはいかないので……。ロビーでお待ちください」
「わかりました、待ってます」
三浦玲音という人物は笑顔で去って行く。
誰だかわからないが、組合の職員という可能性は低いだろう。女性職員は珍しいし、狩人とは雰囲気も違う。
「的矢……、起きてるか?」
的矢樹は深く眠ったままぴくりともしなかった。
声をかけて揺さぶっても反応しない。
しかたなく上着を取ってひとりでロビーに向かう。
三浦玲音は来客用のソファに腰かけていた。こっそり鏡越しに見てみたが、妙なものはうつらなかった。
「三浦さんですね」
「アポイントもなしに、いきなり来てしまってすみません」
「組合の方でしょうか?」
彼女は立ち上がり名刺を取り出した。
大学名と共に並ぶ郷土史研究会部長、という肩書が目に入った。
やっぱり組合とは無関係のようだ。
「学生さんでしたか……。どういったご用件でしょう。俺たちのことをどこで知りました?」
「支部の方に聞きました。じつは『鍵』の怪異は、わたしたちが組合の皆さんに働きかけて開錠する運びになったんです。当日は研究会のみんなも立ち会う予定でした」
「どういうことですか?」
三浦玲音は一年前『いつの間にか増えている鍵』を手に入れたこと、それから郷土史研究会を立ち上げ、この怪異の正体を追っていたことをかいつまんで話した。
「研究で……ということでしょうか」
「学生活動の一環だと思ってください。好奇心からはじめたこととはいえ、それなりに真剣にやっているつもりです」
玲音はそう言ってから、宿毛湊を睨みつけた。
「それなのに、どうして中止を申し入れたんですか?」
「えっ? 中止?」
寝耳に水の話を持ち出され、宿毛湊は素っ頓狂な声を上げた。
玲音は眉をひそめる。
「知らないんですか?」
「何も……聞いておりません。すみません」
「そうですか。立ち会われるのは霊能力者の方って聞きましたけど、おじさんは違いますよね」
「おじ……ええ、まあ、違います」
「でしたら、その人に最後の鍵だけでも返すよう伝えてください。そのほうが身のためですよ」
玲音はそう言いおいて旅館の建物を出て行った。
どことなく敵意を感じる物言いだったが、何故そんなふうに当たられるのか心あたりがない。
部屋に戻ると的矢は起きあがって弁当を食べていた。
「名刺もらいましたよね、見せてください」
宿毛が三浦玲音の名刺を渡すと、的矢は割り箸を置いてまじまじと見つめていた。
「ふーん、学生さんか……」
「的矢。中止ってどういうことだ? スケジュール変更は聞いていないぞ」
「ああ、それ。事前に七尾支部長から申し入れてもらいました」
「じゃあなぜ俺達がここにいるんだ」
的矢樹はにやりと笑ってみせた。
「それは形だけだからです。実際は延期。関係者には中止として伝えてもらってます。そういう作戦なんです」
「作戦?」
「そうです。あえて中止を伝えてもらって、それで誰が動くのか見てみたかったんです。案の定でしたね」
「最後の鍵っていうのは?」
「最後かどうかは知りませんけど、これのことでしょう。サンプルとして実物をひとつ送ってもらったんですよ」
ビニール袋に入れられた小さな鍵をみせる。
「これが『いつの間にか増えている鍵』か……」
「この鍵は先輩が持っててください。僕はお風呂入ってもう寝まーす」
いつの間にか弁当を空にしていた的矢樹は、説明を切り上げてそそくさと浴室に向かおうとする。
「待て、的矢」
宿毛湊はあわてて
「なんでしょう」
「俺に霊感はないが、一応バディだ。作戦について説明はしてくれ」
「先輩はいつも通りでいてくれれば、それでいいですよ」
「説明になってないぞ」
「うーん。しいて言うなら、今日は耳栓して寝てくださいね」
それ以上は聞く耳持たず、といった体で、的矢樹は浴室に消えた。
まるで奇行の多い名探偵のようだった。いつもなら、宿毛湊が指示をしたことは「先輩が言うなら」と飲み込むことが多いが、今回はまるでコントロールがきいていない。どうすればいいかはまるでわからない。
東京時代、宿毛は的矢樹と組んで行動することが多かった。
ただあきらかに霊障と思われる案件のときは、的矢樹と組むのは鷲津茜のほうだった。だから、霊能力者としての的矢樹は宿毛にも良く知らないところがある。
ただし、『耳栓』の謎は解けた。
どういうわけか一晩中、錫杖の鳴る音が聞こえていたからだ。
*
よく寝付けないまま朝になった。
豪華旅館に泊まったからといって豪華な朝食が楽しめるでもなく、買い込んだパンと飲み物ですませる。
的矢樹はおだやかな寝息を立てている。
昨日と同じようにまるで起きる気配がなかった。立ち合いの日程は先延ばしになっているため、寝ていても問題があるわけではないのだが……。
そうこうしているとフロントから連絡が入った。
昨晩に引き続きロビーに三浦玲音が来ているという。
ロビーに降りると、玲音はもうひとり年上の女性を連れていた。
40代後半くらいだろうか。
彼女の隣で、玲音はどことなく挑戦的な目つきで笑っていた。
「おはようございます。もうひとりの狩人さんはどうされたんですか?」
「部屋で待機しています」
「あら、そうですか。朝から押し掛けてすみません。でも、私達の研究がどれくらい大事なものか、狩人さんにもわかってもらいたかったんです。研究会の部室にお
「中止を決めたのは俺たちではありません。担当支部が決定することです」
「話くらい聞いてくれたっていいじゃないですか。それとも、学生の活動だからってバカにしてるんですか?」
「そういうわけではありませんが……」
「この一年、真剣に研究と調査をしてきたのには、わけがあるんです」
玲音が隣に視線をやると、ひとりがけのソファに腰かけていた中年女性が立ちあがり、軽く頭を下げる。
「
宿毛湊は戸惑いながら、頭の隅では「これは罠だな」と感じていた。
状況が不自然過ぎるし、それに先ほどからずっと耳元で的矢樹の錫杖の音が張り付いたように鳴っていた。
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