第78話 いつの間にか増えている(上)


 三浦玲音みうられねは地元の県立大学に通う二回生だ。

 通っている大学のキャンパスは辺鄙へんぴな山のてっぺんにある。

 彼女は午後の講義を受けるため、坂道の中腹あたりにある駐輪場まで自転車を押して行き、所定の位置に停めて鍵をかけた。

 そのときふと気がついた。


「あれ……? なんだ? この鍵……」


 玲音は鍵の束を手に取ったまま、まじまじと見つめる。

 彼女はゲームのキャラクターのチャームがついたキーホルダーに自転車の鍵が二つと家の鍵、それから所属している研究室の鍵をひとまとめにしている。

 しかし、いつの間にかひとつ鍵が増えている。

 見覚えのない小さな鍵だった。南京錠の鍵のように見える。

 記憶を思い返してみても、こんな鍵をキーホルダーに取り付けた覚えはなかった。南京錠を使う用事もない。


「玲音、どうしたの?」


 ぼうっとしていると、後ろから声がかかった。

 振り返ると友人が立っていた。

 玲音は少しの間、自分の身に起きた不可思議なことを忘れてため息を吐いた。

 友人の格好はかなりラフなものだった。明るい茶色に染めた髪を適当に束ね、服装もジャージのままだ。


美里みさと、そんな格好して……。また先生に小言を言われるよ」

「へへへ、でもそのぶん勉強してるからね。で、どうしたの?」

「いや、なんか、まったく覚えのない鍵が増えてて……。ほらこれ。いつの間にか増えてたんだ」


 玲音はキーホルダーをみせた。


「え、どういうこと? 誰かが勝手につけたってこと?」

「わかんないけど昨日まではついてなかったと思う」

「何それ、こわっ……」


 怖いと言われれば、確かに怖いかもしれない。

 最後にキーホルダーを見たのは昨晩九時過ぎ、バイト先から帰宅したときだ。そのとき鍵は絶対に四つだった。もしも玲音以外の誰かが鍵を増やしたなら、施錠していたはずのアパートの扉から侵入するしかない。不法侵入までしておいて鍵を増やして出て行くなんて意味不明だ。

 じゃあ、人の手を介さずにどこからともなく何もない空間から小さな鍵が現れたのだとしたら……それはそれで怖い気がする。


「どうする? 怪異退治組合に連絡してみる?」


 玲音はぽかんとした。

 確かに、たちの悪いいたずらでなければ、これは怪異と言えるかもしれない。

 でも……。


「いや……そこまではいいや。こんなことで通報するのも気が引けるし。忘れてるだけで後から必要になったら困るし……」


 そのまま鍵の話は立ち消えた。

 しかし、退屈な講義を受けながら玲音は鍵のことばかり考えていた。

 これはどこから現れたものなのか、いったい何の鍵なのか。もしかしたら、これは玲音の知らない宝箱の魔法の鍵なのかもしれない――つまらない日常が変身するきざしなのかも――そこまで妄想をふくらませたところで講義が終わった。


「三浦さん、ちょっといいかな」


 友人と別れて講義室を出たところを呼び止められた。

 見知らぬ男子学生だった。茶色のチノパンにチェックのシャツ、トートバッグ。玲音より少し年上のようにも見える。真面目そうだが、あまり見かけない顔だ。


「何ですか……?」

「あのさ。実は、来る途中に話、聞いちゃったんだ。いつの間にか増えてる鍵ってやつ……」


 玲音は駐輪場でのことを思い出そうとした。

 駐輪場には学生が何人かいたが、そのなかに青年がいたかはわからない。


「それ、俺も持ってるんだ。ほら」


 青年は革製のキーケースを取り出した。

 型番も鍵穴に差しこむ部分の形も異なっているが、確かに似ている小さな鍵が並んでいた。


「半年くらい前かな。自分も、いつの間にか増えててびっくりしてさ。これ、何の鍵か気にならない?」


 青年は訊ねた。同じ現象に悩まされている仲間だと知り、親近感が湧く。


「実は……俺、色々と調べてみて、これがどこの鍵か知ってるんだ」

「えっ」

「興味ないかな、この近くなんだけど」

「えーっと……」


 玲音は、もしかしてこれはナンパみたいなことなのではないか、と一瞬疑った。

 自意識過剰かもしれないが、こいつは本当は適当に話を合わせているだけなんじゃないか、と思ったのだ。

 玲音の態度からそれを察したのか、青年は少し困った風に首を傾げている。


「ちょっとわかりにくくて寂しいところだから……。まあ、友達と一緒でもいいよ」


 玲音は遠慮なく一緒に講義をうけた美里を呼ぶことにした。

 青年はあくまでも淡々と玲音を案内した。三人はキャンパスの端にある細い階段を降り、竹林の間を抜ける小道に分け入って行く。

 普段立ち入らない斜面にはサークル棟や警備員の休憩小屋があったが、それを通りすぎると本格的な山道になった。

 しばらくは竹林のむこうに民家の姿が見えていたが、それも遠くなる。

 いつの間にか舗装された道は途切れ、薄暗い雰囲気に変わっていた。


「どこまで行くの……?」


 不審そうな声を発したのは美里だ。

 この三人の中では、ひとりだけ悪路を歩くのにぴったりの服装だった。

 しかし彼女は謎めいた鍵を持っていないのだから、こんな人気のない竹藪のなかを進むモチベーションは皆無に違いない。


「ごめん、美里。もうちょっとつきあってよ」


 玲音は軽い口調で謝った。

 先ほどから細い竹の枝が彼女の着ている白い柔らかなニットに絡んでは傷をつけている。それでも玲音は自分の好奇心にあらがえなかった。


「もうすぐだよ」


 青年はそう言ってズンズン先頭を進んでいく。


 しばらくすると竹林の奥に小屋が現れた。


 物置小屋のようだ。壁は木製で、びついたトタン屋根がついている。


「ほら、あれだよ。あのが君の鍵なんだと思うよ」


 青年は言った。

 正面の扉に無数の南京錠がズラリと取り付けられていた。

 よくデートスポットにハート型の南京錠が鈴なりに取り付けられているが、ちょうどあんな感じに、外から開かないようにされている。

 玲音は自分の鍵を取り出してみた。

 いくつもある錠のうち、ひとつが強く自分を呼んでいるような気がした。

 暗い鍵穴の奥から、助けて、ここを開けて、と声がするような気がしたのだ。





 その日の午後、的矢樹まとやいつきはしばらくの間、無駄に美しく整った横顔をテレビ会議の画面に向けていた。だが、突然口を開いたと思うととんでもないワガママを言いだした。


「いやです。僕は宿毛先輩と一緒じゃないと、この仕事はしません」


 彼はウェブカメラの向こうで困り果てている他支部の面々に向かってそう言い放った。

 成人男性が開口一番「仕事をしない」と言い切ったその瞬間を目撃した事務員の相模さがみくんは、しばらく口を閉じる方法を忘れていた。

 的矢樹は怪異退治組合やつか支部所属の狩人である。

 である、と言い切っていいかは難しいところで、本当はまだ東京本部の所属なのだが、いまでは生まれてこの方ずっとやつか町在住ですよという顔で仕事をしている。


 彼に備わった特筆すべき才能はずばり霊感である。


 的矢樹はやつか支部ではただひとり、そして周辺支部を含めてもなかなか珍しい狩人だ。やつか支部に来てからは、その才能を買われて他支部の応援に行くことも多い。

 そしてどんな依頼があってもそつなくこなして帰ってくるのだが、このときだけは違っていた。

 両支部の支部長も同席する打ち合わせで的矢樹はまるで子供返りしたかのように、

 

「やーでーす~! ぜったい、ぜーったい、やりませ~~~~ん!」


 …………の一点張りであった。


 相談の内容はささやかな事件だった。

 場所はやつか支部からは二つ県をまたいだ地方都市の県庁所在地、そこの大学生が『いつの間にか増えている鍵』を発見したというものである。

 怪異自体は三十年くらい前から確認されているものだ。

 ただし発生した原因や駆除する方法はわからないままで、担当支部の事務所では『いつの間にか増えている鍵』を無為に回収し続けていた。

 しかし今回、とうとう鍵と対になる『鍵穴』が発見されたようだ。

 もしかすると駆除に繋がるかもしれないとして、事務所では『開錠』を試みようとしている。その現場に霊感持ちの狩人に立ち会ってもらいたいというのだ。

 最初、打ちあわせはスムーズに進んでいるように思われた。しかし的矢樹は段々と目に見えて機嫌が悪くなり、なごやかな空気は一変した。

 彼はバディとして彼が敬愛してやまない先輩狩人である宿毛湊すくもみなとを指定したのだが、先方が予算の都合上ひとりでの作業を希望すると、このありさまである。


「的矢……もうちょっと何とかならないのか、その態度は」


 七尾支部長が渋い口調でいさめるが的矢樹は頑としてゆずらない。


「なんと言われようと宿毛先輩が来ないなら無理です。担当者だけでやってください」


 相模くんは言葉にしないものの、いつ支部長が怒りだすかとはらはらしていた。

 しかし、七尾支部長は思ってもみないことを言いだした。


「……そうか、じゃ、宿毛の旅費その他もろもろはうちで受け持つか」

「えっ」


 てっきり子どもみたいな態度をとがめるものだとばかり思っていたのに、いつになく優しい態度である。


「泊まる旅館も指定していいですか? 内風呂があるところがいいなあ」

「わかった。相模くん、希望を聞いて手配しといて」

「ええっ」


 ワガママを丸のみしてしまう支部長に相模くんは驚くばかりである。


「いいんですか、支部長……。うちの旅費もけっこう予算がかつかつなんですけど。言っちゃなんですけど、あれ、ただのワガママですよ」

「それはそうなんだが、霊能力者に何が必要なのかがわかるのは本人だけだからなあ。ま、とりあえず宿毛のほうにもアポ取っておいて」

「はあ……」


 繁忙期を控え、仕事が増えてきている時期だ。

 二つ返事で良しとはならないだろう……。そう覚悟して宿毛湊に電話をかける。

 急なスケジュール調整の謝罪をして、事情を説明すると。


『わかりました。なんとかします』


 ふたつ返事であった。


「あ、そうですか……、じゃ、詳細は追って連絡します」


 相模くんはどこか腑に落ちない、狐につままれたような気持ちで受話器を置くこととなった。

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