第77話 郵便だぬきのハナちゃん


 黄金山のハナちゃんは、嫁入り前ににんげんの町を冒険するためにやつか町にやってきた茶色のたぬきです。ほんとはちょっとで帰ろうと思っていたのだけど、空き家の軒先を寝床に決めて、ごろごろしているうちに一ヶ月くらい経っていました。

 そうこうしているうちに、じぶんも豆狸になってずっと町に住むのもいいわねーなんて思うようになってきたのです。ご近所の豆狸たちがやってきて町のことをいろいろ教えてくれるので、とくべつふべんもないし。

 そんなある日のこと。

 日が落ちてずいぶんたってからハナちゃんがねている倉庫ににんげんがやってきました。にんげんはねているハナちゃんに声もかけないで、なにか大きなふくろをドサリと置いて去っていきます。

 ハナちゃんはにんげんが帰ってから、ふくろを開けてみました。


 あらあらまあ、これは……!


 その中身をみてハナちゃんはびっくりして目をまんまるにしたのでした。


 そこには人間のもじが書かれた四角い紙がたくさん!


 これはいったい何なのでしょう。ハナちゃんはあとからやって来たご近所に住む豆狸たちにきいてみました。


「マメタしってるよー!」


 ぽてとちっぷすというお菓子をもってきてくれたすくもさんちの豆狸、マメタは言いました。


「これ、おてがみっていうんだよ!」

「まあ……これがおてがみ?」


 ハナちゃんはびっくりしました。おてがみというものは人間がやりとりするものだというのは長老から聞いていました。そしておてがみをもらったひとは必ず『へんしん』をしなくちゃいけないということも!


「わたし、おてがみをもらったの、はじめて……! どうしましょ、おかえししなくっちゃいけないのよね。こんなにたくさんおかえしできるかしら」

「マメタもてつだうー! みんなにもこえかけてくるね!」


 豆狸たちはハナちゃんち(仮)の柿の木にのぼって、黄色やオレンジに紅葉したすてきな葉っぱをむしりました。

 マメタがスタンプ台をもってきてハナちゃんの肉球にぬります。

 おてがみありがとうの気持ちをこめて葉っぱにポンと押せば、たぬきのお手紙のかんせいです。


「ぼくたち、てわけしてとどけてくるねー!」


 文字が読める豆狸たちは完成した葉っぱのお手紙を手にして、やつか町のあちこちに散りました。

 ハナちゃんもマメタといっしょにやつか町をめぐります。

 銀色や赤色、いろんな郵便受けに葉っぱのお手紙をとどけます。


 にんげんたちは、よろこんでくれるでしょうか……?





 広田大地ひろただいちは疲れ果てていた。


 四月からはじめた郵便配達の仕事が彼を追い詰めていた。体力的にきついのもあるが、土地勘のあまりない地区の配送担当になってしまったのが大きい。しかしいちばん彼を追い詰めたのは、やつか郵便局の職員たちの優しさだった。

 配送が終わると彼らは大地をねぎらってくれる。世間で言われるようなセクハラやパワハラもブラック労働もない。控えめに言ってもいい職場だ。

 しかし、だからこそ彼は弱音を吐くことができなかった。

 彼のそういう性格は小学生の頃から変わらない。

 学校の勉強がちっともわからず、毎日の宿題がたまりにたまってしまったときのこと。先生は怒らずに「わからないことがあったら先生に聞いてね」と言ってくれたのに、大地がやったことといえば、宿題をゴミ箱に捨てるというとんでもない行いだった。先生はあんなに優しかったのに……いや、優しかったからこそ、そんな素敵な先生をがっかりさせるのが怖かったのだ。


 しかし、もう、限界だった。


 秋も深まってきた頃、彼は配送先から郵便局に戻った。

 そこに青いつなぎを着た若い男が待ち構えていた。長めに伸ばした黒髪に白いインナーカラーを入れている。左のこめかみに傷あとが見えた。大地にとっては声のかけにくいタイプに見えた。


「広田大地さんですね。怪異退治組合やつか支部から派遣された狩人の宿毛湊です」

「えっ……怪異退治組合……?」

「なんだと思いました? 警察とか?」

「あ、いえ……その……」


 宿毛湊の目つきは警察よりも怖かった。

 つい、目を逸らしてしまう。


「やつか町のあちこちの家に柿の葉が送られる事件が起きています」

「柿の葉……?」

「あなたの住んでいるアパート、隣に空き家がありますよね。そこに……あなたは配達するはずだった郵便物を捨てていますね」


 ああ、ばれてしまった。大地は項垂れた。

 白を切り通す力もなく彼はすべてを認めた。

 大地は慣れない土地で配り切れなかった郵便物を自宅に持ち帰っていた。先輩や上司にばれたくない、足を引っ張りたくないという一心でしたことだが、じきに始末が悪くなると隣の空き家の物置に隠したのだった。


「なんでわかったんですか……?」


 大地がたずねると狩人は駐車場にとめていた軽トラの助手席をあけた。

 一匹のホンドタヌキがするりとおりてきて大地を見あげている。


「こちらはあの空き家に住んでいるタヌキのハナちゃんです」


 大地は一瞬、頭がおかしくなったかと思った。自分ではなく相手のだ。

 しかし次の瞬間、ハナちゃんがぺこりと頭を下げて、


「ハナです」


 と言ったので今度は夢かと思って自分の頬を強くつねることとなった。


「ハナちゃんは見た目は普通のホンドタヌキですが、豆狸になりかけなのでしゃべるんです」


 狩人は真面目な顔つきで言う。


「わたし、あなたが持っていらしたおてがみがわたしあてなのだと思って、てっきり……たくさんのおうちに『へんしん』をしてしまったのです……」

「あっ、それがもしかして葉っぱの手紙……?」


 大地がたずねると狩人は頷いた。

 大地が捨てた手紙の束は、そのままだったらずいぶん発見が遅れていただろう。しかし運がいいのか悪いのか、捨てた物置に住みついていたハナちゃんが発見し、あちこちに『へんしん』を送ってしまった。

 葉っぱのお手紙を見つけたやつか町の住人の何人かが怪異退治組合に通報し、たまたま事務所に預けられたマメタ経由で事件が発覚したということらしい。


「す……すみません。悪いことだとはわかっていたけど、もう限界だったんです!」


 謝る大地にハナちゃんがそっと寄り添う。


「事情はききました。お手紙を配るの手伝いますから、みんなに謝りましょう?」


 大地はその場で泣き崩れた。


 この一件は早期発見だったことが幸いし、事件化はしなかった。

 処分を受けたあと広田大地は職場に復帰した。その後ハナちゃんも郵便だぬきとしてスカウトされ、やつか郵便局で働くことになったそうだ。


 なお、宿毛さんの知らないうちに夜遊びに出かけ、年賀状用のスタンプ台を家から盗み出したマメタはしこたま怒られたとのことである。

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