第76話 呪いのVRゴーグル(下)
ブキを手にしたさくらはとてつもない解放感を味わいながら、そこらじゅうにインクをぶちまける。
光線のように放たれた一条のインクを浴びた雷獣が無抵抗のまま「きゃう~~~~ん!」と悲鳴を上げ続けていた。
「さあ、大人しくあたくしに倒されるがよくってよ! そして金ウロコを落としてくださいまし~!」
万能感のあまり何故か言葉遣いがお嬢様言葉になっていた。
たぶん、そういうお嬢様言葉縛りでゲームをするのにハマっているか、ゲーム実況にかぶれているのだろう。
無理もない。さくらには現在、自分が住宅街で大暴れしているという意識はない。
彼女はあくまでも自宅で三次元の立体映像となった『イカちゃん』のゲームに入りこみ、楽しんでいるつもりなのだ。もちろんそれにしてはおかしいことが山のようにあるだろうが、そのあたりの違和感は魔法の力でごまかされている。
「そこまでだ、さくら!」
万能感のあまりさくらの有頂天が頂点に達する前に――調子に乗り過ぎて天狗になりかけた彼女にとって、こんなのはまだ序の口である――宿毛湊が道路に飛び出した。
さくらは声のしたほうにすぐ射線を向ける。
しかし初弾が到達する前に、宿毛の姿は彼女の視界から消えた。
宿毛湊が手にしたブキは二丁拳銃タイプのものだ。この種のブキには予めマニューバが組み込まれていて弾丸を避けることができる。
初弾を避けられたことに気がついたさくらはすぐに後退する。
その頬に赤いレーザーポインターが当たった。
赤い射線は、正面の山田家の屋根から的矢樹が構えたライフルの射線だった。
ふつうなら、これでキルが取れていたかもしれない。
しかしさくらの判断は速かった。
初弾を外したことで、自分自身が
『イカちゃん』はイカ形態と人間形態を使い分ける。
イカ形態になると自分と仲間が塗ったインクの中に潜って移動することができるようになる。しかも人間形態になって二本足で歩くよりずっと速く移動できるのだ。
初心者の方が「とにかく塗れ」とか「射線(敵が塗り進めたインク)を切れ」とか言われるのは、このためだ。
もちろん現実のさくらは人間なのでイカにはなれないはずだがゴーグルの効果なのか……その姿が黄色いフニャフニャした半透明のイカ……らしき何かになり、アスファルトに塗られたインクの中にもぐった。
宿毛と的矢が発したインクは彼女を捉えることなく見当違いの地面に散った。
「すみません、なんか生理的に気持ち悪くて手元が狂いました」
ボイスチャット機能を使い、的矢樹が謝罪する。
「いや、いい。俺も外した。作戦通りにいこう」
ゲームを進めていると仲間のプレイミスにイライラすることもある。
ゲーム中はなかなかわからないものだが、自分自身も完璧なプレイングができているとはかぎらない。お互い様の精神でボイスチャットではポジティブな発言を心がけよう。くれぐれも煽り行為(イカ形態になってハネる等)や煽り返しは厳禁だ。
もちろん感情はコントロールできないものだ。
気持ちを立て直す方法はいくつかある。あまりにも強い怒りが湧いたときは、ゲームからいったん離れ、お菓子を食べたりお茶を飲んだり、猫を抱きしめるのがいいだろう……。
さて、後退したさくらだが、その動きが中田さん宅あたりで止まった。
人間形態に戻ったさくらの足は色のちがうインクに絡めとられていた。
イカちゃんはインクの海にもぐり高速移動するが、敵のインクにはもぐることができず人間形態でも移動速度が極端に落ちる。かつ、スリップダメージを受ける。
このことを逆手にとり中田邸の周囲にはホリシンと相模くんがあらかじめ大量にインクをばらまいていた。
ホリシンはエアーブラシのハンドピースに似た形の銀色のブキを手にしている。攻撃力は最低だがインクを塗る性能に長けたブキだ。
シューティングゲームが苦手な相模くんは巨大なペイントローラー型のブキを携えている。
「よくやった、二人とも。いいか、合図したらいっせいに……」
「い、いいっ、いまだ! それーっ」
緊張状態に陥ったホリシンが合図を待たず飛び出していく。
しかもさくらの正面にだ。
「あっ……しまった! 的矢、フォローできるか!?」
「ホリシンさんの頭がジャマです!」
ホリシンのブキは射程が極めて短いため、かなり接近しなければ相手にインクが届かない。
しかもライフルの射程をホリシン自身が切ってしまっていて、的矢が撃てない。
そのとき、さくらがニヤリと笑った。
彼女の体がふわりと宙に浮いた。
「あたしを誰だと思ってるのかしらクソザコイカどもが~!」
浮いただけではない。彼女が天に向けて掲げた右手の先には、巨大なインクの玉が発生していた。
「スペシャルウェポンのグッド玉だ! みんな、退避しろ!」
イカちゃんたちはたくさんインクを塗ることで『スペシャル』という技を使うことができる。ブキ同様様々な種類があるが、いずれもゲーム展開を変える威力をもつ。
さくらの『グッド玉』は仲間が良いプレイングをしたときに押す『グッドボタン』を連打することで撃てる超強力な広範囲攻撃だ。
さくらは自らの足元にグッド玉を投げつけた。
インクの玉は強い風を巻き上げながら膨らんでいく。
その威力は玉の中にいたイカを全員、一撃でリスポーン送りにすることができるものだ。
「みんな、逃げ切れたか!?」
「はい、なんとか……でも、ごめんなさい。さくらさんには逃げられてしまいました。僕のブキ、あまりたくさん塗れないから……」
相模くんが申し訳なさそうに言う。
「いや、人数を減らされなくて済んで幸運だったと思おう。ホリシンさんが突出したことで、展開的には全滅もあり得た」
対面戦闘では射程が有利だが、数的有利という考え方もある。
どれだけプレイングが優れたゲーマーでも、四人に囲まれて同時に攻撃されればさすがに倒れるという理屈だ。
しかし難しいのは、攻撃するタイミングを一致させることだ。
いくら多人数で囲んだとしても、一人ずつ順番にかかって行ったのでは一対一の戦闘と変わらない。
今回ホリシンの攻撃を受けて、さくらはスペシャルを使用した。
もしもフルチャージした状態の通常攻撃だったらホリシンはまず間違いなくキルされていただろう。距離的には相模くんの攻撃がギリギリ届かなくもないのだが、さくらのブキのキル速のほうが速いので、同時に倒されていた可能性が高い。
「どうしましょう、宿毛さん。一旦引いて、体勢を整えますか?」
「いや、このまま攻め続けよう。防御に回っても、俺たちの練度では勝てない気がする」
自陣の安全地帯に引きこもり、攻撃をしかけてこない敵というのは相手にとってはたんに無害なだけだ。それよりも相手を不利にする行動を取ってプレッシャーをかけ続けたほうがいい。
防御し続けて勝つというのは技量が上の相手が取る戦法だ。
「さくらは自分の陣地、アパート海風に戻っているはずだ」
数的有利は依然として宿毛チームにある。
そう思った四人は一気に攻め込んだ。
住宅街を駆け抜け、柿の木が生えたアパートの敷地が見えてきたそのとき……。
「あっ! 危ない、物陰に隠れて!」
合図で、ホリシンや相模くん、そして宿毛湊が木や、隣の家や、車の影に隠れた。
それぞれの遮蔽物に黄色いインクの飛沫が飛び散る。
さくらが放つ黄色いインクは、アパートの屋上、屋根の上から放たれていた。
「どこからでもかかってきなさいよ、オラオラオラーっ!」
さくらは屋根の上に仁王立ちになり勢いよく黄色いインクを射出し続ける。
さくらに近づくには駐車場を越えてアパートへと接近し、階段を最上階まで登らなければならない。
対面戦闘には射程有利、人数有利という考え方のほかに高低差有利というものがある。
見通しのよい場所にいれば接近してくる敵をいちはやく発見し、攻撃を一方的に浴びせかけることができるからだ。イカちゃんのゲームでも『高所をゆずるな』と言われる。戦場の鉄の掟である。
宿毛湊たちは全員が位置がばれた状態で攻撃のタイミングを失っている。
もはや誰かが死ぬ覚悟で注意を引かなければ、さくらを倒すことはできない。
「宿毛先輩……。俺、覚悟はできてますよ。それに、俺のブキならワンチャン、さくらさんに弾が届くかもしれません」
「的矢、お前にこんなことを言うのは辛いが……」
「今度、焼肉おごってください」
「自宅焼肉で頼む。行ってくれ」
あくあまでも仮想空間上ではあるが、後輩に死を覚悟した突撃攻撃を命じる宿毛湊は悲痛な面持ちだ。
的矢樹は路上に飛び出し、銃口をさくらに向けた。
そのとき。
「…………あっ、インク切れた」
インク弾は有限だ。
回復できるが、それなりに時間がかかる。
アパートまでの道中、潜伏――イカ形態になってインクにもぐり、敵を待ち伏せすること――を警戒してクリアリング――移動するルートをインクでぬり潰し、潜伏を
そういうわけで的矢樹は黄色いインク
「樹ーーーーっ!」
宿毛湊の悲痛な叫びがご町内に響く。
こうなると、そもそも射程で負けている宿毛チームに勝機はない。
「フーハハハハハッ! 力こそ、力こそが世界の真実! 見よ、この圧倒的なパワー! 小賢しいテクニックや練習なんぞ無意味! 真の強者とは環境ブキを手に、ザコイカ共を駆逐する者のことをいうのだっ」
さくらは完全に力に溺れていた。
悪逆非道なふるまいに、もうなすすべはないというのだろうか。
いや、そうではない。
いくらゲームが強くても、どんなに知識があっても、そしてどれだけ勝利を積み上げたとしてもゲーム画面外に存在している人間は無力なのだ。
そのことをゲームはいつも人間たちに教えてくれる。
さくらが勝利を確信し、狩人チームが悔しさに唇を噛んだそのときだった。
*
突然、楽しく遊んでいたゲーム画面が凍りついた。
どれだけコントローラーをガチャガチャ動かしても、表示されたキャラクターはびくともしない。
しばらくして画面上に『通信エラーが発生しました。インターネットの状態を確認し、五分後に再接続してください』という表示が浮かぶ。
イカちゃんのゲーム3は、新発売のタイトルというだけあって多数のバグやエラーが報告されている。頻繁に通信エラーが発生し、勝負が無かったことになるというのもそのひとつだった。
「この…………クソゲー!」
さくらはゴーグルを外すと思いっきり投げつけた。
ゴーグルはガシャンと音を立てて屋根から落下していく。
「ん…………? んんん!?」
さくらは呆然として屋根から地上を見下ろした。
黄色や青のインクに染まったやつか町が、そこにはあった。
「何これっ、どういうこと!?」
事態に気がつき、宿毛湊に説明を受けたさくらは一瞬で血の気が引いて青い顔となった。
後日、幸いにして怪異の原因がVRゴーグルのせいであることが認められ、インク除去に関する費用は公的な補助金が申請できることになった。
さくらが言うにはゴーグルはネット通販で購入したものだということだった。
しかし購入したのは正規品の普通のVRゴーグルで、大村先輩が製作した呪いのゴーグルとは別物であった。
何者かによって荷物がすり替えられた可能性が高いとのことで、警察が配達業者を調べたところ従業員のひとりがすり替えを認めた。
従業員は荷物のすり替えを何者かに頼まれたと証言している。
その人物は『男とも女とも言えない中性的な人物』だったそうだ。
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